六阿弥陀道標(足立区立郷土博物館)
六阿弥陀道標・弘法大師道道標
○足立区立郷土博物館 足立区大谷田5-20-1 03-3620-9393 HP
屋外展示に道標が集められているので、六阿弥陀道標と弘法大師道道標を確認しに訪問しました。以前の訪問時から変わって、フェンスで囲まれています。近寄って確認できなくなりました。耐震上、覆屋根に問題があるのでしょうかね。
今回

以前

<六阿弥陀道標>
元禄4(1691)年銘の六阿弥陀道標です。
(正面)「六阿弥陀佛」
(同左下)「是より左江□□」

(解説板)
「六阿弥陀道標
足立姫の悲話にまつわる六阿弥陀詣は江戸時代さかんであった。六か寺を巡拝する道を六阿弥陀道と呼び、辻々にこのような道標が建てられていた。正面に「六阿弥陀佛、是より左江□□」側面に「元禄四辛未年、九月九日」とある。」

<弘法大師道道標>


左は、寛政8(1796)年銘の弘法大師道道標です。
(正面)「弘法大師道」
(同右端)「左り 西阿ら井、是?大使江まいり 本宿まで一里十二丁」
(同左下)「(不詳)是より十八丁」
(解説板)
「その昔、岩渕領豊島村(現北区)の通称天狗の鼻といわれた地点から荒川を渡り下沼田村(現足立区)に通ずる「阿弥陀の渡し」があって、この渡し場から荒川土手を越えると西新井大師に行く道がのびていた。この道標は、その道の入口(現江北二丁目9番先)に建てられていた。「弘法大師道」「左西阿ら井、是より大師まいり、本宿まで一里十二丁」、側面「不詳是より十八丁、願
主、江戸浅草駒形町 相模屋喜兵治 大和屋清左衛門 同材木町 竹屋甚兵衛 石屋又右衛門」「寛政八丙辰年(1796)二月吉日」とある。」

右は、寛政8(1796)年銘の弘法大師道道標です。
(正面)「弘法大師道」
(同右上)「左り 西阿ら井」
(解説板)
「弘法大師道道標
土地区画整理に伴い、区中央図書館に持ち込まれた道標。「左り西阿ら井」「浅草駒形町 川島屋惣兵衛」「寛政八丙辰年二月吉日」とあり、左の道標と同時に建てられているのがわかる。」

<その他>
力石と指し石が六個集められています。

(参考)前々回の訪問(屋外展示) 前回の訪問(やっちゃば展示)
○足立区立郷土博物館 足立区大谷田5-20-1 03-3620-9393 HP
屋外展示に道標が集められているので、六阿弥陀道標と弘法大師道道標を確認しに訪問しました。以前の訪問時から変わって、フェンスで囲まれています。近寄って確認できなくなりました。耐震上、覆屋根に問題があるのでしょうかね。
今回

以前

<六阿弥陀道標>
元禄4(1691)年銘の六阿弥陀道標です。
(正面)「六阿弥陀佛」
(同左下)「是より左江□□」

(解説板)
「六阿弥陀道標
足立姫の悲話にまつわる六阿弥陀詣は江戸時代さかんであった。六か寺を巡拝する道を六阿弥陀道と呼び、辻々にこのような道標が建てられていた。正面に「六阿弥陀佛、是より左江□□」側面に「元禄四辛未年、九月九日」とある。」

<弘法大師道道標>


左は、寛政8(1796)年銘の弘法大師道道標です。
(正面)「弘法大師道」
(同右端)「左り 西阿ら井、是?大使江まいり 本宿まで一里十二丁」
(同左下)「(不詳)是より十八丁」
(解説板)
「その昔、岩渕領豊島村(現北区)の通称天狗の鼻といわれた地点から荒川を渡り下沼田村(現足立区)に通ずる「阿弥陀の渡し」があって、この渡し場から荒川土手を越えると西新井大師に行く道がのびていた。この道標は、その道の入口(現江北二丁目9番先)に建てられていた。「弘法大師道」「左西阿ら井、是より大師まいり、本宿まで一里十二丁」、側面「不詳是より十八丁、願
主、江戸浅草駒形町 相模屋喜兵治 大和屋清左衛門 同材木町 竹屋甚兵衛 石屋又右衛門」「寛政八丙辰年(1796)二月吉日」とある。」

