上谷塚神明神社

○上谷塚神明神社 草加市谷塚上町231-1

 谷塚村が上下谷塚村に分村する以前から鎮座していたといい、分村後は上谷塚村の鎮守社です。境内には「谷塚上町会館」と「谷塚上町児童遊園」があります。草加神社の兼務社です。

<参道標柱>

 安行街道に面して標柱「神明宮参道」があります。参道はこの先で北に直角に曲がります。

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<参道>

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<八紘一宇>

 掲揚台に「八紘一宇」と刻まれています。太平洋戦争中、日本の海外進出を正当化するために用いられた標語で、GHQは公文書での使用を禁じた言葉です。他所でも度々見かけます、7か所目です(タグあり)。

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 裏面「昭和十七年五月二十六日建之」

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<再建記念碑>

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<石燈籠>

 昭和5(1930)年奉納の三つ穴石燈籠です。

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<社殿>

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tag : 安行街道八紘一宇

東沼神社 (見沼富士) 見沼代用水

○東沼神社 川口市差間2-15-45

 かつては、旧差間村の鎮守の「浅間神社」です。明治41(1908)年に近隣の7社を合祀し「東沼神社」に改称。平成23(2011)年には、富士塚の修繕工事が行われ、見沼富士が復元されました。
 かつて東沼神社の浦和市大字大門に接する東側一帯の川口市差間1丁目及び2丁目は、広大な沼地で家は一軒もありませんでした。昭和50年代に沼が埋立てられ宅地化されました。住所地「川口市大字差間字沼内」や、東沼神社の神社名にかつて沼があったことを示しています。注意事項の掲示が多い神社となってしまい、差間の新住民との関係が密ではないように感じます。

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 参道中央の掲示
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 鳥居中央の掲示
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(説明板)
「東沼神社 鎮座地 川口市差間一二六四
一、創立 不詳
二、祭神 木花咲耶姫命(安産・子育て・縁結びの神)
  素戔嗚尊(厄除・災難除去の神)
  倉稲魂命(農・工・商繁栄の神)
  菅原道真公(知識・学問の神)
三、由緒
●木花咲耶姫命を奉斎した浅間神社として天正元年(一五七三年) 以前に創立される
●明治四十年五月二十九日、差間村の菅原社・稲荷社、間宮村の大白天社・氷川社北原村の稲荷社、行衛の稲荷社・天津社の合社により社名を東沼神社と改称される
●明治四十四年十一月二日 大門村社 神饌幣帛共進神社に指定される
●昭和二十七年三月一日 宗教法人東沼神社として神社本庁に所属する
●昭和五十九年五月三日 第四期神社振興対策モデル神社に神社本庁より指定される
●昭和六十二年三月二十九日現社殿竣工により遷座祭 五月三十一日竣工奉祝祭が施行される
四、境内社 御嶽社・木花咲耶姫命の父大山祇命を祭る
五、祭儀
  大祭十月八日・中祭七月一日・小祭一月一日
  その他 月次祭・祝月祭」

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<見沼富士>

 平成23(2011)年に、富士塚の修繕工事が行われ、見沼富士が復元されました。

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(説明板)
「悠仁様御誕生記念 富士山復元
「見沼の東に富士山あり」
 いつ頃富士山が造営されたか定かではないが、天保十一年の絵馬に富士山が描かれている。
 風雨により崩れた富士塚を五百分の一の富士の山に復元した。
 霊験あらたかなる富士山信仰の先達、扶桑教丸岩一信講大教正は、五十三度ここから歩いて富士吉田口より富士山登頂を成し遂げた。総勢二十人から二百人程 先人の足跡を記す。
 近隣川口市、さいたま市、越谷市、草加市で唯一の富士山であり、頂上からは富士山、秩父連山を望み、日の出を拝むことができる。
 永久に美しい富士山である。
 標高八米 裾野三十米
   奉納(宮司)鯨井幸寿
   施行(株)修和(代)染谷修
  (第三代宮司)鯨井幸典 記
  平成二十三年七月一日
  杜深き東沼神社あれかしこ 守り幸わふ見沼の富士よ」

