青山霊園

○尾崎家墓所 港区南青山2-32-2 青山霊園1種ロ10号14側

 尾崎紅葉は、塩原では、三島通庸、奥蘭田とともに、塩原発展の三恩人として奉られています。

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<紅葉尾崎徳太郎墓>

 正面「紅葉尾崎徳太郎墓」
 裏面に、尾崎藤枝(尾崎紅葉の長女)、尾崎夏彦(尾崎紅葉の長男)。

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<尾崎谷斎供養塔>

(碑文)
「赤羽織の谷斎として知られる尾崎谷斎(本名 惣蔵)は 文豪尾崎紅葉の実父で 幕末から明治にかけて活躍した象牙彫り 角彫りの名工であった
 主に根付 髪飾り 茶道具等を得意とし その卓越した技芸に支えられた斬新 軽妙洒脱な作風は 明治の粋人 好事家に持て囃され一世を風靡した
 近年世界各国の美術愛好家の間でも谷斎人気は高く 掌の彫刻と賞賛され 熱烈なコレクターも多い
  2010年吉日 曾孫 尾崎伊策他 建之」

 尾崎伊策氏は、尾崎紅葉の長男夏彦の次男です。

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(参考)尾崎紅葉ゆかりの地(PCサイト


○斎藤家墓所 港区南青山2-32-2 青山霊園1種イ2号13側15番

 齋藤家墓所に、「齋藤家之墓」「墓誌」「茂吉之墓」とあります。

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 墓誌には、斎藤茂吉、斎藤てる子(茂吉の妻)、斎藤茂太(茂吉の長男)、斎藤徹三(茂太の三男)、美智子(茂太の妻)の没年が刻まれています。

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<斎藤茂吉の墓>

 斎藤茂吉の自筆の文字が刻まれています。

 正面「茂吉之墓」
 裏面「昭和二十八年二月二十五日没」

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(参考)
 ○近くに「童馬山房跡」があります(こちらで記載)。
 ○斎藤茂吉ゆかりの地(PCサイト


○大久保利通墓 港区南青山2-32-2 青山霊園2区1種イ15〜19側1番

<大久保公神道碑>

 明治43(1910)年9月建の巨大な「神道碑」です。
 「贈右大臣従弐位大久保公神道碑」

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 巨大な手水鉢があります。

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<大久保公夫人の墓>

 「贈右大臣大久保公夫人増子君墓」

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<大久保家墓所>

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<大久保利通墓> 東京都旧跡

 亀趺の墓石です。青山霊園では唯一の亀趺かと思います。

 「贈右大臣正二位大久保公墓」

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囲碁が趣味だった大久保利通の墓石には、亀趺の前に碁石が供えられています。
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(説明板)
「東京都指定旧跡 大久保利通墓
  所在地 港区南青山二 青山霊園内
      (二区一種イ一五〜一九側一番)
  標識 昭和十五年二月
  指定 昭和三○年三月二八日
 大久保利通(一八三○〜一八七八)は鹿児島藩大久保利世の長男として鍛冶屋町に生まれました。西郷隆盛とともに公武合体運動から倒幕運動に進み、岩倉具視らとは、王政復古を成功させます。明治政府が成立すると参与・参議として中核を担いました。明治四年に岩倉欧米使節団の副使として諸外国をめぐり、帰国後は内政の充実を唱え征韓論の西郷らと対立します。内務卿として権限を振るい、佐賀の乱や西南戦争などの反政府騒動を鎮圧する一方、地租改正反対一揆に対して地租を引き下げて農民を擁護し、板垣退助らと国会開設などの協議(大坂会議)を行います。大久保は、官僚政治家として日本の資本主義国家への基礎を築きましたが、明治一一年、島田一郎らに紀尾井坂で暗殺されました。
 西郷隆盛・木戸孝允とともに、明治維新の三傑といわれています。
  平成二四年三月 建設 東京都教育委員会」

