隅田川河口(竹芝)
○ウォーターズ竹芝前(竹芝地区船着場) 港区海岸1-10-30
令和2(2020)年6月に、水上バスの船着場が浜離宮からこちらに変更となっています。
<水上バス>
ウォーターズ竹芝前(竹芝地区船着場)に、水上バスが停留していました。


左から順に、「竜馬」「ヒミコ」「海舟」「リバータウン」です。




(参考)水上バス一覧→こちらで記載
○汐留第二ポンプ所放流管 港区海岸1-11-1
6本の下水放流管には、クジラのしっぽをイメージした屋根が乗っています。下水処理場の処理能力を上回る雨が降るとポンプ所は稼働し、雨水・汚水を消毒して放流します。
隣に見えるのは、汐留川水門です。その奥が浜離宮排水機場の排水施設です。
ニューピア竹芝の展望デッキから見えます。



ポンプ所からの放流管は、水路の下、浜離宮排水機場の道路の下を通ってクジラのしっぽ屋根に至ります。



○竹芝デッキ 港区海岸1-11-1
ニューピア竹芝ノースタワーに隣接する展望デッキです。


展望デッキから隅田川河口部と築地大橋方面

隅田川河口部からレインボーブリッジ方面

令和2(2020)年6月に、水上バスの船着場が浜離宮からこちらに変更となっています。
<水上バス>
ウォーターズ竹芝前(竹芝地区船着場)に、水上バスが停留していました。


左から順に、「竜馬」「ヒミコ」「海舟」「リバータウン」です。




(参考)水上バス一覧→こちらで記載
○汐留第二ポンプ所放流管 港区海岸1-11-1
6本の下水放流管には、クジラのしっぽをイメージした屋根が乗っています。下水処理場の処理能力を上回る雨が降るとポンプ所は稼働し、雨水・汚水を消毒して放流します。
隣に見えるのは、汐留川水門です。その奥が浜離宮排水機場の排水施設です。
ニューピア竹芝の展望デッキから見えます。



ポンプ所からの放流管は、水路の下、浜離宮排水機場の道路の下を通ってクジラのしっぽ屋根に至ります。



○竹芝デッキ 港区海岸1-11-1
ニューピア竹芝ノースタワーに隣接する展望デッキです。


展望デッキから隅田川河口部と築地大橋方面

隅田川河口部からレインボーブリッジ方面

tag : 隅田川テラス
野新田の渡しと桜草の名所
○野新田の渡しと桜草の名所
隅田川の豊島(北区)と新田(足立区)の間に、現在の新田橋が架けられるまで「野新田の渡し」(別名:馬場の渡し)がありました。野新田の原(現在の足立区新田)は、桜草の名所でした。新田橋の北区側には清光寺(せいこうじ)があります。
「江戸近郊道しるべ」(村尾嘉陵)
「鹿濱新田渡シ 王子へ一リ」とあります。野新田の渡しは、鹿浜新田の渡しとも呼ばれたようです。「鹿濱」は「東叡山御領」とあり、寛永寺領でした。上流の渡しは「蟹庭渡シ」とあります。蟹庭(かにわ)は現在の神谷で、「かにわ」と呼びました。

「東都花暦名所案内」
江戸時代の「東都花暦名所案内」に「野新田」が記されています。表には「春の部」「桜草」に「千住の野」「野新田」「戸田原」とあります。野新田(現在の足立区新田)は、桜草の名所であったことがうかがえます。


「三十六花撰 東京戸田原さくら草」
桜草の名所の一つ「戸田原」が描かれています。

<桜草と白魚「紅白のお土産」>
野新田の原は、桜草と白魚の名所だったことが、江戸名所花暦に記されています。
「江戸名所花暦 桜草
尾久の原
王子村と千住とのあひだ今は尾久の原になし 尾久より一里ほど王子のかたへ行きて野新田の渡といへるところに俗よんで野新田の原といふにあり 花の頃はこの原一面の朱に染如にして朝日の水に映ずるがごとし また此川に登り来る白魚をとるに船にて網を引あるひは岸通りにてすくひ網をもつて人々きそひてこれをすなどる 桜草の赤きに白魚を添へて紅白の土産なりと遊客いと興じて携かへるなり」
<新田橋>
昭和16(1941)年に木橋、昭和36(1961)年に現在の橋が架けられ、野新田の渡しは廃止されました。昭和25(1950)年12月に路線バスが開業(王子駅〜野新田)、現在の「新田橋」停留所は「豊島城址」となっていました。新田橋は老朽化のため架け替えられることになり、現在は歩道の仮橋架設工事が行われています。上流、下流ともテラスはありません。
橋脚がユニークです。



