江戸橋歴史展示ギャラリー(三菱の七ツ蔵)

○三菱倉庫・江戸橋歴史展示ギャラリー 中央区日本橋1-19-1

 三菱倉庫の本店がある「日本橋ダイヤビルディング」は、2014年9月に竣工。ビルのオープンとともに1階のエントランスホールに開設・公開されたのが「江戸橋歴史展示ギャラリー」です。「中央区まちかど展示館 」のひとつに登録されています。江戸橋歴史展示ギャラリー紹介

 屋上には船の船橋を模した塔屋が建っています。半円形のバルコニーも見えます。エントランス部は丸みを帯びた自然石。

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<東京都選定歴史的建造物>

(碑文)
「東京都選定歴史的建造物
 日本橋ダイヤビルディング(旧三菱倉庫江戸橋倉庫ビル)
  所在地 東京都中央区日本橋一丁目19番1号
  設計者 三菱倉庫株式会社(昭和5年(1930))
      株式会社三菱地所設計・株式会社竹中工務店(平成26年(2014))
  建築年 昭和5年(1930))(再開発:平成26年(2014)))
 三代広重が「古今東京名所」で描いた煉瓦造りの「江戸橋三菱の荷蔵」(明治13年(1880)築)が、大正12(1923)年の関東大震災により飛び火で焼け落ちたため、昭和5年(1930)に、耐震耐火に優れた鉄筋コンクリート造(一部フラットスラブ構造)の近代的都市倉庫「江戸橋倉庫ビル」(地下1階・地上6階建)が建設された。
 船橋を模した屋上の塔屋や上層階の半円窓など、船体を思わせる個性的な外観を持つ、表現主義の影響を受けた代表的な作品。日本橋川をロンドンのテムズ川に見立て、外国航路の本船が停泊しているのが、このビルのモチーフとする見方があり、横光利一著「家族会議」(昭和10年(1935)では、「三菱倉庫のそびえるあたりの静かな波はベニスに似ている」と表現された。
 併設の「トランクルーム」は、昭和6年(1931)、三菱倉庫株式会社が考案・命名し、「江戸橋倉庫ビル」に於いて、本邦で最初にトランクルーム事業を開始した。
 「江戸橋倉庫ビル」は建設以来80有余年が経過し、環境も変化したため、平成23年(2011)に外観の約7割を保存し建替える再開発に着手し、平成26(2014)年に地上18階建のオフィスビル「日本橋ダイヤビルディング」として竣工した。  東京都」

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「近代化産業遺産」のプレートもあります。

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<展示館への入口>

 重厚な玄関から入り、左手に進むと、右手と左手奥に展示があります。

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<金庫扉と展示>

 江戸橋倉庫ビルのこの位置で当初から使われていた金庫扉。

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<模型>

「三菱の七ツ蔵
 郵便汽船三菱会社により7棟の倉庫が建設され、三菱倉庫の前身である東京倉庫会社が明治23年(1890)から一部の使用を始めた。
 倉庫業が、金融業、海運業との混合経営から独立した事業へ発展する時代の建物である。
 竣工年:明治13年(1880)
 設計:ジュール・レスカス(仏)
 構造・規模:煉瓦造 地上2階
 模型縮尺:1/200。」

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<展示スペース>

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「東京名所の煉瓦蔵」

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【画面表示パネル】

 以下は画面表示のパネルの抜粋です。狭いスペースを上手に活用していると思いました。

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「隅田川風物図巻」

 日本橋川が描かれています。豊海橋〜湊橋〜江戸橋〜日本橋〜一石橋

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 江戸橋〜四日市・魚河岸〜日本橋部分です。

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「東京開化名所 江戸ばしの真景ー明治七年」(三代広重)

 江戸橋は二連アーチの石橋です。

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「江戸橋ヨリ鎧橋遠景」井上探景(井上安治)

