品川宿本陣跡

○聖蹟公園(品川宿本陣跡)品川区史跡 品川区北品川2-7-21

 情報量の多い公園(品川宿本陣跡)です。


<道標「品川宿本陣跡」> 品川区北品川2-7-22

 旧東海道の入口にある道標です。

 (正面)「八番 品川宿本陣跡」
 (左面)「左 歩行新宿」
 (右面)「右後 北番場を経て新馬場駅北口」

DSCN2454_202211132038279b8.jpg

DSCN2455_20221113203829b77.jpg

 左手に本陣の建物の説明と、明治天皇の行在所の説明が掲示しています。品川宿本陣が明治天皇の行在所となったのは、東幸、還幸、再東幸の際の計3回とのこと。

DSCN2456_20221113203959892.jpg

DSCN2457_20221113204000df9.jpg

DSCN2458_202211132040029d7.jpg

「遷都鳳輦品川通御之図 歌川芳盛(伝)品川歴史館蔵」
DSCN2459_20221113204004d2d.jpg


(説明板)
「品川宿本陣跡(聖蹟公園)
 江戸時代の本陣は、宿場で大名や旗本・門跡・公家などが休息や宿泊するところで、品川宿には初め南品川宿と北品川宿に一軒ずつありましたが、 江戸中期には北品川宿のみとなりました。
 大名などが宿泊すると本陣には大名の名を記した関札をたて、紋の入った幕をめぐらしました。
 明治維新後、京都から江戸へ向かった明治天皇の宿舎(行在所)にもなったところです。」

DSCN2452_2022111320422243e.jpg


<土山宿の街道松>

 公園入口には、土山宿から贈られた街道松があります。

DSCN2450_2022111320422409c.jpg

DSCN2453_20221113204226c10.jpg


<公園入口門柱>

 右の門柱に「品川区立聖蹟公園」とあります。

DSCN2460_20221113204400b8f.jpg

DSCN2461_20221113204401bc6.jpg


<しながわ百景>

「しながわ百景
 区政40周年・区民憲章制定5周年記念 昭和62年選定
 6 聖蹟公園(本陣跡)
   平成29年 品川区」

DSCN2465_20221113204404d72.jpg


<本陣の復元井戸と園内>

DSCN2185_202211132045386ed.jpg

DSCN2218_202211132045405ba.jpg


<東海道品川宿本陣跡>

(説明板)
「品川区指定史跡
 東海道品川宿本陣跡
  所在 北品川二丁目七番二十一号 聖蹟公園
  指定 昭和五十三年十一月二十二日(史跡第七号)
 品川宿は、江戸四宿の一つで、東海道五十三次の第一番目の宿駅として発達した。ここはその本陣跡であり、 品川三宿の中央に位置していた。東海道を行き来する参勤交代の諸大名や、公家・門跡などの宿泊・休息所として大いににぎわったところである。明治五年(一八七二)の宿駅制度廃止後は、警視庁病院などに利用された。
 現在、跡地は公園となり、明治元年(一八六八)に明治天皇の行幸の際の行在所となったことに因み、聖蹟公園と命名されている。
  平成十四年三月二十八日
  品川区教育委員会」

DSCN2187_202211132046437f2.jpg


<聖蹟公園の石碑案内>

(説明板)
「聖蹟公園の石碑案内
聖蹟公園由来の碑
 昭和十三年(一九三八年)聖蹟公園として整備開園するに当たり、その由来を記して東京市が建てたものである。
灯籠
聖徳の碑
 東京市品川聖蹟公園開設までの明治天皇品川聖蹟保存会の活動について記録した碑。
御聖蹟の碑
 明治天皇の行在所になった品川宿本陣跡が昭和十三年(一九三八年)に東京市の公園となったのを機に設置された碑である。
旗台
石井鐵太郎氏胸像
 常に住民の福祉増進と社会福祉の向上に尽し、昭和五十年に社会福祉功労を顕彰し名誉区民となった。
夜明けの像
 昭和二十四年に二宮尊徳像が建立さられたが、昭和四十二年に石井鐵太郎によって、現在の子ども達が親しみやすい像ということで改めて新聞少年の像が贈られた。
  品川区」

