神田上水懸樋 (江戸名所図会や浮世絵)

○名所図会や浮世絵に見る神田上水懸樋

「江戸名所図会 御茶の水 水道橋 神田上水懸樋」

 神田川の上を神田上水懸樋が通り、奥に水道橋が見えます。この景観は江戸の名所のひとつとなっており、浮世絵にも多く描かれています。舟に乗る客人は懸樋を見上げています。遠景に富士山が見えます。

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 懸樋には高札が掲示されています。

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 「神田上水々元絵図」(東京都立図書館蔵)に水道に関する高札が載っています。上水において、水あび、魚鳥をとること、塵芥を捨てること、物洗いが禁じられています。

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 上水の水量や汚れを監視する見守番屋の番人は、副業として鰻屋「もりやま(守山/森山)」を営んでいました。
 右手の料理屋の室内では鰻のかば焼きを食べています。右のご老人は、「江戸名所図会」の挿絵を担当する取材中の長谷川雪旦かもしれません。

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「吏疑盗賊長谷川雪旦」(石亭画談:今古雅俗 竹本又八郎 明治17年)

 鰻屋「もりやま」には、「江戸名所図会」の挿絵を担当した長谷川雪旦が泥棒と間違えられた逸話があります。鰻屋の守山に一人の客が訪れ、店内や周辺を写生して帰りました。その晩、鰻屋に泥棒が入り、店の主人は昼間の客は下見に来ていたに違いないと思っていると、後日、また同じ客がやってきました。店の主人は、役人に訴え、役人は鉄コンを使って捕えようと店内は騒然となりました。捕縛されようとする雪旦の脇には鰻のかば焼きがひっくりかえっています。窓の外には懸樋が見えます。さて、役人の中に、この客は、長谷川雪旦だと知る者がいて、聞いてみれば「江戸名所図会」の挿絵の取材だったとわかり一件落着、一同、大笑いとなりました。

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「絵本続江戸土産 神田上水御茶水」(鈴木春信)

 江戸名所図会の挿絵では二階建ですが、この挿絵が描かれた頃は平屋の鰻屋です。
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 右面建物の前に、人の背丈ほどの大きな「大かば焼」の行燈看板が見えます。
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「狂歌江都名所図会16編 御茶の水 水道橋 神田川」(安政3(1856)年 二代広重)

 初代・二代広重の画で、16編は二代広重が描いています。神田川手前に神田上水懸樋、奥に水道橋が見えます。遠景には富士山が見えます。

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 「もりやま」は、2階がお茶の水坂に面しています。
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「絵本江戸土産 御茶の水」(広重)

 挿絵には「御茶の水 聖堂より猶西の方御堀をいふ この所 両岸絶壁にして風景よし 殊に月雪を称すべし」とあります。

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「名所江戸百景 水道橋駿河台」(広重)

 神田上水懸樋のお茶の水坂上から、水道橋の光景です。

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「江戸図屏風」(Wikipediaより引用)

「江戸図屏風」に描かれている江戸時代初期の吉祥寺橋(吉祥寺は明暦3(1657)年の大火で焼失、本駒込に移転)と懸樋です。懸樋がこの位置だと駿河台に給水できないと思われ、理解不能です。懸樋は、万治年間(1658〜1661)に架け替えられたため、俗に万年樋と呼ばれました。

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「東都名所 御茶之水之図」(広重)

 右手土手の中腹に描かれている家は神田上水の見守番屋です。水番人は副業として鰻屋「守山(森山)」を営んでいました。

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「東都名所御茶之水」(芳員)

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「江戸名所道戯尽 四 御茶の水の釣人」(広景)

 広景の「広重」と「北斎」のパロディです。

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 参考 「北斎漫画十二編 釣の名人」(北斎)
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「富士三十六景 東都御茶の水」(広重)

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「東都名所本郷御茶の水」(広重)

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「銀世界東十二景 お茶の水雪中の美人」(広重)

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「江戸名所百人美女 御茶の水」(豊国・国久)

 こま絵には、懸樋と見守番屋が見えます。遠景には富士山です。

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「江戸名所四十八景 御茶之水夕景」(二代広重 都立図書館蔵)

 水道橋から坂を上がった左手に「もりやま」の2階部分が見えます。店頭で鰻を焼いているのでしょうか。

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「東都三十六景 お茶の水」(二代広重)