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 登山道入口

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 見沼用水側に富士塚の登山道があります。一号目と三合目の号目石が見えます。登山禁止の掲示があるので詳細不詳。

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 登ることができる登山道にある「七号目」「八号目」の号目石です。

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 山頂 浅間社の石祠と「浅間大神」

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<力石>

 力石が三基置かれています。

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(説明板)
「力石(大磐石)
 江戸時代・明治・大正・昭和の初めにかけては、村祭りには相撲と力くらべが盛んでした。
 右の石は今から二、三百年前に氏子が奉納し、力くらべをして楽しんだ石です。
 左の石は当町七〇三番地に生まれた森田豊三氏(明治三十二年一月死去)が若い頃川口市峯八幡神社での力くらべで持ち上げ東沼神社に運んで来て奉納した石です。土に埋まっていたものを見つけてここに復元しました。
   昭和五十九年十一月吉日  東沼神社 宮司」

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<裏参道>

 見沼用水東縁に面した裏参道側の赤鳥居です。

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○見沼代用水東縁 差間橋 川口市差間2丁目

 東沼神社裏の赤鳥居は、見沼代用水東縁に面しています。見沼代用水東縁に架かる「差間橋」です。

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 上流
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 下流
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tag : 富士塚力石見沼代用水

峯ヶ岡八幡神社

○峯ヶ岡八幡神社 川口市峯1304 HP

 増田橋「正八幡宮道標」(足立区郷土資料館にて保存)に導かれて、峯ヶ岡八幡神社へ参拝。
 当社は、谷古田領にあったため「谷古田八幡宮」とも呼ばれていました。谷古田領は、鎌倉の「鶴岡八幡宮」の社領でした。


「新編武蔵風土記稿 八幡社図」

 元禄10(1697)年に建造された本殿や、御神木の大銀杏が見えます。

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<正八幡宮道標>

 増田橋の「正八幡宮道標」について、こちらで記載。道標には是より一里とありますが、google徒歩検索だと5.9kmあります。

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「江戸近郊道しるべ」(村尾嘉陵)

 村尾嘉陵は文政2(1819)年に谷古田八幡宮を参詣しています。
 略図には千住→竹の塚→保木間→八束(谷塚)→柳島→谷古田が見えます。

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<参道入口>

 県道34号に面した参道入口です。「参道鳥居建設記念碑 昭和63年2月吉日」があります。鳥居は東日本大震災の被害で撤去されています。

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<弁天池/弁天堂>

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<石燈籠参道>

 参道の両脇には石燈籠がずらりと並び壮観です。

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<両部鳥居/狛犬>

 平成20(2008)年に奉納された両部鳥居です。

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 狛犬は明治2(1869)年の奉納です。

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<山崎健吉氏之像>

 参道左手にあります。経歴板がないので、詳細不詳。

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<峯八幡公園>

 参道左手奥には、「峯八幡公園」があります。

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<手水鉢>

 参道右手にある元文5(1740)年銘の手水鉢です。

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<須賀社(牛頭天王)>

 手水鉢の先に「須賀社(牛頭天王)」があります。

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<峯ヶ岡八幡神社>

(説明板)
「峯ヶ岡八幡神社
   所在地 川口市大字峯
 峯ヶ岡八幡神社は、平安時代の天慶年間(九三八〜九四七)に源経基の創建と伝えられ、かつては足立群谷古田領三カ村(川口市新郷、安行の一部及び草加市の一部)総鎮守に列せられた由緒ある神社である。
 ご神体の木造僧形坐像は、檜材寄せ木造りで、木造のしとね(敷物)の上に坐し、袈裟をかけ、左手に経巻、右手に錫杖を持った高さ二十四センチメートル、肩幅十二センチの像で、胎内をえぐり頭部ははめ込みの方法をとった鎌倉時代後期のすぐれた木造彫刻である。胎内には、造像時の願文や経文等の三十六点が納められている。
 胎内願文は、弘安五年(一二八二)七月二十三日に書かれたもので、「なもはちまんたいほさつ こんしゃうあんをん らいしゃうかならずみちひかせたまえ 弘安五年七月二十三日 清原光兼」(大きさ縦十二センチメートル、横六センチメートル)とあるように、小紙片に子孫繁栄、病気全快、現世安穏、往生極楽等切実な願いを記したものが多い。いづれも当時の人々の安穏な生活を願う姿を偲ばせるもので、人々の心を知る貴重な資料である。
  昭和五十八年三月  埼玉県」