DSCN2191_20221113204741df7.jpg

DSCN2196_202211132047432d5.jpg

DSCN2209_202211132048413c5.jpg

DSCN2194_20221113204845f29.jpg


<開園碑>

 「東京市
  品川聖蹟公園
  昭和十三年十一月開園」

DSCN2195_20221113204925afa.jpg


<聖蹟公園由来の碑>

 昭和13(1938)年に東京市によって建立。聖蹟公園由来が記されています。

DSCN2447_20221113205057f65.jpg

DSCN2217_2022111320505905a.jpg


<街頭ラヂオ塔>

 見た目は石灯籠ですが、街頭ラヂオ塔(公衆用聴取施設)です。 東京で現存のラヂオ塔は、ここだけのようです。

DSCN2448_20221113205254967.jpg

 「寄贈 日の丸奉仕團」

DSCN2449_20221113205257739.jpg


<景仰聖蹟の碑>

 昭和13(1938)年11月15日建立。聖蹟公園の開園までの明治天皇・品川聖蹟保存会の活動記録を記しています。明治天皇の御聖徳を記念する碑です。

DSCN2189_20221113205423553.jpg

DSCN2192_20221113205424a40.jpg


<御聖蹟>

 昭和13(1938)年に東京市の公園となったのを機に設置された碑です。

DSCN2186_2022111320553342a.jpg

DSCN2197_20221113205535432.jpg

DSCN2199_20221113205536f68.jpg


<石井鐵太郎翁之像>

DSCN2201_20221113205649d02.jpg

DSCN2202_20221113205651db4.jpg

DSCN2205_20221113205653dd1.jpg


<夜明け>

DSCN2208_20221113205743b72.jpg

DSCN2206_20221113205744e2d.jpg


<タイル絵>

「東都名所 御殿山花見品川全図 歌川広重<初代>

 御殿山花見、品川宿、品川湊、右奥の海上には、海苔養殖のヒビが描かれています。

DSCN2210_202211132059557c4.jpg


「東海道五十三次之内 品川日之出(保永堂版東海道) 歌川広重<初代>」

DSCN2215_2022111320595647a.jpg


「品川宿本陣」

DSCN2213_202211132059594d7.jpg

DSCN2213b.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 東海道歌川広重しながわ百景銅像史跡

東海道 問答河岸、磯の清水、土蔵相模

○問答河岸跡 品川区北品川1-22-21

 三代将軍徳川家光と沢庵和尚が禅問答をした場所に建つ石碑です(実際の問答河岸はもう少し南に下ったあたりといわれています)。
 家光「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」という問いに、沢庵和尚「大軍を率いても将軍と言うが如し」と答えたと伝わります。

(説明板)
「問答河岸跡」
「昭和六十二年吉日 勲五等 永原徳」
(由来記)
「問答河岸由来記
 寛永の昔 徳川三代家光将軍 勇壮活達の明君也 宗彭沢庵禅師に帰依して 品川に萬松山東海寺を建つ 寺域五萬坪寺領五百石 殿閣僧房相連って輪奐美を極む 将軍枉駕年間十数度法を聴き政治を問う 厚遇思う可し 将軍一日天地丸に座乗し品海を渡り目黒河口に繋船して東海寺に詣し 喫茶法話 薄暮に至って江戸城に還らんとす 禅師河畔に立って是れを送る 将軍乗船に臨んで禅師に参問して曰ク 海近くして如何が是れ東海寺と 禅師答而曰ク 大軍を指揮して将軍と言が如しと 将軍一笑 纜を解いて而て還る 時移りて三百年地勢亦変じ河海遠し然れ共 市人傳えて問答河岸と称す 一世の英主 一代の名僧 諧謔談笑の蹟 菊鮨總本店主其煙滅を惜み石に録して永世芳を傳えんとす 亦可しからすや
  昭和四十三年仲秋  衆議院議員 宇都宮徳馬書」

DSCN1051_202211132006439bb.jpg

DSCN1052_20221113200645ca1.jpg

DSCN1054_20221113200648838.jpg

 問答河岸跡碑碑から、踏切方向を振り返ったところ。

DSCN1057_20221113200751d42.jpg


○磯の清水

「江戸名所図会 磯の清水」

zueisonoshimizu.jpg


「江戸切絵図」

 ○が2つ描かれている「清水井」と「シミズヨコ丁」が見えます。

kiriezusimizu.jpg


<道標「二番 東海道品川宿入り口> 品川区北品川1-26-10

 「二番 東海道品川宿入り口」

 道標の上に磯の清水の説明板がありましたが、撤去されてありません。

DSCN1319_20221113201052e3e.jpg

DSCN1319b.jpg

DSCN1769d.jpg


<清水横町> 品川区北品川1-24-4

 道標「二番 東海道品川宿入り口」から石畳の清水横町を進み、旧東海道に突き当ると、鮮魚店「魚武」の壁に、説明板「清水横町」が掲示されています。

DSCN2220_2022111320105748b.jpg

DSCN2225_20221113201201533.jpg

DSCN2222_20221113201202fc5.jpg

(説明板)
「東海道の品川通りから二本榎(港区)に至る横町の名称で、享保期(一七一六?三六)に島屋文七という者が往んていたため島屋横町と呼んていた。江戸時代後期になると、「磯の清水」といわれた清泉で旱魃にも涸れることがない井戸があったことから清水横町と呼ばれるようになった。
  旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会 品川礎会」

DSCN2224_202211132013030b1.jpg

(説明板)
「古くからの主要な道として切り絵図にも描かれている清水横町。
 現在も変わらないこの横町のたたずまいは、品川宿に残された貴重な歴史遺産だ。
  東海品川宿 徒歩新宿」

DSCN2223_20221113201304e45.jpg


○土蔵相模跡 品川区北品川1-22-18

 「ロイヤルガーデン品川」の角に、道標「土蔵相模跡」があります。

 道標「三番 歩行新宿 土蔵相模跡」
DSCN1058_20221113201448250.jpg

 「左 品川駅」
DSCN1060_20221113201451b8f.jpg

 「右 本宿」
DSCN1059_20221113201453d34.jpg


○土蔵相模跡 品川区北品川1-22-17

 一階にファミリーマートが入った「ニックハイム北品川」の前に説明板「土蔵相模跡」があります。

DSCN1327_202211132017226a9.jpg

DSCN1320_20221113201724377.jpg

(説明板)
「土蔵相模
 土蔵相模は歩行新宿(北品川一丁目)の食売旅籠屋「相模屋」の俗称で、奥座敷が土蔵造りになっていたことから付けられた名勝である。万延元年(一八六○)大老・井伊直弼を襲撃した桜田門外の変の水戸浪士たちや、文久二年(一八六二)英国公使館を焼打ちした高杉晋作・伊藤俊輔(博文)ら長州半紙の集合場所になるなど、幕末の歴史の舞台となった場所である。
  旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会 品川礎会」

