今宮神社(今宮五社)

○今宮神社(今宮五社) 文京区音羽1-4-4

 元禄10(1697)年、桂昌院の発願により、京都紫野(桂昌院の出身地で崇敬)の今宮神社から御分霊を勧請し護国寺境内に鎮座しました。
 神仏分離により、明治6(1873)年7月、護国寺境内から現在地に遷座しました。
 通称の「今宮五社」は、伊勢神宮・今宮神社・春日大社・岩清水八幡神社・熊野大社を表しています。

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<江戸名所図会>
 護国寺本堂の裏に「今宮」の記載と、鳥居と社殿が描かれています。神仏分離により、護国寺境内から音羽に遷座しています。

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<今宮神社御由緒>

 御由緒の転記は一部省略しましたが、多くの御祭神をお祀りしています。ご利益はなんでも幅広い。

「今宮神社御由緒(通称今宮五社)
    文京区音羽一ノ四ノ四鎮座
    旧文京区音羽九丁目二十番地
 当社は元禄十年(一六九七)十月徳川五代将軍綱吉、犬公方の御生母桂昌院殿の発願により、護国寺御建立の時、同所に京都柴野今宮神社より御分霊を迎えて鎮座した。明治元年の神仏分離により明治六年七月音羽九丁目の現在地に遷座した。
 五社今宮とは、伊勢神宮・今宮神社・春日大社・岩清水八幡神社・熊野大社を示している。
 創祀以来三百年余青柳・音羽・桜木の鎮守神として崇敬され、明治十二年十二月にはコレラ伝染除の祭典が執行され、京都今宮神社同様病気平癒の御利益があったとのことである。狛犬は宝暦四年(一七五四)八丁堀の石工小右エ門作である。(以下略)」

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<手水鉢>
 鉄分含んでいるようで、白い痕跡も気になります。地下水ですね。

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<狛犬>
 宝暦4(1754)年の造立です。

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<天水桶>
 中はコンクリートが詰っています。

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<拝殿>
 扁額は、「今宮神社 内閣総理大臣鳩山一郎謹書」
 お隣は、鳩山会館(元鳩山邸)ですからね。

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<天日鷲神社>
 社殿右脇に天日鷲神社。明治9(1876)年に鎮座。

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吹上稲荷神社 富士見坂

○吹上稲荷神社 文京区大塚5-21-11

 元和8(1622)年、徳川秀忠が下野国日光山より稲荷大神の御神体を戴き、江戸城中紅葉山吹上御殿に「東稲荷宮」と称し創建、その後松平大学頭家・大塚村(小石川4丁目)へ遷座、吹上稲荷神社と改名したといいます。その後、護国寺、薬師寺等に移遷し、明治45(1912)年に現在地に遷座したといいます。

<一の鳥居と社号標>

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<二の鳥居>

 二の鳥居と神額

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<皇威宣揚>

 山縣有朋の篆額です。明治三十九年八月明治三十九(1906)建立。文面から日露戦争の紀念碑です。

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<吹上稲荷神社略記>

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<神狐>

 宝暦12(1762)年2月奉納の石造の神狐です。

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<幟>

 稲荷神社は赤い幟が多いのですが、こちらは紫色の幟です。数多く奉納され圧巻です。

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<拝殿>

 賽銭箱には葵の紋です。

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○富士見坂 文京区大塚2丁目~5丁目

(説明板)
「 富士見坂  大塚二丁目と五丁目の間
 坂上からよく富士山が見えたので、この名がある。高台から富士山が眺められたのは、江戸の町の特色で、区内には同名の坂が他に二ヶ所ある。坂上の三角点は、標高28.9mで区内の幹線道路では最高地点となっている。むかしは、せまくて急な坂道であった。大正13(1924)年10月に、旧大塚仲町(現・大塚三丁目交差点)から護国寺前まで電車が開通した時、整備されて坂は緩やかになり、道幅も広くなった。また、この坂は、多くの文人に愛され、歌や随筆にとりあげられている。
  とりかごをてにとりさげてともとわがとりかひにいくおほつかなかまち
                        会津八一(1881~1956)
  この道を行きつつ見やる谷越えて蒼くもけぶる護国寺の屋根
                        窪田空穂(1877~1967)
  文京区教育委員会 平成14年3月」