 「懸樋」と「もりやま」が見えます。

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「東都御茶之水風景」(昇亭北寿 都立図書館蔵)

 神田川下流から、懸樋、水道橋の光景です。

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「江戸切絵図」

  「水道橋」「上水樋」が描かれています。

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【明治時代の懸樋】

「お茶の水 Kanda Aqueduct of Ocha no-mizu, Tokyo.」(日本之名勝 明治33(1900)年)

 水道橋から撮影した御茶の水の懸樋です。左手の塀は石川伊予守(七千石)、石丸仙太郎(二千石)の旧旗本屋敷です。

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「御茶の水舊水道萬年樋」(実写奠都五十年史 大正6(1917)年)

 水道橋から撮影した御茶の水の懸樋です。
 解説には、「神田上水の懸樋にして其伏管は元町の河岸より南方駿河臺の中腹を貫けり 樋の左は其番人小屋にし景は水道橋方面より見たるところ 新水道橋敷設以来癈樋となり撤せられたり」とあります。

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「茶の水雪 (東京名所)」(小林清親)

 懸樋の下流からの冬の光景です。

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「ヲ茶水屋根舟ト蛍ノ図」(小林清親 都立図書館蔵)

 お茶の水は蛍の名所でもありました。夜の懸樋が見えます。

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「武蔵百景 水道橋茶の水」(小林清親)

 水道橋の橋脚からの懸樋の光景です。

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「水道橋」(井上安治)

 手前の水道橋の先に、懸樋が見えます。

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「御茶ノ水」(井上安治)

 懸樋の下流からの雪の光景です。

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【お茶の水坂】 神田上水懸樋跡など

【お茶の水坂】 文京区本郷1丁目〜2丁目

○お茶の水坂 文京区本郷1-1(説明板設置)

 外堀通りの文京区本郷1丁目〜2丁目がお茶の水坂となります。元町公園前の歩道に、説明板「お茶の水坂」があります。

(説明板)
「お茶の水坂
 この神田川の外堀工事は元和年間(1615―1626)に行われた。それ以前に、ここにあった高林寺(現向丘二丁目)の境内に湧き水があり、“お茶の水”として将軍に献上したことから、「お茶の水」の地名がおこった。
 『御政府備考』によれば「御茶之水は聖堂の西にあり、この井名水にして御茶の水に召し上げられしと・・・」とある。
 この坂は神田川(仙台堀)に沿って、お茶の水の上の坂で「お茶の水坂」という。坂の下の神田川に、かって神田上水の大樋(水道橋)が懸けられていたが、明治34年(1901)取りはずされた。
  お茶の水橋低きに見ゆる水のいろ
    寒む夜はふけてわれは行くなり
      島木赤彦(1876ー1926)
 文京区教育委員会  平成9年3月」

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○水道橋 千代田区神田三崎町一・二丁目〜文京区後楽一丁目・本郷一丁目

 水道橋の名は、神田上水の懸樋が下流にあったことに由来します。

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<水道橋の碑>

 水道橋の欄干に、江戸名所図会の挿絵がはめ込まれています。

「水道橋
 水道橋の名は、江戸名所図会によれば、この橋の少し下流にかけ樋があったことに由来します。」

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○水路モニュメント 文京区本郷1-3

 水道橋から文京区側の神田川下流へ、水路モニュメントがあります。水は流れてはいません。

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○プレート「神田上水」 文京区本郷1-3

(プレート文)
「神田上水
 神田上水は、井の頭池の湧水を水源とする、江戸時代初期につくられた日本最古の都市水道です。
 文京区関口に堰を設けて上水を取り入れ、小日向台下の裾をとおり小石川後楽園の中をぬけ、水道橋の東側で神田川を掛樋でわたし神田・日本橋方面に給水されていました。
 文京区本郷二丁目7番にある本郷給水公苑内に神田上水石垣樋が移設保存されています。
  文京区土木部公園緑地課」

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○お茶の水分水路 文京区本郷1-3

 お茶の水分水路は、河道拡幅による河道整備が困難であった神田川の中流部において整備された4つの分水路の一つです。この分水路は、水道橋下流〜昌平橋下流まで、都道405号線(通称:外堀通り)の地下に1,300mにわたって敷設されています。