橋名

仮橋と新田橋

欄干

隅田川下流(新豊島橋方向)

隅田川上流(新神谷橋方向)

隅田川の豊島(北区)と新田(足立区)の間に、現在の新田橋が架けられるまで「野新田の渡し」(別名:馬場の渡し)がありました。野新田の原(現在の足立区新田)は、桜草の名所でした。新田橋の北区側には清光寺(せいこうじ)があります。
「江戸近郊道しるべ」(村尾嘉陵)
「鹿濱新田渡シ 王子へ一リ」とあります。野新田の渡しは、鹿浜新田の渡しとも呼ばれたようです。「鹿濱」は「東叡山御領」とあり、寛永寺領でした。上流の渡しは「蟹庭渡シ」とあります。蟹庭(かにわ)は現在の神谷で、「かにわ」と呼びました。

「東都花暦名所案内」
江戸時代の「東都花暦名所案内」に「野新田」が記されています。表には「春の部」「桜草」に「千住の野」「野新田」「戸田原」とあります。野新田(現在の足立区新田)は、桜草の名所であったことがうかがえます。


「三十六花撰 東京戸田原さくら草」
桜草の名所の一つ「戸田原」が描かれています。

<桜草と白魚「紅白のお土産」>
野新田の原は、桜草と白魚の名所だったことが、江戸名所花暦に記されています。
「江戸名所花暦 桜草
尾久の原
王子村と千住とのあひだ今は尾久の原になし 尾久より一里ほど王子のかたへ行きて野新田の渡といへるところに俗よんで野新田の原といふにあり 花の頃はこの原一面の朱に染如にして朝日の水に映ずるがごとし また此川に登り来る白魚をとるに船にて網を引あるひは岸通りにてすくひ網をもつて人々きそひてこれをすなどる 桜草の赤きに白魚を添へて紅白の土産なりと遊客いと興じて携かへるなり」
<新田橋>
昭和16(1941)年に木橋、昭和36(1961)年に現在の橋が架けられ、野新田の渡しは廃止されました。昭和25(1950)年12月に路線バスが開業(王子駅〜野新田)、現在の「新田橋」停留所は「豊島城址」となっていました。新田橋は老朽化のため架け替えられることになり、現在は歩道の仮橋架設工事が行われています。上流、下流ともテラスはありません。
橋脚がユニークです。



橋名

仮橋と新田橋

欄干

隅田川下流(新豊島橋方向)

隅田川上流(新神谷橋方向)

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
tag : 隅田川テラス
隅田川テラス 小台橋〜豊島橋
○小台橋(小台の渡し) 足立区小台2丁目〜荒川区西尾久3丁目
六阿弥陀詣の巡拝者も利用した「小台の渡し」がありました。欄干に、小台の渡しが描かれているレリーフもあります。



<上流>


<下流>

<レリーフ>












<To point Ω> 足立区小台2-1-46先
平成4(1992)年第3回足立区野外彫刻コンクール入賞の安田明長氏の作品「Top point Ω」です。

<空を見る少女> 荒川区西尾久3-26先
掛井五郎氏の作品「空を見る少女」です。


○隅田川テラス(西尾久) 荒川区西尾久3丁目〜6丁目
小台橋からは、堀船の行き止まりまで、隅田川右岸に隅田川テラスが続いています。あらかわ遊園と接しているところまで、荒川区西尾久となります。


<アリスの広場> 荒川区西尾久6丁目
あらかわ遊園に至ると、アリスの広場があります。

○隅田川テラス(堀船) 北区堀船
あらから遊園の上流は、荒川区西尾から北区船掘となります。
<船方神社裏> 北区船堀
船方神社裏の隅田川テラスです。上流には、足立姫が身を投げたといわれる浅間渕(足立区宮城2丁目先)が見えます。下流には、あらかわ遊園、アリスの広場があります。
上流(浅間渕方面)

下流(小台橋方面)

新聞各社合同の印刷工場の周りを巡る「堀船周回ロード」が隅田川テラスと並行します。
船堀周回ロードとの接点から、下流のあらかわ遊園・小台橋方向を見たところです。


堀船周回ロードの下の隅田川テラスの下流〜上流です。隅田川テラス、堀船周回ロードともに、説明板「梶原の渡船場跡」で行き止まりとなっています。向岸には「みやぎ水処理センター」が見え、その横は「浅間の渕」です。