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護国寺 墓地

護国寺 墓地

○明治維新と護国寺

 護国寺は幕府の祈祷寺で檀家を持たず、修繕費用は幕府が助成していました。幕府は享保2(1717)年に助成を打ち切り、開帳などで自力で費用捻出するようにと方針転換しました。このため、年間を通して集客できる西国札所写三十三所や富士塚の設置と苦労していたようです。
 明治4(1871)年、明治政府の寺社領上知令により、護国寺領は官有とされます。さらに、明治6(1873)年、明治政府は、境内地4万6千坪のうち、東側の1万9,783坪(順次拡大)は宮家の墓所として、西側の5千坪は陸軍省埋葬御用地として上知(接収)させます。
 豊島岡墓地は、明治6(1873)年に1万5千坪、明治16(1883)年に4千坪のを護国寺境内地を上知させ、その後、民有地の買い上げ、交換により総計2万4千坪となります。陸軍省埋葬御用地については後述。
 護国寺の境内は、2万3千坪ほどに縮小しています。(寛永寺と増上寺は、明治6(1873)年の太政官布告により、境内の一部は上野公園と芝公園となりました。)
 明治24(1891)年、太政大臣三條実美の墓所が護国寺に営まれたことが、転換の起因となります。三條実美自らも成立に関わった豊島岡御陵を望むことができる環境にあり、閑静な霊域ゆえのことでした。やがてこの霊域を墓所とする山縣有朋や大隈重信など続出していき、多くの檀家を持つようになっていきます。
 幕府の祈祷寺であった護国寺は、現在では明治時代に名を残した多くの方々が眠っています。
 (以上、護国寺略史及び東京市史稿を参照しました。)


○霊廟

 観音堂の裏に霊廟があります。平成8(1996)年に完成。阿弥陀様の銅像の下は、地下3階建の1672基の納骨堂となっています。

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○松平治郷公の墓

 江戸時代の大茶人、松平不昧公(松江藩第7代藩主松平治郷)の五輪塔です。関東大震災の被害を受け、港区芝の天徳寺から移されました。

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○三條実美公の墓 東京都指定旧跡

 左に三条実美公の墓、右に夫人の墓です。太政大臣(現在の総理大臣)であった三条実美がこの地に墓所を営んだことが、護国寺の檀家が増えていく契機となりました。

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(説明板)
「東京都指定旧跡
 三條實美墓
  所在地 文京区大塚五の四〇の一護国寺墓地内
  標識 昭和一五年二月
  指定 昭和三〇年三月二八日
 三條實美(一八三七ー九一)は幕末・明治前期の公卿・政治家です。贈右大臣三條實萬の第四子として生まれ、安政元年(一八五四)に家督を継ぎます。父の影響もあり尊王攘夷派公卿として活躍します。文久三年(一八六三)八月一八日の政変により京都を追われ、一時長州へ下ります(七卿落ち)。第一次長州征伐後の慶応元年(一八六五)に大宰府に移り、同三年(一八六七)の王政復古により京に戻ります。明治政府の副総裁などの要職に就き、明治四年(一八七一)から廃止されるまでの明治一八年(一八八五)まで太政大臣に任じられます。明治二四年(一八九一)五五歳で病死します。
  平成二四年三月 建設  東京都教育委員会」

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<内大臣正一位大勲位三條公神道碑>
 明治天皇の勅命により、三條実美公の墓所の墓道に建てられた神道碑。

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<感舊之碑>
 三條実美公の墓所の墓道に建てられた感舊之碑。

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<三條実美公(近世名士写真 昭和10年)>(近代日本人の肖像
 天保8年2月8日〜明治24年2月18日(1837年3月14日〜1891年2月18日)

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(参考)
 ○三條実美公の別邸「対鴎荘」(「荒川区説明板」「台東区説明板」)
 ○明治天皇御製碑(隅田公園)
 ○三条実美筆
  「二天門」額(浅草寺)
  「浅草文庫」朱印(浅草文庫跡)


○大隈重信公の墓

 鳥居と手水鉢は、早稲田大学の奉納です。

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<大隈重信公(近世名士写真 昭和10年)>(近代日本人の肖像
  天保9年2月16日〜大正11年1月10日(1838年3月11日〜1922年1月10日)

