高村智恵子記念詩碑(レモン哀歌の碑)

○高村智恵子記念詩碑(レモン哀歌の碑) 品川区南品川6-7-30

 平成7(1995)年、ゼームス坂病院があった敷地の一角に、品川郷土の会によって、高村智恵子詩碑が建立されています。碑には光太郎直筆の「レモン哀歌」の詩が刻まれています。

<案内板「高村智恵子記念詩碑(レモン哀歌の碑)」>

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<高村智恵子詩碑>

 プレート文は「高村智恵子詩碑」、木札は「高村智恵子ゆかりの地 文学詩碑」となっています。

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(プレート文)
「高村智恵子詩碑
 この地は、詩人高村光太郎氏の愛妻智恵子氏が、晩年、療養生活を送っていたゼームス坂病院があったところです。また智恵子氏は昭和十三年十月五日、五十三歳のときにこの病院の一室でお亡くなりになりました。
 品川郷土の会では、この貴重な文化的史跡を永く後世に残すため、詩碑を建立することにし、高村光太郎氏が、智恵子氏との永劫の別れを哀惜して詠まれた、有名な詩「レモン哀歌」を詩碑に刻みました。
 碑は推定される智恵子氏の背丈にあわせ、文字は高村光太郎氏直筆の原稿をそのまま拡大して刻みました。
 なお、この詩碑の建立にあたって、快く「レモン哀歌」の使用を承諾していただいた高村規氏、また、土地の使用を承諾していただいたゼームス坂病院跡地所有者、東京マックス株式会社に心より感謝いたします。」(※高村規(1933年‐2014年)は、高村豊周の息子で写真家。高村光太郎記念会理事長を長く務めました。)

  レモン哀歌  高村光太郎
 そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
 かなしく白くあかるい死の床で
 わたしの手からとつた一つのレモンを 
 あなたのきれいな齒ががりりと噛んだ 
 トパアズいろの香氣が立つ 
 その數滴の天のものなるレモンの汁は 
 ぱつとあなたの意識を正常にした
 あなたの靑く澄んだ眼がかすかに笑ふ
 わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
 あなたの咽喉に嵐はあるが
 かういふ命の瀬戸ぎはに
 智惠子はもとの智惠子となり
 生涯の愛を一瞬にかたむけた
 それからひと時
 昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
 あなたの機關はそれなり止まつた
 寫眞の前に挿した櫻の花かげに
 すずしく光るレモンを今日も置かう
   平成七年六月 品川郷土の会」

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(参考)高村智恵子墓(染井霊園)→こちらで記載


○ゼームス邸跡地 品川区南品川6-15-5三越ゼームス坂マンション

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(碑文)
「三越 ゼームス坂マンション
 ゼームス邸跡地について
 此の処は南品川英国人ジョン・M・ジェームス邸跡地である。
 M・ジェームスは慶応二年(一八六三年)二十八歳の時来日した。そして坂本竜馬等とも知り合い、後に日本海軍創設に貢献し明治五年海軍省雇入れ以降幾多の変遷を経て住まいを此の地に構え隣人に慕われつつ明治四十一年七十歳にて没した。
 墓は身延山本堂裏山に在り「日本帝国勲二等英国人甲比丹ゼームス之墓」と刻まれている。
 その頃のジェームス在りし日を偲ぶ庭の欅も品川区の保存指定樹として樹齢百数十年の姿そのままに苔むす石垣と共に昔の面影を今に止めている。
  昭和五十八年十月」

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<ゼームス坂通り/品川銀座>

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東海道 品川橋(目黒川)

○品川橋 品川区北品川2丁目〜南品川1丁目

 北品川宿と南品川宿の境を流れる目黒川に架かるのが品川橋です。

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(説明板)
「品川橋の今昔
 この辺りは江戸の昔、「東海道五十三次 一の宿」として、上り下りの旅人で大変にぎわいました。また、海が近く漁業もさかんなところでした。今でも神社仏閣が多く、当時の面影がしのばれます。
 〔品川橋〕は、旧東海道の北品川宿と南品川宿の境を流れる目黒川に架けられ江戸時代には〔境橋〕と呼ばれていました。また別に〔行合橋〕・〔中の橋〕とも呼ばれていたようです。最初は木の橋でしたが、その後石橋になり、そしてコンクリート橋から現在の鋼橋へと、時代の移り変わりとともに、その姿を川面に映してきました。
 〔品川橋〕がこれからも、品川神社や荏原神社のお祭りである、「天王祭」のにぎわいとともに、北品川・南品川の交流と発展を深める「かけ橋」として、皆様に親しまれることを願っています。