 江戸橋から鎧橋を望んだ光景。第一国立銀行と渋沢邸が見えます。鎧橋は鉄橋になっています。

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「東京名所之内江戸橋三菱蔵郵便局」(三代広重)

 富士山が見えるので、江戸橋から日本橋方面が描かれています。七ツ蔵と郵便局が見えます。

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「古今東京名所 江戸橋三菱の荷蔵(駅造寮)」(三代広重)

 江戸橋と、三菱のマークが入った七ツ蔵が描かれています。かすかに郵便局が見えます。

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「東京名所之内江戸ばし郵便局」(三代広重)

 七ツ蔵の向かいの郵便局が描かれています。左手奥にダブルスターの行章を掲げる第一国立銀行が見えます。(注:ダブルスター(二重星)は、「朝に星をいただいて出勤し、夕に星を眺めて帰る」という勤勉さを表したもの。今だとブラックですね。)

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「東京名所図会 江戸橋郵便局」(三代広重)

 江戸橋、七ツ蔵と郵便局が描かれています。

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「東京滑稽名所 日本橋天地の魚市」(三代広重)

 七ツ蔵が見えます。
 カツオをとんびに取られ、天秤棒で取り戻そうとする魚売りの横では、犬もカツオをくわえて逃げています。

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「四日市」(井上安治)

 左手に郵便局、右手に七ツ蔵を描く、四日市の光景です。

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「日本橋」(井上探景(安治))

 江戸橋から日本橋方向を見たところ。三菱のマークが入った七ツ蔵が見えます。

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「江戸橋と七ツ蔵の写真」

 二連アーチと一連の江戸橋です。それぞれ七ツ蔵が見えます。

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○親水空間(テラス)

 日本橋川の河畔には、親水空間(テラス)が設置され、公開スペースとなっています。

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「江戸橋とその周辺の変遷」

「一 江戸期の江戸橋とその周辺」
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「二 明治期の江戸橋とその周辺」
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「三 大正期の江戸橋とその周辺」
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「四 昭和期の江戸橋とその周辺」
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tag : 日本橋川井上安治煉瓦

江戸橋

○江戸橋 中央区日本橋本町1丁目〜日本橋1丁目

 江戸橋は、明治8(1875)年、木橋から2連の石造アーチ橋に架け替えられ、明治34(1901)年には、鋼アーチ橋に架け替えられています。
 現在の江戸橋は、震災復興橋梁として、以前の位置より約100mほど日本橋寄りに架けられています。

<現在の江戸橋>
 現在の江戸橋から、昭和通りの京橋方面を望んだところ。

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「江戸橋から京橋方面」(大東京寫眞帖)

(説明文)
「写真は銀座通りの裏に出来た新道路、復興大幹線中の花形「昭和通り」である。日本橋隅の江戸橋付近から京橋木挽町方面を望んだところ。」

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「日本橋」(井上探景(安治) 国立国会図書館蔵)

 江戸橋から日本橋を望んだ光景でしょう。日本橋川沿の倉庫には三菱のマークが見えるので、七ツ蔵でしょう。

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「武蔵百景之内 江戸ばしより日本橋の景」(小林清親 明治17年))

 奥に見える日本橋は、まだ木橋です。初鰹が天秤皿に見えます。広重の江戸名所百景を想起させる絵です。

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「江戸橋夕暮富士」(小林清親)

 江戸橋から木橋の日本橋を望んでいます。富士山がシルエット状に浮かんでいます。

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「江戸橋之景」(井上安治)

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「東京名所繁榮之内江戸橋之圖」(梅堂國政 明治8(1875)年 国立国会図書館蔵)

 手前の橋が江戸橋です。奥に見える橋は「鎧ばし」とあります。鎧橋へ倉庫が連なります。
 江戸橋から日本橋と反対方向の東側を望んだ光景となります。
 右手の建物は「三ツ井組」と記されているので、渋沢栄一が第一国立銀行を起こす前の錦絵でしょう。