右は、寛政8(1796)年銘の弘法大師道道標です。
(正面)「弘法大師道」
(同右上)「左り 西阿ら井」
(解説板)
「弘法大師道道標
土地区画整理に伴い、区中央図書館に持ち込まれた道標。「左り西阿ら井」「浅草駒形町 川島屋惣兵衛」「寛政八丙辰年二月吉日」とあり、左の道標と同時に建てられているのがわかる。」

<その他>
力石と指し石が六個集められています。

(参考)前々回の訪問(屋外展示) 前回の訪問(やっちゃば展示)
テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
tag : 六阿弥陀
六阿弥陀詣 道標(日光街道)
○宝持院 草加市谷塚町1051 HP
武蔵国八十八ヶ所霊場第六番、谷塚小学校発祥の地です。出羽三山供養塔と六阿弥陀道標を見てきました。山門の瓢箪から駒が次から次へと出てくる彫刻が印象的でした。
<山門/瓢箪から駒が出る>
参道に大きな寺号標「長久山寶持院」 、山門には、躍動的で精緻な馬が彫られています。右手の男が持つ瓢箪から駒が出ています。1頭だけではなく、馬、馬、馬!




<忠魂碑>
参道左手に、大正14(1925)年銘の忠魂碑があります。
(碑面)「忠魂碑 元帥伯爵大山巖書」
(裏面)「帝國在郷軍人會谷塚村分會 大正十四年三月」


<六地蔵尊/いぼ地蔵尊>
参道右手に「六地蔵尊」と、享保11(1726)年銘の「いぼ地蔵尊」がおられます。




<谷塚小学校発祥の地>
谷塚小学校は、明治6年(1873)に「下谷塚小学校」として宝持院で開校しています。

<左手のお堂>

<本堂>

<無縁塔>

<石塔群>
墓地の横に、墓地を背に石塔群が建っています。





<庚申塔六阿弥陀道道標>
一番左は、安永2(1773)年銘の庚申塔六阿弥陀道道標です。道標としては、定番の大師道はなく、六阿弥陀道のみを示し、六阿弥陀詣がさかんだったことが伺えます。
(正面) 青面金剛立像
(左側面)「六阿弥陀道 左」「下谷塚村講中」
(右側面)「安永二癸巳星十一月 奉建立青面金剛之像」






<庚申塔>
左から二基目は、寛文3(1663)年銘の庚申塔です。中央に三猿です。





<不動尊像>
左から三基目は、宝暦9(1759)年銘の不動明王坐像です。



<庚申塔>
左から四基目は、正徳2(1712)年銘の庚申塔です。



<出羽三山供養塔>
左から五基目は、文久2(1862)年銘(推測)の出羽三山供養塔です。

(正面)「月山湯殿山羽黒山 三所大権現」



(台石)「講中」

(右側面)「天下泰平 國家安穏 五穀豊登 萬民快楽」
「武州国足立郡谷古田領下谷塚村」




(左側面) 紀年がありますが、よく読めない、「文久□壬戌年」から、文久2年と推測。大先達は大乗院。

<普門品供養塔/札所標石>
六基目は、文政3(1820)年銘の普門品供養塔で、札所標石を兼ねています。札所標石は一般的に山門近辺にあるのが普通ですが、ここにあるということは廃れたのでしょうね。
(左側面)「四國八十八箇所第六番写 宝持院」
武蔵国八十八ヶ所霊場の第六番で、標石となっています。




<石碑>
最後の七基目は、わかりません。
武蔵国八十八ヶ所霊場第六番、谷塚小学校発祥の地です。出羽三山供養塔と六阿弥陀道標を見てきました。山門の瓢箪から駒が次から次へと出てくる彫刻が印象的でした。
<山門/瓢箪から駒が出る>
参道に大きな寺号標「長久山寶持院」 、山門には、躍動的で精緻な馬が彫られています。右手の男が持つ瓢箪から駒が出ています。1頭だけではなく、馬、馬、馬!