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<日中戦争 太平洋戦争 戦没者慰霊碑>

 平成3(1991)年12月の建立です。

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<御嶽社>

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<川口市教育委員会説明板>

(説明板)
「埼玉県指定有形文化財
 木造僧形八幡坐像(付 紙本墨書造像願文等三十七点)
               (昭和39年3月27日指定)
 この像は、当神社の神体として安置されています。像は応神天皇の霊といわれる『八幡神』が仏(菩薩)の姿に表現されたもので、八幡大菩薩とも呼ばれます。このような仏の姿の神像は、奈良時代から神と仏は同じもので、神は仏が姿を変えてあらわれたとする考えが生まれ、以後そのような説が広められたことにより造られました。像は2枚の檜材の寄木造りで、札盤型台座の上に袈裟を掛け、左手に経巻、右手に錫杖を持って座しています。像・台座・光背は漆による彩色が施され、頭部ははめ込みとなっています。鎌倉時代後期の優れた木造彫刻です。また、胎内には造像時のものと思われる願文など37点の文書が納められていました。」

「峯ヶ岡八幡神社建立の歴史的背景
 平安時代末、武蔵の国司には源経基や義家など、当時勢力おあった家柄の者が多く派遣されていましたが、次第に地元荘園領主たちは源氏に土地を寄進したりして主従関係を結ぶようになりました。このようにして勢力を拡張した源氏は、東国各地に氏の氏守である八幡神社を建立し、主従関係にあるものを氏子として寄らしめました。当神社もその一つで、社伝によると、天慶年間
(938~947)に源経基が建立したとあります。
経基は相次ぐ戦乱のおり、同社に詣で戦勝を祈願したと伝えられています。
 治承4年(1180)、源頼朝は兵士を打つため伊豆に挙兵、当時奥州藤原氏のもとにいた弟義経も兄の挙兵に参加するため鎌倉へと赴きました。途中、“こかわぐち”(現在の川口)の渡しで兵をあらためたことが『義経記』には記されています。
 鎌倉幕府成立後は、以前からの体制である知行国・荘園制度を温存させながら、新たに御家人を守護・地頭としてこれら勢力に割り込ませることにより、幕府と御家人の主従関係を強めていきました。かつては、足立郡谷古田領32ヶ村(新郷・安行の一部及び草加市の一部)の総鎮守でした。」

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<飯田先考之碑>

 駐車場に、昭和9年建立の「飯田先考之碑」が建っています。教育者のようです。

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<神門>

 神門と神門から振り返った参道です。

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<玉杦(たますぎ)霊神>

 明治12(1879)年の奉納。

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<峯ヶ岡八幡神社 御由緒>

(説明板)
「峯ヶ岡八幡神社 御由緒
   川口市大字峯一三○四
 御縁起(歴史)
 峯ヶ岡八幡神社は、平安時代朱雀天皇の治世にあたる天慶年間(九三八ー九四七)に清和源氏の祖、源経基の創建と伝えられ、足立郡谷古田領三十二ヶ村(川口市新郷地区・安行地区の一部・草加市西部)の総鎮守に列せられた源氏ゆかりの神社です。源経基は、天慶年間に平将門が下総国岩井で乱を起こしたとき、将門追討の勅命を受け、武蔵国で幾度と合戦し、合戦中に度々奇瑞霊夢を受けついに将門を滅ぼしました。その霊夢の告により、この峯の地に八幡宮を一社造建したのが谷古田八幡宮であり現在の峯ヶ岡八幡神社とされています。数々の源氏の武将に崇敬が篤く前九年の役(一○五一ー一○六二 奥州安倍氏の乱)の際には、源頼義、義家父子が必勝祈願をし、又後三年の役(一○八三ー一○八七奥州清原氏の乱)の際にも源義家・義光の兄弟が必勝を祈願しています。特に義光が必勝祈願をした時には、ご神木の大銀杏より二羽の鳩が現われ、金の幣帛となり奥州の地の方へ飛び去りました。そして義光の合戦の度にその金の幣帛が現れ、義光は合戦すべてに勝利したという大銀杏伝説が残っています。
 (以下略)」