  平成三年四月一日  品川区」

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○まちなか観光案内所 品川区南品川1-3-4

 昭和4(1929)年頃に交番として開設された建物を「まちなか観光案内所 南品川櫻河岸」として、令和4(2022)年3月16日に完成、4月2日にオープンしています。品川橋の袂にあります。

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<マンホール蓋>

 観光案内所前の歩道に、デザインマンホール蓋「品川橋さくら」があります。橋を渡る品川紋次郎と川沿いに咲く桜がデザインされています。

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<飛行機>

 車輪を降ろした飛行機が列をなして降りてきます。

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tag : 東海道マンホール

幕府御用宿釜屋跡(品川宿)

○幕府御用宿釜屋跡 品川区南品川3-6-50

 立場茶屋「幕府御用宿 釜屋跡」に現在はガーデンホーム南品川が建っており、その角地に説明板があります。

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(説明板)
「幕府御用宿 釜屋跡
 南品川 には旅人が休息をする「建場茶屋」が、数多くありました。江戸に最も近い品川宿は、江戸を立つ旅人達を見送る為の宴会の場であったり、また参勤で江戸に入る大名が、旅装束から江戸屋敷に入る支度を整える場所でもあり、大変賑わいました。
 中でも品川寺 門前の「釜屋」は、海をのぞむ風光明媚な茶屋であり諸大名にも愛され、料理を供するようにもなりました。
 慶応三年(一八六七)には「幕府御用宿」として、多くの幕臣達が東海道を上下する為に利用しております。
 同年十月二十一日、新選組副長・土方歳三と副長助勤・井上源三郎が、新入隊士や故郷の支援者達、計三十一名で休息した記録が残されております。
 また、慶応四年正月十二日〜二十三日、鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸に戻った新選組の「品川屯所」となっておりました。
 この品川の地で、幕末の風を感じて下されば幸いです。
 (南品川宿釜屋よりの光景)
 平成二十九年(二〇一七)九月吉日
  青物横丁商店街振興組合
   新選組研究家 汐海朱里 撰文」

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「江戸名所図会 品川寺」

 江戸名所図会の品川寺門前部分の抜粋拡大です。木戸の門が見えるこちらが釜屋でしょうか?

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「江戸名所図会 品川驛」

 品川宿の賑わいが描かれていますが、どこを描いたのか定説はありません。木戸の門のあるこの建物はどこでしょうかね。
 挿絵には「品川も つれにめずらし かりのこえ 其角」とあります。

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○保土ヶ谷宿の街道松 品川区南品川3-6-50

 隣に「保土ヶ谷宿の街道松」が植えられています。保土ヶ谷宿からの寄贈で、平成11(1999)年の植樹です。

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(説明板)
「保土ヶ谷宿の街道松
 この松は、東海道が取りもつ縁で四番目の宿場町、保土ヶ谷宿の「保土ヶ谷四○○倶楽部」から寄贈されたものです。
 この松は、両宿の友好のシンボルとして三十年、五十年と地域の方々と共に大切に育ててまいります。
 なお、この松の植樹にあたっては「ガーデンホーム南品川管理組合」の皆様のご理解とご尽力をいただきました。
 品川宿にはこの他にも、東海道の宿場町から同様の趣旨で寄贈された街道松が植えられています。
  平成十一年四月吉日  旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会」

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tag : 東海道江戸名所図会其角

品川寺(江戸六地蔵)

○品川寺(江戸六地蔵) 品川区南品川3-5-17 HP

 大同年間(806〜810年)に弘法大師空海を開山とし創建されました。太田道灌は、長禄元(1457)年、江戸城を築き、この地に伽藍を建立し「金華山普門院大円寺と号しました。太田道灌の持仏と伝わる「聖観音像」を安置しています。