<忠魂碑>
参道左手に、大正14(1925)年銘の忠魂碑があります。
(碑面)「忠魂碑 元帥伯爵大山巖書」
(裏面)「帝國在郷軍人會谷塚村分會 大正十四年三月」


<六地蔵尊/いぼ地蔵尊>
参道右手に「六地蔵尊」と、享保11(1726)年銘の「いぼ地蔵尊」がおられます。




<谷塚小学校発祥の地>
谷塚小学校は、明治6年(1873)に「下谷塚小学校」として宝持院で開校しています。

<左手のお堂>

<本堂>

<無縁塔>

<石塔群>
墓地の横に、墓地を背に石塔群が建っています。





<庚申塔六阿弥陀道道標>
一番左は、安永2(1773)年銘の庚申塔六阿弥陀道道標です。道標としては、定番の大師道はなく、六阿弥陀道のみを示し、六阿弥陀詣がさかんだったことが伺えます。
(正面) 青面金剛立像
(左側面)「六阿弥陀道 左」「下谷塚村講中」
(右側面)「安永二癸巳星十一月 奉建立青面金剛之像」






<庚申塔>
左から二基目は、寛文3(1663)年銘の庚申塔です。中央に三猿です。





<不動尊像>
左から三基目は、宝暦9(1759)年銘の不動明王坐像です。



<庚申塔>
左から四基目は、正徳2(1712)年銘の庚申塔です。



<出羽三山供養塔>
左から五基目は、文久2(1862)年銘(推測)の出羽三山供養塔です。

(正面)「月山湯殿山羽黒山 三所大権現」



(台石)「講中」

(右側面)「天下泰平 國家安穏 五穀豊登 萬民快楽」
「武州国足立郡谷古田領下谷塚村」




(左側面) 紀年がありますが、よく読めない、「文久□壬戌年」から、文久2年と推測。大先達は大乗院。

<普門品供養塔/札所標石>
六基目は、文政3(1820)年銘の普門品供養塔で、札所標石を兼ねています。札所標石は一般的に山門近辺にあるのが普通ですが、ここにあるということは廃れたのでしょうね。
(左側面)「四國八十八箇所第六番写 宝持院」
武蔵国八十八ヶ所霊場の第六番で、標石となっています。




<石碑>
最後の七基目は、わかりません。

六阿弥陀詣 道標(下妻道)
○宝幢寺松之木墓苑 八潮市緑町3-18-2
宝幢寺(ほうどうじ)は、吉祥院(足立区本木)の末寺だった寺です。墓地が離れたところにあり、出羽三山等供養塔や、六阿弥陀道標など石塔が色々とあります。現在宝幢寺が存するのは江戸時代は鶴ケ曾根村で、墓地が存するのは松之木村です。
<松之木墓苑/札所碑>
山門脇に石塔がありますが、植栽に隠れて上しか文字が見えません。「新四國〜」とあるので、新四国四箇領八十八ヶ所霊場68番の札所碑かと思います。



松之木墓苑の裏にも門があります。

<六地蔵>
墓苑に入ってすぐ右手に六地蔵家屋があります。家屋は昭和57(1982)年の新築です。享保7(1722)年銘の六地蔵です。「武州埼玉郡八条領松木村」の銘があります。





