六阿弥陀詣

○六阿弥陀詣

 六阿弥陀は、行基が一本の木から六体の阿弥陀を刻み上げて、阿弥陀作成を依頼した長者が六ヶ寺に六体の阿弥陀を一体ずつ安置したといわれています。木余りを加えた七阿弥陀を彼岸に巡礼します。木残りは便乗のようで加えらていないのが普通です。
 足立姫が舅の嫁いびりによって死を選んだことから、女人成仏の寺として女性の巡拝が多かったようです。

 さて、中禅寺湖の領有をめぐって、赤城山の神と男体山(二荒山や黒髪山は別名)の神が争い、戦場が原の決戦で、神様はヘビとムカデの化身で戦ったのですが、
  群馬の伝説では、赤城山=ヘビ、男体山=ムカデ。
  栃木の伝説では、男体山=ヘビ、赤城山=ムカデ。
 勝者は、全く逆となっていて、それぞれ地元の神が勝っています。

 伝説は地元贔屓な話となっており、六阿弥陀伝説でも、1番西福寺と2番延命院は、ともに恵明寺の末寺ながら加害者と被害者が逆転しています。

 六阿弥陀詣は、一巡六里といわれ(ハーフマラソンより長いですね)、江戸名所図会では、一日で廻るのは大変なことを示唆しています。

 川柳にも詠まれています。
 「六つに出て六つに帰るを六阿弥陀」(日の出から日没まで歩き通し。)
 「四五番目で腰のふらつく六阿弥陀」(終盤はきつい。)
 「六阿弥陀翌日亭主飯を炊き」(翌日女房は筋肉痛で動けない。)
 「六阿弥陀みんな廻るは鬼婆」(女性特に老婆の参詣が多く老婆はみんな廻った。)

 正岡子規が詠んでいます。
 「野の道や梅から梅へ六阿弥陀」

一番 豊島村  西福寺(北区) 記事
二番 小台村  延命院(足立区) 記事
※小台村の飛地に阿弥陀堂があり沼田の六阿弥陀と呼ばれる。明治9(1876)年廃寺、本寺の恵明寺が阿弥陀堂を管理。荒川放水路開削工事により阿弥陀堂廃止、阿弥陀仏は恵明寺に移される。 記事
三番 西ヶ原村 無量寺(北区) 記事
四番 田畑村  与楽寺(北区) 記事
五番 下谷広小路 常楽院(台東区・別院)※調布市に移転 記事
六番 亀井戸村 常光寺(江東区) 記事
木余 宮城村  性翁寺(足立区) 記事
木残 西ヶ原村 昌林寺(北区) 記事


「江戸名所図会 六阿弥陀廻」(国立国会図書館蔵)

 「江戸名所図会」に六阿弥陀廻の賑わいが描かれています。 駕籠で詣でる人もいたようです。六阿弥陀詣の名所である熊之木を描いていると推定します(延命院の項で詳述します)。

(挿絵説明)
「春秋二度の彼岸には六阿弥陀廻とて日かげの麗かなるに催され都下の貴賎老いたる若き、打群つつ朝とく宅居を出るといへども行程遠ければ遅々たる春の日も長からず秋はことさら暮れやすうおもはるべし」

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「東都歳事記 彼岸六阿弥陀参」(国立国会図書館蔵)

 東都歳事記に六阿弥陀参の全体図が描かれています。3枚を連結しています。
 巡拝の順番は、⑤常楽院→④与楽寺→③無量寺→①西福寺→②延命院→(木余性翁寺)→⑥常光寺の時計回りが一般的。

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「東都遊覧年中行事」(春陽堂 昭和2年出版より 国立国会図書館蔵)

 時計回りに常楽院から常光寺まで「いろはにほへ」と六阿弥陀道の行程が描かれています。常光寺の後に回向院に寄って、両国橋を渡って江戸に戻ってくる案内図となっています。
 「ひがん中はさんけいあまたある故、道をしらざる人も参詣の人に随ひゆけば道にまどふことなし。」と記載されています。

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「滑稽六阿彌陀詣」(十返舍一九)(「滑稽名作集」博文館(明治43年)所載より)

 挿絵「六阿弥彌詣人之図」には、16名の人物が描かれ、「世をすてぬ尼」「ていしゅのある後家」「むかうみずの娘」など7名の女性が描かれています。

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「武州江戸六阿弥陀巡拝之図」(文政12(1829)年 足立区立郷土博物館所蔵)

 文政12(1829)年に六阿弥陀四番与楽寺が作成した「武州江戸六阿弥陀巡拝之図」です。「熊の木入」の位置がなぜここに記載されているのか気になります。

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「江戸近郊道しるべ」(村尾嘉陵)

 文政13(1830)年5月、村尾嘉陵は、六阿弥陀詣をして記録に残しています。
 (香取大明神)→常光寺→(東の森・請地・白髭社)→橋場の渡し→(真崎いなり)→千住の大橋→(西新井村弘法大師)→性翁寺→延命院→沼田の渡し(六阿弥陀の渡し)→西福寺→無量寺→与楽寺→長福寺(常楽院)の順に詣でています。反時計周りです。
 西新井大師や高野胡録神社に、浅草や野田の人たちによる六阿弥陀道の道標があり、西新井大師もコースに入れる人も多かったのではないかと伺えます。

「六阿弥陀路程」が掲載されています。

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 一番西福寺は、当初の名称は、長福寺でしたが、享保初めに西福寺と改称しています。三番無量寺も当初の名称は長福寺、五番常楽院の当初の名称は長福寿寺でしたが、九代将軍家重の幼名が長福丸であったため、改称しています。
 長福寺(西福寺)は冠称として元木あるいは本木を使用していましたが、これは木の元、本を意味していました。性翁寺は、余りの木の根を意味して木余りまたは根元を冠称としていました。しかし地名と混同されていたようで「江戸近郊道しるべ」(村尾 嘉陵)でさえ、長福寺(西福寺)の所在地を「足立郡本木」と間違えています。

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「放水路」(永井荷風)

 大正3(1914)年秋の彼岸、永井荷風は井上唖々と六阿弥陀詣をしました。放水路の開削工事により、田舎道の改修や古い寺が移転したりする様を見たくなかった荷風はこれを最後に遠ざかっています。
 「田舎道の新しく改修せられる有様を見たくなかったのみならず、古い寺までが、事によると他処に移されはしまいかと思ったからである。」

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