谷崎潤一郎まとめ
谷崎潤一郎まとめ
谷崎潤一郎肖像(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
明治19(1888)年7月24日〜昭和40(1965)年7月30日
代表作:「刺青」「痴人の愛」「卍」「春琴抄」「鍵」「細雪」




○谷崎潤一郎生誕の地 中央区日本橋人形町1-7-10
谷崎潤一郎は日本橋区蠣殻町2丁目14番地(現在地)で祖父経営の谷崎活版所で生まれました。

碑文には「松子書」とあり、谷崎潤一郎の3人目で最後の妻、随筆家の谷崎松子(1903年9月24日〜1991年2月1日)による書です。
(碑文)
「谷崎潤一郎生誕の地
1886ー1965
元東京市日本橋區蠣殻町二丁目十四番地
松子書」

(説明板)
「谷崎潤一郎生誕の地
所在地 中央区日本橋人形町一‐七‐十
谷崎潤一郎(一八八六〜一九六五)は、明治十九年七月二十四日、この地にあった祖父経営の谷崎活版所で生まれました。
同二十五年、阪本尋常高等小学校に入学しました。その後、父の事業の失敗により、近くを転々としました。若くて文学にすぐれ、東京帝国大学国文科を家庭の事情で中退したのち、第二次『新思潮』の同人となり、『刺青』『少年』など耽美と背徳の世界を華麗に描いて、文学界で名を成しました。
のち、日本的な伝統美に傾倒し、『蓼喰ふ虫』『春琴抄』『細雪』『少将滋幹の母』などを遺しています。この間、昭和十二年、芸術会員に推され、同二十四年には文化勲章を受章していました。
平成七年三月 中央区教育委員会」

○谷崎潤一郎「幼少時代」 「鎧橋」(中央区日本橋小網町)
左岸下流に説明板「鎧橋」があります。谷崎潤一郎「幼少時代」の一部が紹介されています。
「鎧橋の欄干に顔を押しつけて、水の流れを見つめていると、この橋が動いているように見える・・・・・
私は、渋沢邸のお伽のような建物を、いつも不思議な気持ちで飽かず見入ったものである・・・・・
対岸の小網町には、土蔵の白壁が幾棟となく並んでいる。このあたりは、石版刷りの西洋風景画のように日本離れした空気をただよわせている。」



○永井荷風の筆塚と詩碑(谷崎潤一郎らが建立) 浄閑寺 荒川区南千住2-1-12
浄閑寺に眠りたいという荷風の願いに応えようと、荷風没後4周年の昭和38(1963)年、谷崎潤一郎を初めとする42人によって、永井荷風の筆塚と詩碑が建てられました。

(碑文)
「明治・大正・昭和三代にわたり詩人・小説家・文明批評家として荷風永井壮吉が日本藝林に遺した業績は故人歿後益々光を加へその高風亦ようやく弘く世人の仰ぐところとなった 谷崎潤一郎を初めとする吾等後輩四十二人故人追慕の情に堪へず故人が生前「娼妓の墓亂れ倒れ」(故人の昭和十ニ年六月二十ニ日の日記中の言葉)てゐるのを悦んで屡く杖を曳いたこの境内を選び故人ゆかりの品を埋めて荷風碑を建てた
荷風死去四周年の命日
昭和三十八年四月三十日 荷風碑建立委員會」

○谷崎潤一郎と塩原温泉 栃木県那須塩原市
谷崎潤一郎は、大正10年(36歳)の夏から秋にかけて約1ヶ月間、門前の七絃の滝のほとりにあった宮本ウメ宅の2階に逗留しました。
その後、昭和32年(72歳)8月、幼少からの親友、笹沼源之助の別荘(塩釜)を訪ねました。この折、宮本家を訪れ、36年ぶりに再開したウメさんに旧恩を謝し、熱海市伊豆山に帰られてから、ウメさんの長寿と再開を祝し、これらの歌を寄せたといいます。
建碑は昭和58年晩秋、ウメさんの孫、宮本善夫氏(元西那須野町長)です。
歌碑 妙雲寺
「七絃の滝のしらべを友として 八十路の媼こゑもさやけし」
「七絃の滝のほとりに年をへて おうなの白髪いよよ長かれ」

※妙雲寺境内は、立ち入り禁止区域にあるので、旧塩原商工会のサイトの残骸に見ることができます。
歌碑 ホテルニュー塩原駐車場
「七絃の滝のしらべを友として 八十路の媼こゑもさやけし」

(参考)七絃の滝
「七絃の滝」は、ホテルニュー塩原の真下から箒川に流れ落ちている滝で、七弦の琴を立てかけたように見えることからその名前がついています。極寒期には氷瀑が見事です。絃とは楽器の糸のことをいい、転じて夫婦の情愛を指す七絃には、七度生まれ変わっても添い遂げるといういわれがあり、また、人に七度願いをかなえる強運をもたらす結びの糸になるといいます。


〇湘碧山房 神奈川県湯河原町吉浜1895-104
谷崎潤一郎は、湯河原町吉浜の有賀精の宅地の一画を購入し、湘碧山房を建て移り住みました(昭和39(1964)年)。谷崎潤一郎関係の展示は特にはありません。
湘碧山房の近くには、湘竹居(松子婦人が住んでいた所)、あるが(廃業)、真珠荘跡があります。





○谷崎潤一郎の墓 慈眼寺 豊島区巣鴨5-35-33
谷崎潤一郎は、かつての論争相手だった芥川龍之介も眠る慈眼寺の谷崎家代々墓地に分骨されています。
「安楽寿院功誉文林徳潤居士」とあります。 最後に「妻松子誌」とあります。