DSCN1321_20221113201835075.jpg

DSCN1322_202211132018382ed.jpg

DSCN1325_20221113201838975.jpg

DSCN1323_2022111320184260e.jpg

「其紫袖が浦染 相模様源氏製」(初代国貞(三代豊国))
DSCN1323b_20221113202054f5c.jpg


「名所江戸百景 月の岬」(広重)

 描かれた場所は諸説あり、八ツ山からの光景を「相模屋(土蔵相模)」を借りて描いたとする説があります。

100keitukinomisaki.jpg


「高杉晋作肖像」(近世名士写真 昭和10年)

takasugisinsaku.jpg

「伊藤博文肖像」(近世名士写真 昭和10年)

itohirobumi.jpg


○品海公園 品川区北品川1-30-9

 石碑や説明板が色々とあります。

DSCN1064_202211132023335a5.jpg


<道標>

 「品川宿
  川崎宿へ二里半
  日本橋より二里」

DSCN1068_20221113202334505.jpg


「しながわ百景
  3 旧東海道のにぎわい
 101 しながわ宿場まつり」

DSCN1063_202211132028098bf.jpg

(説明板)
「「東海道品川宿」
 「東海道五十三次」といわれる江戸から京都間の五十三宿の中で、品川宿は諸街道の最初の宿場町である。
 旅人は、品川宿を経由して西を目指し、また家路についた事から「東海道の玄関口」として栄え、宿内の家屋は一六〇〇軒、人口七〇〇〇人規模で賑わっていた。
 今でも品川宿周辺は、江戸時代と同じ道幅を保ち、かつての宿場町として、活気が息づいている。」

DSCN1067_202211132028567eb.jpg


<品川宿の松>

DSCN1061_20221113203001acc.jpg

DSCN1061b.jpg

DSCN1062_202211132030051f8.jpg


<東海道品川宿の石垣石>

DSCN1065_20221113203051237.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 江戸名所図会歌川広重しながわ百景東海道伊藤博文

東海道 八ツ山

○品川宿

 品川宿は当初、目黒川をはさんで「北品川宿」「南品川宿」の二宿で構成されていましたが、享保7(1722)年、その北に「徒歩(かち)新宿」が加わりました。従来の南北の両品川宿を、新宿に対して本宿ともいいました。

「江戸名所図会 品川驛」
 品川宿の賑わいが描かれていますが、どこを描いたのか定説はありません。木戸の門のあるこの建物はどこでしょうかね。

zueshinagawaeki.jpg

「東海道五拾三次 品川・日之出」(広重)
 西に向かう大名行列は、最初の宿場である品川宿を通るころには日の出を迎えます。八ツ山の崖下に、品川宿入口を示す「榜示杭」が見えます。行列が行き過ぎる様子が茶屋に姿を現す人々の姿でわかります。

53tugishinagawa_20221113194443b27.jpg

「品川」(東海道:広重画五拾三次現状写真対照 大正7年)
 広重の絵と同じ場所を撮った大正時代の写真です。八ツ山は切り崩され鉄道が走っています。

shinagawasyasin.jpg

「江戸名所之内 品川の駅海上」(広重)
 旅籠屋が建ち並んでいます。街道に面している所が2階で、2階に見える所が3階です。

edomeisyoshinagawa.jpg

「江戸名所百人美女 品川歩行新宿」(豊国,国久)
 飯盛女が右手に御簾紙を持っています。

100ninbizyoshinagawa.jpg

 こま絵には旅籠屋の3階が描かれ(海からは3階建に見えますが街道からは2階建に見える)、満月が見えます。
100ninshinagawakomae.jpg

「東京名所三十六戯撰」(昇齋一景 明治5(1872)年)
 階段で転んで三階から落ちてきた男が、はずみで飯盛女の顔面をキックしています。女が持っていたとっくりが転がり酒がこぼれています。女は蹴られたはずみで、後ろにいた子どもに手があたり、子どもが落とした壺が床にひっくりかえっています。海には品川台場が見えます。川柳「三階に居る潮干狩り母案じ」があるように、旅籠屋は三階建で、この絵も男が落ちてきているのは三階からです。

36gisenshinagawa.jpg

「東京開化狂画名所 品川妓楼 客人のとまどひ」(月岡芳年 都立図書館蔵)
 旅籠屋の3階での光景で、部屋を間違えた客が、屏風を押し倒してしまったようです。明治となっても旅籠屋はさほど変わらなかったようです。

honenshinagawa.jpg


○八ツ山橋 港区港南2丁目・高輪4丁目・北品川4丁目〜品川区北品川1丁目

 八ツ山橋は、明治5(1872)年10月の新橋・横浜間の鉄道開通に先立ち、5月の品川・横浜間の仮営業に際して1月に架けられていた跨線橋です。現在の橋は昭和60(1985)年に架け替えられた4代目となります。欄干に「旧東海道」とあります。