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<国葬/標>

 大久保卿の葬儀は日本の国葬のモデルとなりました。事件の際に大久保公が身に着けていた衣服が納められています。

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(説明板)
「標
 内務卿大久保利通は明治11年5月14日早朝、三年町(現在の千代田区霞が関)の自宅から赤坂の仮御所(現在の港区元赤坂)に向かうところを不平士族の襲撃に遭い、落命しました。公の遺骸は、日本の国葬のモデルとなった葬儀ののち、この地に葬られ、事件のあった場所近くの清水谷公園には哀悼碑が建立されています。事件の際に公が身に着けていた衣服は子孫により長年にわたって保管されていましたが、昭和に入り、ここに納められました。
  平成30年5月14日 寄贈 植木由紀」

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<中村太郎の墓 大久保家・馬の墓>

 大久保利通が暗殺された際に、馭者台にいた中村も難にあい命を落とし、馬も斬られました。手綱を握っていた中村と馬は大久保公に寄り添うように眠っています。

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(説明板)
「中村太郎の墓 大久保家・馬の墓
 中村太郎(1852?〜1878)は大阪(一説には大井川附近)で大久保利通と出会い、その人柄を見込まれ従僕として召抱えられました。身寄りがなく“中村太郎”の名は大久保公から賜ったものと伝えられています。大久保公の馭者を務めていたため、明治11年(1878)5月14日に清水谷(現在の千代田区紀尾井町)で公と時を同じくして難に遭い、短い生涯を終えます。
 大久保家ではよく仕えた彼の誠心に報いて公と同日に葬儀を執り行い、公の傍らに手厚く葬りました。
 また、遭難時に馬車を牽いていた馬も命を落としました。丁重に埋葬されたのち、墓も建立され、手綱を握った中村と共に公に寄り添うようにこの場所に眠っています。
  平成30年6月14日 寄贈 吉田美穂」

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「大久保利通肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
 文政13年8月10日〜明治11年5月14日
 (1830年9月26日〜1878年5月14日)

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○乃木将軍墓所 港区南青山2-32-2 青山霊園1種ロ10号26側

<乃木将軍墓所>

 平成10(1998)年に、乃木神社及び親族により外壁が補修されています。

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<「勝典」「保典」墓>

 日露戦争で戦死した二人の息子「勝典」「保典」の墓です。側面に没年が刻まれています。

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<乃木将軍父母の墓>

 乃木将軍の父の希次、母の寿子の墓です。

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<乃木希典、静子の墓>

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「近世名士写真」(昭和10年 国立国会図書館蔵) (近代日本人の肖像
 嘉永2年11月11日〜大正元年9月13日(1849年12月25日〜1912年9月13日)
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「乃木将軍写真画報」(大正15年 国立国会図書館蔵)
「乃木將軍御肖像/乃木靜子夫人御肖像」
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「乃木將軍夫妻御兩親、兩子息之寫眞及乃木家の系圖」
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「乃木靜子夫人と勝典、保典兩氏」
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「乃木勝典、保典兩氏御肖像」
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<乃木希典将軍と那須温泉>

 乃木希典将軍は、毎年那須へ湯治に訪れていました。大丸温泉旅館ロビーの一画に、乃木将軍の当時の着物や日記、旅館へ宛てた手紙などの品々が常時展示されています。

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(参考)
 乃木公園 旧乃木邸
 乃木神社 宝物殿

<殉死>
 明治39(1906)年、帰国した乃木希典は明治天皇への復命に際し、多大な犠牲を出し(およそ5万、自分の息子2名も含む)「罪を償いたい」という乃木希典に対して、明治天皇は今は死ぬべき時ではない。どうしてもというのであれば、朕が世を去った後にせよ、という旨を伝えたといわれます。
 大正元(1912)年9月13日、明治天皇の大葬が行なわれた日の夜に乃木希典は自刃しました。
 日露戦役紀念碑の揮毫は乃木希典による書が圧倒的に多いのも、5万人の犠牲者を出した自責の念から日露戦役紀念碑の揮毫に積極的に応じた証左かとも感じます。
 戦国時代及び江戸時代前期の殉死は「衆道」と関わりがありましたが(「衆道と殉死」で記載)、乃木将軍の殉死はこれとは性格を異にしています。


