穴守稲荷神社

○穴守稲荷神社 大田区羽田5-2-7 HP

 守稲荷神社は、文化文政期に鈴木新田を開墾する際、鈴木新田の地に祀られました。明治18(1885)年公衆参拝の許可を得て京浜間の流行神となります。昭和20(1945)年9月GHQによる強制退去により羽田神社に仮遷宮、昭和23(1948)年2月現在の地に遷宮しました。

<表参道(西参道)>

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 扁額「穴守神社」を掲げた「鳥居」です。社号標「穴守稲荷神社」。

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「川口穴守稲荷講」奉納の「行灯門」です。

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「鳥居」
  「行灯門」の先にも「鳥居」があります。

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<南参道>

 多くの「講碑」があります。

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<飛龍明神>

 三猿の庚申塔があります。

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<東参道>

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【境内】
<穴守稲荷神社境内略図>

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「社史
 社伝に云う。文化文政の頃鈴木新田(現在の空港内)開墾の際、沿岸の堤防しばしば激浪のために害を被りたり。夜時挺行の腹部に大穴を生じ、これより海水侵入せんとす。ここにおいて村民等相計り堤上に一祠を勧請し、祀る処稲荷大神を以てす。これ実に当社の草創なり。
 爾来神霊の御加護あらたかにして風浪の害なく五穀豊穣す。その穴守を称するは「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」という心なり。
 そもそも稲荷大神は、畏くも伊勢の外宮に斎祀られる豊受姫命にましまして、衣食住の三要を守り給える最も尊き大神なり。吾等一日たりともこの大神の恩顧を蒙らぬ日はなく、実に神徳広大なり。
 殊に当社は明治以来、大正・昭和を通じて、最も隆昌に至った。参拝の大衆日夜多く境内踵を接する如く社頭又殷賑を極め、崇敬者は国内は勿論遠く海外にも及べり。然るに昭和二十年八月終戦にのぞみ、敗戦と云う未曾有の大混乱の中、米軍による羽田空港拡張の為、従来の鎮座地より四十八時間以内の強制退去を命ぜられた。同年九月、地元崇敬者有志による熱意の奉仕により境内地七百坪が寄進され、仮社殿を復興再建。現在地(大田区羽田五丁目2番)に遷座せり。
 爾来崇敬者各位の協力により社殿・神楽殿・社務等を復興し、令和二年春には目出度くも奥之宮を竣工。漸次昔日の面影を取り戻しつつある次第なり。」


<水琴窟>

 「門被之松」が覆いかぶさっています。
 赤い鳥居のある狐さん(小石)の上に柄杓で水をかけます。
 下に埋められた巨大な瓷(高さ84cm 直径66cm)に水が落ちていく際に反響して音色が響きます。

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「水琴窟 東国一」

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(説明板)
「村石家と大瓷の由来
 社史に記されている通り、当神社はかつて羽田穴守町(現羽田空港)に鎮座し興隆を極めた。
 然しながら昭和二十年の敗戦を臨み、GHQの指令により四十八時間以内の強制退去を余儀なくされ、穴守稲荷神社も村石家も不慮も、不慮も嘗ての地を離れざるを得なくなった。
 この大瓷は戦前より村石家で水瓷として用いられていたもので、七十余年の歳月を経て、再び水を湛える事となった。
 穴守稲荷神社と羽田三町の住民が辿った歴史と復興の象徴として令和三年春この大瓷の他、湧水を得るための削井をはじめ作庭改修に係る費用の一式を奉納された赤心は如何許りか知れぬ。
 令和の御代に甦る悦き音色に心を静め、穏やかな心持ちで御前に参詣頂ければ幸いである。
  令和三年四月五日」

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<神楽殿>

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<神木>

 御神木のクスノキは、現在地への遷座に当って植樹されたものです。境内案内図には「大久寿」とあります。

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<輝緑凝灰岩>

(説明板)
「岩石名 輝緑凝灰岩
第三紀より古い地質時代の地層中にはさまれる岩石で 塩基性の玄武岩 安山岩質の火山性岩石で 凝灰岩は 火山活動により出来たものです 武甲山周辺のものは さまざまであるが 主に輝緑凝灰岩の噴出時の火山灰が 海底に堆積し固結した 古代の時代の凝灰岩です 当岩石は 関東山地の古生界の分布する所にあり 地層は秩父古生層と称され古生代末期 二億五千萬年前の 石炭紀二畳紀の時代のものです 岩石の色は 緑色暗緑色で 酸化第二鉄 赤鉄鉱を 含むことにより 赤紫色をした 緻密な 塊状 片状の岩石で 一般にさまざまな形に変質して居ります。
 奉納者
   埼玉県所沢市日吉町十八ノ二十二
       鶴田良作
 昭和五十二年三月八日」

