日本昔話の舞台~舎人町公園・舎人いきいき公園
○舎人町公園 足立区舎人6-8-17
「舎人いきいき公園」と連携した「桃太郎』をイメージした公園です。
「舎人町公園 日本昔話の舞台〜やすらぎの公園〜」




<川を流れる桃>
毛長川方向から「舎人いきいき公園」へ、桃が川に流れています。



○舎人いきいき公園 足立区舎人6-3-1
<案内板>
「舎人いきいき公園 日本昔話の舞台〜にぎわいの公園」とあります。


<赤鬼滑り台>
牙をむき出しにして、こん棒を持つ赤鬼がいます。口から外に出る滑り台になっています。






<舟>
舟も浮かんでいます。 桃太郎を乗せた舟でしょう。


<桃太郎誕生と鬼が島>
トイレの壁には、桃太郎誕生と鬼が島の絵が描かれています。


<竜宮城>
竜宮城があります。鯛や平目、亀がいます。多くの子どもたちを乗せたであろう亀の背中はツルツルです。






<カチカチ山のタヌキとウサギ>

<災害用マンホールトイレ>
防災公園としての機能も整備したようです。災害用マンホールトイレがあります。


「舎人いきいき公園」と連携した「桃太郎』をイメージした公園です。
「舎人町公園 日本昔話の舞台〜やすらぎの公園〜」




<川を流れる桃>
毛長川方向から「舎人いきいき公園」へ、桃が川に流れています。



○舎人いきいき公園 足立区舎人6-3-1
<案内板>
「舎人いきいき公園 日本昔話の舞台〜にぎわいの公園」とあります。


<赤鬼滑り台>
牙をむき出しにして、こん棒を持つ赤鬼がいます。口から外に出る滑り台になっています。






<舟>
舟も浮かんでいます。 桃太郎を乗せた舟でしょう。


<桃太郎誕生と鬼が島>
トイレの壁には、桃太郎誕生と鬼が島の絵が描かれています。


<竜宮城>
竜宮城があります。鯛や平目、亀がいます。多くの子どもたちを乗せたであろう亀の背中はツルツルです。






<カチカチ山のタヌキとウサギ>

<災害用マンホールトイレ>
防災公園としての機能も整備したようです。災害用マンホールトイレがあります。


諏訪神社の夫婦杉/舎人諏訪神社
○諏訪神社の夫婦杉 足立区古千谷本町3-5
舎人諏訪神社の「夫婦杉」の物語が、歩道上にタイル絵で語られています。赤山街道沿にある「ベルクス足立古千谷店」から毛長川方向へ入った歩道上にあります。

「諏訪神社の夫婦杉」
「昔二本杉が立っていました」

「村人は夫婦杉と呼んでいました」

「用水路で杉が引きはなされました」

「村の花嫁行列はさけて通りました」

「杉はさみしくかれていまいました」

○舎人諏訪神社 足立区舎人2-15-25
<毛長姫と夫>
舎人諏訪神社は、毛長川の名称にまつわる伝承から毛長姫の毛長神社の女神に対し、夫の舎人諏訪神社は男神とされています。毛長姫と夫は、それぞれ新里と舎人の長者の家でしたので、毛長川を挟んだ位置にあります。



<夫婦杉>
夫婦杉と唱える二樹がありましたが、見沼用水開削時に、この二樹の間に水路を通しました。村人は縁談の時に通ると不縁になるといわれ、通らなかったと伝えられています。この二樹は江戸時代に枯れ現在はありません。
<境内>
手水鉢と燈籠台があります。燈籠台には「天下泰平 國土安穏」「維時 文化七庚午天 十二月吉辰」とあります。文化7(1810)年銘の燈籠台です。