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「絵本江戸土産 八ッ見橋の景 其二」(広重)

 八ッ見橋の景の続きで、日本橋川に架かる手前に江戸橋、右奥に日本橋が描かれています。左奥には鍛冶橋が見えます。

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「絵本江戸土産 江戸橋 小網町」(広重)

 江戸橋と小網町が描かれています。

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「名所江戸百景 日本橋江戸ばし」(広重)

 日本橋の上から日本橋川下流に架けられた江戸橋を望んだ風景です。江戸橋の向こうには、小網町の蔵が連なっています。日本橋を渡る天秤皿には初鰹が見えます。

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「江戸名所図会 四日市」

 日本橋と旧江戸橋(現在の江戸橋より東へ約100m)の間、日本橋川の南が四日市です。日本橋川の対岸は日本橋魚河岸です。四日市の地名は毎月四の日に市がたったのを起源としています。

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 旧江戸橋部分の拡大です。

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tag : 江戸名所図会歌川広重小林清親井上安治日本橋川

兜神社/鎧の渡し/海運橋親柱

〇兜神社 中央区日本橋兜町1-12

 兜神社は、渋沢栄一らの出願によって誕生した東京株式取引所の関係者によって創建されたことから、日本証券界の鎮守として信仰されています。
 第一国立銀行の構内にあった兜稲荷社との関連が気になります。両社とも三囲神社から勧請を受けています。

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<明治となり平将門は排斥>

 江戸時代後期、鎧の渡付近に平将門を祭ったと言われる鎧稲荷や平将門あるいは源義家所縁の兜塚が、信仰対象となっていたようです。
 明治4(1871)年、鎧稲荷と兜塚は、鎧の渡と兜橋の間に遷されました。この時に、兜塚をベースに源義家を御神霊として兜神社が創建されました。鎧稲荷(平将門を祀る)は兜神社と合併します。
 明治7(1874)年、兜神社は源義家の祭祀を廃して、三囲稲荷神社の境内摂社である福神社から、分霊により新しい御祭神をお祀りしています。
 平将門は天皇に逆らった朝敵であり、明治政府の命により平将門を祭る神社は祭神から外されました。明治7(1874)年に、築土神社は皇室とゆかりのある新たな祭神を歓請します。神田明神では、明治天皇が行啓する際、逆心の平将門が祀られているのはあるまじきこととして、明治7(1874)年に平将門を御祭神からはずしています(昭和59(1984)年に復権)。
 将門塚は、排斥運動から将門塚を保護するため、将門の怨霊譚が喧伝されたともされます(ウィキに記載)。大蔵官僚だった織田完之が復権運動に精力を傾け、「将門塚」に古蹟保存碑を建立しています。
 兜神社は、現在では、この地域に伝説の残る平将門と源義家とは関係が切れた神社となっています。


<兜岩>

 境内に兜岩と呼ばれる岩があります。
 東京証券取引所の兜岩の項目に、確たる裏付けがあるわけではないようですがとしていますが、3つの由来が掲載されています。簡略して記載すると、
1.後三年の役(1080年代)で、源義家が奥州から凱旋した際、東夷鎮定の祈願を兼ねて記念のため、兜を楓川の辺の土中に埋めて塚を作り、兜塚と呼ばれたのが、兜岩となった。
2.前九年の役(1050年代)で、源義家が奥州征伐に向かう際、岩に兜をかけて戦勝を祈願したことから、この岩を兜岩と呼ぶようになった。
3.承平の乱(935-940年)で、藤原秀郷が平将門の首を打って京都へ運ぶ際、平将門の打首に兜を沿えていたのですが、この地で兜だけ土中に埋め塚を作って供養した。この塚を当時は兜山と呼んだそうですが、そこに兜神社が建ち、いつしか兜岩だけが残った。