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<手水舎>

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<社殿・本殿>

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<天水桶>

 昭和39(1964)年銘の川口産の天水桶です。

 「製作人川口市 山崎甚五兵衛」

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<社務所>

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○稲荷山(奥之宮)

 令和2(2020)年に奥之宮の改修工事が終わり見事な稲荷山が再整備されています。

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「千本稲荷」

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「御神砂」「必勝稲荷」
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「開運稲荷」
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「出世稲荷」
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「繁栄稲荷」
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<奥之宮>

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「御神砂縁起
 今は昔 羽田浦は要島に一翁あり 要島は干拓く島なれば堤にて固め成されり
 然ど津波に襲し堤破るる事屡なれば 堤の上に祠を構へ 稲荷大神を勧請するに 風浪の害止み 之をもちて穴守稲荷と称す
 或日 翁漁より帰りて魚篭を覗くに 釣せし筈魚は無く只湿砂のみ在り 翌も翌々も大漁なれど同く魚は無く 湿砂のみ在るを訝しく思ひし翁 村衆に此を談る
 衆人此を狐の仕業とし穴守稲荷の社を囲みて狐捕へけれど 翁此を赦し放てり
 此より後 翁漁に出ずる度大漁なり 魚篭には許多の魚と僅なる湿砂あり 嫗此の砂庭に撒くに忽ち千客萬来す 斯くて翁冨を得る
 故 翁に肖り御砂以て招福の徳を得むと 穴守の砂求むる者四方八方より訪れり
 尚 今日に至る」

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<航空稲荷><末廣稲荷><幸稲荷><篠山稲荷>

 稲荷山の二階の踊り場に、4つの稲荷社が祀られています。

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<航空稲荷>

 「空の日」の9月20日、穴守稲荷神社では令和4(2022)年から航空安全祈願祭が復興しています。
 政府が昭和15(1940)年に「航空日」を制定、平成4(1992)年に「空の日」に改められています。9月20日から30日までを「空の旬間」と定め、各地で航空関連のイベントが開かれています。

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(説明板)
「東京羽田 穴守稲荷神社摂社
 航空稲荷御由緒
 首都東京の空の玄関口である東京国際空港(羽田空港)は、かつては穴守稲荷神社の鎮座地であり、羽田穴守町と呼ばれ、神社参詣を主とした京浜間の一大観光地として栄えていました。
 大正六年(一九一七年)、玉井清太郎と相羽有らによって羽田穴守の地に「日本飛行学校」と「日本飛行機製作所」が創立されると、航空の適地としても注目される様になり、その後昭和六年(一九三一年)には神社の北側に「東京飛行場」が開港し、現在の羽田空港の礎となります。しかし敗戦により、神社は連合国軍による東京飛行場接収により、ただ一基の大鳥居だけを空港に残
し、三千人の住民共々強制退去の耐え難き苦難に見舞われますが、信仰は失われる事はありませんでした。
 昭和三十年(一九五五年)五月十七日、羽田空港旧ターミナルビルが穴守稲荷の本殿跡に建設され、その屋上には空の安全を祈念し「穴守稲荷空港分社」を祀る事になりました。以来、航空関係者の篤い崇敬もあり「羽田航空神社」と連れ添って、四十年に渡り空港の安全と繁栄を見守り続けます。
 平成の御世となり空港沖合展開が始まると、旧ターミナルビルが撤去される事になり「羽田航空神社」は、第一ターミナルビルへと遷座、「空港分社」は穴守稲荷本社に合祀されましたが、いずれの御社も穴守稲荷の神職により祭祀を続けられてきました。
 そして穴守稲荷神社令和の大改修を機に、その御神霊は空港分社として数多くの方から驚い崇敬を受けてきた由緒を鑑み、改めて摂社「航空稲荷」として境内に一祠を構え、航空業界を始めとする篤信家たちの協力を得て、復興への第一歩を歩み出します。
 航空稲荷の大神さまは、今日も大空へ羽ばたく飛行機を間近に見行わし、空の安全を願う人々の列なみは、絶える事がありません。」
「穴守稲荷羽田航空史略年表」