DSCN1781_20221113195204661.jpg

DSCN2163_20221113195206fee.jpg

DSCN2162_2022111319520934d.jpg

DSCN1780.jpg

<ゴジラ上陸地点>
 ここは、ゴジラ上陸地点です。ゴジラが上陸して八ツ山橋を破壊しました。

DSCN1769b.jpg

「東京蒸気車鉄道一覧之図」(孟斎芳虎 明治4(1871)年 国立国会図書館蔵)
 一覧之図から八ツ山橋部分を抜粋しています。高輪築堤を経て品川停車場に至り、八ツ山橋をくぐり、八ツ山・御殿山の切通しを抜けた蒸気車が見えます。

tetudo.jpg

ichiranyatuyama.jpg

「東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図」(三代広重 明治4(1871)年頃 都立図書館蔵)
 海上にお台場が連なっています。品川燈台も描かれています。右下に八ツ山橋が見え、この先が品川宿です。東海道は賑やかです。

yatuyamasita.jpg

「東京明細圖會 品川鐵道」(三代広重 国立国会図書館蔵)
 これから八ツ山橋をくぐって、品川停車場、その先の海上の築堤に向かう品川鉄道です。タイトルが品川鉄道とあるので、まだ新橋〜品川間は開通していない時かもしれません。海上には品川台場が見えます。

meisaizuetetudou.jpg

「品川蒸気車鉄道之図」(国政 国立国会図書館蔵)
 品川停車場を出発した蒸気機関車が八ツ山橋をくぐって、八ツ山、御殿山を削って通した線路に向かう光景が描かれています。タイトルが品川蒸気車鉄道とあるので、まだ新橋〜品川間は開通していない時かもしれません。機関車の煙で品川宿は隠れています。

shinagawazyoukitetudo.jpg

「東京名所図会 八ツ山下の鉄道」(三代広重 国立国会図書館蔵)
 八ツ山橋と蒸気機関車が描かれています。八ツ山橋の左手が品川宿ですが、八ツ山橋手前の東海道に傍示杭があります。「従是〜」が見えます。

yatuyamasitatetudo.jpg

yatuyamaboujigui.jpg

「東京名勝 高輪蒸気車鉄道之全図」(芳年 明治4年 国立国会図書館蔵)
 品川停車場を出発し、八ツ山橋をくぐり、切通しに向かう蒸気車です。

tetudozenzu.jpg

 切通しにも橋が見えます。御殿山橋なのでしょうかね。
tetudozenzuhasi.jpg

「品川停車場 東京市芝区」(日本写真帖 明治45年 国立国会図書館蔵)
 品川停車場は、現在の品川駅より南、八ツ山橋の北の海岸である芝区高輪南町(現:港区港南)にありました。明治29年に建築の駅舎が写っています。

shinagawateisyaba.jpg

「絵本江戸土産 月の岬」(広重 国立国会図書館蔵)
 八ツ山から高輪、芝浦の海岸線を望んで描いています。

ehontukinomisaki.jpg


○品川宿入口の歩道広場 品川区北品川1-3-27

 歩道に設けられたレストスペースです。

DSCN1784_20221113195517f7c.jpg

<東海道品川宿まち歩きマップ>
 ゴジラ上陸地点も記載されています。

DSCN1768_20221113195518555.jpg

DSCN1769_20221113195521350.jpg

<八ツ山の東司>
 公衆トイレです。

DSCN1770_20221113195521bd6.jpg

DSCN1776_2022111319552425e.jpg

<五十三次石柱>
 反対側の歩道には、宿場の名称が刻まれた石柱が並んでいます。

DSCN2161_2022111319570437f.jpg


○品川宿傍示杭 是従南品川宿地内 品川区北品川1-3-29

 榜示杭は、宿や村など領地の境を示す杭で、この傍示杭は、弘化2(1845)年を想定して復元されています。

(正面)「従是南 品川宿 地内」
DSCN1771_20221113200004758.jpg

(右面)「従是南 御代官築山茂左衛門支配所」
DSCN1774_20221113200006c96.jpg

(左面)「弘化二年乙巳 月」
DSCN1773_20221113200008e56.jpg


○品川第二踏切 品川区北品川1-1・1-3

 品川第二踏切の西側に「旧東海道」の標識。品川宿の入口です。

DSCN1775_20221113200225d0c.jpg

DSCN1777_202211132002272dc.jpg

DSCN1049_202211132002272c7.jpg


○道標「一番 東海道八ツ山口」 品川区北品川1-3-6

 道標は、一番八ツ山口から二十五番鈴ケ森口までと番外の計26本あります。

 「一番 東海道八ツ山口」
 「左 品川駅」
 「右 品川宿」

DSCN1782_20221113200403f26.jpg

DSCN1783_20221113200404bf9.jpg

テーマ : 駅めぐり - ジャンル : 旅行

tag : 江戸名所図会歌川広重昇齋一景江戸名所百人美女しながわ百景鉄道遺構東海道月岡芳年

東海寺大山墓地

○東海寺大山墓地 品川区北品川4-11-8

 東海寺は明治維新でその土地を政府に取り上げられ、現在は北品川3丁目の離れた場所にあります。東海寺大山墓地は、かつて東海寺の裏山だった場所で、国史跡の沢庵和尚墓等があります。細川家が東海寺に寄附した細川家下臣の墓もあります。


