堀江町入堀(東堀留川)

○堀江町入堀(東堀留川)

 明治16(1883)年、堀江町入堀と呼ばれていた川筋に、東堀留川と正式名称がつきました。堀江町入堀(東堀留川)には、思案橋、親父橋(一時親慈橋に改称)、萬橋(境橋→和国橋→萬橋)が架かっていました。

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○小網町児童遊園 中央区日本橋小網町9-1及び小網町19

 小網町児童遊園は、東堀留川の日本橋川への接続部分で、思案橋跡に当たります。思案橋は、吉原(遊郭)に行くか芝居町(劇場)に行くか迷って思案したことから、思案橋と呼ばれるようになったと言われています。

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<高潮防潮扉>

 高潮や津波の下水道管内への逆流を防ぐ目的で、下水道の吐口に高潮防潮扉が設置されています。

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「東京都下水道局高潮防潮扉
 扉NO.36
 設置場所 中央区日本橋小網町9」

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 ※近くの「桃乳舎」(日本橋小網町)は、休業中から2023年2月に閉店となりました。


○小網神社 中央区日本橋小網町16-23

 小網神社は、埋め立てられた東堀留川の河岸にありました。いつも行列している超人気の神社です。Google のクチコミもあり得ないほど多いです。

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○東堀留川(小網町児童遊園〜親父橋 小網町17と16の間)

(小網町児童遊園〜) 西へカーブしていきます。

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(小網町児童遊園を振り返ったところ)

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(〜親父橋)
 交差点が親父橋に当ります。

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○親父橋

 「親父橋」は、「親父」と呼ばれていた遊郭惣名主庄司甚右衛門が元吉原への通路として元和3(1617)年に架橋しました。明治維新後には「親慈橋」という名称も使われていますが、大正14(1925)年9月の再建時には、再び「親父橋」となっています。昭和24(1949)年に埋立てにより消滅しています。


「江戸名所図会 堺町 葺屋町 劇場」

 劇場(しばい)の賑わいが描かれています。手前に流れているのが東堀留川で、「親父橋」が架かっています。

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「新添江戸之圖」(国立国会図書館蔵)

 明暦の大火の直前に描かれた江戸之図に、吉原遊郭が描かれています。親父橋が見えます。

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「江戸名所百人美女 よし町」(豊国)

 こま絵には、親父橋の角にあった版元の地本問屋「山本屋平吉」(栄久堂)の店舗が描かれています。紅屋も兼業していました。

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<千疋屋と親父橋>

 天保4(1834)年創業の千疋屋の起源は、親父橋にあります。武蔵の国埼玉郡千疋村(現越谷市)で大島流の槍術の道場を開く侍であった創業者の大島弁蔵は、生計を立てるために水菓子(桃、スイカ、まくわ瓜や野菜)を水路を利用して親父橋界隈に売りに来ていて「水菓子安うり処」の看板を掲げ親父橋の袂に店を構えました。


「親父橋」(建築写真類聚 大正15年)

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○親父橋パネル 中央区日本橋小網町16-14 堺屋薬局

 「親父橋」の説明パネルが堺屋薬局の店横にあります。

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(説明板)
「親父橋
 かつて当店のとなりに親父橋とよばれる橋があった。
 親父橋の北東には芝居町があって堺町には中村座、葺屋町には市村座が櫓を掲げており、多少の変遷はあったものの江戸時代初期から天保の改革によって浅草聖天町に移されるまでのほぼ二百年間、ことのほかの繁昌を続けていた。
 また親父橋と荒布橋(あらめばしー江戸橋付近)の間の照降町(てるふりちょう)には傘屋と下駄屋が軒を連ねていたと伝えられ、昔の版画からも当時の賑わいを偲ぶことができる。
 初代堺屋武助二百回忌追善の為、これを記す。
 平成二十七年六月一日 九代目堺屋武助」
「「親父橋より、よし町を望む」山本松谷画より 明治期の親父橋と堺屋」

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(親父橋〜堀留児童公園 日本橋小船町15と日本橋人形町3-1の間)