○三島家墓所 青山霊園 1種イ9号12(参考)

 三島通庸は、塩原では、尾崎紅葉、奥蘭田とともに、塩原発展の三恩人として奉られています。
 塩原には「三島通庸紀恩碑」があります(こちらで記載PCサイト)。

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<三島通庸/和歌子の墓>

 棹石が回転してずれています。

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<三島通庸頌徳碑碑>

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「三島通庸肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
 天保6年6月1日〜明治21年10月23日
 (1835年6月26日〜1888年10月23日)

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<三島弥太郎の墓>

 三島通庸の長男。日本銀行総裁在職中に亡くなりました。
 裏手には五男の三島弥彦の普通の大きさの墓がありました。

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「三島弥太郎肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
 慶応3年4月1日〜大正8年3月7日
 (1867年5月4日〜1919年3月7日)

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<三島家之墓>

 三島通陽(みしま みちはる) 三島弥太郎の長男。
 明治30(1897)年1月1日〜昭和40(1965)年4月20日
 ボーイスカウト日本連盟の創設者です。ボーイスカウト日本連盟の那須野営場(那須塩原市西三島)は、三島家別荘の土地と家屋を通陽が寄附したものだそうです。三島通陽にかかるモニュメントがあります。

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「三島和歌子/三島弥太郎/三島弥彦」(塩原もの語り館掲示より)

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(以前の青山霊園への訪問)
 「赤い靴の女の子モデル(佐野きみ)像(霊園管理事務所)」及び「赤い靴の女の子・佐野きみ墓」

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tag : 尾崎紅葉斎藤茂吉亀趺囲碁乃木希典旧跡

几号水準点 白金/白金台/南青山

 港区白金(西光寺)、白金台(覚林寺)、南青山の几号水準点です。

○西光寺 港区白金4-3-9

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<几号水準点>

 「南無阿弥陀佛」の石碑の「渡陸尺」と刻まれた台座の左側に「几号水準点」があります。

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○覚林寺 港区白金台1-1-47

<几号水準点> 港区白金台1-1

 桜田通りに面して「清正公大神儀」の石碑があります。几号水準点が電話ボックス側の台座にあります。

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 「鎮守 清正公大神儀
  南無妙法蓮華経
  寛延四辛未歳六月廿一日 最正寺 日要」

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<覚林寺>

 加藤清正公が祀られています。

(説明板)
「港区指定有形文化財
 建造物 清正公堂及び山門
 覚林寺は弘化二年(一八四五)の大火で全焼し、山門は安政三年(一八五六)、清正公堂は慶応元年(一八六五)に再建されたものです。
 清正公堂は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造形式です。拝殿は間口三間奥行三間、幣殿は間口一間奥行三間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられますが、伝統的な意匠をもちます。山門は覚林寺の表門で、木造・銅板葺の薬医門であり、両側に脇戸が付きます。斗に皿斗が付くほかは装飾的要素の少ない簡素な門です。
 清正公堂は本殿部分を土蔵造とする権現造で、近世の建物構成を継承しています。拝殿・幣殿は本格的な禅宗様形式を採用し、本殿も伝統的な意匠を引き継いでおり、近世以来の技術を伝えるものとして高く評価されます。また山門は現在の境内おいて最古の建築であり、同時期の建設になる清正公堂とともに、近世以来の境内の構成を伝えている貴重な建造物です。
  平成十九年十月二十三日指定  港区教育委員会」