「馬頭観世音」「妙法水神」
六地蔵家屋手前右手に、「馬頭観世音」「妙法水神」(大正15年)があります。

<普門品供養塔>
六地蔵家屋手前左手にある弘化2(1845)年銘の普門品供養塔です。
右側面「天下泰平 国土安全」



【石塔三基】
通路左手植栽に、石塔が三基あります。


<出羽三山等供養塔>
出羽三山の他、多数の霊山が刻まれています。明治時代の造立なので、羽黒山、月山、湯殿山の順に並んでいます。
「富士山 羽黒山 月山 湯殿山 立山 白山」
「奉 四國西國秩父坂東 伊勢両宮嶽□欠落」
「天下泰平 家内安全 以下欠落」
「明治三十五年」




<庚申塔>
寛政12(1800)年銘の庚申塔です。「武州埼玉郡八条領松野木村」と刻まれています。




<庚申塔六阿弥陀道標>
宝暦8(1758)年銘の庚申塔六阿弥陀道標です。
(正面) 青面金剛立像を陽刻
(右面)「是ゟ右 六阿ミ多”みち」
新六阿弥陀が、船渡村(現越谷市)の受道によって天明8(1788)年に始められています。これ以前の道標であり、六阿弥陀の道標と思われます。下妻道から六阿弥陀に向かう分岐点にあったものと推定します。





<松之木公民館> 八潮市緑町3-18-2
墓苑内に松之木公民館があります。

<馬頭観音>
無縁塔の右に、文政13(1829)年銘の馬頭観音があります。「馬持講中」とあります。 松之木村の個人名が並んでいます。







宝幢寺(ほうどうじ)は、吉祥院(足立区本木)の末寺だった寺です。墓地が離れたところにあり、出羽三山等供養塔や、六阿弥陀道標など石塔が色々とあります。現在宝幢寺が存するのは江戸時代は鶴ケ曾根村で、墓地が存するのは松之木村です。
<松之木墓苑/札所碑>
山門脇に石塔がありますが、植栽に隠れて上しか文字が見えません。「新四國〜」とあるので、新四国四箇領八十八ヶ所霊場68番の札所碑かと思います。



松之木墓苑の裏にも門があります。

<六地蔵>
墓苑に入ってすぐ右手に六地蔵家屋があります。家屋は昭和57(1982)年の新築です。享保7(1722)年銘の六地蔵です。「武州埼玉郡八条領松木村」の銘があります。





「馬頭観世音」「妙法水神」
六地蔵家屋手前右手に、「馬頭観世音」「妙法水神」(大正15年)があります。

<普門品供養塔>
六地蔵家屋手前左手にある弘化2(1845)年銘の普門品供養塔です。
右側面「天下泰平 国土安全」



【石塔三基】
通路左手植栽に、石塔が三基あります。


<出羽三山等供養塔>
出羽三山の他、多数の霊山が刻まれています。明治時代の造立なので、羽黒山、月山、湯殿山の順に並んでいます。
「富士山 羽黒山 月山 湯殿山 立山 白山」
「奉 四國西國秩父坂東 伊勢両宮嶽□欠落」
「天下泰平 家内安全 以下欠落」
「明治三十五年」




<庚申塔>
寛政12(1800)年銘の庚申塔です。「武州埼玉郡八条領松野木村」と刻まれています。




<庚申塔六阿弥陀道標>
宝暦8(1758)年銘の庚申塔六阿弥陀道標です。
(正面) 青面金剛立像を陽刻
(右面)「是ゟ右 六阿ミ多”みち」
新六阿弥陀が、船渡村(現越谷市)の受道によって天明8(1788)年に始められています。これ以前の道標であり、六阿弥陀の道標と思われます。下妻道から六阿弥陀に向かう分岐点にあったものと推定します。





<松之木公民館> 八潮市緑町3-18-2
墓苑内に松之木公民館があります。

<馬頭観音>
無縁塔の右に、文政13(1829)年銘の馬頭観音があります。「馬持講中」とあります。 松之木村の個人名が並んでいます。







六阿弥陀詣 道標(鳩ヶ谷街道)②
○鹿浜の庚申塔道標 足立区鹿浜8-17-10
鹿浜の駐車場の一角に、覆屋があり庚申塔が二基あります。ひとつは六阿弥陀道を示す庚申塔道標です。



