王子白髭神社 (木下川)

○王子白髭神社 葛飾区東四つ木1-12-26

 王子神社は、清和天皇の第7皇子貞辰親王が東国遊行の途次、元慶元(938)年に当地で死去、比叡山慈覚大師は良本阿闍梨に命じて塚を築いたといいます。
 牛嶋神社(旧王子権現社 こちらで記載)や王子白髭神社の社名にある「王子」とは平貞辰親王のことであることがわかります。
 江戸時代には浄光寺が別当寺でした。荒川放水路の開削により、大正8(1919)年、浄光寺とともに現在地に移りました。

<参道/鳥居>

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<神楽殿>

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<狛犬>

 大正8(1919)年に奉納の狛犬です。

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<社殿>

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<国旗掲揚台>

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<日露戦役紀念碑>

 「日露戦役紀念」
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 「勅選議員正四位勲三等金井之恭書」
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 「明治三十九年十月建之
  字上木下川中」
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tag : 木下川戦役紀念碑

木根川商店街跡/宝温泉跡

○木根川商店街跡 葛飾区東四つ木1-7

 レトロというかほぼ廃墟となっていた「木根川商店街」は解体され更地になりました。2022年から解体が始まり2023年1月頃には更地になったようです。それと、東四つ木コミュニティー通りの入口にあった地蔵堂が撤去されています。

 東四つ木コミュニティー通りから見たところ
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 宝温泉跡から見たところ
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<解体前>(再掲)

 レトロな商店街というかほぼ廃墟ですね、かろうじて理容タジマのみ営業していました。木根川商店街の看板の下には、宝商店街の文字が見えます。出羽三山供養塔の先に進むと、木根川商店街の終端に出ます。商店街の先にあった、宝温泉が廃業して、商店街の名称を変更したようです。

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○宝温泉跡 葛飾区東四つ木1-8-1 (再掲)

 宝温泉(薄茶色の冷鉱泉の天然温泉)は、昭和58(1983)年1月31日に廃業しています。現在は宝駐車場となっています。さだまさし「木根川橋」の歌詞に出てくる銭湯が宝温泉と思っていたら、NHK「サンドのお風呂いただきます」(2021年4月28日放送)では、さだまさしさんが通った銭湯は別の銭湯でした。アクアガーデン栄湯が紹介されていました。

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tag : 木下川さだまさし

浄光寺(木下川薬師)

○浄光寺(木下川薬師) 葛飾区東四ツ木1-5-9 HP

 さだまさしさんの母校「中川中学校」が木下川薬師の裏手にあり、さだまさしさんは木下川薬師でよく遊んだといいます。


「江戸名所図会 木下川薬師堂/木下川薬師如来」

 徳川家の祈祷所・御膳所として庇護され、江戸名所として賑わいました。

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「三十六花撰 東都木下川杜若」(二代広重)

 木下川薬師の杜若(カキツバタ)は、堀切の花菖蒲とともに花の名所として人々に愛されました。しかし、荒川放水路の開削によって、カキツバタが繁茂していた池は、放水路の流れに沈みました。

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「江戸遊覧花暦 木下川薬師」

 池には杜若(カキツバタ)が繁茂しています。「富の松」も描かれています。

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「絵本江戸土産 木下川の風景」(広重)

 挿絵には「この境内の杜若(かきつばた)の花の いよいよかの八橋の風景にもおさおさ劣らぬながめあり また大門の桜の並木は須磨にあらねど若樹の色また一入の絶景なり」とあります。

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<廃屋>

 「伝教大師御作 薬師如来奉安 木下川薬師
  徳川将軍家 祈願所」

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<仁王門>

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(説明板)
「木下川薬師
 当寺は天台宗に属し都内で最も由緒ある古い寺院で、その創立はその創立は貞観二年(八六○)三月と伝えられている。尊薬師如来は伝教大師の作といわれ、むかしから「きね川薬師」として世に知られている。
 応永年間(一三六四〜一四二七)の兵火のため焼失したが、僧別当証円が法燈の絶えるのを悲しみ、領主奥津家定に願い出て再び薬師堂を建てた。以来関東屈指の古い寺院として、一千年の法燈を伝え天正十九年(一五九一)徳川氏薬師供料として五石御朱印を賜りながくその祈願所とされた。江戸名所の一つとして文人墨客のおとづれるもの多く、堂舎改築当時の盛観を物語る多くの寺宝が保存されている。
  葛飾区 葛飾区観光協会」