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<山門> 港区文化財

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<百度石/無縁塚>

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<毘沙門堂・稲荷堂>

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<本堂>

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<清正公堂> 港区文化財

 扁額の「破魔軍」は、有栖川宮熾仁親王の書。

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○南青山几号水準点 港区南青山7-13-29

 南青山七丁目の民家先にある几号水準点です。撤去されずに残っていることに感心します。

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tag : 几号水準点加藤清正

麻布山善福寺

○麻布山善福寺 港区元麻布1-6-21 HP

「江戸名所図会 麻布善福寺」

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「江戸名所図会 善福寺開山了海上人誕生図」

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<参道/寺号標/都旧蹟最初のアメリカ公使宿館跡>

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 「開山弘法大師創立
  親鸞聖人御舊蹟地
  初代米國公使館趾」

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<柳の井戸>

 江戸名所図会に「柳の井」が描かれています。麻布善福寺から抜粋しています。

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<楊柳水銘>

  参道の途中に、今も湧水がわいています。 この湧水は「東京の名湧水57選」(平成15年1月)に選定されています。

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(説明板)
「柳の井戸
 自然に地下から湧き出る清水である。
 東京の市街地ではこのような泉が比較的少ないためか、古くから有名で、弘法大師が鹿島の神に析願をこめ、手に持っていた錫杖を地面に突きたてたところ、たちまち噴出したものだとか、ある聖人が柳の枝を用いて掘ったものであるとか、信仰的な伝説が語りつがれてきた。
 とくに現在のわれわれとしては、大正十二年の関東大震災や昭和二十年の空襲による大火災の際に、この良質な水がどれほど一般区民の困苦を救ったかを心にとどめ、保存と利用にいっそうの関心をはらうべきものと思われる。」
  昭和四十九年一月(平成二十六年十二月建替)  港区教育委員会」

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<勅使門>

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(説明板)
「麻布山善福寺勅使門
 当山の中門は古くから勅使門と呼ばれ、伝承によれば、文永の役(一二七四)で亀山天皇の勅使寺となったとき以来の命名とされている。
 寺院の門としても重要な位置にあり、幕末のアンベール著の絵入り日本誌等に、その形が描写されていた。
 当時の火災は免れたものの、昭和廿年五月廿五日戦災を受けて焼失し、昭和五十五年十一月五日の再建によって現在の形を再び現した。」

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<麻布山善福寺案内図>

 「境内の史跡」
  ・本堂(港区指定有形文化財)
  ・秩父宮妃の碑(妃殿下お手植えの松)
  ・柳の井戸(表参道にあり)
  ・開山堂(国の重要文化財了海上人安置)
  ・逆さいちょう(国の天然記念物)
  ・親鸞上人像
  ・ハリス記念碑(初代アメリカ合衆国公使館跡)
  ・福沢諭吉翁の墓(慶應義塾の創始者)
  ・越路吹雪・岩谷時子の歌碑

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<最初のアメリカ公使宿館跡(ハリス記念碑)>

 ハリスの浮彫は、朝倉文夫の作のようです。

(碑表)
 「 ON
  THIS SPOT
  TOWNSEND HARRIS
   OPENED
  THE FIRST AMERICAN LEGATION
   IN JAPAN
   JULY 7.1859

   DEDICATED BY THE AMERICAN-JAPAN SOCIETY
         DECEMBER 19 1930」

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(碑裏)
 「本邦駐箚 初代米国公使館址」

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(副碑)
 「此の碑は
  日米修好通商百年にあたり同記念行事運営会が復元したものである。
  昭和三十五年五月十二日」

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(説明板)
「東京都指定旧跡
 最初のアメリカ公使宿館跡
   所在地 港区麻布一の六の二一善福寺
   史跡指定 昭和二八年一一月三日
   旧跡指定 昭和三○年三月二八日
 安政五年(一八五八)六月に締結された日米修好通商条約により、それまで下田にいた総領事ハリスを公使に昇格させ、安政六年(一八五九)善福寺をアメリカ公使館として八月に赴任します。当時の宿館としては、奥書院や客殿の一部を使用していましたが、文久三年(一八六三)の水戸浪士の焼き討ちで書院などを焼失したため、本堂、開山堂なども使用しました。明治八年(一八七五)に築地の外国人居留地へ移転します。当時の建物は戦災で焼失しています。
 寺には「亜墨利加ミニストル旅宿記」(港区指定文化財)が残されており、外国公使館に使用された寺の実態がよく伝えられています。
  平成二四年三月建設  東京都教育委員会」