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○コンドル氏墓 文京区指定史跡

 護国寺にある墓で、説明板があるのは、三條実美墓(東京都指定旧跡)とコンドル墓(文京区指定旧跡)です。

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(説明板)
「コンドル墓  区指定史跡
 ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)は、1852年ロンドンに生まれ、大学で建築学を学び、のち、日本政府の要請により明治10年(1877)来日した。当時、我が国は文明開化政策の中で各国より幾多の文化をとり入れたが、西洋建築に関しては手さぐりの状態であった。
 彼は、工部大学校(東京大学工学部の前身)教授として学生を指導するかたわら、鹿鳴館・ニコライ聖堂・岩崎邸・旧古河邸等多くの建築物をつくり、我が国の近代建築の基礎形成に貢献した。また、辰野金吾、片山東熊、曽禰達蔵ら多くの俊才を育てた。一方、『日本の造園』『日本の華道』著わすなど、日本研究の分野でも活躍し、我が国の文化、芸術を海外に紹介した。日本を愛したコンドルは、日本女性クメ夫人とともにこの地に永眠している。
  文京区教育委員会  昭和61年3月」

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(墓碑)
 コンドルの娘、ヘレン・アイコ・グルート(ハル)(明治13(1880)年〜1974年)による建立です。コンドル死亡時に夫君とバンコクから来日しました。
「IN MEMORY OF
 JOSIAH CONDER F.R.I.B.A.
 BORN SEPT.28.1852. DIED JUNE 21. 1920
 AND OF HIS WIFE
 KUME CONDER
 BORN DEC.16.1854 DIED JUNE 10. 1920
 "LIFE'S WORK WELL DONE"
 " LOVING AND TRUE"
 +
 工學博士ジヨサイヤコンデル之墓
 大正九年六月二十一日
 妻コンデル久米子之墓
 大正九年六月十日
 ERECTED BY THEIR DAUGHTER」

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「ジョサイア・コンドル」
 1852年9月28日〜1920(大正9)年6月21日
 明治10(1877)年に工部省に招かれて来日し、工部大学校(現東大)で建築学を教え、辰野金吾ら多くの建築家を育成しました。

「コンドル博士遺作集」(コンドル博士記念表彰会 昭和7年)

 コンドル肖像と墓(護国寺)
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 博士銅像除幕式(東京大学)
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 コンドル肖像と遺作品展覧会
 大正9(1920)年4月18日、日本建築学会が社団法人15周年を記念し、ジョサイア・コンドルの肖像画(白瀧幾之助作)を寄贈。コンドルの寝室に掲げられていました。
 コンドルのコレクションは、娘のグルート夫人が相続し日本を離れることになり、離日前に遺作品展覧会が開催されました。コレクションは海外に散逸しますが、肖像画はその所在が判明し、遺族から平成4(1992)年に東京大学建築学科へ寄贈されました。
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 日光神橋
 コンドルは来日した明治10(1877)年の夏季休暇に日光を訪れた際に画いた日光神橋の写生画です。コンドル思い入れの作で、常に居室の壁間に掲げていました。現在は所在不明の写生画です。
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「ジヨシア・コンドル 東京帝国大学名誉教師」(東京帝国大学 小川一真 明治37年)
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「ジョサイア・コンドル」(丸ノ内今と昔 富山房 昭和16年)
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(参考)
 「工部大学校阯
 「鹿鳴館跡
 「一丁倫敦
 「訓盲院跡


○大倉喜八郎氏の墓

 大倉財閥創設者、大倉喜八郎氏の墓所。夫人と一緒に大きな宝塔が並んでいます。

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「大倉喜八郎肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
  天保8年9月24日〜昭和3年4月22日
 (1837年10月23日〜1928年4月22日)
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「ニコニコ写真帖」(大正元年)
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(参考)
 帝国ホテルで。左は帝国ホテル初代会長渋沢栄一翁、右が2代目会長大倉喜八郎翁。渋沢栄一と帝国ホテルで記載
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○山縣有朋公の墓

 大倉喜八郎氏の墓所の右隣に、鳥居のある山縣有朋公の墓所があります。門と鍵はありますが施錠はされていませんでした。お墓は夫人と一緒に並んでいます。

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<公爵山縣家累代墓>
 観音堂の横にある公爵山縣家の墓所です。山縣有朋公のお墓もあるのかと思ったら別なんですね。