(隅田川テラス終端)



○堀船周回ロード 北区堀船4-2
堀船の墨田川右岸に、「堀船周回ロード」があります。読売新聞・朝日新聞・日刊スポーツなどの合同による新聞の印刷工場と日本製紙の保管倉庫となっている工場の周りを周回する遊歩道です。
現在の工場の前は、キリンビールの東京工場(平成10(1988)年8月閉鎖)で、かつては、明治41(1908)年に下野紡績の王子工場ができ、梶原の渡船場が設けられました。
(隅田川下流〜上流)

(隅田川上流〜下流)

○梶原の渡船場跡 北区堀船3-9
説明板「梶原の渡船場跡」が建っている船堀周回ロードの隅田川上流が渡船場跡です。
(説明板)
「梶原の渡船場跡 北区堀船三−九
この奥の隅田川沿いには、明治・大正・昭和にかけて、対岸の宮城村(足立区)との間を結ぶ渡船場がありました。
明治四十一年(一九○八)、現在のキリンビール東京工場の敷地に下野紡績の工場ができ、対岸からも人々が工場へ通勤するようになりました。そこで、両岸の梶原・宮城地区の住民有志が出資してつくった船の発着場が、この梶原の渡船場です。
子供の頃から父親とともに、船頭をしていた方の話によると、最初、運賃は大人一銭・子供五厘・荷車一銭五厘・自転車一銭だったそうで、この渡しができたことで、地域の住民の交通の便が非常に良くなりました。また、荷車という運賃があるように、駒込にあった市場に野菜を出すための交通路としても利用され、毎日十五台以上が隅田川を船で往復していたそうです。
第二次世界大戦中には、足立方面などに軍需工場が多くなり、工場へ通う通勤者の行き帰りの足として混雑したそうですが、交通手段の整備とともに、渡しが使われることも少なくなり、昭和三十六年(一九六一)、その姿を消しました。
平成八年三月 北区教育委員会」




○浅間の渕
浅間の渕の辺りは、テラスは途切れています。石神井川の河口からわずかに浅間の渕が望めます。浅間の渕については、こちらで記載。

○隅田川テラス(豊島) 北区豊島4丁目
豊島四丁目リバーサイド公園の脇から、豊島橋までテラスが設けられています。
テラス行き止まりから、下流の浅間の渕方向を見たところです。

向岸の「みやぎ水処理センター」を見たところです。

テラスから豊島橋を見たところです。

(以上、各項目で記載済で、重複部分もあります。)
六阿弥陀詣の巡拝者も利用した「小台の渡し」がありました。欄干に、小台の渡しが描かれているレリーフもあります。



<上流>


<下流>

<レリーフ>












<To point Ω> 足立区小台2-1-46先
平成4(1992)年第3回足立区野外彫刻コンクール入賞の安田明長氏の作品「Top point Ω」です。

<空を見る少女> 荒川区西尾久3-26先
掛井五郎氏の作品「空を見る少女」です。


○隅田川テラス(西尾久) 荒川区西尾久3丁目〜6丁目
小台橋からは、堀船の行き止まりまで、隅田川右岸に隅田川テラスが続いています。あらかわ遊園と接しているところまで、荒川区西尾久となります。


<アリスの広場> 荒川区西尾久6丁目
あらかわ遊園に至ると、アリスの広場があります。

○隅田川テラス(堀船) 北区堀船
あらから遊園の上流は、荒川区西尾から北区船掘となります。
<船方神社裏> 北区船堀
船方神社裏の隅田川テラスです。上流には、足立姫が身を投げたといわれる浅間渕(足立区宮城2丁目先)が見えます。下流には、あらかわ遊園、アリスの広場があります。
上流(浅間渕方面)

下流(小台橋方面)

新聞各社合同の印刷工場の周りを巡る「堀船周回ロード」が隅田川テラスと並行します。
船堀周回ロードとの接点から、下流のあらかわ遊園・小台橋方向を見たところです。


堀船周回ロードの下の隅田川テラスの下流〜上流です。隅田川テラス、堀船周回ロードともに、説明板「梶原の渡船場跡」で行き止まりとなっています。向岸には「みやぎ水処理センター」が見え、その横は「浅間の渕」です。


(隅田川テラス終端)