<舎人諏訪神社本殿> 足立区文化財
本殿は金網でがっちりガードされています。







(説明板)
金網でガードされた本殿の裏に説明板「舎人諏訪神社本殿」があります。
「舎人諏訪神社本殿
舎人諏訪神社本殿は、一間社、流造千鳥破風付、向拝正面に軒唐破風がつく社殿形式である。屋根は総柿葺で、現在は覆舎によって囲われているこの本殿は石組基壇上に建立されている。
身舎の大壁・小脇壁、脇障子、柱上組物および縁腰組の間が彫刻で飾られ、中でも龍の彫刻は見事である。
また、牡丹の彫刻を施した手挟や、向拝柱の側面のみならず、正面にも獅子鼻、象鼻などの彫刻木鼻が用いられているところに、江戸時代末期の神社建築の特徴が如実に表れている。
身舎内部には棟札が現存し、「天保七年十一月吉祥日」の記載より一八三六年の建立であることがわかる。
江戸時代末期の神社建築の手法を知る遺構として注目される。
平成二年一月、足立区有形文化財として登録された。
平成七年三月 東京都足立区教育委員会」
舎人諏訪神社の「夫婦杉」の物語が、歩道上にタイル絵で語られています。赤山街道沿にある「ベルクス足立古千谷店」から毛長川方向へ入った歩道上にあります。

「諏訪神社の夫婦杉」
「昔二本杉が立っていました」

「村人は夫婦杉と呼んでいました」

「用水路で杉が引きはなされました」

「村の花嫁行列はさけて通りました」

「杉はさみしくかれていまいました」

○舎人諏訪神社 足立区舎人2-15-25
<毛長姫と夫>
舎人諏訪神社は、毛長川の名称にまつわる伝承から毛長姫の毛長神社の女神に対し、夫の舎人諏訪神社は男神とされています。毛長姫と夫は、それぞれ新里と舎人の長者の家でしたので、毛長川を挟んだ位置にあります。



<夫婦杉>
夫婦杉と唱える二樹がありましたが、見沼用水開削時に、この二樹の間に水路を通しました。村人は縁談の時に通ると不縁になるといわれ、通らなかったと伝えられています。この二樹は江戸時代に枯れ現在はありません。
<境内>
手水鉢と燈籠台があります。燈籠台には「天下泰平 國土安穏」「維時 文化七庚午天 十二月吉辰」とあります。文化7(1810)年銘の燈籠台です。




<舎人諏訪神社本殿> 足立区文化財
本殿は金網でがっちりガードされています。







(説明板)
金網でガードされた本殿の裏に説明板「舎人諏訪神社本殿」があります。
「舎人諏訪神社本殿
舎人諏訪神社本殿は、一間社、流造千鳥破風付、向拝正面に軒唐破風がつく社殿形式である。屋根は総柿葺で、現在は覆舎によって囲われているこの本殿は石組基壇上に建立されている。
身舎の大壁・小脇壁、脇障子、柱上組物および縁腰組の間が彫刻で飾られ、中でも龍の彫刻は見事である。
また、牡丹の彫刻を施した手挟や、向拝柱の側面のみならず、正面にも獅子鼻、象鼻などの彫刻木鼻が用いられているところに、江戸時代末期の神社建築の特徴が如実に表れている。
身舎内部には棟札が現存し、「天保七年十一月吉祥日」の記載より一八三六年の建立であることがわかる。
江戸時代末期の神社建築の手法を知る遺構として注目される。
平成二年一月、足立区有形文化財として登録された。
平成七年三月 東京都足立区教育委員会」

毛長川の名のおこり/毛長神社
○毛長川の名のおこり 足立区古千谷本町2-16
毛長姫の物語が、歩道上にタイル絵で語られています。赤山街道沿にある「ベルクス足立古千谷店」駐車場前の歩道です。


「毛長川の名のおこり 」
「1 娘がいました。」

「2 けっこんすることになりました。」

「3 ふたりはたのしくくらしました。」

「4 ある日なかがわるくなりました。」

「5 沼のほとりで、かんがえました。」

「6 沼にはいりわからなくなりました。」

「7 みんなはたいそうさがしました。」

「8 あめがふると、沼はあれました。」

「9 長いくろかみが流れてきました。」

「10 くろかみを、沼の神にしました。」

<毛長姫の物語>
足立区及び草加市のそれぞれのサイトで毛長姫の物語が紹介されています。
「アダチシキ > 区内を流れる川の名前(綾瀬川・毛長川)」(足立区)
「そうか昔話 > 毛長沼」(草加市)
○毛長神社 草加市新里町342
毛長沼に入水した毛長姫の髪の毛を祀る神社です。
<毛長の里>
毛長神社の別当だった「泉蔵院」の霊園「毛長の里」です。毛長神社へは、ここを左に曲がります。