「江戸名所図会 牛頭天王社・東海禅寺 其三・其四」

 其三と其四を連結しています。明治維新前の東海禅寺の全容が伺えます。

zuetokaiji.jpg


<江戸切絵図>

 江戸切絵図に見る「東海寺」です。

kiriezutokai.jpg


<しながわ百景 東海寺大山墓地>

 東海寺大山墓地道標から線路沿いに進み、「しながわ百景 東海寺大山墓地」に到着です。

DSCN1360_20221026205708818.jpg

DSCN9886_20220918223416461.jpg


<道標「東海寺開山 澤庵禅師墓道」>

 階段入口に明治13(1880)年銘の澤庵墓への道標があります。「東海寺開山 澤庵禅師墓道」とあります。

DSCN9944_20220918223556223.jpg

DSCN9887_20220918223559b67.jpg

DSCN9885_202209182235598e9.jpg

DSCN9889_20220918223602dbf.jpg


<東京府標柱「史蹟 澤庵墓」>

 左に進む石段と、直進する道があります。石段の脇に東京府の史蹟標柱があります。

 (正面)「史蹟 澤庵墓」
 (右面)「史蹟名勝天然紀念物保存法ニ依リ
      大正十五年十月内務大臣指定」
 (左面)「昭和三年四月建之 東京府」

DSCN9884_202209182240449de.jpg

DSCN9888_202209182240479cf.jpg


<慈隠塔(亀趺碑)>

 石段を登りきると、右手に宝暦3(1753)年銘の亀趺碑があります。江戸名所図会の本文には「慈隠塔」と記されています。
 江戸名所図会挿絵から、「澤庵和尚廟」と「慈隠塔」の抜粋です。

zueosyoubyou1.jpg

 慈隠塔の四面には、びっしりと銘序として澤庵和尚の行実が刻されています。

DSCN9890_202209182244066c2.jpg

DSCN9891_2022091822440982e.jpg

DSCN9892_20220918224411179.jpg

DSCN9893_2022091822441317a.jpg

 裏には、江戸城の石垣によく見られる矢穴石が転がっています。何でしょうかね。

DSCN9947_20220918224509109.jpg


○利休居士追遠塔

 澤庵和尚廟の前には、天明3(1783)年銘の千利休の追悼碑があります。

DSCN9946_20220918224650f38.jpg

DSCN9945_20220918224653ce7.jpg


○澤庵和尚廟(沢庵宗彭の墓) 国史跡

 大きな細長い自然石を墓標とする澤庵の墓です。澤庵は、塔や像、碑を建てるななど、14条の遺戒を残し、最初は質素な墓が作られましたが、後に徳川家光は追慕の念から現在の墓を小堀遠州に築造させたと伝えられています。

DSCN9896_2022091823341022f.jpg

DSCN9897_20220918233411d83.jpg

 江戸名所図会挿絵から、「澤庵和尚廟」部分の抜粋です。

zueosyoubyou2.jpg

(説明板)
「国指定史跡 沢庵墓
  指定年月日 大正十五年十月二十日
  指定面積 一二七・五平方メートル
  所在地 品川区北品川四丁目十一番八号(東海寺大山墓地内)
 沢庵(一五七三〜一六四五)は、江戸時代初期に活躍した禅僧で、名は宗彭、沢庵は道号。但馬国出石(現、兵庫県豊岡市)に生まれ、幼少のころ出家して禅を学び、各地を修行して信望を集め、慶長十四年(一六○区)大徳寺の一五三世住持となった。
 寛永六年(一六二九)紫衣事件で流罪となり、出羽国上山(現、山形県上山市)藩主土岐頼行に御預けとなる。三年後許され、その後は三代将軍徳川家光に重用される。寛永十六年(一六三九)家光によって創建された品川・東海寺の開山に迎えられ、晩年を送った。正保二年(一六四五)十二月没、七十三歳。
 沢庵は禅僧として大成しただけでなく、兵法、儒学に通じ、書画、詩歌にもすぐれ、茶道に造詣が深かった。
  平成二十二年三月十五日  品川区教育委員会」

DSCN9894_20220918233547dc0.jpg


<夢塔(合葬墓)>

 澤庵和尚廟の裏手に、沢庵和尚の遺偈(ゆいげ)となった夢の一文字刻んだ「夢塔」が建っています。平成5(1993)年に合葬墓として建立されています。

DSCN1357_20221026205551463.jpg

DSCN1334_20221026205554661.jpg

 夢塔の脇にある「夢塔之記」には、遺偈が刻まれています。
 「夢
  百年三萬六千日
  弥勒観音幾是非
  是亦夢非亦夢
  弥勒夢観音亦夢
  佛云應作如是観矣」

DSCN1336_202210262055541d5.jpg


「澤庵禅師肖像」(「先哲像傳」徳齋原義正道 国立国会図書館蔵)
  天正元年12月1日(1573年12月24日)〜正保2年12月11日(1646年1月27日)

takuansyozo.jpg


○賀茂真淵墓 国史跡

 東海寺大山墓地入口から、左手の石段ではなく、線路に沿った坂道を進むと、左手に国指定史跡「賀茂真淵墓」があります。賀茂真淵は、江戸時代の国学者で歌人です。石塀に囲まれた広い墓域の入口には、寺であるにもかかわらず鳥居があります。