○堀船周回ロード 北区堀船4-2
堀船の墨田川右岸に、「堀船周回ロード」があります。読売新聞・朝日新聞・日刊スポーツなどの合同による新聞の印刷工場と日本製紙の保管倉庫となっている工場の周りを周回する遊歩道です。
現在の工場の前は、キリンビールの東京工場(平成10(1988)年8月閉鎖)で、かつては、明治41(1908)年に下野紡績の王子工場ができ、梶原の渡船場が設けられました。
(隅田川下流〜上流)

(隅田川上流〜下流)

○梶原の渡船場跡 北区堀船3-9
説明板「梶原の渡船場跡」が建っている船堀周回ロードの隅田川上流が渡船場跡です。
(説明板)
「梶原の渡船場跡 北区堀船三−九
この奥の隅田川沿いには、明治・大正・昭和にかけて、対岸の宮城村(足立区)との間を結ぶ渡船場がありました。
明治四十一年(一九○八)、現在のキリンビール東京工場の敷地に下野紡績の工場ができ、対岸からも人々が工場へ通勤するようになりました。そこで、両岸の梶原・宮城地区の住民有志が出資してつくった船の発着場が、この梶原の渡船場です。
子供の頃から父親とともに、船頭をしていた方の話によると、最初、運賃は大人一銭・子供五厘・荷車一銭五厘・自転車一銭だったそうで、この渡しができたことで、地域の住民の交通の便が非常に良くなりました。また、荷車という運賃があるように、駒込にあった市場に野菜を出すための交通路としても利用され、毎日十五台以上が隅田川を船で往復していたそうです。
第二次世界大戦中には、足立方面などに軍需工場が多くなり、工場へ通う通勤者の行き帰りの足として混雑したそうですが、交通手段の整備とともに、渡しが使われることも少なくなり、昭和三十六年(一九六一)、その姿を消しました。
平成八年三月 北区教育委員会」




○浅間の渕
浅間の渕の辺りは、テラスは途切れています。石神井川の河口からわずかに浅間の渕が望めます。浅間の渕については、こちらで記載。

○隅田川テラス(豊島) 北区豊島4丁目
豊島四丁目リバーサイド公園の脇から、豊島橋までテラスが設けられています。
テラス行き止まりから、下流の浅間の渕方向を見たところです。

向岸の「みやぎ水処理センター」を見たところです。

テラスから豊島橋を見たところです。

(以上、各項目で記載済で、重複部分もあります。)
テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
tag : 隅田川テラス
隅田川の水上バス
○隅田川の水上バス
隅田川を行きかう水上バスには、東京都公園協会が運営している「東京水辺ライン」と、民間の「TOKYO CRUISE(東京クルーズ)」があります。
・東京水辺ライン HP
「こすもす」(定員200名)




「さくら」(定員140名)








「あじさい」(定員140名)





・東京クルーズ HP
東京都観光汽船株式会社のサイトに船の紹介が掲載されているので参考になります。
「いりす」(定員150名)

「道灌」(定員300名)





「竜馬」(定員300名)





「ジュビリー」(定員300名)












「リバータウン」(定員300名)


「ホタルナ」(定員120名)


「エメラルダス」(定員100名)




「ヒミコ」(定員80名)

「アーバンランチ」(定員41名)

○船宿
隅田川を行き交う船宿の船、若干です。
・船宿「三浦屋」の粋人丸(すいじんまる)

・第十一つり新丸

・田中屋

・ 「船宿豆や」(HP)の屋形船「第15豆丸」


・ 「品川船清」(HP)の屋形舟「おと姫」。台場公園前お光景です。

隅田川を行きかう水上バスには、東京都公園協会が運営している「東京水辺ライン」と、民間の「TOKYO CRUISE(東京クルーズ)」があります。
・東京水辺ライン HP
「こすもす」(定員200名)




「さくら」(定員140名)








「あじさい」(定員140名)





・東京クルーズ HP
東京都観光汽船株式会社のサイトに船の紹介が掲載されているので参考になります。
「いりす」(定員150名)

「道灌」(定員300名)





「竜馬」(定員300名)





「ジュビリー」(定員300名)












「リバータウン」(定員300名)


「ホタルナ」(定員120名)


「エメラルダス」(定員100名)




「ヒミコ」(定員80名)

「アーバンランチ」(定員41名)

○船宿
隅田川を行き交う船宿の船、若干です。
・船宿「三浦屋」の粋人丸(すいじんまる)

・第十一つり新丸

・田中屋

・ 「船宿豆や」(HP)の屋形船「第15豆丸」


・ 「品川船清」(HP)の屋形舟「おと姫」。台場公園前お光景です。

tag : 隅田川テラス
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