<鳥居>
鳥居は白の御影石造で、水戸徳川家の江戸屋敷(こちらで記載)から移設したものです。船によって、隅田川から綾瀬川を経て毛長川をさかのぼって、境内地に建立されたといいます。華表には「明治十四年四月吉日」と刻まれています。



(説明板)
「毛長神社
新里町は新里村と称し、往古は谷古田領に属す。天正十八年(西暦一五九〇年)徳川家康入府の後、天領となる。元禄十五年(西暦一七〇二年)東叡山、寛永寺となり、明治四年(西暦一八七一年)埼玉県管轄となる。
毛長神社の創建は詳びらかでないが、「地誌材料稿」新里編に、「奉修造毛長大明神宮一宇氏子繁昌諸人快楽攸、享保十乙巳九月廿一日別当御幣山泉蔵院法印融儀」という棟札の写しが記録されている。享保時における修造と泉蔵院との別当関係が理解できる。
御神体は女性の髪の毛であることは、諸記録・土地の伝承によって、これを知ることができる。髪は素盞嗚尊の妹姫のものとも、村の長者の娘のものとも云われている。神体の髪に関する伝承は諸説あって一様でないが、「女の長い髪」であることは一致する。髪の毛を神体とする神社は全国でも稀らしい。本県では、おそらくこの毛長神社一社だけではなかろうか。その意味でこの神社の存在とその伝説の継承されていることは、貴重なものといえる。
鳥居は白小目御影石造りのもので、社殿に比してやや上等である。この鳥居はもとは水戸家の屋敷内の神社にあったが、出入の商人尾張屋兵助なる者が、譲り受け、更に当社の氏子代表が特に懇請して買い受けたものである。その輸送は舟によって、隅田川から綾瀬川を経て毛長川をさかのぼって、新里村に入り、境内地に建立されたという(長堀家文書)。
昭和五十四年三月 草加市教育委員会」

<社務所>
社殿に向かって右前に、プレハブの社務所があります。


<手水舎/児童遊園の水飲み場>


<社殿/本殿>






社殿には御由緒書が置かれています。
(御由緒書)
「毛長神社 御由緒 草加市新里町三四二
□御縁起(歴史)
当社の名に由来する毛長川は、かつての入間川の流路に当たり、新里はこの自然堤防に発達した集落である。当社が鎮座する字毛長沼外瓦は、低地ながら縄文時代から各時代の遺跡が発達されており、開発の古さを物語る。
当社の創建年代は不詳であるが、明治期に記された「新里村毛長神社由緒」及び「地誌材料稿」(草加市住吉・染谷家蔵)によると、当社の社地は、もと万郷又は万石長者の屋敷で、ある時、急に黒雲が起こり、天地が鳴動し、つむじ風が起き、長者の屋敷と家族は巻き上げられ、毛長沼に飛ばされ沈んでしまった。跡には大神宮の御祓が一本残されただけで、これを悼んで里人は、この御祓を長者が祀っていた稲荷の祠に合祀した。 しばらくして、この祠の前の毛長沼の岸に数尺の毛髪が漂い、どうしても流れて行かないため、これは長者の若い娘の髪であろうということになり、拾い上げて箱に納め、前の祠へ合祀して毛長三社大明神と号した。
いつのころか別当泉蔵院の僧が、神体とする毛神を鎌倉に持って行ってしまった。 それで、今も鎌倉の某所に毛長神社があるという。その後、文政年中(一八一八〜三○)に京都(神祇官領)から改めて毛長神社と定められ、この神は稲穂の神なので毛長沼に面する村々は鎮守同様に守るように言われた。よって当社は新里村・市右衛門新田・彦右衛門新田の三か村の鎮守とした。
□主祭神
・毛長姫命
□御祭神
・大己貴命 ・倉稲魂神 ・別雷槌神」
毛長姫の物語が、歩道上にタイル絵で語られています。赤山街道沿にある「ベルクス足立古千谷店」駐車場前の歩道です。


