ぼく、トラのもん。

○ぼく、トラのもん。 港区虎ノ門2-6-1 虎ノ門ヒルズステーションタワーアトリウム

 虎ノ門ヒルズ駅に直結した虎ノ門ヒルズアトリウムに、「ぼく、トラのもん。」(Hello, I'm TORANOMON.)が立っています。

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tag : 虎の門銅像

興昭院(こんにゃく閻魔)

○興昭院(こんにゃく閻魔) 港区虎ノ門3-10-8

 慶長16(1611)年に智相院が創建、寛永8(1631)年に随養院が創建。明治16(1883)年に随養院が再建され、随養院と教受院との両寺名を取って、随教院と変更されます。
 昭和3年(1928年)に智相院と随教院とが合併して、智相山随教寺興昭院と改めたといいます。

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<石造閻魔王像(こんにゃく閻魔)> 港区文化財

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(標柱)
「港区の文化財 興昭院 石造閻魔王像(こんにゃく閻魔)
 石造閻魔像は、天保九年(一八三八)刊行の『東都歳事記』正月十六日の条に『閻魔参り』として真向かいの栄立院の木造閻魔(現存せず)とともに記載されている。
 この閻魔は、眼病に霊験あらたかとして信仰され、祈願者の願いが成就した時には、そのお礼として「こんにゃく」を供えるならわしとなっていた。現在その風習は失われているが、当時の民間信仰を知る貴重な像である。
 像高はおよそ一○五センチメートル、風化が進んでいるが、筍を持ち、上方に開いた方形の冠をつけ、口を開いた忿怒の相であることはわずかにうかがい知ることができる。
  平成四年三月三○日 東京都港区文化財総合目録登録
  東京都港区教育委員会」

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「東都歳事記」

 正月十六日の閻魔参りに、「隋養院」「栄立院」が記されています。

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<聖観世音菩薩/共生塔>

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○栄立院 港区虎ノ門3-11-7

 「東都歳事記」に、栄立院の木造閻魔が記されていますが、失われています。

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tag : 虎の門

栄閑院(杉田玄白墓)

○栄閑院(猿寺) 港区虎ノ門3-10-10

 栄閑院は、通称『猿寺』と呼ばれ、寛永の頃(1624〜1643)、猿回しに扮した泥棒が寺に逃げ込み、住職に改心させられ猿を置いて諸国行脚に旅立ち、人に慣れた猿は寺の人気者になったことに由来します。
 杉田玄白の墓があります。福井県のHPでも紹介されています(こちら)。


 山門、標柱「都史跡 杉田玄白墓」

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 表札「さる寺 榮閑院」
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<杉田玄白墓> 東京都史跡

(説明板)
「杉田玄白墓
  所在 港区西久保巴町九八 栄閑院内
  指定 昭和四十一年三月十七日
 杉田玄白(一七三三〜一八一七)は江戸中期の蘭医、蘭学の祖である。若狭小浜藩の藩医杉田甫仙の子、名は翼、字は子鳳、号は鵜斎、九幸翁など。江戸に生まれ、西玄哲に外科、西幸作にオランダ外科を学んだ。前野良沢、桂川甫周らとオランダ語解剖書を翻訳した『解体新書』は日本医学史上画期的な文献である。文化十二年(一八一五)に脱稿した『蘭学事始』は『解体新書』翻訳の苦心談を回想した点で有名である。このほか「形影夜話」「野叟独語」などの著書がある。
  昭和四十三年三月一日 建設  東京都教育委員会」

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「杉田玄白先生墓へおまいりの人は、ご自由にお入りください」

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(正面)
 「九幸杉田先生之墓」
  杉田玄白の号が「九幸」で、「幸」の隷書体と、「杉」の隷書体で刻まれています。
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(左側面)
 「文化十四丁丑年四月十七日歿」
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(右側面)
 「故杉田玄白
  贈正四位
  明治四十年十一月十五日
  宮内大臣正ニ位勲一等伯爵田中光顕奉」
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○杉田玄白肖像
 享保18年9月13日〜文化14年4月17日(1733年10月20日〜1817年6月1日)
 小浜藩医杉田甫仙の子。名は翼、字は子鳳、号は「い齋」のちに九幸翁。小浜藩医。前野良沢、中川淳庵らと『解体新書』を訳述し、安永3年(1774)刊行。家塾天真楼で大槻玄沢などの弟子を育てる。

