逆井の富士塚(浅間神社)

○逆井の富士塚(浅間神社) 江戸川区平井3-1-9

 逆井の富士塚は、富士塚そのものが浅間神社となっており、駐車場の真ん中に忽然と立っています。真っすぐな石段の参道の先に浅間神社の石祠があります。

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<小御嶽神社>

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<逆井の富士塚(江戸川区文化財)>

(説明板)
「逆井の富士塚
  昭和五十七(一九八二)二月登録
  区登録有形民俗文化財・民俗資料
 高さ約五m、区内で最大のものです。建造年代は不明ですが、「当山再築小松川村」と記した明治十七年の碑がありますので、区内で最も古い築造です。
 登山道は、塚の正面に直線で設けられ、石段になっています。頂上の部分を玉垣で方形にとり囲み、石祠を祀っています。登山道の両側には、数多くの石碑が建てられ、地元の丸岩講のもののほか、小松川山元講や平井丸富講の碑もあります。
 この逆井の富士塚そのものが浅間神社です。旧逆井村の人々が、現在でもその維持にあたっています。七月一日に幟を立てて祭礼を行います。
 石積み型の大型なもので、倒壊防止のため、昭和三十年代にコンクリートで覆いました。
  昭和五十三年三月設置  平成十七年一月改訂  江戸川区教育委員会」

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tag : 富士塚平井中川

燈明寺(平井聖天宮)

○燈明寺(平井聖天宮) 江戸川区平井6-17-30

 平井聖天は、妻沼聖天、待乳山聖天(こちらで記載)とともに関東三聖天の一つとして知られています(諸説あるようです)。江戸時代には歴代将軍の御膳所として使用されました。茶室は伊藤左千夫が設計、本堂2階に鹿鳴館のシャンデリアがあるとのことです。 燈明寺は、江戸川区の史跡に指定されています。

「平井聖天宮 江戸名所図会」

 燈明寺と諏訪神社が描かれています。中川の「平井渡」には乗客を乗せた渡し船が見えます。岸にあがるとすぐに鳥居があります。

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<山門>

 扁額「聖天宮」が掲げられています。

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<仁王像>

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<瑜衹供養塔>

 贔屓が塔を背負っている亀趺かと思いましたが、違っていて、亀が塔を背負っている瑜衹供養塔です。耳があり贔屓に見えますが、亀のようです。

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 横に石造物が並んでいます。

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<百度石>

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<納経所/茶室>

 伊藤左千夫の設計による茶室の説明板が、納経所の参道反対側にあります。納経所の奥に連なっている建物が庭もあり茶室に見えますがよくわかりません。

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(説明板)
「此の茶室は先々代の澄道大僧正の友人である明治文壇の名士伊藤左千夫の設計による宗旦好みの茶室である。
 この茶室は正岡子規等の明治文壇の名士が集い多くの墨跡を遺して居る。」

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<水子地蔵尊>

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<弘法大師一千年遠忌供養塔/尚道座像>

 弘法大師供養塔の横に坐像があるので、遠目には弘法大師像かと思えましたが、近寄ると台座に尚道と刻まれています。関尚道氏(燈明寺住職、根来寺座も務めた)の像ですかね。

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<石仏>

 石仏が五基並んでいます。右側の二基は、南葛八十八ヶ所霊場の51番・65番の札所本尊です。

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<平井聖天(燈明寺)>

(説明板)
「平井聖天(燈明寺) 区指定史跡
 新義真言宗で、明雅山明王院と号します。山門を入った正面に見える聖天堂は燈明寺の別堂で、妻沼聖天、待乳山聖天とならぶ関東三聖天の一つとして知られています。
 草創は平安時代と伝えられますが、江戸時代中期には荒廃し享保年間(一七一六〜三五)に京都から赴任した恵祐法印によって再興されました。
 歴代将軍が鷹狩りの時に御膳所に使用したほか「江戸名所図会」にも描かれ、文人墨客も多く参詣しています。
 その後、安政の地震(一八五五)で堂宇を損傷、関東大震災(一九二三)では本堂全壊という災禍にあいましたが、当時の関澄道貫主(二十六世)によって京都宇治平等院風の三屋根造りの優雅な本堂が建立されました。
 澄道貫主は文人としても知られ、正岡子規や伊藤左千夫らと親交が深く、境内の茶室は左千夫の設計によるものです。
  平成五年(一九九三)三月  江戸川区教育委員会」

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<鐘楼>

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<金堂>

 2階に鹿鳴館のシャンデリアがあるようです。

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<手水舎>

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<天水桶>

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<聖天堂>

 古くから「平井の聖天さま」として信仰されてきました。

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tag : 江戸名所図会史跡中川平井伊藤左千夫

平井諏訪神社(平井の富士塚)