DSCN1361_2022102620583112b.jpg

DSCN9943_20220918233738a71.jpg

DSCN9935_20220918233741e72.jpg


<東京府標柱>

 (正面)「史蹟 賀茂真淵墓」
 (右面)「史蹟名勝天然紀念物保存法ニ依リ
      大正十五年十月内務大臣指定」
 (左面)「昭和三年四月建之 東京府」

DSCN9932_20220918233919e65.jpg

DSCN9933_20220918233921411.jpg

DSCN9934_202209182339230f9.jpg


<賀茂翁墳墓改修碑>

 石鳥居をくぐってすぐ右手にある明治21(1888)年銘の改修碑です。

DSCN9941_202209182340220b5.jpg

DSCN9936_2022091823402323e.jpg


<真淵碑>

 鳥居の先、左手に真淵碑があります。賀茂真淵の門人である加藤千蔭による書です。享和元(1801)年銘です。江戸名所図会にも描かれています。

DSCN9942_20220918234132d1f.jpg


<賀茂縣主大人墓>

 墓の左手に建っています。賀茂真淵の門人である加藤千蔭による揮毫です。江戸名所図会にも描かれています。

DSCN9938_20220918234134753.jpg


<贈従三位賀茂真淵卿之墓>

 墓の右手に建っています。折れた補修跡があります。

DSCN9940_202209182341370ea.jpg


<真淵墓石>

 墓石は、真淵の「方円論」が反映されており、半円形の自然石となっています。

DSCN9937_20220918234339483.jpg

DSCN9939_20220918234341b17.jpg


 「江戸名所図会」には「少林院林泉県主大人墓」が描かれています。「賀茂縣主大人墓」と「真淵碑」が見えます。

syourinin.jpg

zuekamohaka.jpg

 江戸切絵図に見る「少林院」からの移設です。

kiriezusyourinin.jpg


<加茂真淵像>(「肖像」野村文紹 国立国会図書館蔵)

kamomabuchi.jpg


○服部南郭の墓

 「沢庵和尚廟」の裏に「服部南郭の墓」があります。服部南郭(はっとりなんかく)(天和3年9月24日(1683年11月12日)〜宝暦9年6月21日(1759年7月15日))は、江戸時代中期の日本の儒者、漢詩人、画家で、荻生徂徠の高弟として知られます。
 左は江戸名所図会にも描かれている「服部南郭の墓」で、右は南郭先生の配・井出氏の墓で南郭の妻が弔られています。近くには服部南郭の一族の墓がずらりと並んでいます。

DSCN1341_20221026211846e95.jpg

DSCN9948_20220918234552a27.jpg

DSCN9949_202209182345549f9.jpg


<史蹟>

 「史蹟 服」と木標柱の正面に書かれています。折れたのでしょうね、服部南郭の服の文字だけ、上半分だけ保存されているようです。左側面には大正十五年、右側面には大正十四年とあります。

DSCN1338_20221026211849ca3.jpg

DSCN1339_20221026211849266.jpg

DSCN1340_20221026211852770.jpg


<江戸名所図会 南郭先生墓>

 江戸名所図会に「加茂縣主大人墓」のすぐ近くに「南郭先生墓」が描かれています。江戸名所図会に描かれている少林院から、現在地に移設されています。

zuenankakuhaka.jpg


○本居内遠墓

 本居内遠(うちとお)は、本居宣長から3代後の当主です。墓石には「本居内遠奥津伎」とあります。

DSCN1356_20221026212752202.jpg


○渋川春海墓 品川区史跡

 渋川春海は囲碁棋士であり天文暦学者で、日本固有の暦として「貞享暦」を作成しました。春海は本所の屋敷内に司天台(天文台)を設けて天体の観測に当たりました。これが江戸で最初の天文台です。(浅草天文台については、こちらで記載
 棋士・二世安井算哲として、道悦に対してはいい勝負でしたが、道策の対戦で、算哲「初手天元の局」が有名ですが(結果は道策の9目勝ち)、道策には大幅に負けています。

<東海道新幹線>

 墓地の西は東海道新幹線が真横を通過します。掲示の初代新幹線車両の表情が好いです。

DSCN9898_202209182348318a9.jpg

DSCN9956_202209182348344c7.jpg

DSCN9956b.jpg


<渋川春海墓>

 一列に並んだ一族の墓の左端にある「大虚院透雲紹徹居士」と刻まれた墓石が「渋川春海墓」です。左隣りは「大虚院透雲紹徹居士」と刻まれ、左側面に「贈従四位 渋川助左衛門源春海」とあり、明治40(1907)年に改暦の功績によって従四位が贈位された際に建立された墓石です。
 東海寺大山墓地にあるのは、天文方渋川家の墓で、囲碁家元安井家の墓は、浄心寺(江東区平野)にあります。