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<山縣有朋公(近世名士写真 昭和10年)>(近代日本人の肖像
  天保9年閏4月22日〜大正11年2月1日(1838年6月14日〜1922年2月1日)

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(参考)椿山荘(山縣有朋公の邸宅・庭)
(参考)
 ○椿山荘(山縣有朋公の邸宅・庭)
 ○山縣有朋の揮毫碑
  「梔園小出翁碑」(護国寺)
  「皇威宣揚」(吹上稲荷神社)
  「櫻痴居士福地君紀功碑」(浅草寺奥山)
  「普國警察大尉ヘーン君表功碑」(三囲神社)

○安田善次郎氏の墓

 安田善次郎は、安田財閥の創設者です。墓所の周囲は塀で囲まれています。塀の外から、安田家累代墓が見えます。

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(参考)「富士銀行創業の地」(こちらで記載


○大山倍達墓所

 「大山倍達
  空手バカ一代
  雲を得て龍となり
  カラテの父となる」

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○護国寺歴代大僧正の墓

<亮賢僧正墓> 東京都指定旧跡
 亮賢(1611-1687)は護国寺の開山です。桂昌院を祈祷し、綱吉誕生を占ったとされます。綱吉に「生類憐みの令」を勧めたとも言われています。

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<義海大和尚位>
 「長谷寺第六十一世 護国寺第四十三世 大僧正義海大和尚位」
 不老門の横にも大きな感応碑がありますが、こちらも大きな石塔です。

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<地蔵大菩薩>
 表には、地蔵大菩薩が線刻されています。
 裏には、 「奉建立地蔵大菩薩者為山内安全滅罪生善也 大正十五年十一月廿四日 護国寺貫首沙門良行建之」

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<大了和尚塔銘>
 「故大僧正大了和尚塔銘」
 高志大了僧正(1834-1898)は、明治16(1883)年に護国寺第45世住職となった方。

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○音羽陸軍埋葬地

 戦後、陸軍墓地の所有は陸軍省から大蔵省に移され、東京都への移管を経て、昭和24(1949)年に護国寺が権利を得ました。
 埋葬地の改葬により、将校墓地に集約され、音羽陸軍埋葬地が昭和32(1957)年10月に完成しました。
 陸軍墓地は、現在は文京区立青柳小学校と普通の墓地になっています。
 江戸名所図会の挿絵を見ると、旧陸軍墓地は、西国札所写三十三所観音が設置されていた場所のようです。

<入口と説明碑>
 門には、陸軍の徽章だった五芒星があしらえられています。

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 入ってすぐ右手に「音羽陸軍埋葬地 英霊之塔の由来」碑があります。なぜか横に砲弾が転がっています。

(碑文)
「音羽陸軍埋葬地 英霊之塔の由来
 この地は戦前、明治以降の近衛その他の在京部隊に在籍し、幾多の戦役等で身を挺して勇戦敢闘され、国に殉じた二千四百余柱の英霊を埋葬した墓地でしたが、戦後は護国寺が管理しています。
 本英霊之塔は昭和三十二年十一月、護国寺第五十一世岡本教海大僧正の建立によるもで中央に英霊と仏像を安置した英霊之塔、その周囲に有縁墓地四十を配して、現在の姿に改葬され、殉国の英霊の眠る聖地となりました。毎年十一月には、その遺徳を偲び顕彰する慰霊祭が行われ、敬虔な感謝の誠が捧げられております。
  平成七年十一月十一日  社団法人日本郷友連盟東京都支部」

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<音羽陸軍埋葬地英霊之塔>
 埋葬地中央に「音羽陸軍埋葬地 英霊之塔」があります。

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<多宝塔/多宝塔の由来>
 日清戦争の遺骨が多宝塔の下に埋葬されています。
 平成8(1996)年に忠霊堂の裏から音羽陸軍埋葬地に移築されました。

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(碑文)
「護国寺の多宝塔の由来
 この多寶塔はもと当山の薬師堂の西側に、明治二十五年十二月二十一日に建立されたものである。明治二十七・八年の日清戦争で遼東半島の各戦場の野に戦病没した軍人の遺骨を蒐集本国に送還し、一時京都泉涌寺の舎利殿に仮安置された。明治三十五年秋、多寶塔の正面に拝殿としての忠霊堂が完成、同年十一月二日当山に遺骨が移され、塔下に埋葬、慰霊大法要が厳修された。
 その後、この塔は長い年月風雨に曝され、近年破損甚だしく、今般大修理を施し、音羽陸軍埋葬地遺族会の協賛を得て、この地に移築建立したものである。
  平成八年十一月十一日  大本山護國寺」