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<穴守稲荷上社>

 稲荷山の頂上に「穴守稲荷上社」が祀られています。


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<御嶽神社>

 明治39(1906)年、南多摩郡横山村より遷座、祀られました。明治39年銘の「御嶽神社」碑があり、横山村とあります。

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<下山>

 下り階段は上社の裏手です。

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<狐塚>

 階段を下りると、「狐塚」があります。

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<招福砂>

「招福砂の由緒
このお砂をいただき、家運繁栄あるいは清めのお砂として撒かれますと人の心を和め祓いて導きのある徳、即ち神福が授り商売繁盛、家庭安全、心の願いが叶えられる招福の砂として広く稱えられております。
  穴守稲荷神社」」

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<福徳稲荷>

 狐塚の外に出ると、「福徳稲荷」です。

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tag : 羽田新田開発

羽田の渡し

○羽田の渡し 大田区羽田2-32-30

 川崎大師に参詣する人々は、多くが東海道から分岐する羽田道を利用して、羽田の渡しで多摩川を渡りました。東海道の六郷の渡し先の川崎宿では、商売に差しつかえるので、この渡しの通行を禁止してほしいと公儀に願い出るほどの賑わいをみせていました。羽田の渡しは、昭和14(1939)年に大師橋が開通したことにより廃止されました。

<羽田の渡し碑>

(表面)「はねだの渡し 大田区」

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(裏面)
「羽田の渡し
 古くから、羽田漁師町(大田区)と上殿町(川崎市)を渡る「羽田の渡し」が存在していたという(現在の大師橋下流、羽田三丁目で旧城南造船所東側あたり)。
 この渡しは、小島六佐衛門組が営んでいたので、「六佐衛門の渡し」とも呼ばれていた。
 渡し場付近の川幅は約四○間(約八○m)ぐらいで、「オーイ」と呼ぶと対岸まで聞こえたという。
 その昔、徳川家康が狩りに来た帰りに、お供の者と別れて一人でこの渡し場に来たところ、船頭は家康とは知らずに馬のアブミを取ったという伝説が伝わっている。
 ここで使われた渡し船は、二○〜三○人の人々が乗れるかなり大きなもので、この船を利用して魚介類、農産物、衣料品など、生活に必要な品々が羽田と川崎の間を行き来していた。
 江戸の末には、穴守稲荷と川崎大師参詣へ行き交う多くの人々が、のどかで野梅の多かった大森から糀谷、羽田を通り羽田の渡しを利用するため、対岸の川崎宿では商売に差しつかえるので、この渡しの通行を禁止してほしいと公儀に願い出るほどの賑わいをみせていたという。
 また、明治後期から昭和初期にかけて、川遊びをする船も往来していた。
 物資の交流だけでなく、人々の生活、文化の交流など大きな貢献をしてきた羽田の渡しは、時代の変化とともに多くの人々に利用されたが、昭和十四年に大師橋が開通したことにより廃止された。
  大田区」

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<羽田レンガ堤>

(説明板)
「羽田レンガ堤(レンガ胸壁)の沿革

1 度重なる水害に苦しめられた羽田地区
 羽田は多摩川河口の砂州の上にあったことから、たびたび水害が発生しました。天正17年(1589年)から安政6年(1859年)の間に62回の大洪水があったことが記録されています。明治以降の水害は、明治11年(1878年)、17年(1884年)、40年(1907年)、43年(1910年)の洪水は甚大な被害をもたらしました。