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<手水鉢>

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<鐘楼堂>

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<亀子台>

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<開山堂>

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(説明板)
「善福寺 開山堂
 開山堂ははじめ真言宗の蔵王権現として開かれたもので、古く麻布郷の鎮守であったと伝える。
 親鸞聖人のお立寄りによって浄土真宗に改宗した中興開山了海上人は、蔵王権現の申し子として大井(現、品川区)に生まれ、この像が堂内に安置されることになった。かつては堂前でさまざまな行事も行われていたが、戦災焼失後再建されて、今は東京都の有形文化財となった。
 像とともに港区の有形文化財である、秀吉朱印状他の貴重な寺歴を物語る古文書等が収蔵されている。」

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<金燈籠>

 明和2(1765)年と明和8(1771)年銘の燈籠です。

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<善福寺本堂>

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(説明板)
「港区指定有形文化財
 建造物 善福寺本堂
 善福寺本堂は、当初東本願寺八尾別院大信寺の本堂として建設された建物を移築して、昭和三十六年に現在地で組上げたものです。大信寺は慶長年間の創建で、移築された本堂は明和四年(一七六七)に再建されたものです。再建の際に創建当初の柱など建築部材を一部利用したと思われます。
 正面幅約二十八メートル、奥行約三十四メートル、入母屋屋根、桟瓦葺。広い外陣と装飾性豊かな内陣、内陣の正面を華やかな欄間彫刻で飾り、金、極彩色で仕上げ、浄土真宗特有の形式をとります。組物は尾垂木付の二手先です。
 天明の大火[天明八年(一七八八)]で京都の東本願寺が焼失したので、同年から寛政十年(一七九八)まで東本願寺へ移築されて御影堂として使用されましたが、翌年八尾別院に再建されました。
 本建築は江戸時代の大規模な浄土真宗の本堂の構成を良く示す都内有数のものであり、また三度の移築を経るなど特殊な履歴も含めて、大変に貴重な建築です。
  平成二十一年十月二十七日  港区教育委員会」

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<奉献石燈籠>

 増上寺または寛永寺のものと思われる奉献石燈籠が2基ありました。
 2基とも全ての文字は削られており、将軍名はわかりませんでした。

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<善福寺のイチョウ(逆さ銀杏)> 国の天然記念物

「天然記念物 善福寺ノ公孫樹
  昭和十一年十一月建設」

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(説明板)
「天然記念物 善福寺のイチョウ
   所在地 港区元麻布一丁目六番二一号
       麻布山善福寺境内
   指 定 大正一五年一○月二○日
 イチョウ(銀杏・公孫樹)は、中国原産のイチョウ科の落葉高木である。雌雄異株で神社や寺院の境内樹・公園樹・庭園樹・街路樹として広く植栽されている。四月に開花し、雌株は十月に種子(イチョウの実)が成熱して独特の臭気を放ち、黄葉する。
 この木は雄株で、幹の上部が既に損なわれているが、幹周りは一○・四メートルあり、都内のイチョウの中で最大の巨樹である。樹令は七五○年以上と推定される。
 善福寺は、昭和二十年の東京大空襲によって本堂が全焼した際、このイチョウの木にもかなり被害があったが、いまなお往時の偉観をうかがうことができる。
 根がせり上がって、枝先が下にのびているところから『逆さイチョウ』ともいわれ、また、親鸞聖人が地に差した技から成長したとの伝説から『杖イチョウ』の別名もある。
  平成三十一年 三月 建設  東京都教育委員会」