 正面に日本橋保健センターがそびえ、その手前の堀留児童公園で突き当ります。

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○堀留児童公園 中央区日本橋堀留町1-1-16

 改修工事中です(令和4年10月14日〜令和5年11月30日)。

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 防災倉庫の脇に、災害用井戸があります。

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 萬橋(境橋→和国橋→萬橋)が架かっていた場所です。

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○中央区日本橋保健センター 中央区日本橋堀留町1-1-1

<ピロティ>
 日本橋保健センターは東堀留川の跡に建っています。ピロティが川筋に当ります。

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<タイル壁画>
 ピロティに3枚のタイル壁画があります。サイン等は見当たらずどこの橋かわかりません。

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<彫刻>
 日本橋保健センター入口左右に「母像」と「母子像」の彫刻があります。

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○船着石積 中央区日本橋小舟町14-13 スーパーホテル

 日本橋保健センターの隣にあるスーパーホテルのエントランス植え込みに、ホテル建設中に見つかった東堀留川の船着石積の一部があります。

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(説明板)
「日本橋小舟町
●町の由来
 慶長8年(1603年)の町割の時は下舟町といいましたが、享保5年(1720年)に西の大船町に対して小舟町としました。
 江戸初期からの町で、江戸の湊口の物資輸送に利用され、小舟町西の河岸を小舟河岸とか鰹河岸と呼び、江戸湊の重要な荷揚場的役割を果していたようです。
●堀留川の埋立て
 西堀留川は関東大震災後の区画整理で埋立てられ、残っていた東堀留川も、戦後には埋立てられ、江戸以来いろいろの話題を提供してきた思案橋なども撤去され街並みは大きく変わりました。この地は当時の東堀留橋川の川のたもとにあたり、川は隣地の日本橋保健センターから南側の公園にかけて思案橋まで続いており、江戸時代には東堀留川はさらに北に伸び、この辺りには和國橋が架っておりました。ここにおかれている石は当ホテルの工事中に地中より出てきた船着石積の一部です。水運で栄えた当時の面影が偲ばれます。」(誤字は訂正しました)

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○日本橋消防署堀留出張所 中央区日本橋堀留町1-2-6

(日本橋保健センター〜日本橋消防署堀留出張所 日本橋小舟町13と日本橋堀留町1-2の間)

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 日本橋消防署堀留出張所

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 東堀留川は、日本橋消防署堀留出張所前で「堀留(堀の突き当り)」となります。「日本橋消防署堀留出張所」がある場所に、江戸時代には「火の見櫓」がありました。「江戸名所図会 堀留」に、火の見櫓と、貯木場と店前に立てかけられた材木が見えます。

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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 江戸名所図会江戸名所百人美女吉原庄司甚右衛門

伊勢町堀(西堀留川) 富士銀行創業地

○伊勢町堀(西堀留川)跡 中央区日本橋小舟町1-1

 小舟町交差点にある説明板です。小舟町記念会館が取り壊し中です。この場所は、西堀留川の荒布橋跡です。
 慶長10(1605)年の旧石神井川の水路の付け替えにより、上流からの流れを失った河口部が、湊として整備され、堀江町入堀と伊勢町堀ができました。(「郷土室だより第160号」に詳しく記述されています。)

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(説明板)
「伊勢町堀(西堀留川)跡
  所在地
  中央区日本橋本町一丁目六〜八番・日本橋本町二丁目六番
     日本橋小舟町一〜四番
     日本橋室町二丁目三番・日本橋本町二丁目四〜六番
 江戸時代初期から昭和初期まで、日本橋本町一丁目と日本橋小舟町の境界沿いには掘割(明治中期頃まで「伊勢町堀」と称し、後に「西堀留川」と名称変更)がありました。
 この掘割は、日本橋川から北西に入り込み、旧堀留町一丁目(現在の日本橋本町二丁目7番)の手前で西へと屈曲して旧室町三丁目(現在の日本橋室町二丁目3番)の前で留まる“かぎの手状の入堀”でした。日本橋地域の中心に位置するこの船入堀には、穀物や乾物を中心に全国各地から物資が運ばれ、河岸地は荷揚げ場として大いに利用されていました。
 米蔵が建ち並んでいた堀の西岸は、江戸に輸送されてきた廻米の陸揚げ地であったことから「米河岸」と呼ばれ、鰹節や塩干肴の問屋が多かった小舟町に面する東側は、「小舟河岸」と呼ばれていました。さらに、西に折れた入堀の河岸地は、周辺に塩問屋があったことから「塩河岸」(明治十年、北岸は「北塩河岸」、南岸は「南塩河岸」の名称となる)と呼ばれていました。
 江戸時代以来、大量の回漕物資が集積・荷揚げされたこの掘割は、明治十九年(一八八六)に西側に屈曲した入堀部分が埋め立てられ、昭和三年(一九二八)には関東大震災後の区画整理事業で残りの入堀が埋め立てられてその姿を消しました。
 当地の様子を描いた『江戸名所図会』には、舟運と荷揚げの便が図られていた頃の挿絵があり、往時の繁栄ぶりがうかがえます。
「日本橋北内神田両国浜町明細絵図」(部分)
  平成二十六年五月  中央区教育委員会」