2 羽田レンガ堤の建設
 「水利水運の利便性を高めかつまた洪水及び水害を防ぐ」ことを目的として、大正6年(1917年)9月に内務省によって「多摩川改修計画」が立案されました。堤の整備を含む大規模な河川改修工事は大正7年度着工、昭和8年度完了(工期16ヵ年)しました。
 「多摩川改修工事概要」(内務省東京土木出張所、昭和10年10月発行)には、「羽田地先1632mの築堤の区間は、初め旧堤を拡張する計画であったが、土地の状況を考慮して、工法を変更。旧堤表法肩に鉄筋レンガの胸壁(赤レンガの堤防)を築き、所々に陸閘を設け、堤上は道路に利用することとして、河川住民及び一般の利便を増進させた。」と記されています。また人が堤防をまたぐ為の階段も設けられました。

3 羽田レンガ堤と人々の暮らし
 レンガ堤の外の川側は堤外とか堤外地といわれ、桟橋、造船所、生簀、材木置き場、作業所があり、船大工、魚問屋、鍛冶屋などがなどが住んでおり、船宿や筏宿もありました。昭和20年(1945年)9月21日に進駐軍が鈴木新田(現羽田空港)の住民に48時間以内の強制退去を命じたため、堤外地に移り出てここで生活する人もいました。
 レンガ堤の完成以来、住民は大きな洪水被害も無く安心した生活を過ごすことができました。そして、昭和20年4月15日の米軍空襲の際には、赤レンガ堤の外側で火災を避け避難所とすることができました。赤レンガ堤は水害から、そして戦災から多くの人々の生命財産を守りました。
 昭和48年(1973年)、高潮防潮堤として新たに外堤防が完成し、レンガ堤は洪水を防ぐ堤防としての役割を終えましたが、この地域のかつての水防の姿や人々の暮らしの歴史を物語る近代の遺構として姿を留めています。
  出典:羽田レンガ堤調査報告書(大田区教育委員会 平成23年3月より)」

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<レンガ堤防と小階段>

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<大師橋親柱>

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<パネル「多摩川八景」(運輸省関東地方建設局京浜工事事務所)>

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「名所江戸百景 はねたのわたし弁天の社」(広重)

 羽田の渡しから、羽田弁財天社が見えます。その先には常夜灯が見えます。描かれた渡しの場所は、海老取川の渡し、弁天社から川崎大師への渡し、弁天社近くへ迂回と諸説あるようです。
 常夜灯の袂にあった小さな御穴宇賀神が、羽田弁財天社にとってかわって、明治時代に流行神として大ブレイクします。

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「東海道五拾三駅名所・川崎大師河原真景」(広重)

 対岸の川崎側が描かれています。3コマ目は「大師河原平原寺」です。

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tag : 羽田歌川広重

弁天橋 漁業碑 五十間鼻 福守稲荷

○弁天橋 大田区羽田5丁目・羽田6丁目〜大田区羽田空港1丁目

 海老取川にかかる弁天橋 です。

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<海苔養殖の工程>

 欄干には海苔の養殖の作業工程がレリーフで飾られています。

「ひび作り」
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「ひび建て」
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「海苔取り」
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「海苔付け」
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<武蔵野の路六郷コース> 大田区羽田6-9

 海老取川右岸に「武蔵野の路六郷コース」の標柱があります。堤防沿に散策路が続きます。

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○羽田の漁業碑 大田区羽田6-11

 堤防から下に降りる階段が柵に囲まれていて、その中に「羽田の漁業碑」があります。羽田は、潮水と真水が混じり合う汽水で、多くの魚介類が生息する魚場でした。水質改善により現在はシジミ漁が行われているようです。

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(碑文)
「羽田の漁業
 羽田浦の漁業は、約八三○年前の平治年間、羽田に七人の落人が住みついたときから始まったと言われている。
 江戸時代になってから、漁船、漁師は、参勤交代のときに六郷川(多摩川の河口部)の船橋や補役として、また大阪城夏の陣には軍船として使用された。
 この羽田浦は、魚貝類の大切な栄養源となる淡水が多摩川より大量に流れ出るため、その周辺は絶好の漁場であった。
 この地で水揚げされた魚貝類の鮮度は高く、徳川将軍家に献上したり、江戸の町に運んでいた事実が伝えられている。特に、羽田洲は、「干潟広大にして諸貝を産し、中でも蛤貝を名産とし、汐吹貝、赤貝多し」と『羽田史誌』に記されており、古くから多くの貝類が漁獲されていた。
 かつて江戸湾内の優良漁場であった羽田浦周辺も、昭和三○年代から始まる東京港の埋め立てと航路づくりのため、昭和三七年に海苔漁場の漁業権の放棄が余儀なくされた。
 その後、空港拡張により浅瀬漁場は減少し、以前のような漁村としての姿は薄れつつあるなかで、多摩川河口の船溜りは、昔をしのばせる貴重な場所となっている。
  大田区」