<庚申塔>
左は宝暦12(1762)年銘の庚申塔です。




<庚申塔道標>
右は造立年不明の庚申塔道標です。駒型で青面金剛像なので、江戸中・後期の建立。
(正面)青面金剛立像
(左側面)「これより 六あミだ道」



○鹿浜の橋供養塔 足立区鹿浜4-29-6
鹿浜四丁目交差点の角にあるマクドナルド前に、覆屋があり石碑が二基あります。



<地蔵菩薩橋供養塔>
左は享保19(1734)年銘の地蔵菩薩像の橋供養塔です。




<橋供養塔道標>
右は享保19(1734)年銘の青面金剛像の橋供養塔です。六阿弥陀道の道標を兼ねています。
(正面)青面金剛立像
(左下隅)「六あみ多みち」
(左側面)「武州渕江東叡山領鹿浜邑講中建」
(右側面)「奉造立青面金剛庚申橋供養尊」


鹿浜の駐車場の一角に、覆屋があり庚申塔が二基あります。ひとつは六阿弥陀道を示す庚申塔道標です。



<庚申塔>
左は宝暦12(1762)年銘の庚申塔です。




<庚申塔道標>
右は造立年不明の庚申塔道標です。駒型で青面金剛像なので、江戸中・後期の建立。
(正面)青面金剛立像
(左側面)「これより 六あミだ道」



○鹿浜の橋供養塔 足立区鹿浜4-29-6
鹿浜四丁目交差点の角にあるマクドナルド前に、覆屋があり石碑が二基あります。



<地蔵菩薩橋供養塔>
左は享保19(1734)年銘の地蔵菩薩像の橋供養塔です。




<橋供養塔道標>
右は享保19(1734)年銘の青面金剛像の橋供養塔です。六阿弥陀道の道標を兼ねています。
(正面)青面金剛立像
(左下隅)「六あみ多みち」
(左側面)「武州渕江東叡山領鹿浜邑講中建」
(右側面)「奉造立青面金剛庚申橋供養尊」



テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
tag : 六阿弥陀
六阿弥陀詣 道標(鳩ヶ谷街道)①
六阿弥陀詣 道標(鳩ヶ谷街道)①
○源永寺 川口市三ツ和2-19-8
石標柱から入り、右手は広い駐車場、真っすぐ行くと墓地、左手に山門があります。 山門は閉まっているので、手前の入口から入ります。
(説明板一部抜粋)
「無量山源永寺は、古くは川口善光寺付近の荒川(旧入間川)の岸辺にあった寺でしたが、荒川の瀬替えのため、江戸時代初期に当地へ移されました。
江戸時代は、氷川神社ならびに八幡神社の別当寺となりましたが、明治に、神仏分離によって神社はそれぞれ独立しました。
昭和53年3月21日 川口市教育委員会」


<境内/本堂>
入ってすぐ鐘楼があり、通路に井戸があります。天水桶は、川口の「鈴木文吾」作。扁額は「無量山」。境内には板碑二基と道標一基があります。






<板碑> 川口市文化財
鐘楼脇に二基の「板碑」があります。
右は、建武5(1338)年銘の阿弥陀一尊の板碑。
左は、貞和4(1348)年銘の阿弥陀一尊の板碑。
他に、公開されていない暦応3(1340)年銘の阿弥陀一尊の板碑があります。