谷崎潤一郎肖像(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
明治19(1888)年7月24日〜昭和40(1965)年7月30日
代表作:「刺青」「痴人の愛」「卍」「春琴抄」「鍵」「細雪」




○谷崎潤一郎生誕の地 中央区日本橋人形町1-7-10
谷崎潤一郎は日本橋区蠣殻町2丁目14番地(現在地)で祖父経営の谷崎活版所で生まれました。

碑文には「松子書」とあり、谷崎潤一郎の3人目で最後の妻、随筆家の谷崎松子(1903年9月24日〜1991年2月1日)による書です。
(碑文)
「谷崎潤一郎生誕の地
1886ー1965
元東京市日本橋區蠣殻町二丁目十四番地
松子書」

(説明板)
「谷崎潤一郎生誕の地
所在地 中央区日本橋人形町一‐七‐十
谷崎潤一郎(一八八六〜一九六五)は、明治十九年七月二十四日、この地にあった祖父経営の谷崎活版所で生まれました。
同二十五年、阪本尋常高等小学校に入学しました。その後、父の事業の失敗により、近くを転々としました。若くて文学にすぐれ、東京帝国大学国文科を家庭の事情で中退したのち、第二次『新思潮』の同人となり、『刺青』『少年』など耽美と背徳の世界を華麗に描いて、文学界で名を成しました。
のち、日本的な伝統美に傾倒し、『蓼喰ふ虫』『春琴抄』『細雪』『少将滋幹の母』などを遺しています。この間、昭和十二年、芸術会員に推され、同二十四年には文化勲章を受章していました。
平成七年三月 中央区教育委員会」

○谷崎潤一郎「幼少時代」 「鎧橋」(中央区日本橋小網町)
左岸下流に説明板「鎧橋」があります。谷崎潤一郎「幼少時代」の一部が紹介されています。
「鎧橋の欄干に顔を押しつけて、水の流れを見つめていると、この橋が動いているように見える・・・・・
私は、渋沢邸のお伽のような建物を、いつも不思議な気持ちで飽かず見入ったものである・・・・・
対岸の小網町には、土蔵の白壁が幾棟となく並んでいる。このあたりは、石版刷りの西洋風景画のように日本離れした空気をただよわせている。」



○永井荷風の筆塚と詩碑(谷崎潤一郎らが建立) 浄閑寺 荒川区南千住2-1-12
浄閑寺に眠りたいという荷風の願いに応えようと、荷風没後4周年の昭和38(1963)年、谷崎潤一郎を初めとする42人によって、永井荷風の筆塚と詩碑が建てられました。

(碑文)
「明治・大正・昭和三代にわたり詩人・小説家・文明批評家として荷風永井壮吉が日本藝林に遺した業績は故人歿後益々光を加へその高風亦ようやく弘く世人の仰ぐところとなった 谷崎潤一郎を初めとする吾等後輩四十二人故人追慕の情に堪へず故人が生前「娼妓の墓亂れ倒れ」(故人の昭和十ニ年六月二十ニ日の日記中の言葉)てゐるのを悦んで屡く杖を曳いたこの境内を選び故人ゆかりの品を埋めて荷風碑を建てた
荷風死去四周年の命日
昭和三十八年四月三十日 荷風碑建立委員會」

○谷崎潤一郎と塩原温泉 栃木県那須塩原市
谷崎潤一郎は、大正10年(36歳)の夏から秋にかけて約1ヶ月間、門前の七絃の滝のほとりにあった宮本ウメ宅の2階に逗留しました。
その後、昭和32年(72歳)8月、幼少からの親友、笹沼源之助の別荘(塩釜)を訪ねました。この折、宮本家を訪れ、36年ぶりに再開したウメさんに旧恩を謝し、熱海市伊豆山に帰られてから、ウメさんの長寿と再開を祝し、これらの歌を寄せたといいます。
建碑は昭和58年晩秋、ウメさんの孫、宮本善夫氏(元西那須野町長)です。
歌碑 妙雲寺
「七絃の滝のしらべを友として 八十路の媼こゑもさやけし」
「七絃の滝のほとりに年をへて おうなの白髪いよよ長かれ」

※妙雲寺境内は、立ち入り禁止区域にあるので、旧塩原商工会のサイトの残骸に見ることができます。
歌碑 ホテルニュー塩原駐車場
「七絃の滝のしらべを友として 八十路の媼こゑもさやけし」

(参考)七絃の滝
「七絃の滝」は、ホテルニュー塩原の真下から箒川に流れ落ちている滝で、七弦の琴を立てかけたように見えることからその名前がついています。極寒期には氷瀑が見事です。絃とは楽器の糸のことをいい、転じて夫婦の情愛を指す七絃には、七度生まれ変わっても添い遂げるといういわれがあり、また、人に七度願いをかなえる強運をもたらす結びの糸になるといいます。


〇湘碧山房 神奈川県湯河原町吉浜1895-104
谷崎潤一郎は、湯河原町吉浜の有賀精の宅地の一画を購入し、湘碧山房を建て移り住みました(昭和39(1964)年)。谷崎潤一郎関係の展示は特にはありません。
湘碧山房の近くには、湘竹居(松子婦人が住んでいた所)、あるが(廃業)、真珠荘跡があります。





○谷崎潤一郎の墓 慈眼寺 豊島区巣鴨5-35-33
谷崎潤一郎は、かつての論争相手だった芥川龍之介も眠る慈眼寺の谷崎家代々墓地に分骨されています。
「安楽寿院功誉文林徳潤居士」とあります。 最後に「妻松子誌」とあります。



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