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<金剛力士立像>

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(説明板)
「葛飾区指定有形文化財 木造金剛力士立像
  所在地 葛飾区東四つ木一丁目5番9号
  指定年月日 昭和59年(1984)2月27日
 浄光寺は大正8年(1919)に荒川放水路開削のため現地に移転しましたが、旧地の仁王門にあった金剛力士像は、その際破損したまま保存されてきました。平成7年11月に3年の月日を経て修復が完了し、実に70余年ぶりに再び仁王門に安置されました。
 何本かのヒノキを寄せて作る「寄木造」で、ガラスの「玉眼」が埋めこまれています。胎内(胸の内側)に墨書銘があり、江戸時代前半の寛文3年(1663)に浄光寺僧侶忠辨が願主、名主の大塚六右衛門が惣檀那となり、京都七条の仏師五代目兵部藤芳が制作したことがわかります。その後正徳4年(1714)には江戸の仏師による修理もあります。
 金剛力士像は仁王門に立ち寺を守護する役目があり、仁王像ともいいます。向って右が口を開く「阿形」、左が口を閉じる「吽形」(ともに現像高は275cm)で、怒りを顔にあらわし、全身に力がみなぎっています。
  葛飾区教育委員会」

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<道標>

 (正面)「左 やくしみち」
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 (左面)「是より右 江戸道」
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 (右面)「此方 龜井戸道」
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<石塔三基>

 山門くぐって右手に石塔が三基並んでいます。

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 ・元禄14(1701)年銘の庚申塔
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 ・宝永4(1707)年銘の庚申塔
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 ・明治38(1905)年銘の「馬頭観世音」
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<大銀杏>

 山門くぐって左右に大銀杏。乳柱(気根)を出しています。

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<御大典記念碑>

 駐車場の一画に「御大典記念碑」。

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<手水鉢>

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<百度石>

 明治42年の奉納です。

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<登美の松>

 この松の木は、徳川幕府第三代将軍家光公が参詣に訪れた折に、家光公自らの手によって植えられたものです。命名は第八代将軍吉宗公です。傍らにある登美の松碑は勝海舟の揮毫です。現在の松は二代目で、昭和44(1969)年に植樹されました。

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 勝海舟の揮毫です。

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(説明板)
「登美の松
 徳川幕府第三代将軍家光公が同寺院を参詣に訪れた折に、家光公自らの手によって植えられたもので、命名は第八第将軍吉宗公によるものです。傍らにある登美の松碑は、勝海舟の揮毫です。新編武蔵風土記稿には、枝が横に三十メートル左右に延びていたと記されており、その姿は壮大であったことがうかがえます。現存の松は二代目で、昭和四十四年三月に植樹されました。
 お手植 徳川三代将軍 家光公
 命名 徳川八代将軍 吉宗公
 揮毫 勝海舟
  平成二十八年秋設置  第六十一世 義延代」

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 「第二世富み乃松 奉賛会
   昭和四十四年三月」

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<鐘楼堂>

 鐘楼堂前の庭園には、杜若(かきつばた)が植えられています。

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<生田蝶介の歌碑>

 「双龍の藤」(樹齢300年)の前に「生田蝶介の歌碑」があります。

 「水の上をゆるく流れる花びらはみづにも
  ぬれずかがやきにけり 蝶介」

(寺HP説明)
「苛烈をきわめた戦中戦後の一時期、世相の荒廃を憂慮され、明日の日本を担う青年たちを集めて、この地、木根川薬師奥書院(現在の釈迦殿)にて満葉集講義をされた本邦近代歌壇の巨匠生田蝶介先生と当山第1世住職大僧正伊藤孝延師との邃きご厚誼を志すため、吾妹門下生相図り吾妹創刊60周年を記念し、ここに第11歌碑を建設しました。」