<板碑説明>
板碑の説明板が昭和53年と古いので、川口市文化財HPより引用します。
「建武五年銘阿弥陀一尊板碑および貞和四年銘阿弥陀一尊板碑
指定等:市指定
種別:有形文化財 歴史資料
員数:2基
年代:南北朝時代
指定年月日:昭和46年5月24日
所有者:宗教法人・源永寺
所在地:三ツ和2-19-8
前者は、建武5年(1338)銘の阿弥陀一尊の板碑で、上部に阿弥陀を示す梵字と蓮台、下部の年号の左右に光明真言の梵字が刻まれています。当地に真言密教が流布していたことを示す資料です。後者は、貞和4年(1348)銘の阿弥陀一尊の板碑で、上部に阿弥陀を示す梵字と蓮台、下部の年号の左右に観無量寿経の経文が二行ずつ刻まれています。やはり真言密教系の板碑です。」
<普門品供養塔道標>
境内に文政11(1828)年銘の普門品供養塔道標があります。
(正面) 「奉読誦普門品供養塔」
(正面右下)「西新井大師道 一り半」
(左面左下)「是より 川口道 一り」
(右面) 紀年及び「是より そうかみち 二り」






【墓地】
<六地蔵>
墓地入口に六地蔵の小堂があります。六地蔵は2組あります。


<石塔群>
六地蔵の隣に三列に石塔が並んでいます。


<石橋供養塔道標>
前列一番左の享保4(1719)年銘の石橋供養塔です。 六阿弥陀道の道標を兼ねています。(読めない部分多く資料による)
(正面頂部) 阿弥陀坐像の浮彫
(正面像下)「奉納 平柳領大小石橋十二ヶ所寄進…
大乘妙典六十六部日本回國…
一千日偈念佛五百日中□□…
備中國後月郡両江原村番…」
(右面)「是より東 六あみだ道」





<庚申塔道標>
弘化4(1847)年銘の文字庚申塔道標です。
(正面)「庚申」 と陰刻
(左面)「南 大師 西 川口 道」
「世話人(3名の陰刻)」
(右面)紀年と「北 鳩ヶ谷道」





<無縁仏の庚申塔/不動明王>
無縁仏の前列に、庚申塔と不動明王があります。





○台阿弥陀堂 川口市南鳩ヶ谷2-8-3
鳩ヶ谷街道沿に台阿弥陀堂があります。覆屋に庚申塔二基と正観音立像道標があります。



(説明板)
「川口市指定有形文化財 地蔵庚申
川口市南鳩ヶ谷二−八−三 台阿弥陀堂
昭和五十八年四月一日 指定
(庚申塔の説明・省略)
これは寛文四年(一六六四)に建てられた地蔵尊の庚申塔で、数ある市内の庚申塔の中でも最も古いものです。下部に三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)があり、小型ながら地蔵庚申の形態をよく示しています。
「平柳同行十人」とあり、平柳の人々が共同で建てたことがわかる貴重な文化財です。
平成八年二月 川口市教育委員会」

<庚申塔>
享保11(1726)年銘の庚申塔です。




<地蔵庚申塔> 川口市文化財
寛文4(1664)年銘の地蔵菩薩像と三猿が彫られた庚申塔です。平柳領の村々の10名によって建立されました。




<正観音立像道標>
寛文12(1672)年銘の正観音立像道標です。六阿弥陀道も示しています。塔身と台石の石材が異なっています。塔身の紀年と一緒なら常光寺の六阿弥陀道標より古いものとなります。




(台石)
「東 そう加道
南 六あミ多"道
西 か王ぐち道
北 者とかや道」
○源永寺 川口市三ツ和2-19-8
石標柱から入り、右手は広い駐車場、真っすぐ行くと墓地、左手に山門があります。 山門は閉まっているので、手前の入口から入ります。
(説明板一部抜粋)
「無量山源永寺は、古くは川口善光寺付近の荒川(旧入間川)の岸辺にあった寺でしたが、荒川の瀬替えのため、江戸時代初期に当地へ移されました。
江戸時代は、氷川神社ならびに八幡神社の別当寺となりましたが、明治に、神仏分離によって神社はそれぞれ独立しました。
昭和53年3月21日 川口市教育委員会」