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(石碑文)
 「神田川分水路事業
   お茶の水分水路」

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○神田上水懸樋(掛樋)跡 文京区本郷1-2

 神田上水懸樋は、神田上水が神田川を跨ぐ地点に設置されていた懸樋です。水道橋と水道橋駅の由来になっています。

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(碑)
 「神田上水懸樋(掛樋)跡
   文京区長 遠藤正則 書」

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(プレート文)
 「絵本続江戸土産 神田上水御茶水」(鈴木春信)の挿絵が掲示されています。

「神田上水懸樋(掛樋)跡
 江戸時代、神田川に木製の樋を架け、神田上水の水を通し、神田、日本橋方面に給水していました。
 明治三十四年(一九○一)まで、江戸・東京市民に飲み水を供給し続け、日本最古の都市水道として、大きな役割を果たしました。
 この樋は、懸樋(掛樋)と呼ばれ、この辺りに架けられていました。
 この絵は、江戸時代に描かれたもので、この辺りののどかな風情が感じられます。
  平成八年三月 東京都 文京区」

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 絵本続江戸土産 神田上水御茶水
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 神田川上流
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 神田川下流
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○旧元町 文京区本郷2-7(説明板設置)

 「旧町名案内」があります。

(説明板)
「旧 元町(昭和40年までの町名)
 もとは本郷村。江戸初期は御弓同心の組屋敷であった。その後この組屋敷は大塚辺りに移された。元禄4年(1691)徳川家康の江戸入りにしたがって三河から来た供衆が、内神田の三河町からここに移ってきた。
 元禄9年(1696)町屋を開いたが、この辺の拝領地としては、最も古い方なので元町と名づけたという。
 明治2年、町内を東西に分けて、上町を1丁目、下町を2丁目とした。
 同5年、旧高松藩松平氏邸および付近を合併した。
 明治44年、本郷元町の本郷をとり、元町とした。
 現在の昭和第一高校前の神田川に、神田上水の懸樋が渡されて、江戸っ子に飲料水が送られた。 文京区」

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【皀角坂】 神田上水懸樋跡など

【皀角坂】 千代田区三崎町1丁目〜神田駿河台2丁目

「江戸切絵図」

 「水道橋」の下流に「神田上水懸樋が見えます。懸樋の駿河台側に「サイカチサカ」の注記があります。駿河台は、武家屋敷が多く見られます。

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<駿河台>
 「駿河台」は、もともと本郷台・湯島台と地続きで、「神田台」と呼ばれていました。「神田川」が開削され、本郷台・湯島台から切り離され、現在の駿河台が形成されました。
 徳川家康が駿府で没した後、駿河から帰ってきた旗本(駿河衆)たちが、駿河国の富士山が見えるこの地に多く屋敷を構えました。 駿河衆が住んでいたことや駿河国の富士山が見えたことなどから、この地は駿河台と呼ばれるようになりました。

「名所江戸百景 水道橋駿河台」(広重)
 神田上水懸樋辺りの本郷台から、水道橋方向の駿河台の武家屋敷を見下ろしています。富士山が見えます。画面左下の神田川下流から水道橋へ下っている坂が「皀角坂」です。
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 武家は、端午の節句には家紋の幟や吹き流し、鍾馗(しょうき)の幟を上げました。鯉のぼりを揚げるのは町人の文化でした。
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「絵本江戸土産 水道橋」(広重)
 名所江戸百景より下のアングルで描かれています。
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「江戸名所百人美女 するがだい」(豊国・国久 都立図書館蔵)
 駿河台は武家地なので、美女も武家の娘でしょう。
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 こま絵には火の見櫓が描かれています。
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「江戸名所四十八景 駿河台月夜」(二代広重 都立図書館蔵)
 左手の屋敷は、江戸切絵図によると「田口加賀守」(長崎奉行)でしょうか?
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○皀角坂 千代田区神田駿河台2-11(標柱設置)

 皀角坂(さいかちざか)の標柱は、2022年10月に更新されたようです。

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(標柱)
「皀角坂
 坂名は、サイカチの木が多く植えられていたことから名付けられました。サイカチは、野山にはえる落葉高木で、枝にとげが多く、花も実も豆に似ています。現在でも、二本のサイカチの木があり、秋になると豆状の実をつけています。」

