国指定史跡「常盤橋門跡」 江戸桜通り
○国指定史跡「常盤橋門跡」 千代田区大手町二丁目〜中央区日本橋本石町二丁目
常盤橋公園内石垣、常磐橋、橋の石積が国史跡として指定されています(昭和3(1928)年3月24日)。



(標柱)
「史蹟常盤橋門址」

「昭和六年三月建設 東京市」

「昭和三年三月」(よく読めません)

<常磐橋>
国指定史跡「常盤橋門跡」内の常磐橋は、明治10(1877)年に木造から洋式石橋に架け替えられました。東日本大震災により橋の輪石が歪み、補修・修復工事が行われ、令和3(2021)年5月10日に工事完了・開通しました。



橋の中央区側には、1896年に辰野金吾の設計により建設された日本銀行本店が建っています。


橋の千代田区側には東京トーチタワーの建設が進められています。



「絵本江戸土産 神田明神」(二代広重)
挿絵には「神田明神は江戸大祭の随一にして祭事は九月十五日也 惶くも大樹公の上覧あり 這は田安御門より繰込みたるを 常盤橋御門より引出すのさまを図せり」とあります。常盤橋御門から出てくるところが描かれています。

「常盤橋門址 東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖」(東京市公園課 大正11年)

「常盤橋内紙幣寮之図」(小林清親 明治13年)
常盤橋の皇居側に明治9年に竣工した紙幣寮(現・国立印刷局)の印刷工場が描かれています。

「東京名所 紙幣局」(井上安治 明治10年)
紙幣局のタイトルで描かれています。

<青淵澁澤榮一像> 千代田区大手町2-7-2 常盤橋公園
こちらで記載
○常盤橋 千代田区大手町二丁目〜中央区日本橋本石町一丁目
常磐橋に代わる幹線道路用の橋として、昭和元(1926)年に架けられた石橋です。
上流(常磐橋)からの常盤橋

下流からの常盤橋

〇江戸桜通り 中央区日本橋本石町〜日本橋室町〜日本橋本町
常盤橋から日本銀行と貨幣博物館の間を東へ、三井本館の横を通り、昭和通りまで、桜並木が続くのが江戸桜通りです。西端の日本銀行横(中央区日本橋本石町2-1)、三越本店横(中央区日本橋室町1-4)、コレド室町横(中央区日本橋室町2-2)、東端の昭和通り手前(中央区日本橋本町2-5)に石標が建っています。「江戸桜通り」は、市川團十郎の「助六由縁江戸桜」にちなんで名づけられ、石標は十二代目市川團十郎による揮毫です。
日本銀行(辰野金吾設計 国重要文化財)



(石標)
「江戸桜通り
十二代目 市川團十郎
平成十七年十月吉日
名橋「日本橋」保存会 建立」
日本銀行横(中央区日本橋本石町2-1)


コレド室町横(中央区日本橋室町2-2)



昭和通り手前(中央区日本橋本町2-5)


常盤橋公園内石垣、常磐橋、橋の石積が国史跡として指定されています(昭和3(1928)年3月24日)。



(標柱)
「史蹟常盤橋門址」

「昭和六年三月建設 東京市」

「昭和三年三月」(よく読めません)

<常磐橋>
国指定史跡「常盤橋門跡」内の常磐橋は、明治10(1877)年に木造から洋式石橋に架け替えられました。東日本大震災により橋の輪石が歪み、補修・修復工事が行われ、令和3(2021)年5月10日に工事完了・開通しました。



橋の中央区側には、1896年に辰野金吾の設計により建設された日本銀行本店が建っています。


橋の千代田区側には東京トーチタワーの建設が進められています。



「絵本江戸土産 神田明神」(二代広重)
挿絵には「神田明神は江戸大祭の随一にして祭事は九月十五日也 惶くも大樹公の上覧あり 這は田安御門より繰込みたるを 常盤橋御門より引出すのさまを図せり」とあります。常盤橋御門から出てくるところが描かれています。