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「江戸切絵図」

 江戸切絵図から、西堀留川と東堀留川部分の抜粋です。

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「江戸名所図会 伊勢町河岸通 米河岸 塩河岸」

 荒布橋から北へ、カギノテに曲がる伊勢町堀(西堀留川)部分が描かれています。米河岸、塩河岸ともに蔵がぎっしり立ち並んでいます。

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「東京開化三十六景 江戸橋とあらめ橋」(三代広重)

 左に「江戸橋」、右に「あらめ橋」が描かれています。「あらめ橋」の奥には、蔵がびっしりと並んでいます。
 永井荷風が堀割の壮観と賞しています。
『日和下駄』の内「第六 水 附渡船」(永井荷風 大正3年)
「日本橋を背にして江戸橋の上より菱形をなした広い水の片側には荒布橋つづいて思案橋、片側には鎧橋を見る眺望をば、その沿岸の商家倉庫及び街上橋頭の繁華雑沓と合せて、東京市内の堀割の中にて最も偉大なる壮観を呈する処となす。」

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「東京名所繁榮之内江戸橋之圖」(梅堂國政 明治8(1875)年)

 手前の橋が「江戸橋」、左手の橋が「荒布橋」、奥に見える橋が「鎧ばし」です。

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 「荒布橋」部分の拡大です。

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「小網町河岸」(日本之名勝 明治33年 国立国会図書館蔵)

 江戸橋から見た「小網町河岸」です。

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○富士銀行創業の地 中央区日本橋小舟町8-1

 みずほ銀行小舟町支店の右側の植込みに「ヒューリック小舟町ビル(旧小舟町富士プラザ)」があり、その左手に「富士銀行創業の地」碑が建っています。
 元治元(1864)年、安田善次郎は、日本橋人形町通り(現在の中央区堀留町)に乾物兼両替店「安田屋」を開業しました。2年後の慶応2(1866)年、日本橋小舟町に移って両替専門「安田商店」と改称。明治13(1880)年、安田商店を合本安田銀行に改組し銀行業が始まりました。

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(碑文)
 「富士銀行創業の地
  明治13年1月1日(1880年)
  合本安田銀行(現在の富士銀行)は
  この地で開業いたしました
  平成8年6月 店舗新築を記念して
  富士銀行 頭取 橋本徹」

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「安田善次郎肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
 天保9年10月9日〜大正10年9月28日
 (1838年11月25日〜1921年9月28日)

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「安田銀行本店」(日本之名勝 明治33年 国立国会図書館蔵)

 プレートの銅版の元となった写真と思います。

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(参考)
「安田善次郎氏の墓」(護国寺にあります。こちらで記載
「旧安田庭園」こちらで記載

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 江戸名所図会永井荷風安田善次郎

椙森神社(すぎのもりじんじゃ)

○椙森神社(すぎのもりじんじゃ) 中央区日本橋堀留町1-10-2 HP

 椙森神社の創建は、天慶3(940)年、平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれています。
 文正元(1466)年頃には、太田道灌が雨乞い祈願のために山城国(京都府)伏見稲荷の伍社を勧請して厚く信仰しました。そのために江戸時代には、江戸城下の三森(烏森・柳森・椙森)の一つに数えられ、江戸庶民の信仰を集めました。 江戸七森の一つでもあります。富興業も盛んで、境内には富塚があります。