 「江戸六地蔵第 一番」
 「江戸新撰三十三観音霊場 三十一番」
 「東海三十三観音霊場 二十一番」
 「東海七福神(毘沙門天)」


「江戸名所図会 品川寺」

 挿絵手前は東海道です。江戸六地蔵の一つである地蔵菩薩が街道を向いて鎮座しています。現在の地蔵尊は笠をかぶっていませんが、挿絵の地蔵尊は笠をかぶっています。
 夏目漱石は幼少の頃、内藤新宿の太宗寺の江戸六地蔵に笠に自分の頭が触れるまでよじ登って、錫杖の柄へつかまったりして遊んでいます。映画「セーラー服と機関銃」で、薬師丸ひろ子も地蔵に登っています。
 子どもが遊んで次第に壊れたとか、酔っ払いがよじ登って笠を壊してしまったのでしょうかね。

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<参道入口>

 「しながわ百景
  品川寺 品川寺の江戸六地蔵 品川寺の梵鐘
  昭和62年 品川区 31 32 33」

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<溺死者供養之塚>

 明治29(1896)年銘の「溺死者供養之塚」です。

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<句碑>

 6人の句が刻まれています。

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<江戸六地蔵>

 品川寺の地蔵菩薩は一番古く、宝永5(1706)年に造立されたものです。こちらの地蔵菩薩は笠をかぶっていません(江戸名所図会の挿絵では笠をかぶっています)。

 「都重宝 銅造地蔵菩薩坐像」
 「昭和四十五年八月三日指定
  昭和四十七年三月三十日建設
  東京都教育委員会」

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 石階段があり、地蔵菩薩に間近に近寄ることができます。

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(説明板)
「東京都指定有形文化財(彫刻)
 銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵の一)
  所在地 品川区南品川三ー五一ー七
  指定  大正一○年三月
 江戸六地蔵の由来は、その一つ太宗寺の像内にあった刊本『江戸六地蔵建立之略縁起』によれば、江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したことから、京都の六地蔵に倣って、宝永三年(一七○六)造立の願を発し、人々の浄財を集め、江戸市中六ヶ所に地蔵菩薩をそれぞれ一躯ずつ造立したと伝えられています。各像の全身及び蓮台には、勧進者、その造立年代などが陰刻されており、神田鍋町鋳物師太田駿河守藤原正義によって鋳造されたことがわかります。六地蔵のうち、深川にあった永代寺の地蔵菩薩(第六番)は、廃仏毀釈で取り壊され、五躯が残っています。
 六地蔵のうち、海照山品川寺の地蔵は一番古く、宝永五年(一七○七)に造立されたものです。像高は、現存するものの中で一番大きく二七五cmあり、かつては鍍金が施されていました。
 江戸時代中期の鋳造像としては大作であり、かつ遺例の少ないものであることから文化財に指定されました。
  平成二三年三月 建設  東京都教育委員会」

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<山門/宝篋印塔(亀趺)>

 山門前に台石が亀趺の宝篋印塔があります。

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<稲荷堂>

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<イチョウ> 品川区天然記念物

 気根が見事なイチョウです。

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(説明板)
「品川区指定天然記念物
  品川寺のイチョウ
   所在 南品川三丁目五番十七号 品川寺
   指定 昭和五十三年二月十四日(天然記念物第二号)
 本樹は幹回り五・三五メートル、樹高二十五メートル、推定樹齢約六百年という古木であるが、整然とした樹姿をみせ、その樹勢も極めて旺盛であり、幹や大枝からは、多くの乳が垂れている。
 本区内の数あるイチョウのなかでも、ひときわ目立つ存在であり、かなり離れた地点からも眺めることができ、壮観である。
 また約六百年という樹齢は 本寺が歴史の古い寺であることを実証するものの1つである。
  平成十五年三月三十一日  品川区教育委員会」

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<道祖神/庚申塔>

 イチョウの木の前に、道祖神と庚申塔が二基並んでいます。

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・寛政七(1795)年銘庚申塔
  三猿が陽刻されています。

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・延寳八(1680)年銘庚申塔
  自然石の庚申塔。台石に三猿と二鶏。両側面に蓮華蓮葉の浮彫です。

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<鐘楼/梵鐘>

 梵鐘がたどった経緯は、寺HPに詳細に記載されています。

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<高浜虚子句碑>

 鐘楼の入口に 高浜虚子の句碑があります。句碑は、鐘の帰還60周年を記念して平成2(1990)年に建てられました。
 昭和5(1930)年5月5日、スイスのジュネーブ「アリアナ美術館」から帰還した鐘の帰還式が品川寺で行われ、住職の友人である高浜虚子は帰還式に出席して、この句を詠みました。毎年、5月5日には「鐘供養俳句の会」が行なわれています。