「常盤橋門址 東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖」(東京市公園課 大正11年)

「常盤橋内紙幣寮之図」(小林清親 明治13年)
常盤橋の皇居側に明治9年に竣工した紙幣寮(現・国立印刷局)の印刷工場が描かれています。

「東京名所 紙幣局」(井上安治 明治10年)
紙幣局のタイトルで描かれています。

<青淵澁澤榮一像> 千代田区大手町2-7-2 常盤橋公園
こちらで記載
○常盤橋 千代田区大手町二丁目〜中央区日本橋本石町一丁目
常磐橋に代わる幹線道路用の橋として、昭和元(1926)年に架けられた石橋です。
上流(常磐橋)からの常盤橋

下流からの常盤橋

〇江戸桜通り 中央区日本橋本石町〜日本橋室町〜日本橋本町
常盤橋から日本銀行と貨幣博物館の間を東へ、三井本館の横を通り、昭和通りまで、桜並木が続くのが江戸桜通りです。西端の日本銀行横(中央区日本橋本石町2-1)、三越本店横(中央区日本橋室町1-4)、コレド室町横(中央区日本橋室町2-2)、東端の昭和通り手前(中央区日本橋本町2-5)に石標が建っています。「江戸桜通り」は、市川團十郎の「助六由縁江戸桜」にちなんで名づけられ、石標は十二代目市川團十郎による揮毫です。
日本銀行(辰野金吾設計 国重要文化財)



(石標)
「江戸桜通り
十二代目 市川團十郎
平成十七年十月吉日
名橋「日本橋」保存会 建立」
日本銀行横(中央区日本橋本石町2-1)


コレド室町横(中央区日本橋室町2-2)



昭和通り手前(中央区日本橋本町2-5)



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銭瓶橋跡 (大手町)
○銭瓶橋跡 千代田区大手町2-6先 日本ビル北側歩道(説明板)
<江戸の銭湯発祥の地>
銭瓶橋は、江戸の銭湯発祥の地でもあります。
天正19(1591)年、伊勢出身の商人、伊勢与市が、銭瓶橋のたもとに銭湯を開業しました。
<本所・深川の給水源>
上水の届かない本所や深川では、上水の「余り水」を水船が運び、住民は棒手振りの水売から飲料水を買っていました。上水は江戸市中に給水後、余り水は銭瓶橋及び一石橋の吐樋から放流されていました。上水記によると、銭瓶橋の北側に神田上水の吐樋、南側に玉川上水の吐樋があったようです。幕府の鑑札を受けた水船業者が水船に汲んで本所や深川に運び、あるいは廻船に売水していました。


(説明板)
「銭瓶橋跡
銭瓶橋は、江戸城建設の物資補給路のために開削された道三掘・日本橋川と、1636年(寛永13年)に掘削された外堀の3本の水路が交差する場所(現在の丸の内一丁目付近)に架けられていました。
銭瓶橋の由来は諸説あり、橋を架設する際に地中から銭の入った瓶が掘り出されたからとする説と、この付近で永楽銭の引換えが行われており、「銭替橋」と呼ばれたからとする説があります。
江戸の名所の一つとして知られ、有名な景勝地でした。歌川広重の「名所江戸百景 八つ見のはし」には中央に銭瓶橋が描かれています。
1909年(明治42年)、道三堀が埋め立てられ橋も姿を消しました。 千代田区」