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○鎧の渡し跡

 日本橋川に架かる「鎧橋」の袂にモニュメントと説明板があります。

(説明文)
「鎧の渡し跡
  所在地 中央区 日本橋小網町八・九番
          日本橋茅場町一丁目一番・日本橋兜町一番
 鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。古くは延宝七年(一六七九)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。
 伝説によると、かってこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(一〇四六~五三)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。
 この渡しは、明治五年(一八七二)に鎧橋が架けられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図絵』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。
  縁日に 買うてぞ帰る おもだかも
  逆さにうつる 鎧のわたし
              和朝亭 国盛
 平成二十年三月  中央区教育委員会」

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「江戸名所図会 鎧之渡」

 江戸名所図会に描かれている「鎧之渡」です。対岸の連なる土蔵が圧巻です。

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「名所江戸百景 鎧の渡し小網町」(広重)

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「絵本江戸土産 鎧の渡」(広重)

 挿絵には「小網町の河岸にあり この所より行徳及び上総木更津登戸の便船あるをもて行路の貴賎おのづから集まり夜陰に及びてこの所を出帆す」 とあります。

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「江戸名所百人美女 鎧のわたし」(豊国・国久)

 こま絵には、鎧の渡し舟と大名屋敷が描かれています。
 美女は足に「灸」を据えています。小網町には江戸名物の切艾店「釜屋」がありました(現在もあります)。灸に使う小さく切った艾(もぐさ)「切艾」を江戸で売りだしたのが、小網町三丁目の釜屋治左衛門です。近江出身の初代治左衛門が万治2(1659)年に廻船問屋を創業、三代目治左衛門が近江からの船便で江州伊吹山の艾を入荷し、それを撚って粒状に加工した「切り艾」を販売し好評を博しました。
 切艾は日常のみならず旅人の携帯品としても広く用いられたため、複数の店が本家・元祖争いをするほどの名物にもなりました。
 『守貞謾稿』には「近江伊吹山ヲ艾ノ名産トス(中略)江戸ハ専ラ切艾ヲ用フ小網町ニ釜屋ト云艾店四五戸アリ名物トス(後略)」とあります。(※中央区文化財のサイトを参照しました。)

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「江戸買物独案内 かまやもぐさ」

 紛らわしい偽物が小網町三丁目に一軒、二丁目に二軒、その外に数多あるので、家名をよく吟味した上で購入するよう勧めています。
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「現在の釜屋もぐさ」 中央区日本橋小網町6-1
 「株式会社釜屋もぐさ」は、万治2(1659)年の創業以来の場所で艾商品を提供する専門店です。
 釜屋は、江戸市中で切艾の振り売りを行い、その「振売箱」が伝来しており、中央区民文化財に指定されています。ほかに、鉄製大釜残欠があります。
  リンク:「中央区民文化財62 釜屋もぐさの振売箱」「中央区民文化財39 鉄製大釜残欠


「東都三十六景 鎧の渡し」(二代広重)

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「江戸勝景 よろゐの渡し」(広重)

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「江戸名所道戯尽 十三 鎧のわたし七夕祭」(歌川広景)

 鎧の渡しの七夕の光景です。七夕飾りをつけた竹が風に大きく揺れています。風で筆の七夕飾りが渡し船の女性の股間に落ちています。

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○鎧橋 日本橋冑町~日本橋小網町

<お地蔵さま> 右岸下流(日本橋茅場町)

 説明板「鎧の渡し」の下流側に、お地蔵さま。

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<説明板「鎧橋」> 左岸下流(日本橋小網町)

 左岸下流に説明板「鎧橋」があります。
 谷崎潤一郎「幼少時代」の一部が紹介されています。
「鎧橋の欄干に顔を押しつけて、水の流れを見つめていると、この橋が動いているように見える・・・・・
 私は、渋沢邸のお伽のような建物を、いつも不思議な気持ちで飽かず見入ったものである・・・・・
 対岸の小網町には、土蔵の白壁が幾棟となく並んでいる。このあたりは、石版刷りの西洋風景画のように日本離れした空気をただよわせている。」