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<山田顕義「風折烏帽子」・加藤ひな子の碑> 葛飾区文化財

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(説明板)
「区指定有形民俗文化財
 山田顕義「風折烏帽子」・加藤ひな子の碑
  所在地 葛飾区東四つ木一丁目5番9号
  指定年月日 昭和53年(1978)2月13日
 明治政府の高官で明治22年(1889)日本大学の前身である日本法律学校を創立した山田顕義と、わが国の女優の育成と演劇界のため幾多の功績を残した加藤ひな子との親交を伝える碑です。
 山田の作詞である小唄「風折烏帽子」の碑(中央)は、同25年に死去した山田を偲び、ひな子によって建てられたもので、「空斎山田伯遺墨建設者」の碑(右)には各界名士の名が連ねられています。
 のちにひな子は、帝国劇場女優養成所副所長となりましたが、同42年演劇を学ぶために外遊中、アメリカ合衆国ボストン市において客死しました。加藤ひな子の碑(左)は、ひな子を顕彰し三回忌にあたる同44年、福沢桃介、川上貞奴らが発起人となり、財界・演劇界・門弟一同によって建てられました。
 かつて浄光寺は現在地より北西600メートルのところにありましたが、荒川放水路の開削に伴い大正8年(1919)現在地に移転、山田とひな子の碑は分離されていましたが、日本大学創立100周年を記念して昭和63年(1988)春、旧状に復されたものです。
  葛飾区教育委員会」

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<大師堂>

 大師堂と左手に不動明王像。

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<傳教大師童形御尊像>

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<薬師堂>

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(説明板)
「浄光寺縁起(木下川薬師)
 木下川薬師浄光寺は天台宗に属し、正式名称を青龍山薬王院浄光寺といいます。その創建からの歩みは「青龍山薬師仏像縁起」(区指定文化財)にて知ることができます。
延暦七年(七八八)に伝教大師が比叡山に延暦寺を開き、自ら薬師如来像を彫られました。神霊のお告げがあり、下野国に帰国する大慈寺の廣智菩薩に託されました。下総国木下川で唱翁に出会い、薬師像を唱翁の草庵に安置しました(嘉祥二年)その後、慈覚大師円仁は、この話を知り、貞観二年(八六○)、弟子の慶寛に命じてその草庵に一寺を建立し、浄光寺と名付けました。以来、
本山は木下川薬師浄光寺として七堂伽藍を備え人々の信仰を集めることになりました。
 江戸時代に入り、徳川家康公は当山に朱印地を寄進され、当山は浅草寺筆頭の寺格を保つことになります。将軍家が度々当山へ訪れ、享保五年(一七二○)には将軍家御鷹狩の御善所となり、鎮護国家の道場として長く将軍家の祈願所となります。
 幕臣勝海舟も浄光寺を愛した一人で、海舟の書簡なども当山に残されています。
また明治十二年(一八七九)六月、西郷隆盛(南洲)の死を悼んだ海舟が、南洲の留魂祠の碑を浄光寺境内に造立しました。現在は洗足池公園に移転されています。実物の拓本は当山に所蔵。
 大正八年(一九一九)荒川放水路の開削工事のため、浄光寺は北東六○○メートルの現在地に移転しました。釈迦堂の再建、仁王尊、仁王門の修復再建を経て、平成十年には新薬師堂を再建し、十二代将軍家慶公参詣以来、一四五年振りの秘仏本尊薬師如来の開帳法会を行うことになりました。
 その後十二年ごとに秘仏本尊薬師如来の開帳法会を行うことになりました。
 当山は、現在指定文化財十八件を数え、区内で有数の文化財の宝庫となっています。」

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<墓地>

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(参考)
 ○ 木下川やくしみち道標(木下川)
 ○ 木下川やくしみち道標(亀戸)
 ○ 西郷隆盛留魂詩碑(南千束)

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