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○案内図 大田区羽田6-11

 五十間鼻に掲示の地図です。「赤レンガの堤防と五十間鼻」の案内文が記載されています。

(案内文)
「赤レンガの堤防と五十間鼻
 羽田のレンガ堤防は、洪水対策として大正から昭和初期にかけて行なわれた多摩川改修工事で建設された。自然堤防上、道路面から腰高ほどのレンガ堤防を建設したのは、堤内外を日常的に往来する羽田猟師町の土地柄への配慮であった。イギリス積み工法による堤防は「赤レンガの堤防」と親しまれ、羽田の原風景ともいえる。そのレンガ堤防の突端、多摩川と海老取川の合流地点には、長さ50間(約90m)の石積みの沈床があり「五十間鼻」と呼ばれる。新防潮堤が完成し隠れてしまったが、今も昔も初日の出の絶景スポットである。
  大田区観光課」

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「赤レンガの堤防」が続いています。

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<鉄道トンネル>

 「東海道貨物線」が海底トンネルで通っています。
 「この河川の下には下記のような埋設物があります。」

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○五十間鼻無縁仏堂 大田区羽田6-11-5

 海に突き出た小さな祠があります。 多摩川と海老取川の合流する場所に、五十間(約90m)に渡って水中に石を敷き詰めたことから名付けられたのが「五十間鼻(ごじゅっけんばな)」です。その上に設けられたのが「五十間鼻無縁仏堂」です。堂内の位牌には「妙法 多摩川五十間端水死横死之諸霊」とあります。

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<五十間鼻無縁仏堂の由来>

(説明板)
「五十間鼻無縁仏堂の由来
 創建年代は、不明でありますが、多摩川、又、関東大震災、先の第二次世界大戦の、昭和二十年三月十日の東京大空襲の折には、かなりの数の水難者が漂着致しました。
 その方々をお祀りしていると言われております。
 元は、多摩川河口寄りの川の中に、角塔婆が一本立っているだけで有りましたが、初代 漁業組合長 故 伊東久義氏が管理し毎年お盆には、盆棚を作り、有縁無縁の御霊供養をしていました。昭和五十三年護岸工事に伴い、現在地に移転しました。その後荒廃著しく、仲七町会 小峰守之氏 故 伊東米次郎氏 大東町会 故 伊東秀雄氏が、私財を持ち寄り復興致しました。
 又、平成十六年に、村石工業、北浦工業、羽田葬祭スミヤ、中山美装、中山機設 の協力により新たに、ブロック塀、角塔婆、桟橋、などを修理、増設、現在に至ります。
 又、新年の水難祈願として、初日の出と共に、羽田本町日蓮宗 長照寺 住職 並びに信者の方々が、水難者への供養を、毎年行っています。
   合掌  堂守謹書」

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○福守稲荷神社 大田区羽田6-11-8

 玉川弁財天のすぐ近く、堤防から階段を降りた先に「福守稲荷神社」があります。

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tag : 羽田煉瓦武蔵野の路

羽田の大鳥居

○みんなの羽田平和の大鳥居楽園広場 大田区羽田空港1丁目

 大鳥居は、穴守稲荷神社が羽田穴守町にあった昭和初期に建てられました。GHQによる羽田一帯の強制退去に際し、この大鳥居は撤去できずそのまま残り、羽田空港の日本返還後も駐車場の一角に残されていました。羽田空港の沖合展開事業に際し、平成11(1999)年2月に、現在の位置に移設されました。「穴守稲荷神社」の扁額は、現在は穴守稲荷神社の表参道の鳥居に掲げられています。