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○神田上水懸樋跡 千代田区神田駿河台2-11(説明板設置)

 神田上水懸樋跡の駿河台側です。神田川左岸の本郷側にもモニュメントがあります。

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 説明板は、2022年10月に更新されたようです。

(説明板)
「神田上水懸樋跡
 江戸時代、この辺りには神田上水が神田川を越えるために設けた懸樋がありました。1658年〜1661年(万治年間)に架け替えられ、俗に万年樋と呼ばれました。
 神田上水は、江戸で最も早く整備された上水といわれ、1596年〜1615年(慶長年間)に整備に着手したといいます。井の頭池・善福寺池・妙正寺池を水源とし、現在の文京区関口あたりに堰が設けられ、小日向台から小石川後楽園を通り水道橋の下流に達しました。懸樋によって神田川を超えた上水は、この辺りから暗渠(埋樋)となり、南は京橋川、東は永代橋より大川(現在の隅田川)以西、北は神田川、西は大手町から一橋門外まで供給されました。
 なお、関口で神田上水から分水した余水は河川となります。牛込門外(現在の飯田橋)までは「江戸川」、牛込門外から下流は「神田川」と呼ばれました。  千代田区」

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 「江戸名所図会 御茶の水 水道橋 神田上水懸樋」が掲示されています。

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○皀角坂の芭蕉句碑 千代田区神田駿河台2-11-16

 松尾芭蕉らしいと言われますが定かではない句碑があります。

 「皀角子の
    実は
  そのままの
    落葉哉」

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○ふるさと文化の散歩道 千代田区神田駿河台2-9

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主水河岸と主水の井

○主水河岸 千代田区鍛冶町1-6

 初代大久保主水(もんと)は、徳川家康より命を受け、後の神田上水の基礎となる小石川上水を整備しました。大久保主水の子孫が御用菓子司として暮らし、その名が地名「主水河岸」(もんとかし)として残されていた場所です。

「江戸名所図会」

 江戸名所図会の本文に「主水河岸」の説明があります。「此北詰の西の河岸を主水河岸と字す 御菓子司大久保主水の宅ある故にしか云り 宅前に井あり主水井と云 昔は御茶の水にもめさせられしとなり」
 江戸名所図会に今川橋が描かれていますが、主水河岸は、雲に隠れています。次の挿絵「主水河岸」を該当部分に貼りつけてみました。

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「江戸切絵図」

 龍閑川と土手の間に、「主水川岸」の注記が見えます。

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「日本橋北内神田両国浜町明細絵図」(安政6(1859)年)

 「新革屋町」と「元乗物町」の間に、「大久保主水」の屋敷があります。

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<現在の主水河岸跡> 千代田区鍛冶町1丁目6番地

 主水河岸跡は、現在の千代田区鍛冶町1丁目6番地に当ります(朱色着色部分)。 龍閑川跡が中央区と千代田区の区境となります。

 現地地図加工
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 東→西
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 西→東
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 西→東(泉陽SYビル・山梨中央銀行)     
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○大久保主水ゆかりの地「主水河岸」 千代田区鍛冶町1-6-14 泉陽SYビル

 千代田区の説明板「主水河岸」があります。

(掲示)
「まちの記憶
 1590年 天正十八年
 大久保主水ゆかりの地「主水河岸」
 初代大久保主水は、徳川家康より命を受け、後の神田上水の基礎となる江戸における最初の水道、小石川上水を整備した。大久保主水の子孫が御用菓子司として暮らし、その名が地名として残されていた場所である。」

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掲示の江戸の地図には「・里俗二主水川岸ト云」とあります。

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 泉陽興業株式会社泉陽SYビルに入ると、「創業者 山田三郎像」があり、
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 江戸時代の今川橋とその近辺の絵図が掲げられています。、

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 神田上水懸樋の切絵が掲げられています。

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 江戸時代の絵図は、「江戸名所図会 今川橋」かと思ったら、図会の挿絵では雲に隠れて省略されている大久保主水の屋敷と主水井が描きこまれています。完璧な一枚ですね。