DSCN9902_20220918235120f3a.jpg

DSCN9901_2022091823512249f.jpg


(説明板)
「品川区指定史跡
 渋川春海墓
  所在 北品川四丁目十一番 東海寺大山墓地
  指定 昭和五十三年十一月二十二日(第六号)
 渋川春海は、寛永十六年(一六三九)に京都で生れ、十四歳で父の跡をついで幕府の碁所となり安井算哲(二代)と称した。囲碁の研鑽の一方で天文・数学・暦学を学び暦学者となった。
 その頃、日本では中国の宣明暦を使っていたが、二日の誤差があったので、春海はみずから計算して新しい暦を作った。これが貞享元年(一六八四)に官暦となり翌年から用いられ、貞享暦として後の太陰暦の基本となったのである。
 貞享暦は日本人の手で作られた初めての和暦であり、春海はこの功によって、幕府最初の天文方に任ぜられ、本所(墨田区)に、宅地を拝領した。春海は、屋敷内に司天台(天文台)を設けて天体の観測にあたった。これが江戸で最初の天文台である。
 春海は正徳五年(一七一五)十月六日に七十七歳で亡くなり、この地に葬られた。
  平成十九年三月一日  品川区教育委員会」

DSCN9899_2022091823512534d.jpg


○頭上是天脚下是地

 「頭上是天脚下是地」碑です。明治17(1884)年の鉄道工事の際に出土した白骨を慰霊するため、明治19(1886)年に建立した碑のようです。

DSCN9903_202209182352439af.jpg


○井上勝墓 JR鉄道記念物

 井上勝墓は、西は東海道新幹線・山手線、東は東海道本線・京浜東北線に挟まれた場所にあり、井上勝の死後も鉄道を見守っていたいという意向から、生前にこの地を選んで墓としました。
(参考)
 ・井上勝銅像についてはこちらで記載
 ・高輪築堤についてはこちらで記載
 ・旧新橋停車場跡ついてはこちらで記載

 英国留学中の作業実習の際に撮った、スコップに足をかけたシャツ姿の写真です。
inouemasaru2.jpg

DSCN9904_20220918235631b3f.jpg

DSCN9926_20220918235632171.jpg

DSCN9909_202209182356353da.jpg


<JR標柱>

 「鉄道記念物 井上勝墓」の標柱が建っています。

 (正面)「鉄道記念物 井上勝墓」
 (左面) 昭和三十九年十月十四日 指定」
 (右面)「建植年月日 平成十年十月十四日
      東日本旅客鉄道株式会社」
 (裏面)「日本国有鉄道
      鉄道友の会」

DSCN9906_20220918235752d01.jpg

DSCN9910_2022091823575456f.jpg


<線路に向くJR標柱>

 同じJR標柱が東の線路際にもう一基あります。正面は線路に向いています。以前は、線路の向こう側の権現山へ渡る陸橋でもあったのでしょうかね。それとも電車から見えるように建てたのでしょうか。

DSCN9923_2022091900001138a.jpg

DSCN9920_20220919000013217.jpg

DSCN9921_20220919000016ba5.jpg

DSCN9922_2022091900001649c.jpg


<説明パネル>
「初代鉄道頭 井上勝 1843(天保14)年~1910(明治43)年
 “鉄道の父”と称される井上勝は、萩藩士の三男として生れた。15才から長崎、江戸で学び、1863(文久3)年 井上馨、伊藤博文らとともにイギリスに密航し、鉄道と鉱山技術を学ぶ。日本の鉄道建設に最初から関わり、1871(明治4)年には初代鉄道頭となり、1872(明治5)年、新橋・横浜間の鉄道を完成させた。その後、鉄道局長、鉄道庁長官を歴任して、東海道線をはじめとする主要路線の建設に努めるなど、生涯を鉄道に捧げた。外国から導入した鉄道を、日本の鉄道として発展させた功績は多大である。生前、自らの墓地として東海道本線と山手線(現在は新幹線も並走)に挟まれたこの地を選んだのは、死後も鉄道を見守っていたいという意向からであったと伝えられている。」

DSCN9907_20220919000243956.jpg


<井上家先祖之墓/墓誌>

 井上家墓域の小面に「井上家先祖之墓」「墓誌」があり、右手に一族の墓が線路に沿って並んでいます。

DSCN9918_202209190005145d7.jpg

DSCN9912_20220919000516264.jpg


<井上勝墓>

 墓域の左手に「井上勝墓」はあります。墓標には3人のお名前が刻まれています。

 「故陸軍工兵大尉正五位勲五等井上亥六」(勝の息子、明治39年5月2日逝去)
 「子爵夫人井上宇佐子」(勝の妻、明治40年1月5日逝去)
 「正二位勲一等子爵井上勝」(井上勝、明治43年8月2日逝去)

DSCN9913_202209190006276ae.jpg

DSCN9917_2022091900063012a.jpg

DSCN9915_20220919000632dbf.jpg


○島倉千代子の墓

 井上勝墓の向かいには、立派な島倉千代子の墓があります。戒名「寳?院千代歌愛大姉」が刻まれています。

DSCN9905_20220919000737d02.jpg

DSCN9924_20220919000740fd0.jpg

DSCN9925_202209190007407bf.jpg

<島倉家之墓>

 島倉千代子の父母、兄弟姉妹の島倉家墓です。

DSCN9951_20220919000743c8e.jpg


○西村勝三之墓

 東海寺大山墓地入口から線路沿いに井上勝墓に向かう途中の左手に「西村勝三之墓」はあります。西村勝三は、日本製靴株式会社(現:リーガルコーポレーション)の創立者です。石燈籠が全て倒壊したままで、寂しい印象を受けます。西村勝三は、晩年、品川御殿山に邸を構えました。(靴の歴史について、こちらで記載及び、銅像堀公園について、こちらで記載