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護国寺 境内~観音堂(国重文)

護国寺 境内~観音堂

○銅燈籠

 参道の最後の石段を上がると、参道の両側に銅燈籠があります。

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・左燈籠
 台石に「九つ目紋」があります。
 「従五位下 本庄氏宗俊」の文字が読みとれます。
 元禄10(1697)年11月18日の寄進。
 本庄宗俊とは誰ですかね?桂昌院の弟である本庄宗資の次男で、元禄10年当時従五位下・安芸守だった本庄宗俊が、資俊に改名。後に父の家督を継いだ笠間藩主本庄資俊でした。  

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・右銅燈籠
 台石に葵の紋
 「甲州谷村城主
 従五位下但馬守藤原姓秋元氏喬朝」
 甲斐谷村藩主秋元喬知の寄進です。護国寺の普請奉行にも任じられています。

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○観音堂前参道左

<多宝塔>

 昭和13(1938)年4月の建立です。

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<茶道茶碗供養塔>

 多宝塔の裏手に「茶道茶碗供養塔」があります。
 左にもうひとつ石碑がありますが、柵があり近づけないので詳細不詳。

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<茶室>

 実業家・茶人の高橋箒庵(高橋義男)は、大正から昭和初期にかけて、護国寺の数々の茶室や建物を整備しました。9つの茶室のうち、その多くが境内の西側に集中しています。

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<仰木魯堂顕彰碑>

 高橋箒庵のもと護国寺の数々の茶寮や建物を手掛けた棟梁が、仰木魯堂です。
 仰木魯堂顕彰碑は、昭和3(1928)年11月に魯堂輩下の応宣会が建立しました。

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<仰木魯堂の墓>

 音羽講中庚申塔の西のほうにある埋経塚の西側に仰木魯堂の墓があります。
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<月光殿> 国指定重要文化財

 多宝塔の隣にあるのが「月光殿」ですが、裏手にあるので見えません。
 桂昌院の紋所である「九つ目紋」、徳川家の「三つ葉葵の紋」が見えます。

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○観音堂前参道右

<鐘楼(付梵鐘)> 文京区指定文化財

 説明板によると、梵鐘は天和2(1682)年に寄進されたもので、銘文には五代将軍綱吉の生母桂昌院による観音堂建立の事情が述べられているとのこと。
 梵鐘や銅像など、金属供出されずに、良く保存されていると思います。

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<除闇之碑>

 石燈籠見本の脇に建っています。亀趺に乗っている西園寺公望揮毫の「除闇之碑」です。亀趺は、牙がないし、耳もなく、造形は亀みたいです。

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<石灯籠見本>

 大正11(1922)年に実業家・茶人の高橋箒庵(高橋義雄)が寄進した石灯籠の見本です。

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<巨碑四基>

 巨碑が四基並んでいます。右から順に記載。

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<梔園小出翁碑>

 歌人小出粲の顕彰碑。山縣有朋の揮毫。明治42(1909)年2月の建立。

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<報国六烈士碑>

 日露戦争の6兵士の慰霊顕彰碑。明治41(1908)年5月に建立。

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<棋聖宗印之碑 奎堂顕>

 将棋の11世名人8代目伊藤宗印(最後の家元)の顕彰碑。昭和11(1936)年5月建立。
 題字は、清浦奎吾の揮毫です。

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<紀念碑>

 西南戦争で殉死した警察官の慰霊碑。明治13(1880)年の建立。

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○観音宝前銅燈籠と観音堂(本堂)

<観音宝前銅燈籠>

・左銅燈籠
 天和2(1682)年12月吉祥日の寄進。宗資や宗俊のほか複数の氏名が刻まれています。
 台石に「九つ目紋」。銅燈籠には「九つ目紋」があちこちにちりばめられています。