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○主水井(もんとのゐ) 千代田区鍛冶町1-6-17

 主水井のあった場所には、鍛冶町一丁目町会によって、説明板「大久保主水の「主水の井」」が建っています。

「江戸名所図会 主水井」

 今川橋北詰から西の主水河岸、新革屋町と元乗物町の間にある御菓子司大久保主水の屋敷前が描かれています。挿絵中央の小屋「主水井」は、屋敷側に入口があるのでしょう、通りには入口は見えず、一般には開放せず、もっぱら幕府に献上するお菓子作りに使用していたようです。

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 「江戸名所図会」では、「主水井」のほか、「柳の井」、「櫻の井」、「柳の井」(麻布善福寺)、「磯の清水」(品川)、「鍋屋の井」(川口)が紹介されています。 このほか「名水白木屋の井戸」が有名でした。


○大久保主水の「主水の井」 千代田区鍛冶町1-6-17

 「主水の井」があった場所に、鍛冶町一丁目町会の説明板が掲示されています。シャッター絵に「主水井(もんとのゐ)」が描かれています。

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(説明板)
「大久保主水の「主水の井」
 シャッターの絵は、江戸名所図会の「主水の井」を田中憲治氏がアレンジして描いたものです。このビル周辺は、江戸時代初期に大久保彦左衛門の叔父にあたる大久保主水が屋敷を構えていたところで、当時その邸内に名水の井戸の一つとして有名だった「主水の井」という井戸があり、江戸名所図会に描かれています。
 三河で徳川家康の家臣だった大久保藤五郎(主水)は、家康の江戸入府前に飲料水を確保するよう命ぜられ、神田上水の前身である小石川用水を開設し、その功労を讃えられ「主水」という名を家康より拝領されたとされています。また主水は菓子作りを得意としており、家康に献上して以来、家康は主水の菓子しか召し上がらなかったといわれています。
  鍛冶町一丁目町会」

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【再掲
○大久保藤五郎(忠行/初代主水)(不詳〜元和3年7月6日(1617年8月7日))
 大久保藤五郎は徳川家康に仕え、永禄6(1563)年、三河一向一揆に出陣しますが、鉄砲の弾が腰に当たり負傷、歩行が不自由となります。
 槍働きができなくなり、戦役を免除され、菓子司となります。菓子に毒を仕込まれることも多く、家康は信頼のおける藤五郎の菓子をたびたび求めました。嘉祥の儀(6月16日)(こちらで記載)の成立に深くかかわっています。

 徳川家康に菓子を献上する大久保藤五郎」(東京都水道歴史館掲示)
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 家康は関東への移封にあたり、藤五郎に江戸城下の上水工事を命じ、小石川上水(神田上水の元)を完成させます。この功績により家康は「主水(もんと)」の名を与えました。また、歩行が不自由な忠行のため、「山越」と称する馬を与え、乗馬のまま城内を通行できる許可を与えました。
 家康が水源を視察した際の茶会には、藤五郎は三河餅を献上し、家康は「宮嶋」という茶釜を藤五郎に与えました。(茶釜は、現在はこちらに所蔵されています。)

 「家康の命を受け、小石川上水を開設した大久保藤五郎はその功労として茶かまと名馬「山越」を賜わった。」(東京都水道歴史館掲示)
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 「大久保主水墓」(東京都旧跡)は、瑞輪寺(谷中)にあります。こちらで記載

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東京都水道歴史館

○東京都水道歴史館 文京区本郷2-7-1 HP

【館外】

<タイル絵>

 水道歴史館の横の歩道脇に、水道の歴史を描いたタイル絵が連なっています。

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 水道の歴史をコンパクトに4枚にまとめられています。

 「江戸の上水井戸」
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 「江戸の水売り」
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 「江戸の長屋の台所」
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 「淀橋浄水場起工式」
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「水売/飲用水売」(世渡風俗図会 清水晴風)/「水売」(江戸年中風俗之絵 橋本養邦)国立国会図書館蔵

 上水の給水範囲では上水井戸が設けられ、上水の届かない本所や深川では、上水の「余り水」を水船が運び、住民は棒手振りの水売から飲料水を買っていました。上水は江戸市中に給水後、余り水は銭瓶橋及び一石橋の吐樋から放流されていました。幕府の鑑札を受けた水船業者が水船に汲んで本所や深川に運び、あるいは廻船に売水していました。