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「蘭学事始」(杉田玄白著 天真楼 明治2(1869)年)
 『解体新書』翻訳出版の苦心など蘭学草創期についての杉田玄白による回想録。文化12年(1815)脱稿。
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「小田野直武による解体図扉絵」(解体新書より 国立国会図書館蔵)
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(参考)
 「平賀源内墓」(杉田玄白による墓碑銘)
 「須原屋茂兵衛」(解体新書を版行)
 「長崎屋跡」(杉田玄白も訪問)
 「蘭学の泉はここに」(前野良沢ら3人が奥平家中屋敷で『ターヘル・アナトミア』を翻訳)
 「観臓記念碑」(小塚原で刑死者の腑分けに立会う)
  「時の町奉行曲淵甲斐守殿の家士得能万兵衛といふ男より手紙もて為知越せしは、
   「明日、手医師何某といへる者、千寿骨ヶ原にて腑分いたせるよしなり。 御望ならば、彼かたへ罷越れよかし」
   と言文おこしたり。」(解体新書より抜粋)


<猿塚>

 昭和57(1982)年銘の「猿塚」です。

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<猿の場所は、>

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 本堂屋根の左右両端
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 向拝の左右の木柱上部
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 参道の左右の石柱
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<福禄寿>

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<水子地蔵尊>

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<釈尊安座納骨塔>

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<池>

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<墓石など>

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<開運出世大黒天>

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<薬師如来>

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<本堂>

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 扁額「久遠山」
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tag : 杉田玄白虎の門

虎ノ門金刀比羅宮

○虎ノ門金刀比羅宮(ことひらぐう) 港区虎ノ門1-2-7

 当宮は丸亀藩の江戸藩邸の邸内社として万治3(1660)年に創建されました。その後丸亀藩は毎月10日に限り江戸庶民の参拝を許可しました。

「江戸切絵図」

 丸亀藩の上屋敷と「コンピラ」が記されています。

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「絵本江戸土産 虎の門金比羅社葵坂」(広重)

 挿絵には「讃州丸亀の神社をこの所に摸して霊験ことに新なりとて毎月十日参詣夥し」とあります。

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「名所江戸百景 虎の門外あふひ坂」(広重)

 星空に三日月と雁、堰を落ちる水、榎の巨木のシルエットと葵坂が描かれています。
 寒行裸参りの職人が持つ長提灯に「金比羅大権現」とあり、画面の右手前にあるはずの金比羅宮から出てきたところです。
 葵坂には「二八そば」と「太平しっぽく」の暖かい食べ物の屋台が描かれています。

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 寒行裸参りの職人が持つ長提灯に「金比羅大権現」とあり、画面の右手前にあるはずの金比羅宮から出てきたところです。

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「江戸名勝図会 虎の門」(二代広重)

 毎月10日に邸内の金毘羅権現を江戸町民に開放した時の様子が描かれています。門付近は大行列となっています。

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鳥居の霊鳥・霊獣は、金色に彩色されています。

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「東京開化狂画名所 虎の門琴平神社 書生天狗大天狗の鼻ねぢらんとす」(月岡芳年 都立図書館蔵)

 工部大学校の時計塔と校舎が描かれているので、書生天狗は工部大学校(こちらで記載)の学生でしょう。 学生は官費生として厚遇を受けていました。工部大学校の学生になることができて天狗となり、神社の眷族である大天狗に悪戯するとは良くないですね(自分の解釈)。

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<社業標/正面鳥居>

 「社号標」には、「金刀比羅宮 海軍大将 加藤寛治敬書」とあります。

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(掲示)
「虎ノ門金刀比羅宮縁起
当宮は虎ノ門金刀比羅宮と稍し東国名社の一
創祀は万治三年(一六六○)讃岐丸亀城主京極高和の時邸を愛宕下に移し 同時遷座 延寶七年(一六七九)なり 爾来御神威愈々広く大衆の信仰として親しまれ 豊漁万帆 海陸安穏 福徳守護の御神徳は当宮の御神紋丸金と共に益々篤きものなり
御祭神 大物主神 崇徳天皇
大祭  十月九日・十日
初こんぴら 一月十日
御縁日 毎月十日」