 「座について供養の鐘を見上げけり」

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<ジュネーブ平和通り命名記念碑>

 記念碑と燈籠型石碑があります。
 昭和63(1988)年と平成2(1990)年に、マリー・テレーズ・クレリ「アリアナ美術館館長」が品川寺に来山されました。平成3(1991)年9月8日にアリアナ美術館において、新梵鐘鐘楼落成式が行われました。(詳細は寺HPに記載)

 「Geneve Avenue de la Pix
   8 septembre 1991」

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 (正面) 「為 マリーテェレーズクルリー 大姉荘厳浄土也」

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 (左側面)「感謝ジュネーヴ品川友好の母 平成十二年十月

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<十三之塔/金王七福神>

 鐘楼の周りに十三之塔があり、金王七福神が祀られています。「大黒天」「布袋尊」「恵比須」「寿老人」「福禄寿」「毘沙門天」「弁財天」

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<英霊堂>

 鐘楼の先に英霊堂がありますが近寄れません。聖観音菩薩と、その前に、軍馬・軍犬・軍鳩が祀られています。

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<弁天堂>

 弁天像は、琵琶を持たず6本手です。

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<修行大師像>

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<役の行者>

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<社務所>

 社務所には東海三十三所観世音霊場の札所板が掲示されています。不詳の石碑があります。

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<本堂>

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海晏寺

○海晏寺 品川区南品川5-16-22

 建長3(1251)年北条時頼の開基によります。本尊は、建長3(1251)年、門前の海で捕獲された大鮫の腹から見つかった観音像です。紅葉の名所として有名でした。

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「江戸名所図会 海晏寺」

 東海道に面して「総門」があり、「中門」を抜けると、すぐ左に「時頼墓」、右に「いなり」があります。境内左手に「弁天」が見えます。参道を進むと「本堂」があります。本堂裏の庭園の左に「二階堂 梶原 北条 三士墓」があります。庭園の右奥に「東照大権現」「いなり」「浅間」が見えます。

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「名所江戸百景 南品川鮫洲海岸」(広重)

 漁師の網に掛かった鮫の腹から、木造の観音像が出てきて、これをご本尊に北条時頼が建立したのが海晏寺で、由来の一つに、門前に広がる海岸は鮫洲と呼ばれるようになったと伝わっています。
 延々と連なる海苔養殖場が描かれています。海苔の養殖の「ひび」、海苔採用の「ベカ船」が見えます。

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<江戸の紅葉見>

 江戸の紅葉見は、下谷の正燈寺(こちらで記載)と品川鮫洲の海晏寺が特に有名でした。足を延ばして真間の「弘法寺」(こちらで記載)も有名でした。正燈寺と海晏寺が特に人気を集めたのは、正燈寺の近くには吉原遊郭があり、海晏寺には品川宿に飯盛女がいたことです。

 川柳
 「紅葉狩り例年行けどもいまだ見ず」
 「紅葉狩りどっちに出ても魔所ばかり」
 「紅葉狩聟やるまいぞやるまいぞ」
 「海晏寺真っ赤な嘘のつきどころ」
 「紅葉よりめしにしようと海晏寺」(めしとは「飯盛女」)
 「堅い奴うどんで紅葉見て帰り」(弘法寺の近くに遊郭はなく行徳「笹屋うどん」があった)


「江戸名所図会 海晏寺 紅葉見之図」

 海晏寺本堂裏の高台での紅葉見の光景を描いています。縁台に3人の男性が見え、右端の俳諧風の人は、短冊と筆を手に句を熟考しています。花見では見られない光景で、花見の賑やかさに対し、風流な賑やかさです。紅葉見は、俳句や連歌の宗匠、医師、僧侶などの文人の遊びであったとも言われています。

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「絵本江戸土産 品川 海晏寺の紅楓」(広重)

 挿絵には「曹洞派の寺院にて 境内の物ふりたるに 名高き楓の染るころは 二月の花にも倍たりとして 詩歌の騒人往かざるはなし」とあります。

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「江戸名所 品川海晏寺紅葉見」(広重 都立図書館蔵)

 海晏寺本堂裏の高台から鮫洲海岸を描いています。

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「江戸自慢三十六興 海案寺紅葉」(二代広重、豊国)