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<旧中島博士邸の井戸側>

 水道歴史館の敷地に入って、館入口の右に「旧中島博士邸の井戸側」があります。

(説明掲示)
 「旧中島博士邸の井戸側 Well Curb
  この井戸側は、近代水道創設の開祖と評される中島鋭治博士の旧宅で使用されていたものです。
  井戸側の制作年代は、「規格、材質、技術」等から、江戸時代後期と推定されます。」

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<通路>

 移築復元「神田上水石樋・白堀」が展示されている本郷給水所公苑へは、水道歴史館脇の通路からも行くことができます。こちらで記載

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【館内二階】

 二階は江戸上水の展示となっています。

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<江戸上水史>

神田上水
 天正18年(1590)徳川家康の江戸入府に先立ち、城下に飲料水を供給するため家臣・大久保藤五郎に上水開設を命じた。
 藤五郎は小石川に水源を求め、目白台下の流れを利用し、神田方面へ通水させたと伝えられている。これが小石川上水の誕生であり、その後、随時拡張され神田上水となった。井の頭の池や善福寺池、妙正寺池を水源とした。

玉川上水
 家光が三代将軍になると、「参勤交代の制度」と「大名正妻・嫡子の江戸在府の制度」により、諸国の武家が江戸に集まってくるとともに、その生活を支える町人が増え、江戸の人口は増加し、水需要が増大した。
 この江戸の都市化に対し、神田上水に加え新たな上水の開設が必要になった。
 江戸町人、庄右衛門、清右衛門兄弟により、多摩川を水源に承知3年(1654)玉川上水が開設された。

亀有上水
 明暦の大火後の江戸の復興に伴って、本所、深川の町づくりが万治2年(1659)以降に行われており、この頃開設されたと思われる。隅田川西側には神田・玉川上水より給水されていたが、東側に給水することができず、このために元荒川に堰を作って溜井とし、埼玉県北足立郡を経て、亀有に入り、南下して本所方面に給水された。後に本所上水と呼ばれるようになった。享保7年
(1722)に廃止。

青山上水
 万治3年(1660)に雑貨仁左衛門、木瓜屋庄兵衛によって開設された。四谷大木戸で玉川上水の余水に水口を付け給水し、主に青山、赤坂、麻布、芝方面に供給された。
 享保7年(1722)に廃止されたが、明治15年(1882)から麻生水道として、近代水道が敷設されるまでの一時期に利用された。

三田上水
 三田上水は玉川上水を下北沢で分水し、渋谷川の谷と目黒川の谷の間の狭い台地を通している。
 寛文4年(1664)に中村八郎右衛門、磯野助六により開設され、三田、芝、金杉方面へ給水された。享保7年(1722)に廃止された。

千川上水
 元禄9年(1696)小石川白山御殿、本郷湯島聖堂、上野東叡山寛永寺、浅草浅草寺など将軍御成りのところへ上水を引用するために玉川上水を谷保村で分水し、開設された。開設後は上水沿線20ヶ村に分水され、灌漑や飲料水に利用された。享保7年(1722)に廃止されたが、沿線への村々には灌漑用水として利用された。また明治13年(1880)岩崎弥太郎により千川水道株式会社として復活した。

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<江戸に水を配る>

 木樋や駒の頭(木樋と木樋をつなぐ継手)の実物が展示されています。

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<江戸の給水方法>

 江戸の上水は、木樋の水道管から竹樋(呼樋)で上水井戸に給水されていました。挿絵と模型で解説、実物が展示されています。

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 東京都水道歴史館のパンフレット表紙の挿絵にも、上水井戸が描かれています。上水井戸脇で米をとぐ長屋の女房は、「百人一首地口絵手本」(梅亭樵父 国立国会図書館蔵)が出典かと思われます。

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「江戸井」(守貞漫稿守貞謾稿 巻三 国立国会図書館蔵)

 江戸の井戸は、地上に出ている井筒は化粧側といいました。土中は井戸の深さに応じて、桶を積み重ね、一番側、二番側・・・といいました。最下部は根側といい、底板がありました。井側材はヒバの赤みが主に用いられました。水道の樋から竹筒の呼樋を用いて、水を上水井戸に溜めました。江戸っ子は「水道の水で産湯を使い・・」がご自慢でした。