<平和大鳥居(旧穴守稲荷神社大鳥居)>

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(碑文)
「この大鳥居は、穴守稲荷神社がまだ羽田穴守町にあった昭和初期に、その参道に寄付により建立されたと伝えられています。
 その後、終戦とともに進駐した米軍により、羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町の地域一帯に居住していた人々は強制退去され、建物は全て取り壊されました。
 しかしながら、この大鳥居だけは取り壊しを免れて羽田の地に残され、往時を物語る唯一の建造物となりました。
 米軍から、施設が日本に返還された昭和二十七年七月、東京国際空港として再出発した後も、この大鳥居は旅客ターミナルビル前面の駐車場の一隅に残され、羽田空港の大鳥居として航空旅客や空港に働く人々に親しまれました。また、歳月を重ね風雪に耐えた大鳥居は、進駐軍に強制退去された元住民の方々の「心のふるさと」として往時を偲ぶ象徴なりました。
 昭和五十九年に着手された東京国際空港沖合展開事業により、滑走路や旅客ターミナルビル等の空港施設が沖合地区に移設され、大鳥居も新B滑走路の整備の障害となることから、撤去を余儀なくされることとなりました。
 しかしながら、元住民だった多くの方々から大鳥居を残してほしいとの声が日増しに強まり、平成十一年二月、国と空港関係企業の協力の下で、この地に移設されたものです。
 ここに関係各位に謝意を表するとともに、この大鳥居が地域と空港の共生のシンボルとして末永く親しまれることを念願する次第です。」

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<鈴木弥五右衛門碑>

 平成22(2010)年6月吉日銘の「氏神 鈴木弥五右衛門」の碑です。

(正面)
「氏神 鈴木弥五右衛門」
 平成22年6月の設置です。

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(右側面)
「偉業の大地の由来と歴史(文化十二年)一八一五年
 江戸時代に猟師町の名主鈴木弥五右衛門が羽田村名主石井四郎右衛門に折衝し譲り受け羽田漁師町請負新田として幕府に願い出て干拓の許可を得たものです。浅瀬の要島を中心として新田開発が始められ羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町の三つの町が生まれました。」

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(裏面)
「奉納記念碑
 昭和二十年九月二十一日強制立ち退きを命じられた三千人の銘々を記す。
 強制立ち退きで住む町を追いやられた。弁天橋を渡る母子の銅像。」

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(左側面)
「寄贈
  秋田杉 株式会社エスエイエヌ会長 板倉三男殿
  羽田有志一同 羽田ボランティア推進の会一同
  この地の氏神を奉り候う
  清光 平成二十二年六月吉日 佐奈田法主 義照為」

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<説明パネル)>

 「羽田ボランティア推進の会」(HP)が設置しています。

「此の地の歴史、鈴木新田跡 大田区指定文化財(史跡)」

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「仮の掲示版・東京国際空港記念建造物」

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「皆の羽田平和の大鳥居楽園ひろば」(氏神・鈴木弥五右衛門の碑)

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「多摩川八景」

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<鉄道トンネル>

 「東海道貨物線」が海底トンネルで通っています。

 「この河川の下には下記のような埋設物があります。」

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tag : 羽田新田開発史跡

旧三町顕彰の碑(羽田)

○旧三町顕彰の碑 大田区羽田空港1-1-4 天空橋駅前交通広場 HP

 旧三町顕彰の碑が建立され、碑の周りに解説板が設置されています。

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<顕彰碑1面>

 「旧三町顕彰の碑」
 3つの町の名前(羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町)が記されています。

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 解説板
 「旧三町(羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町)の成り立ち」

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<顕彰碑2面>

 「きみといたふるさとの匂い」
 旧三町での生活・景色などの想いが表現されています。

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 解説板
 「戦争と旧三町(羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町)の強制退去」

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<顕彰碑3面>

 「海と 空と 祈り 羽ばたき」
 平和と、羽田のまちと新しいまち(跡地)が発展し続けることが表現されています。

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 解説板
 「羽田空港の歴史と発展」

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○旧三町復元タイル

 旧三町の地図を記したタイル(平板ブロック)が設置されています。昭和11年頃の国土地理院の空中写真を使用し作成したタイルです。京浜電気鉄道、穴守神社や海水浴場、浄化海水プール、競馬場などがあり、旧三町一帯が行楽地として賑わいを見せていたことがうかがえます。

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○羽田イノベーションシティ(HICity) 大田区羽田空港1-1-4 HP

 羽田イノベーションシティ内1階のインフォメーションセンターに、「大田区歴史資料コーナー」が設置されています。

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