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「江戸名所図会」

 江戸名所図会の麻布善福寺の挿絵の中に、「杖銀杏」が描かれています。

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<墓地>

 「秩父宮妃の碑」(開山堂の右手)、「福沢諭吉の墓」(開山堂の左手)、「越路吹雪・岩谷時子の歌碑」(墓地入口右手)がありました。他にも著名人のお墓があるようです。
 墓地内は写真撮影禁止のため画像はありません。

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tag : 江戸名所図会東京の名湧水57選旧跡史跡福沢諭吉朝倉文夫奉献石燈籠

有栖川宮記念公園

○有栖川宮記念公園 港区南麻布5-7-29
 
<有栖川宮熾仁親王騎馬像>

 中央広場の南に「有栖川宮熾仁親王騎馬像」があります。旧陸軍参謀本部構内に建立したものを、昭和37年(1962)にこの公園に移設されています。

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(説明板)
「有栖川熾仁親王の銅像
 有栖川熾仁親王(1835〜1895)は有栖川宮家九代目の親王で、明治維新、西南の役、日清戦役で優れた勲功をたてられました。その間、福岡藩知事や元老院議長、左大臣、近衛都督、参謀総長などを歴任され、明治28年(1895)1月に亡くなられました。
 この銅像は大熊氏広作で、明治時代の代表的作品の一つとして極めて価値の高い芸術品です。明治36年(1903)10月10日千代田区三宅坂旧参謀本部構内に建立したものを、昭和37年(1962)3月1日道路拡幅事業の際、ゆかりの深いこの公園に移設しました。」

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「最新東京名所写真帖 陸軍参謀本部と有栖川宮銅像」(小島又市 明治42(1909)年)

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「京浜所在銅像写真 故有栖川宮殿下銅像」(人見幾三郎 諏訪堂 明治43(1910)年)

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「東京風景 有栖川宮銅像」(小川一真出版部 明治44(1911)年)

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<有栖川宮記念公園碑>

 中央広場の北に「有栖川宮記念公園碑」があります。

(碑文)
「有栖川宮記念公園
  位置 港区麻布盛岡町広尾町
  面積 三五、六○一・一二平方米
  開園 昭和九年十一月十七日
  沿革
 この地一帯はもと盛岡藩主南部美濃守の下屋敷であったが、明治二十九年有栖川宮家の御用地となり大正二年高松宮殿下がこれを受けつがれた。
 殿下は都民の保健に深く心をよせられ多年にわたり小学校の校外教授等に利用させまた一般児童の入園も許しておられたが昭和九年一月御用地の一部を有栖川宮家の記念として本都に御寄付されたのがこの公園である 本都はその御主旨にそい直ちに造園工事に着手同年十一月これを完工し広く都民に開放したものである
  東京都」

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<僕は少年新聞や>

 中央広場に東に「僕は少年新聞や」像があります。朝倉文夫の次女、朝倉響子女史の作品です。

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(台座前面銘文)
「僕は少年新聞や
 軽くしごけば新聞の
 インキがプンと匂います
 大事にかかえて走るとき
 マラソン選手のようでしょう
 ぼくは元気な新聞や」

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(台座背面銘文)
「この像を建てたわけ
 毎朝毎晩、私たちの待っている新聞を届けてくれるのは、多くの配達少年です。
 雨にも、風にも、負けないで元気に働く少年たちです。
 その清純な姿が朝倉響子氏の手によって表現されました。
 この像は、少年たちには、仕事への誇りと責任を、
 大人には、働く少年たちへもっと愛の想いをと、
 呼びかけているのです。
 昭和三十三年五月三十日
  新聞を配る少年保護育成の会」

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tag : 銅像

米軍基地 六本木

○六本木在日米軍陸軍基地 港区六本木7丁目+

 東京都内のど真ん中に地図の空白地域があります。そこは在日米軍基地です。
 六本木トンネルの上は、米軍のヘリポートとなっています。
 近寄ると、拳を携行した警備員が視線を飛ばしてきます。
 
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