 海晏寺本堂裏の高台から鮫洲海岸を描いています。女性は短冊と筆を持っています。

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「三十六花撰 東京海案寺楓」(二代広重)

 海晏寺本堂裏の高台から鮫洲海岸を描いています。

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<鐘楼/本堂>

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 扁額には「海晏禅寺」とあります。
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<牢光堂>

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<鐘楼裏手の石塔群>

 鐘楼裏手に石塔群。なぜか砲弾が四基置かれています。

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<五輪塔四基>

 江戸名所図会にも描かれている五輪塔四基です。四基の五輪塔のうち二基に明応4(1495)年の紀年銘があり逆修とのことです(品川歴史館の解説による)。
 背の高い五輪塔が北条時頼の墓、左の二基および右の一基が三士の墓(二階堂、梶原、北条)です。

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<東海三十三観音霊場創設記念碑>

 五輪塔四基の前に立ちはだかるように立っている石碑です。何かと思ったら、大正3年、紫雲会により創設された東海三十三観音霊場の創設記念碑です。「大正三年三月創設記念 紫雲会建之」と刻まれています。

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<東京都旧跡二基>

 東京都旧跡に指定されている「白井鳥酔の墓」と「加舎白雄の墓」があります。

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<白井鳥酔の墓>

 (正面) 「松風塚遺章 松風の骨になつたる寒さかな 鳥酔居士」
 (左側面)「龍齋嶺碩」
 (背面) 「明和第六己丑歳次四月四日 松露菴社中 合資樹立」

 両脇に石碑がありますが、標石ですかね。ひとつは松風塚の標石と後生車を兼ねています。

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(説明板)
「都旧跡 白井鳥酔墓
   所在 品川区南品川五丁目十六番二二号 海晏寺墓地内
   指定 昭和七年二月十七日
 鳥酔(〜一七六九)は上総国埴生郡地引村に生まれた。名は信興といい、喜右衛門と称していた。生家はかなりの資産家であったが家を譲って江戸に出て長谷部柳居に従って俳諧を学んだ。はじめ牧羊と号し、のち、露柱と号した。さらに松露庵二世を嗣ぎ南浦松原庵および大磯の鴫立庵に住した。
 鳥酔は天明俳諧の中興の先駆をなした蕉門の巨匠として名を世人に知られた。著書には「稲ふね」がある。明和六年四月四日に没した。
  昭和四十三年十月一日建設  東京都教育委員会」

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 江戸名所図会に凸型の白井鳥酔と思われる墓が描かれています。

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<加舎白雄の墓>

 加舎白雄は天明の六俳客の一人で、蕉風の中興と称せられました。
 (正面)「白雄居士之墓」
 (右側面)没年が刻まれています。
 (裏面)「たち出て芙蓉のしばむ日に逢へり」

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(説明板)
「都旧跡 春秋庵白雄の墓
  所在 品川区南品川五丁目十六番二二号 海晏寺墓地内
  指定 昭和五年三月
 春秋庵白雄は江戸時代中期の著名な俳人である。通称を加舎五郎といい、信州上田(一説には松代ともいう)に武士の子として生まれたと伝えられている。最初は松露庵烏明の門に入って俳諧を学び、のちには白井鳥酔の門人となり、春秋庵白雄と号している。この頃かれの俳風は、俳諧の祖といわれた芭蕉に近く、よく芭蕉の伝等を復興したので、蕉風の中興と称せられた。しかも独自の俳風の樹立をなして一家を立てた。かつて大磯の鴫立庵に住したこともある。寛政三年(一七九一)九月十三日、年五三で銘した。
  昭和四十三年十月一日建設  東京都教育委員会」

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<船玉大明神/出世辧財天/鮫頭大明神>

 安政4(1857)年銘の石板碑です。江戸名所図会に描かれている「弁天」に置かれていたものでしょうか。

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<冨士山元大菩薩>

 慶應2(1866)年銘です。江戸名所図会には「浅間」が描かれていたので、そこに置かれていた石碑でしょうか。

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<その他>

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<墓所>

 岩倉具視墓所、松平春嶽墓所を含む墓域は公開されておらず、一般の墓域と垣根で仕切られています。垣根から垣間見るのみです。2人の墓所は神式で鳥居が建っています。

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