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<井戸浚> 七月七日

 江戸市中の上水井戸は、神田上水や玉川上水が地下に引き込まれ繋がっており、七月七日に江戸中では一斉に井戸浚(いどさらえ/いどさらい)を行いました。七月七日は、祖先を迎える盂蘭盆の準備をする行事日で、「井戸浚」は、水による禊祓という面がありました。

「繪本世都之時 井戸浚」(北尾重政 国立国会図書館蔵)
 木に滑車を据えて、井戸水を汲みだしています。汲みだしたところで、井戸内の掃除です。滑車を据える木がない場合はどうする?北斎が答えています。
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「富獄百景 2編 井戸浚の不二」(北斎 国立国会図書館蔵)
 2つの梯子を組み合わせ、そこに丸太を固定し、滑車を取り付けています。
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<江戸長屋>

 江戸長屋が実物大で再現されています。上水井戸が再現され、木蓋の下水も再現されています。
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 上水井戸から汲んだ水は、底が細くなっている「水瓶」に溜められました。
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 共同便所と芥箱も実物大で再現されています。
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<大久保藤五郎>(忠行/初代主水)(不詳〜元和3年7月6日(1617年8月7日))

 大久保藤五郎は徳川家康に仕え、永禄6(1563)年、三河一向一揆に出陣しますが、鉄砲の弾が腰に当たり負傷、歩行が不自由となります。槍働きができなくなり、戦役を免除され、菓子司となります。菓子に毒を仕込まれることも多く、家康は信頼のおける藤五郎の菓子をたびたび求めました。嘉祥の儀(6月16日)(こちらで記載)の成立にも深くかかわっています。

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 徳川家康に菓子を献上する大久保藤五郎」(館内掲示)

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 家康は関東への移封にあたり、大久保藤五郎に江戸城下の上水工事を命じ、小石川上水(神田上水の元)を完成させます。この功績により家康は「主水(もんと)」の名を与えました。また、歩行が不自由な藤五郎のため、「山越」と称する馬を与え、乗馬のまま城内を通行できる許可を与えました。
 家康が水源を視察した際の茶会には、藤五郎は三河餅を献上し、家康は「宮嶋」という茶釜を藤五郎に与えました。

 (館内掲示)
  「家康の命を受け、小石川上水を開設した大久保藤五郎はその功労として茶かまと名馬「山越」を賜わった。」
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 ※茶釜は、現在はこちらに所蔵されています。
 ※「大久保主水墓」(東京都旧跡)は、瑞輪寺(谷中)にあります。こちらで記載


<玉川兄弟像>

 羽村堰にある「玉川兄弟像」(松野伍秀作)の複製です。左に弟の清右衛門、右に兄の庄右衛門です。
 「玉川庄右衛門および清右衛門墓」(東京都旧跡)は、聖徳寺(台東区松が谷)にあります(こちらで記載)。

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<神田上水懸樋(模型)>

「神田上水懸樋の今昔の写真」

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「御茶の水の懸樋の模型(縮尺1:50)」

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「東都名所 御茶之水之図」(歌川広重)の掲示
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 前後左右
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 懸樋の側面に、高札が掲げられています。
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 鰻の蒲焼店には「もりやま」の暖簾がかかっています。上水の水量や汚れを監視する見守番屋の番人は、副業として鰻屋「もりやま(守山/森山)」を営んでいました。
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 番人が蓋を開けて上水のチェックをしています。
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 地中の断面図も再現されています。
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<発掘された江戸上水>

 発掘された「丸の内三丁目の木樋」及び「八重洲北口の木樋」が展示されています。

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【館内一階】

<館内案内>
 一階は近現代水道の展示となっています。
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 「水滴くん」は、自主判断でマスクを付けています。
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<展示一部>

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<馬水槽(模造)>

 中島鋭治(1858〜1925)が、明治34(1901)年から翌年にかけてヨーロッパを視察した際に、ロンドン市牛馬給水槽協会から東京市に寄贈されたものです。
 明治39(1906)年に東京府庁舎(現東京国際フォーラム)前に設置、大正7(1918)年に麹町の東京市水道局守護門前に移設、昭和32(1957)年に淀橋浄水場に移設、昭和39(1964)年9月に新宿駅東口駅前広場に移設されています(新宿区文化財)(こちらで記載)。

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「明治39(1906)年ロンドンより寄贈された当時の馬水槽
  設置されていた場所ー現千代田区丸の内二丁目」

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