「毛長川の名のおこり 」
「1 娘がいました。」

「2 けっこんすることになりました。」

「3 ふたりはたのしくくらしました。」

「4 ある日なかがわるくなりました。」

「5 沼のほとりで、かんがえました。」

「6 沼にはいりわからなくなりました。」

「7 みんなはたいそうさがしました。」

「8 あめがふると、沼はあれました。」

「9 長いくろかみが流れてきました。」

「10 くろかみを、沼の神にしました。」

<毛長姫の物語>
足立区及び草加市のそれぞれのサイトで毛長姫の物語が紹介されています。
「アダチシキ > 区内を流れる川の名前(綾瀬川・毛長川)」(足立区)
「そうか昔話 > 毛長沼」(草加市)
○毛長神社 草加市新里町342
毛長沼に入水した毛長姫の髪の毛を祀る神社です。
<毛長の里>
毛長神社の別当だった「泉蔵院」の霊園「毛長の里」です。毛長神社へは、ここを左に曲がります。

<鳥居>
鳥居は白の御影石造で、水戸徳川家の江戸屋敷(こちらで記載)から移設したものです。船によって、隅田川から綾瀬川を経て毛長川をさかのぼって、境内地に建立されたといいます。華表には「明治十四年四月吉日」と刻まれています。



(説明板)
「毛長神社
新里町は新里村と称し、往古は谷古田領に属す。天正十八年(西暦一五九〇年)徳川家康入府の後、天領となる。元禄十五年(西暦一七〇二年)東叡山、寛永寺となり、明治四年(西暦一八七一年)埼玉県管轄となる。
毛長神社の創建は詳びらかでないが、「地誌材料稿」新里編に、「奉修造毛長大明神宮一宇氏子繁昌諸人快楽攸、享保十乙巳九月廿一日別当御幣山泉蔵院法印融儀」という棟札の写しが記録されている。享保時における修造と泉蔵院との別当関係が理解できる。
御神体は女性の髪の毛であることは、諸記録・土地の伝承によって、これを知ることができる。髪は素盞嗚尊の妹姫のものとも、村の長者の娘のものとも云われている。神体の髪に関する伝承は諸説あって一様でないが、「女の長い髪」であることは一致する。髪の毛を神体とする神社は全国でも稀らしい。本県では、おそらくこの毛長神社一社だけではなかろうか。その意味でこの神社の存在とその伝説の継承されていることは、貴重なものといえる。
鳥居は白小目御影石造りのもので、社殿に比してやや上等である。この鳥居はもとは水戸家の屋敷内の神社にあったが、出入の商人尾張屋兵助なる者が、譲り受け、更に当社の氏子代表が特に懇請して買い受けたものである。その輸送は舟によって、隅田川から綾瀬川を経て毛長川をさかのぼって、新里村に入り、境内地に建立されたという(長堀家文書)。
昭和五十四年三月 草加市教育委員会」

<社務所>
社殿に向かって右前に、プレハブの社務所があります。


<手水舎/児童遊園の水飲み場>


<社殿/本殿>






社殿には御由緒書が置かれています。
(御由緒書)
「毛長神社 御由緒 草加市新里町三四二
□御縁起(歴史)
当社の名に由来する毛長川は、かつての入間川の流路に当たり、新里はこの自然堤防に発達した集落である。当社が鎮座する字毛長沼外瓦は、低地ながら縄文時代から各時代の遺跡が発達されており、開発の古さを物語る。
当社の創建年代は不詳であるが、明治期に記された「新里村毛長神社由緒」及び「地誌材料稿」(草加市住吉・染谷家蔵)によると、当社の社地は、もと万郷又は万石長者の屋敷で、ある時、急に黒雲が起こり、天地が鳴動し、つむじ風が起き、長者の屋敷と家族は巻き上げられ、毛長沼に飛ばされ沈んでしまった。跡には大神宮の御祓が一本残されただけで、これを悼んで里人は、この御祓を長者が祀っていた稲荷の祠に合祀した。 しばらくして、この祠の前の毛長沼の岸に数尺の毛髪が漂い、どうしても流れて行かないため、これは長者の若い娘の髪であろうということになり、拾い上げて箱に納め、前の祠へ合祀して毛長三社大明神と号した。
いつのころか別当泉蔵院の僧が、神体とする毛神を鎌倉に持って行ってしまった。 それで、今も鎌倉の某所に毛長神社があるという。その後、文政年中(一八一八〜三○)に京都(神祇官領)から改めて毛長神社と定められ、この神は稲穂の神なので毛長沼に面する村々は鎮守同様に守るように言われた。よって当社は新里村・市右衛門新田・彦右衛門新田の三か村の鎮守とした。
□主祭神
・毛長姫命
□御祭神
・大己貴命 ・倉稲魂神 ・別雷槌神」