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<裏鳥居>

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 提灯には神紋の「○に金」と、もう一つの神紋「天狗の葉団扇」が描かれています。
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<銅鳥居> 港区文化財

 円柱の霊鳥・霊獣は、江戸時代には金色に彩色されていました。

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(標柱)
「港区指定有形文化財・建造物 銅鳥居
この銅鳥居は、虎門外の讃岐丸亀京極家(約五万石の大名)の江戸屋敷に勧請された金毘羅宮(現金刀比羅宮)の鳥居です。文政四年(一八二一)十月に奉納された明神型鳥居で、「金刀比羅大神」の扁額が掲げられています。円柱には青竜・玄武・朱雀・白虎の霊鳥・霊獣が飾られ、下部には奉納関係者の名前が刻まれています。願主・世話人の多くは芝地域の商人と職人でしたが、江戸市中の地名・人名もみられます。
江戸では諸藩邸内の神仏を一般に公開し、賽銭収入も期待されていたようです。江戸庶民の信仰を反映したこの派手な鳥居は、当時の人々の宗教的・文化的活動の実態を示す貴重なものです。
  平成十三年十月二十三日指定 港区教育委員会」

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<新吉原奉納>

 銅鳥居には、新吉原の各町の遊郭が数多く刻まれています。

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 文政四年(1821年)奉納の願主に3名の名があります。そのうちの1人が新吉原京町1丁目「若松屋藤右エ門」です。
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 世話人に「新吉原角町 松葉屋半蔵」とあります。
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 仲ノ町には、ここにも「駿河屋市兵衛」の名があります。新鳥越2丁目には、「岡田屋忠七」「八百屋善四郎」の名があります。
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<百度石> 港区文化財

 元治元(1864)年銘の百度石です。百度石のてっぺんはつるつるに光って、賽銭がおかれています。

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(標柱)
「港区の文化財 金刀比羅宮 百度石
百度石は、いわゆる「お百度参り」の際に用いられたもので、神殿とこの石の間を往復して願掛けをしました。願掛けの一種である「お百度参り」は、江戸時代に盛んに行われましたが、特に都市部に目立つ個人祈願の一形態で、その多くは病気治癒の願掛けであったといわれます。
正面に「百度石」、背面には「大願成就 願主□心道 元治元甲子年(一八六四)十に月吉日」の銘があり、願がかなえられたお礼に建てられたものであることがわかります。
こうした百度石が保存されているのは、区内では非常に珍しく貴重です。
  平成九年三月十一日 港区文化財総合目録登録」

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<社殿> 東京都選定歴史的建造物

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 神紋の「○に金」と、「天狗の葉団扇」が見えます。
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(説明板)
「東京都選定歴史的建造物
 虎ノ門金刀比羅宮
   所在地 港区虎ノ門一丁目2番7号
   設計者 伊東忠太
   建築年 昭和26年(1951)
 讃岐丸亀藩主の京極高和が領地・讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後延宝7年(1679)に現在の地虎ノ門に移る。こんぴら人気が高まった文化年間に京極家では毎月10日に限り一般の参詣を許し、大変賑わったといわれる。
 社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。ともに総尾州檜造り、銅板葺きである。日本最初の建築史家、伊東忠太の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられている。
 なお、幣殿奥の本殿は、昭和58年(1983)に復興されたもので、鉄筋コンクリート造、銅板葺きとなっている。
  東京都生活文化局」

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<結神社>

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<喜代住稲荷神社>

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 2社の間に由来がわからなかった石碑があります。

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<社務所>

 平成16(2004)年に、境内に虎ノ門琴平タワーが完成し、社務所はその一階にあります。

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※加筆して再アップしました。

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tag : 歌川広重邸内社新吉原奉納虎の門月岡芳年

オークラ東京

○オークラ東京 ロビー展示 港区虎ノ門2-10-4

<オークラ東京>

 「オークラ東京」は、大倉邸跡に建っています。

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<ロビー展示>

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 1962 メインロビーの歴史
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 2015 解体を惜しむ声
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 2019 生まれ変わったロビー
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tag : 虎の門

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