「江戸名所図会 杉森稲荷」

 本社の左には藤原秀郷由縁の「白狐神」が見えます。 藤原秀郷が奉納したという白銀の狐像はHPには現存と記載があります。

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「江戸切絵図」

 江戸切絵図にも記されています。「新材木町」に鎮座しています。

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「江戸名所図会 堀留」

 2つの堀留川の堀留(堀の突き当り)が描かれています。右中央が新材木町で、貯木場と店前に立てかけられた材木が見えます。

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<椙森神社西鳥居>

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<東鳥居>

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<案内板>

 人形町通りに「案内板」が出ています。東鳥居に至ります。

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<社号標>

 神社の西側に社号標があります。

 (正面)「椙森神社」
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 (側面)「元帥伯爵東郷平八郎謹書」とあります。
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 (裏面)「昭和六年九月十五日」社殿が完成した時です。
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<狛犬>

 西鳥居の先に狛犬。昭和8(1983)年の奉納です。

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<石燈籠>

 駐車場に石燈籠。

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(説明板)
「椙森神社  所在地 中央区日本橋堀留町一‐一○‐二
 椙森神社の創建は、社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれています。
 室町中期には江戸城の太田道灌が雨乞い祈願のために山城国(京都府)伏見稲荷の伍社の神を勧請して厚く信仰した神社でした。そのために江戸時代には、江戸城下の三森(烏森・柳森・椙森)の一つに数えられ、椙森稲と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集めました。
 しばしば江戸城下等の火災で寺社が焼失し、その再建の費用のために、有力寺社で当たりくじである富興行が行われ、当社の富も人々に親しまれていました。
 明治維新以後も、東京市中の古社として盛んに信仰されましたが、惜しくも関東大震災で全焼し、現在の社殿は昭和六年に耐震構造の鉄筋造りで再建されました。
 境内には富塚の碑が鳥居の脇に立ち、当社で行われた富興行をしのんで大正八年に建てられたもの(昭和二十八年再建)で、富札も残されており、社殿と共に中央区民文化財に登録されています。
  平成八年三月  中央区教育委員会」

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<手水舎>

 手水鉢は昭和6(1931)年9月に御神殿建築請負者による奉納です。

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<富塚> 中央区文化財

 富塚は、当社で行われた富興行をしのんで大正8(1919)年に建てられたもの(昭和28(1953)年再建)です。

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 富塚の前に三宝(富くじ入れ)が置かれています。
 「宝くじをお持ちになってお参りにな る方のため、置台として、この「三方」を用意しました。」とあります。

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 裏面に「昭和二十八年十一月再建」とあります。

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(説明板)
「当椙森神社は、遠く一千年の昔、未だ江戸が武蔵野の原といはれた時代の創建です。
 江戸時代には、江戸三森の一つであり、又、江戸商人の発祥の地としても栄えて来ましたが、神社が街の中心にあるため、江戸三富の一つにも数えられる程数多くの富籤が興行された事が記録に残されています。
 この富興行は、江戸庶民の楽しみの一つであり、庶民の泣き笑いが今に思い浮かべることができます。この富塚は庶民の心の記念として大正九年に建立されましたが、関東大震災に依って、倒壊してしまいました。その後、富塚の話を知った氏子の人々は有志を募って、昭和二十八年十一月に再建されたのがこの富塚です。
 この富塚は、他に類を見ないと言はれ、日本で唯一の物です。今日では、宝くじの元祖として多くの人々が、心中祈願をしている様です。」

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<富塚祈願祭>

 「九月二日(くじの日)十時三分(とみ)
  富塚祈願祭」

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<社殿> 中央区文化財

 現在の社殿は昭和6(1931)年に耐震構造の鉄筋造りで再建されました。社殿のほか、神楽殿・神輿庫・社務所・手水舎・玉垣・鳥居・社号標が整備されました。天水桶は、昭和56(1981)年5月の奉納です。

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<社務所>

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 絵馬は縁起三昧です。

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<神輿庫>

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<神楽殿>

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