手打ち 麺工房 瑛(マルヒデ)
○手打ち 麺工房 瑛(マルヒデ) 川口市本蓮4-6-33 048-283-7668
見沼代用水に架かる「一本橋」の手前に「見沼代用水土地改良区」の管理終点があり、そこに「そば」「営業中」の幟が出ています。
幟の反対側の都県境の小路(左が東京都、右が埼玉県)を進むと右手に「手打ち 麺工房 瑛」があります。



<都県境>
見沼代用水の一本橋上流の東京都のマンホール蓋と川口市マンホール蓋の間が都県境です。



都県境の道路の突き当り手前右手、埼玉県側に店があります。
道路の左手は東京都のマンホール蓋、右手は川口市マンホール蓋が連なります。両方とも汚水です。この狭い道路には東京都と川口市の下水がそれぞれ並行して走っているということですね。










<外観>
ご自宅の一部がお店です。




<店内>
お店に入ると「電動石臼製粉機」がで〜んとあります。メニューはそそられます。





<肉汁そば>
肉汁蕎麦750円を注文。麺はコシがあって美味しかったです。道路反対側は足立区舎人ですが、箸袋でここは埼玉県なんだなと実感します。



<餃子定食>
再訪時は、餃子定食500円を注文。餃子の量が多く満腹です。コストパフォーマンス良すぎです。



見沼代用水に架かる「一本橋」の手前に「見沼代用水土地改良区」の管理終点があり、そこに「そば」「営業中」の幟が出ています。
幟の反対側の都県境の小路(左が東京都、右が埼玉県)を進むと右手に「手打ち 麺工房 瑛」があります。



<都県境>
見沼代用水の一本橋上流の東京都のマンホール蓋と川口市マンホール蓋の間が都県境です。



都県境の道路の突き当り手前右手、埼玉県側に店があります。
道路の左手は東京都のマンホール蓋、右手は川口市マンホール蓋が連なります。両方とも汚水です。この狭い道路には東京都と川口市の下水がそれぞれ並行して走っているということですね。










<外観>
ご自宅の一部がお店です。




<店内>
お店に入ると「電動石臼製粉機」がで〜んとあります。メニューはそそられます。





<肉汁そば>
肉汁蕎麦750円を注文。麺はコシがあって美味しかったです。道路反対側は足立区舎人ですが、箸袋でここは埼玉県なんだなと実感します。



<餃子定食>
再訪時は、餃子定食500円を注文。餃子の量が多く満腹です。コストパフォーマンス良すぎです。




武蔵野の路 舎人コース(毛長川)
武蔵野の路 舎人コース(毛長川)
○水神橋 足立区西保木間4丁目・花畑5丁目〜草加市谷塚
水神橋の毛長川右岸に、案内板「武蔵野の路 舎人コース 足立区」があります。上流に向かいます。






○武蔵野の路公園 草加市谷塚2-3
<武蔵野の路 舎人コース>
すぐに「武蔵野の路公園」の終端に出ます。案内板「武蔵野の路 舎人コース」があります。



<魚とりの少年>
「魚とりの少年」像があります。製作者等不明。



<武蔵野の路>
公園の入口に向かうと色々とオブジェがあります。かつてこの地は毛長川の旧流路左岸だったので、現在の住所も草加市谷塚です。







公園の注意書きを見ると、管理は足立区が行っています。

上流に向かいます。

○毛長掘橋 埼玉県草加市谷塚丁目
「武蔵野の路公園」から分かれ、毛長川の右岸を進むと、草加バイパスに行き当たります。国道横断禁止の注意書(足立区役所、草加市役所、草加警察署、建設省)があります。南の信号機まで迂回します。毛長川には毛長掘橋が架かっています。毛長掘橋の北詰、南詰とも草加市谷塚2丁目です。