「江戸城を取り巻く地形と文化財

「名所江戸百景 八ツ見のはし」(広重)
説明板に掲示されている広重の「名所江戸百景 八ツ見のはし」です。

「八ツ見のはし」(一石橋)から、道三堀の銭瓶橋と奥に道三橋が見えます。

「江戸名所四十八景 一石はし夕景」(二代広重 都立図書館蔵)
手前が一石橋で、奥に銭瓶橋が描かれています。

さて、銭瓶橋には、上水懸樋が並行して架けられているように見えます?両側は吐樋だと思っていたので意外な一枚です。

「江戸切絵図」
銭瓶橋部分の抜粋です。
<江戸の銭湯発祥の地>
銭瓶橋は、江戸の銭湯発祥の地でもあります。
天正19(1591)年、伊勢出身の商人、伊勢与市が、銭瓶橋のたもとに銭湯を開業しました。
<本所・深川の給水源>
上水の届かない本所や深川では、上水の「余り水」を水船が運び、住民は棒手振りの水売から飲料水を買っていました。上水は江戸市中に給水後、余り水は銭瓶橋及び一石橋の吐樋から放流されていました。上水記によると、銭瓶橋の北側に神田上水の吐樋、南側に玉川上水の吐樋があったようです。幕府の鑑札を受けた水船業者が水船に汲んで本所や深川に運び、あるいは廻船に売水していました。


(説明板)
「銭瓶橋跡
銭瓶橋は、江戸城建設の物資補給路のために開削された道三掘・日本橋川と、1636年(寛永13年)に掘削された外堀の3本の水路が交差する場所(現在の丸の内一丁目付近)に架けられていました。
銭瓶橋の由来は諸説あり、橋を架設する際に地中から銭の入った瓶が掘り出されたからとする説と、この付近で永楽銭の引換えが行われており、「銭替橋」と呼ばれたからとする説があります。
江戸の名所の一つとして知られ、有名な景勝地でした。歌川広重の「名所江戸百景 八つ見のはし」には中央に銭瓶橋が描かれています。
1909年(明治42年)、道三堀が埋め立てられ橋も姿を消しました。 千代田区」



「江戸城を取り巻く地形と文化財

「名所江戸百景 八ツ見のはし」(広重)
説明板に掲示されている広重の「名所江戸百景 八ツ見のはし」です。

「八ツ見のはし」(一石橋)から、道三堀の銭瓶橋と奥に道三橋が見えます。

「江戸名所四十八景 一石はし夕景」(二代広重 都立図書館蔵)
手前が一石橋で、奥に銭瓶橋が描かれています。

さて、銭瓶橋には、上水懸樋が並行して架けられているように見えます?両側は吐樋だと思っていたので意外な一枚です。

「江戸切絵図」
銭瓶橋部分の抜粋です。

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人類に火を与えるプロメテウス(大手町)
○人類に火を与えるプロメテウス像 千代田区大手町1-1-2
人類に火を与えるプロメテウス像が、2度目の引っ越しでここにきています。
どちらに向かって火を掲げるか議論になったそうで、南を向いて立っています。



<2度の引っ越し>
「人類に火を与えるプロメテウス像」は、当初は西新橋交差点の新日本石油本社ビルの前に立っていました。
<日本石油100周年を記念し、特約店会から寄贈。1988年設置。作:富永直樹氏>
ちなみに、4号自動式卓上電話機も富永直樹氏の作です。
新日本石油は2010年4月1日、新日鉱ホールディングスと経営統合し、JXホールディングへ。
大手町の新会社へプロメテウス像も移動していましたが、さらなる経営統合でJXTGホールディングスが引っ越し、プロメテウス像も2度目の引っ越しとなりました。
引っ越し前のプロメテウス 千代田区大手町2-6-3


人類に火を与えるプロメテウス像が、2度目の引っ越しでここにきています。
どちらに向かって火を掲げるか議論になったそうで、南を向いて立っています。



<2度の引っ越し>
「人類に火を与えるプロメテウス像」は、当初は西新橋交差点の新日本石油本社ビルの前に立っていました。
<日本石油100周年を記念し、特約店会から寄贈。1988年設置。作:富永直樹氏>
ちなみに、4号自動式卓上電話機も富永直樹氏の作です。
新日本石油は2010年4月1日、新日鉱ホールディングスと経営統合し、JXホールディングへ。
大手町の新会社へプロメテウス像も移動していましたが、さらなる経営統合でJXTGホールディングスが引っ越し、プロメテウス像も2度目の引っ越しとなりました。
引っ越し前のプロメテウス 千代田区大手町2-6-3


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