<境内/本堂>
入ってすぐ鐘楼があり、通路に井戸があります。天水桶は、川口の「鈴木文吾」作。扁額は「無量山」。境内には板碑二基と道標一基があります。






<板碑> 川口市文化財
鐘楼脇に二基の「板碑」があります。
右は、建武5(1338)年銘の阿弥陀一尊の板碑。
左は、貞和4(1348)年銘の阿弥陀一尊の板碑。
他に、公開されていない暦応3(1340)年銘の阿弥陀一尊の板碑があります。






<板碑説明>
板碑の説明板が昭和53年と古いので、川口市文化財HPより引用します。
「建武五年銘阿弥陀一尊板碑および貞和四年銘阿弥陀一尊板碑
指定等:市指定
種別:有形文化財 歴史資料
員数:2基
年代:南北朝時代
指定年月日:昭和46年5月24日
所有者:宗教法人・源永寺
所在地:三ツ和2-19-8
前者は、建武5年(1338)銘の阿弥陀一尊の板碑で、上部に阿弥陀を示す梵字と蓮台、下部の年号の左右に光明真言の梵字が刻まれています。当地に真言密教が流布していたことを示す資料です。後者は、貞和4年(1348)銘の阿弥陀一尊の板碑で、上部に阿弥陀を示す梵字と蓮台、下部の年号の左右に観無量寿経の経文が二行ずつ刻まれています。やはり真言密教系の板碑です。」
<普門品供養塔道標>
境内に文政11(1828)年銘の普門品供養塔道標があります。
(正面) 「奉読誦普門品供養塔」
(正面右下)「西新井大師道 一り半」
(左面左下)「是より 川口道 一り」
(右面) 紀年及び「是より そうかみち 二り」






【墓地】
<六地蔵>
墓地入口に六地蔵の小堂があります。六地蔵は2組あります。


<石塔群>
六地蔵の隣に三列に石塔が並んでいます。


<石橋供養塔道標>
前列一番左の享保4(1719)年銘の石橋供養塔です。 六阿弥陀道の道標を兼ねています。(読めない部分多く資料による)
(正面頂部) 阿弥陀坐像の浮彫
(正面像下)「奉納 平柳領大小石橋十二ヶ所寄進…
大乘妙典六十六部日本回國…
一千日偈念佛五百日中□□…
備中國後月郡両江原村番…」
(右面)「是より東 六あみだ道」





<庚申塔道標>
弘化4(1847)年銘の文字庚申塔道標です。
(正面)「庚申」 と陰刻
(左面)「南 大師 西 川口 道」
「世話人(3名の陰刻)」
(右面)紀年と「北 鳩ヶ谷道」





<無縁仏の庚申塔/不動明王>
無縁仏の前列に、庚申塔と不動明王があります。





○台阿弥陀堂 川口市南鳩ヶ谷2-8-3
鳩ヶ谷街道沿に台阿弥陀堂があります。覆屋に庚申塔二基と正観音立像道標があります。



(説明板)
「川口市指定有形文化財 地蔵庚申
川口市南鳩ヶ谷二−八−三 台阿弥陀堂
昭和五十八年四月一日 指定
(庚申塔の説明・省略)
これは寛文四年(一六六四)に建てられた地蔵尊の庚申塔で、数ある市内の庚申塔の中でも最も古いものです。下部に三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)があり、小型ながら地蔵庚申の形態をよく示しています。
「平柳同行十人」とあり、平柳の人々が共同で建てたことがわかる貴重な文化財です。
平成八年二月 川口市教育委員会」

<庚申塔>
享保11(1726)年銘の庚申塔です。




<地蔵庚申塔> 川口市文化財
寛文4(1664)年銘の地蔵菩薩像と三猿が彫られた庚申塔です。平柳領の村々の10名によって建立されました。




<正観音立像道標>
寛文12(1672)年銘の正観音立像道標です。六阿弥陀道も示しています。塔身と台石の石材が異なっています。塔身の紀年と一緒なら常光寺の六阿弥陀道標より古いものとなります。




(台石)
「東 そう加道
南 六あミ多"道
西 か王ぐち道
北 者とかや道」

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