○武蔵野の路ゲート 草加市谷塚2-21
ゲート「武蔵野の路 足立区」があります。国道4号線を渡った遊歩道の始点です。毛長川旧流路の左岸だった地なので、足立区が設置したゲートがありますが、住所は草加市谷塚です。






○子供の詩 足立区西保木間4-12
少々進みと竹の塚中学校の手前に、足立区野外彫刻コンクール(1990年度)の入賞作品「子供の詩」(作者:金森秀禎)があります。表に子供像7体、裏に子供像3体で構成されています。横にあるベンチは毛長川を向いていますが、「子供の詩」は毛長川を背に建っています。
(表)


(裏)


下流と上流


○東武毛長川橋梁 足立区西保木間4丁目・東伊興3丁目〜草加市谷塚仲町
遊歩道は、東武毛長川橋梁の下をくぐります。



○辰井川樋門 草加市谷塚上町
毛長川左岸に、辰井川の水門と埼玉県辰井川排水機場が見えてきます。毛長川の水位上昇により辰井川への逆流の恐れがある際に、水門を閉じて辰井川の水を毛長川へと強制的に排水するための施設です。辰井川の水門と排水機場の排水門の2つが見えます。



○谷塚橋 足立区東伊興2丁目
毛長川と足立区清掃工場の間を遊歩道が通り、谷塚橋に出ます。案内板「武蔵野の路 舎人コース」が毛長川の下流を背に建てられています。


ここは谷塚橋を渡った地点も東京都なので、川の標識には東京都のイチョウマークがあります。



○横手堀ポンプ場水門 草加市谷塚上町
横手堀ポンプ場の水門が見えます。毛長側左岸の埼玉県側から撮りました。

(伊興遺跡) 別途記載
○毛長橋 足立区東伊興1丁目〜東伊興4丁目
毛長橋、下流と上流です。ここも橋を渡った地点は東京都です。



(毛長神社)(舎人諏訪神社) 別途記載
○里人やすらぎ橋 足立区舎人3丁目〜草加市新里町
2012年4月1日に開通した人道橋です。舎人の「人」と新里の「里」を1字ずつとって「里人やすらぎ橋」と名付けられています。









○舎人二ツ橋 足立区舎人4丁目
毛長川の左岸、右岸ともに、ここは東京都です。



欄干には、2種類のレリーフが計4枚あります。ひとつは飛び交うホタルと富士山が描かれ、もうひとつは龍が描かれています。




下流と上流


○毛長緑道
毛長川の旧水路が、毛長緑道として整備されています。舎人二ツ橋の下流から、途中尾久通りで東西に分断、ふれあい橋に至る400mほどの緑道です。




下流と上流


尾久橋通りから東


尾久橋通りから西



○ふれあい橋 足立区舎人4丁目
毛長緑道はふれあい橋で現在の毛長川に至ります。



下流と上流


○境川部屋 足立区舎人4-3-16
ふれあい橋から少し毛長川上流に行ったところに境川部屋があります。

○川の交差点 足立区舎人
毛長川と見沼代用水が交差している地点です。この地点は毛長川左岸、右岸とも東京都となります。毛長川に「砂小橋」(下流)と「舎人橋」(上流)が並行して架かっています。両橋の間へ見沼代用水が流れ込んでいます。
<「舎人橋」「砂小橋」架橋記念> 足立区舎人6-6
舎人橋に「舎人橋」「砂小橋」架橋記念の説明板が掲げられています。
「「舎人橋」「砂小橋」架橋記念
平成二十三年三月吉日 足立区都市建設部」

<砂子橋> 足立区舎利4-6〜舎人4-7



<舎人橋> 足立区舎利4-6・6-6〜舎人4-7・舎人6-6



<一本橋> 足立区舎人4-7-5
見沼代用水に架かる橋が「一本橋」です。「見沼代用水土地改良区」の管理終点です。
「そば」「営業中」の幟が出ています。「手打ち 麺工房 瑛」があります(別途記載)。



見沼代用水上流、下流


<浄化施設> 足立区舎人4-5
見代用水は、舎人堰で行き止まり、大半は下の毛長川へ流れ込みます。1割程度は中央の金網で取水し、地下施設で浄化され、見沼代親水公園、神領堀親水緑道(こちらで記載)の用水として活用されています。
見沼代親水公園は、日暮里・舎人ライナー「見沼代親水公園駅」から先がせせらぎの親水公園となっています。見沼代親水公園から先の保木間堀親水水路(こちらで記載)と千住堀(赤山街道スポット親水)にも活用されています。