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・右銅燈籠
 「従五位下本庄因幡守藤原朝臣宗資」と刻まれています。貞享2(1685)年初夏吉祥日の寄進。
 本庄宗資は桂昌院の弟で、下野足利藩主・常陸国笠間藩主となっています。
 台石に「三つ葉葵の紋」。銅燈籠には「九つ目紋」があちこちにちりばめられています。

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 (参考)本庄宗資の墓について、法受寺の中で記載


<観音堂(本堂)> 国指定重要文化財

 元禄10(1697)年の造営。震災・戦災を耐えています。

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 本尊は桂昌院念持仏の天然琥珀観世音菩薩(絶対秘仏)です。御前立として木像の如意輪観世音菩薩像が安置されています(毎月18日に御開帳)。

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(参考)「文化財愛護火気厳禁ボード」

 重要文化財のそばに立っているHITACHIの火気厳禁と書かれたボード。日立製作所が、社会貢献の一環として全国の文化財を保護しようと、昭和42(1967)年に始め、いまも続いている活動で、全国の設置数は1008枚。

 文化財愛護シンボルマークは、昭和41(1966)年5月に文化庁が定めています。
 文化庁「文化財保護シンボルマーク

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○観音堂左手

<薬師堂> 文京区指定文化財

(説明板)
「 護国寺薬師堂
        文京区指定有形文化財(建造物)
            (昭和50年11月1日指定)
 薬師堂は、元禄4年(1961)の建立になる一切経堂を現在の位置に移築し、薬師堂として使用するようになったものである。
 大きな特徴は、柱間に花頭窓を据えていることなど、禅宗様建築の手法をとりいれていることである。
 小規模であるが、創建以後大きな改変もなく、元禄期の標準的な遺構として、価値ある建造物である。
  文京区教育委員会  平成26年12月」

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<閼伽井(あかい)>

 閼伽を汲むための井戸です。

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<象供養>

 大正15(1926)年4月15日、第1回象供養が護国寺で開かれました。
 4月15日は象供養の日に制定され、現在も像供養が行われています。
 燈籠と象供養碑があります。

「燈籠」
 表「東京象牙美術工芸協同組合
   創立十周年記念並に象供養九十周年記念之碑」
 横「昭和五十一年四月十五日建之」
 象牙供養90周年の式典は、平成28(2016)年に行われていて、東京象牙美術工芸協同組合は昭和42(1967)年に設立されています。10周年と90周年のつじつまがあわないような。。。

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「象供養 教海書」
 表面:「象供養 教海書」、その下に象が描かれています。
 裏面: 東京象牙美術工藝組合による昭和27(1952)年4月の建立です。

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<忠霊堂>

 日清戦争の戦没者の遺骨を埋葬する多宝塔の拝殿として、明治35(1902)年に建立。
 なお、忠霊堂の裏手にあった多宝塔は、平成8(1996)年に音羽陸軍埋葬地に移築されています。

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<忠魂塚紀念碑>

 忠霊堂の裏に「忠魂塚紀念碑」が建っています。
 碑文には、日清戦役の遺骨を護国寺内に小墳を設け樹を植え目印としたが、ほとんど顧みられなくなったため、大正15(1926)年5月に建碑したと記されています。

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tag : 亀趺桂昌院国重要文化財山縣有朋

護国寺 大師堂 石碑群

○護国寺 大師堂/一言地蔵尊/石碑群

 不老門をくぐると右手に大師堂と一言地蔵尊があります。左手には、かつて西国三十三所写がありました。
 大師堂までの間と境内に、石碑が色々とあります。

・六地蔵
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・針供養塚
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・筆塚
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・安倍仲麿塚古碑
 高橋箒庵は、石灯籠二十墓を寄進した後、阿倍仲麻呂の塚石を碑陰を刻み大師堂前に寄進しました。
 奈良の道具屋で、安倍仲麿塚と彫りつけてある古碑を見つけ、安倍文殊堂の前にあったと聞き、招魂碑としてこれをこの地に建てたものに違いないと考えました。
 塚碑の奥に見えるのが仲麿堂です。
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・仲麻呂堂
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・和敬静寂の碑
 裏千家13代目の鉄中宗室の報恩碑です。
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・不詳の塚
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・修行記念碑
 3人の行者の富士山登山等が記録されています。
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・身代地蔵尊
 身代地蔵尊は、巣鴨プリズンの教誨師だった田嶋隆純大僧正(1892〜1957年、大正大学教授)の発願により、昭和28(1953)年3月に建立されました。台石の下には、戦犯処刑者1,068名の氏名が刻まれた銅版が納められています。また、その後出版された「世紀の遺書」が防蝕処置を講じて納められました。なお、仏教タイムスによると、BC級戦犯の一部遺骨を納めているとのことです。
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・納札塚
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・陰陽道先師留魂碑/留魂碑合祀祭神慰霊碑
 社団法人大日本陰陽会(現日本疫学連合会)が、昭和11(1936)年5月2日建立。
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<大師堂> 文京区文化財