DSCN9931_20220919001403b5c.jpg

DSCN9930_202209190014067ec.jpg

DSCN1342_202210262239445c9.jpg

DSCN1354_20221026224100682.jpg

DSCN1347_202210262239506f1.jpg

DSCN9929_20220919001409540.jpg

 勝三の墓には、妻「西村けむ」も一緒に弔られています。 左横は「西村家之墓」で、右横には「西村勝三室信子之墓」があります。西村勝三の妻は「琴」「けむ」「信子」とおられたようです。

DSCN9928_202209190015107be.jpg

DSCN1343_20221026223947ef2.jpg

DSCN1344_20221026223947e65.jpg


「製靴図集」(東京靴工倶楽部 明治32年)

nishimurasyouzou1.jpg

「人物と事業 桜組の主人公 西村勝三」(石尾信太郎 明治36年)

sakuraguminishimura.jpg


<西村謙吉之墓>

 西村勝三の墓地の隣に、甥で養子となった「西村謙吉之墓」があります。

DSCN1355_2022102621275056d.jpg


○細川家家臣の墓

 墓所の一角に一列に並んだ墓があります。旧肥後熊本藩細川家家臣及びその一族の墳墓地です。

DSCN9953_20220919001642680.jpg

DSCN9954_20220919001645d7f.jpg

(掲示)
「この墓所は、旧肥後熊本藩細川家家臣及びその一族の墳墓地で、第十八代細川家当主細川 護煕殿より平成二十三年五月宗教法人東海寺へご寄付していただいたものです。
  臨済宗大徳寺派 宗教法人東海寺」

DSCN9952_202209190016458e4.jpg

テーマ : 神社・仏閣巡り - ジャンル : 旅行

tag : 江戸名所図会東海道国史跡亀趺鉄道遺構井上勝西村勝三囲碁しながわ百景

官営品川硝子製造所跡(品川区史跡)

○官営品川硝子製造所跡 品川区文化財 品川区北品川4-11-5

 「官営品川硝子製造所跡」が、東海禅寺大山墓地に向かう道の脇にあり、反対側には東海寺大山墓地にある墓の案内があります。
 日本における近代ガラス工業発展のもとになったのは、明治6(1873)年に東海寺境内に創設された興業社で、興業社は、明治9(1876)年に工部省に買収され官営品川硝子製造所となり、全国のガラス工業の発展に貢献しました。

DSCN9875_202209182140573cb.jpg

DSCN9872_20220918214100f37.jpg

DSCN9883_202209182141000df.jpg

DSCN9882_20220918214103af5.jpg


<品川区標柱>

 (正面)「史跡 官營品川硝子製作所跡」
 (左面)「品川区文化財 昭和三十八年三月一日 品川区教育委員会」
 (裏面)「昭和四十年十二月吉日建之」

DSCN9880_20220918214234355.jpg

DSCN9881_2022091821423621f.jpg


(説明板)
「品川区指定史跡
 官営品川硝子製造所跡
  所在:品川区北品川四丁目十一番五号
      第一三共株式会社前
  指定:昭和五十三年十一月二十二日(第八号)
 日本における近代ガラス工業発展のもとになったのは、明治六年(一八七三)に東海寺境内に創設された興業社である。
 興業社は、明治九年(一八七六)に工部省に買収されて官営品川硝子製造所となり全国のガラス工業の発展に貢献した。明治十八年(一八八五)には西村勝三らに払い下げられて民間経営となったが、経営不振のため、明治二十五年(一八九二)に解散した。
 昭和三十六年(一九六一)に官営時代の建物は取り片づけられたが、煉瓦造りの工場の一部は明治初期の貴重な建築物として、愛知県犬山市の明治村に移築され保存されている。
  平成二十七年八月三十一日  品川区教育委員会」

DSCN9877_202209182144053da.jpg


<珪石>

 碑の脇にはガラスの原料となる珪石が置かれています。

DSCN1331_20221026203236e6f.jpg

DSCN1330_20221026203239b07.jpg

DSCN1329_20221026203239aff.jpg

DSCN1328_2022102620324207a.jpg
   

○東海寺大山墓地道標

 東海寺大山墓地へは、ここから線路沿いの道を進みます。

「東海寺大山墓地
 沢庵和尚墓(国指定史跡)
 賀茂真淵墓(国指定史跡)
 渋川春海墓 (品川区指定史跡)
 西村勝三墓
 井上 勝墓
 ←」

DSCN9873_202209182227000a0.jpg

DSCN9876_202209182227049c7.jpg

DSCN9874_20220918222704c8c.jpg

DSCN9879_20220918222707799.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 東海道西村勝三史跡

カウンター
プロフィール

ほっと湯Web

Author:ほっと湯Web

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
04 | 2024/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
検索フォーム
リンク
カテゴリ
タグリスト

全記事タイトル表示

全ての記事を表示する

Japanese→English
English
♥. ♠. ♣Alice
QRコード
QR