<見沼代親水公園(緑道)>
浄化施設の先から、見沼代親水公園及び神領堀親水緑道(こちらで記載)が続きます。見沼代親水公園は尾久橋通りに至るまでは、せせらぎはありません。


<見沼代親水公園駅> 足立区舎人2-21
日暮里・舎人ライナーの終点「見沼代親水公園駅」です。




<見沼代親水公園(せせらぎ)>
見沼代親水公園の「せせらぎ」が始まります。




○毛長川遊歩道 足立区舎人6-6〜6-8
舎人橋から少し上流から、遊歩道が始まります。
舎人橋上流の遊歩道の始点と、新砂子路橋から下流の遊歩道


(舎人町公園)(舎人いきいき公園) 別途記載
○新砂子路橋(しんしゃごじばし) 足立区舎人6丁目〜川口市本蓮4丁目
新砂子路橋は都県境に架かっており、歩道には「足立区の木 桜」と「川口市の花 ユリ」の石板がはめられています。
新砂子路橋から上流へ両岸(足立区・川口市)とも遊歩道が整備されています。




新砂子路橋から下流及び上流


「武蔵野の路 舎人コース」は、この先の首都高川口線を左折して毛長川から離れて南下します。足立区都市農業公園に至ります。
○水神橋 足立区西保木間4丁目・花畑5丁目〜草加市谷塚
水神橋の毛長川右岸に、案内板「武蔵野の路 舎人コース 足立区」があります。上流に向かいます。






○武蔵野の路公園 草加市谷塚2-3
<武蔵野の路 舎人コース>
すぐに「武蔵野の路公園」の終端に出ます。案内板「武蔵野の路 舎人コース」があります。



<魚とりの少年>
「魚とりの少年」像があります。製作者等不明。



<武蔵野の路>
公園の入口に向かうと色々とオブジェがあります。かつてこの地は毛長川の旧流路左岸だったので、現在の住所も草加市谷塚です。







公園の注意書きを見ると、管理は足立区が行っています。

上流に向かいます。

○毛長掘橋 埼玉県草加市谷塚丁目
「武蔵野の路公園」から分かれ、毛長川の右岸を進むと、草加バイパスに行き当たります。国道横断禁止の注意書(足立区役所、草加市役所、草加警察署、建設省)があります。南の信号機まで迂回します。毛長川には毛長掘橋が架かっています。毛長掘橋の北詰、南詰とも草加市谷塚2丁目です。


○武蔵野の路ゲート 草加市谷塚2-21
ゲート「武蔵野の路 足立区」があります。国道4号線を渡った遊歩道の始点です。毛長川旧流路の左岸だった地なので、足立区が設置したゲートがありますが、住所は草加市谷塚です。






○子供の詩 足立区西保木間4-12
少々進みと竹の塚中学校の手前に、足立区野外彫刻コンクール(1990年度)の入賞作品「子供の詩」(作者:金森秀禎)があります。表に子供像7体、裏に子供像3体で構成されています。横にあるベンチは毛長川を向いていますが、「子供の詩」は毛長川を背に建っています。
(表)


(裏)


下流と上流


○東武毛長川橋梁 足立区西保木間4丁目・東伊興3丁目〜草加市谷塚仲町
遊歩道は、東武毛長川橋梁の下をくぐります。



○辰井川樋門 草加市谷塚上町
毛長川左岸に、辰井川の水門と埼玉県辰井川排水機場が見えてきます。毛長川の水位上昇により辰井川への逆流の恐れがある際に、水門を閉じて辰井川の水を毛長川へと強制的に排水するための施設です。辰井川の水門と排水機場の排水門の2つが見えます。