 「堂は、元禄14年(1701)に再営された旧薬師堂を、大正15年(1926)以降に大修理し、大師堂として、現在置に移築したものである。(以下略)」(文京区教育委員会)
 石燈籠は、両燈とも寛政2(1790)年銘です。

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 大師堂の裏の石段を下りると墓地に繋がっています。大師堂の横の石段を上がると鐘楼に出ます。

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<一言地蔵尊>

 一言だけの願いを聞き届けるおじぞうさまです。

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<斜面の石仏・石碑・墓標群>

 大師堂の斜面には石仏・石碑等が多く並んでいます。庚申塔など、音羽講中庚申塔が建っている場所にあったのをこちらに集約したようです。

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(右手の鐘楼下の4基)
・駒型庚申塔。青面金剛をあらわす種子(ウーン)が刻まれています。延宝8(1680)年5月の造立。
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・笠付型(笠がもげていると思われます)庚申塔。延享3(1746)年1月の造立。
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・角柱型庚申塔。正徳6(1716)年5月の造立。
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・西國四國坂東秩父大願成就。
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(庚申塔など)
 斜面最右手の保存状態の良い庚申塔。

・青面金剛庚申塔。足下に邪鬼と三猿。左右面に鶏。元禄2(1689)年の造立。
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・舟型光背型庚申塔。青面金剛像と下には三猿。右に「諸願成就」
 正徳2(1712)年9月の造立。
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・その他
 不動明王、一面八臂の石仏、蛙塚など。他に墓標多し。

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○音羽講中庚申塔 文京区文化財

 薬師堂の裏にある、天明5(1785)年銘の圧巻の庚申塔です。
 造立は、西国札所写三十三所観音が開設された時期です。
 現在は寂れた場所にありますが、大師堂傾斜地に移設された庚申塔も明治時代はここにありました。
 江戸名所図会を見ると、この場所は護国寺裏門からの参道途中です。当時は人通りが多かったと思います。

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(説明板)
「音羽講中庚申塔 一基
    大塚5-40-1 区指定有形民俗文化財
 この庚申塔は、全国にもその例を見ない形式で、当時の民俗や習俗を知る貴重な資料である。塔は規模も大きく(総高210cm)基壇部、台座、塔部から形作られている。
 塔部は台座上の三猿によって空中で支えられ、天明5年(1785)の銘がある。
 台座は須弥壇形式(仏像をのせる台)で、その四面に肉彫り装飾、返花紋様が施され、その彫りは精巧かつ華麗である。基壇部分には、門前の音羽通りの人々76人の名が刻まれている。当時お互いに力を合わせ、金銭を出し合う共同社会の成立や信仰心の深さなどを知る上で、貴重な資料である。
 庚申信仰は、庚申の夜(60日毎)講の当番の家で、般若心経を唱え、なごやかに夜を過ごす風習があった。寝ると体内の三尸の虫が抜け出て、天帝にその人の罪を告げ、早死にさせるといわれていた。
    ー郷土をはぐくむ文化財ー
    文京区教育委員会    平成11年3月」 

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 大工が多く名を連ねているのが興味を引きます。
 西国札所写三十三所観音は、観音像を納める三十三棟の仏堂が建設されており、当てずっぽうですが、これに携わる大工たちも名を連ねているのではないかと思います。

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<主真権僧正の感恩碑かな>

 庚申塔の右に、文字で埋め尽くされた漢文石碑が建っています。
 表「主真権僧正~」
 主真は護持院第17世住職(護国寺第十世住職)で、享保20(1735)年逝去。
 「享保二十年乙卯奉」とあるので、住職が逝去されての感恩碑のようです。隣の庚申塔より古いです。

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