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 トイレの壁に鎧武者が描かれたタイル画

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<左岸上流> 日本橋小網町

 「皇太子殿下御成婚記念」標柱と、国旗掲揚塔があります。

 「御成婚記念
  昭和34年4月吉日 建立
  題字 正田貞一郎翁
  建立 小網総町」

 「瑞祥」の題字は正田貞一郎翁の書です。
 正田貞一郎翁は、日清製粉株式会社の創業者。美智子上皇后の祖父。

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 「メイゾン鴻乃巣創業の地」

  多くの文人が集った西洋料理店がかつてありました。

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<右岸上流> 日本橋兜町

 石垣と一部煉瓦が残っています。

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<鎧橋之景>(井上安治)

 遠景に第一国立銀行と澁澤邸が見えます

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<鎧橋夜>(井上安治)

 第一国立銀行がシルエットで浮かび上がっています。

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<東京小網町鎧橋通り吾妻亭>(井上安治 明治21(1888)年)

 明治21(1988)年にトラス橋に架けかえられた鎧橋が描かれています。日本橋小網町にあった西洋料理店「吾妻亭」、馬車や人力車、自転車、牛乳などが描かれています。鎧橋の向こうには、ダブルスターの社章がひらめく第一国立銀行が見えます。

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○海運橋親柱  中央区日本橋1-20先 日本橋兜町3先

 海運橋詰にあった洋風建築の第一国立銀行とともに、東京の新名所でした。
 海運橋親柱が「かいうんはし」と「海運橋」の2基あります。

(説明板)
「海運橋親柱
  所在地 中央区日本橋一-二〇先
         日本橋兜町三先
 海運橋は、楓川が日本橋川に合流する入り口に架けてあった橋です。江戸時代初期には高橋とよばれ、橋の東詰に御船手頭向井将監忠勝の屋敷が置かれたので、将監橋とか海賊橋と呼ばれていました。御船手頭は幕府の海軍で、海賊衆ともいっていたためです。
 橋は、明治維新になり、海運橋と改称され、同八年に、長さ八間(約十五メートル)、幅六間(約十一メートル)のアーチ型の石橋に架け替えられました。文明開化期の海運橋周辺は、東京の金融の中心として繁榮し、橋詰にあった洋風建築の第一国立銀行とともに、東京の新名所となりました。
 石橋は、関東大震災で破損し、昭和二年鉄橋にに架け替えられました。このとき、ニ基の石橋の親柱が記念として残されました。鉄橋は、楓川の埋立てによって、昭和三十七年撤去されましたが、この親柱は、近代橋梁の遺構として、中央区民文化財に登録されています。
   平成六年三月    中央区教育委員会」

<かいうんはし>

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<海運橋>

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「東京名所三十六戯撰 開運はし」(昇齋一景 明治5(1872)年)

 当時、東京の新名所の一つであった第一国立銀行を背景に、開運橋で写真を撮ろうとしていたら、人が突っ込んできています。
 開運橋は明治8年に石橋になっていますが、描かれているのは石橋になる前の木橋です。

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「海運橋・(第一銀行雪中)」(小林清親)

 雪の海運橋と第一国立銀行を描いています。女性の和傘には「銀座」「岸田」の文字、楽善堂の宣伝ですね。

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「東京名所 海運橋」(井上安治)

 井上安治が海運橋を描いています。後方に第一国立銀行のシルエットが見えます。

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「東京名所帖 海運橋」(井上安治(井上探景)明治20年)

 小林清親の弟子井上安治が描いた石橋となった海運橋です。第一国立銀行がそびえています。

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「明治大正建築写真聚覧 第一国立銀行」(建築学会編 昭和11年)

 海運橋と第一国立銀行が写されています。

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