○谷塚橋 足立区東伊興2丁目
毛長川と足立区清掃工場の間を遊歩道が通り、谷塚橋に出ます。案内板「武蔵野の路 舎人コース」が毛長川の下流を背に建てられています。


ここは谷塚橋を渡った地点も東京都なので、川の標識には東京都のイチョウマークがあります。



○横手堀ポンプ場水門 草加市谷塚上町
横手堀ポンプ場の水門が見えます。毛長側左岸の埼玉県側から撮りました。

(伊興遺跡) 別途記載
○毛長橋 足立区東伊興1丁目〜東伊興4丁目
毛長橋、下流と上流です。ここも橋を渡った地点は東京都です。



(毛長神社)(舎人諏訪神社) 別途記載
○里人やすらぎ橋 足立区舎人3丁目〜草加市新里町
2012年4月1日に開通した人道橋です。舎人の「人」と新里の「里」を1字ずつとって「里人やすらぎ橋」と名付けられています。









○舎人二ツ橋 足立区舎人4丁目
毛長川の左岸、右岸ともに、ここは東京都です。



欄干には、2種類のレリーフが計4枚あります。ひとつは飛び交うホタルと富士山が描かれ、もうひとつは龍が描かれています。




下流と上流


○毛長緑道
毛長川の旧水路が、毛長緑道として整備されています。舎人二ツ橋の下流から、途中尾久通りで東西に分断、ふれあい橋に至る400mほどの緑道です。




下流と上流


尾久橋通りから東


尾久橋通りから西



○ふれあい橋 足立区舎人4丁目
毛長緑道はふれあい橋で現在の毛長川に至ります。



下流と上流


○境川部屋 足立区舎人4-3-16
ふれあい橋から少し毛長川上流に行ったところに境川部屋があります。

○川の交差点 足立区舎人
毛長川と見沼代用水が交差している地点です。この地点は毛長川左岸、右岸とも東京都となります。毛長川に「砂小橋」(下流)と「舎人橋」(上流)が並行して架かっています。両橋の間へ見沼代用水が流れ込んでいます。
<「舎人橋」「砂小橋」架橋記念> 足立区舎人6-6
舎人橋に「舎人橋」「砂小橋」架橋記念の説明板が掲げられています。
「「舎人橋」「砂小橋」架橋記念
平成二十三年三月吉日 足立区都市建設部」

<砂子橋> 足立区舎利4-6〜舎人4-7



<舎人橋> 足立区舎利4-6・6-6〜舎人4-7・舎人6-6



<一本橋> 足立区舎人4-7-5
見沼代用水に架かる橋が「一本橋」です。「見沼代用水土地改良区」の管理終点です。
「そば」「営業中」の幟が出ています。「手打ち 麺工房 瑛」があります(別途記載)。



見沼代用水上流、下流


<浄化施設> 足立区舎人4-5
見代用水は、舎人堰で行き止まり、大半は下の毛長川へ流れ込みます。1割程度は中央の金網で取水し、地下施設で浄化され、見沼代親水公園、神領堀親水緑道(こちらで記載)の用水として活用されています。
見沼代親水公園は、日暮里・舎人ライナー「見沼代親水公園駅」から先がせせらぎの親水公園となっています。見沼代親水公園から先の保木間堀親水水路(こちらで記載)と千住堀(赤山街道スポット親水)にも活用されています。




<見沼代親水公園(緑道)>
浄化施設の先から、見沼代親水公園及び神領堀親水緑道(こちらで記載)が続きます。見沼代親水公園は尾久橋通りに至るまでは、せせらぎはありません。


<見沼代親水公園駅> 足立区舎人2-21
日暮里・舎人ライナーの終点「見沼代親水公園駅」です。




<見沼代親水公園(せせらぎ)>
見沼代親水公園の「せせらぎ」が始まります。




○毛長川遊歩道 足立区舎人6-6〜6-8
舎人橋から少し上流から、遊歩道が始まります。
舎人橋上流の遊歩道の始点と、新砂子路橋から下流の遊歩道


(舎人町公園)(舎人いきいき公園) 別途記載
○新砂子路橋(しんしゃごじばし) 足立区舎人6丁目〜川口市本蓮4丁目
新砂子路橋は都県境に架かっており、歩道には「足立区の木 桜」と「川口市の花 ユリ」の石板がはめられています。
新砂子路橋から上流へ両岸(足立区・川口市)とも遊歩道が整備されています。




新砂子路橋から下流及び上流


「武蔵野の路 舎人コース」は、この先の首都高川口線を左折して毛長川から離れて南下します。足立区都市農業公園に至ります。
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