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<御神木の大銀杏>

 峯ヶ岡八幡神社の境内、本殿に向かって右側に、推定樹齢700年の大きな銀杏の古木があります。気根も見えます。
 この大銀杏は、当社に参詣した若狭の八百比丘尼がひと休みした後に置き忘れていった杖が根付いて成長したと伝えられています。また、この大銀杏に新羅三郎義光が必勝祈願したと伝えられています。

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<力石>

 大銀杏の根元に、15個の力石があります。石燈籠の基台も混じっています。江戸随一の力持ちといわれた三ノ宮卯之助の力石もあります。

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 「三ノ宮宇之助」の刻字が見えます。
 「指石三十五メ目 三ノ宮宇之助 當村常次郎 當村石工千代吉」

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 60貫目(225kg)、50貫目(187.5kg)、30貫目(112.5kg)等々の力石。

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<八幡神社の社叢>

(説明板)
「川口市指定天然記念物
 峯ヶ岡八幡神社の社叢
  (昭和51年2月19日指定)
 この神社の森は、シイ.シラカシ.タブノキなどの大木が多く、川口の自然植生である照葉樹林のおもかげを濃く残している社叢です。
 境内にあるケヤキ.シイ.タラヨウ.イチョウは、市の保存樹木にも指定されており、この他にムクノキ.スギなどの大木もあります。特に、社殿右手にあるイチョウは、目通り(地上より1.5mの高さの樹周)8m、推定樹齢600年という県内有数の巨木です。また、大木の幹にはノキシノブが着生し、林内には、ムラサキシキブ.ガマズミ等の低木やベニシダ.ヤブミョウガ.ノブキなどの草本が成育しています。
 この社叢は、峯ケ岡八幡神社の歴史的意味も含めて、川口の本来の自然を伝えるものとして保存的価値が高いと思われます。
  川口市教育委員会」

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<拝殿・本殿>

 本殿は、元禄10(1697)年の再建です。

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<社務所>

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<日枝社・神明社・白山社>

 社殿右手の奥に「日枝社・神明社・白山社」

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<諏訪社>

 社殿左手の奥に「諏訪社」

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<稲荷社>

 社務所脇に「稲荷社」

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<石造物>

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大川戸神明社 慶安2(1649)年の庚申塔

〇大川戸神明社  松伏町大川戸308

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<慶安の庚申塔>

 右手に慶安2(1649)年造立の庚申板碑があります。

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<供養塔>

 小堂の周囲に、普門品万部供養、庚申待供養塔など、色々。
 庚申塔は色々なパターンがあり、文字だけの「不言聞見」パターンもあります。

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<古峰神社/三峰神社>
  
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<富士塚>

 富士塚の山頂には「浅間大神」碑があります。

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<小祠>

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<大川戸分校跡地>

 神明社の隣は、大川戸分校跡地となっています。

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tag : 庚申板碑富士塚

常楽寺 元和9(1623)年の庚申塔

〇常楽寺 三郷市戸ヶ崎2201

 元和9(1623)年銘の庚申供養板碑を見に、常楽寺へ行きました。
 武蔵国三十三ヶ所霊場14番、新四国四箇領八十八ヵ所霊場37番です。

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<観音堂>

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<山王廿一社文字塔>

 元和9(1623)年銘の庚申供養板碑です。
 埼玉県で、一般に見ることができる一番古い庚申供養板碑かと思います
 左から2番目の板碑です。

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<庚申供養塔>

 山門脇に、庚申供養塔が数基あります。

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<その他>

 由縁わからない墓。

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