○平井諏訪神社 江戸川区平井6-17-36

<一の鳥居/社号標>

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「平井聖天宮 江戸名所図会」

 燈明寺と諏訪神社が描かれています。

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<説明板「諏訪神社」>

(説明板)
「諏訪神社
 祭神は建御名方命で、享保年間(一七一六〜一七三五)、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請したのがはじまりと伝えられます。
 境内中央の社殿は、昭和四十二年に命じ百年を記念して建てられ(四十四年完成)、その旧社殿が境内北隅に移築されています。
□諏訪神社旧本殿 (江戸川区登録有形文化財)
 天保十四年(一八四三)の再建で、外壁彫刻が江戸後期の神社建築の過飾的な特色をよく伝えています。
□平井の富士塚 附、板絵着色富士講奉納図額(一面)
 (江戸川区登録有形民俗文化財)
 大正九年頃、旧下平井村の丸富講の人びとによって造られました。境内の絵馬堂には丸富講が大正二年に奉納した図額もあります。
  昭和六十二年三月  江戸川区教育委員会」

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<鈴木和吉翁頌徳碑>

 昭和9(1934)年建立の平井の発展に尽くされた鈴木和吉翁頌徳碑が、鳥居くぐってすぐ右手にあります。

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<手水舎>

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<造営記念碑>

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<絵馬堂>

 絵馬堂内壁に、丸富講が大正2(1913)年に奉納した絵馬があります。

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<神楽殿>

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<狛犬>

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<社殿/本殿>

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<御神木>

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<稲荷神社>

 稲荷神社の社殿は、諏訪神社の旧本殿(江戸川区文化財)です。

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(説明板)
「諏訪神社旧本殿
  江戸川区登録有形民俗文化財(建造物)
  昭和五十九年(一九八四)二月二十八日登録
 天保十四年(一八四三)下平井村の人々によって再建された社殿です。昭和四十二年(一九六七)に明治百年を記念して新しく本殿が建てられることになり(同四十四年完成)、現在に移されて稲荷神社となりました。
 建築樣式は一間社流造で、外部に施された彩色の装飾彫刻は江戸時代後期の神社建築の特色をよく表しています。なかでも、向拝紅梁に巻きつく龍や木鼻に施された籠彫りの唐獅子などに精緻な彫刻技術をみることができます。
 なお、旧本殿の拝殿は松江一ー一ー七に鎮座する福荷神社(赤稲)の社殿として移築されています。
  平成二十七年五月  江戸川区教育委員会」

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<稲荷塚>

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○平井の富士塚 江戸川区文化財

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(説明板)
「平井の富士塚
  昭和五十九年(一九八四)二月登録
  江戸川区登録有形民俗文化財・民俗資料
 富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築き上げた小高い塚です。富士山に登ったのと同じ霊験が得られるようにと願って築かれました。
 平井の富士塚は、大正九年(一九二○)ごろ、旧下平井村の丸星講の人たちによって造られました。登山道が二つに分かれ、一本は頂上に、もう一本は中腹の小御嶽神社に通じています。頂上の石祠には、大正九年の造立銘があり、小御嶽神社の前には、丸富の講紋と「小御嶽神社」と刻まれた石祠があります。塚の高さは約一・五メートルです。
 境内の絵馬堂内壁には、丸富講が大正二年(一九一三)に奉納した絵馬があります。
  平成十四年一月  江戸川区教育委員会」

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<水神社/八幡神社/小御嶽神社>

 手前に水神社石祠があり、続いて八幡神社の石祠と丸富講の小御嶽神社の石碑、その奥に小御嶽神社の祠があります。

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<浅間神社>

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<日露戦役紀念碑>

 明治40(1907)年4月建立の希典書の日露戦役紀念碑です。
 「明治卅七八年戦役紀念碑 希典書」

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tag : 江戸名所図会富士塚戦役紀念碑中川平井

平井の渡し跡/浅草道道標

○平井の渡し跡 江戸川区平井6-11(説明板)

 平井橋の南に、説明板「平井の渡し跡」があります。説明板の道路反対側に神輿庫があります。その向こうに「平井の渡し」がありました。

(説明板)
「平井の渡し跡
 平井の渡しは、行徳道が下平井村で中川を渡る渡船場でした。対岸は葛西川村でした。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』下平井村の項には、「当村(下平井村)の預る所なれば平井渡とよべり」とあります。渡しは江戸時代の初めに設けられ、船一艘で往来の便に供していたと書かれています。
 『江戸名所図会』の「平井聖天宮」の絵には、中川に「平井渡」が描かれ、江戸川区側の正面には鳥居が建てられています。
 行徳道は、江戸と下総の行徳を結ぶ道で、平井の渡しから江戸川区を東南に下り、今井の渡しで江戸川をわたって行徳へ渡りました。渡しはこの説明板からまっすぐ土手にあがった川岸で、説明板脇の細い坂道が当時の行徳道でした。
 明治三十二年(一八九九)、渡しのやや東に木橋の平井橋が架けられて、渡しは廃止されました。平井橋は、大正十四年(一九二五)に、鉄橋に架けかえられ、昭和五十五年(一九八○)に現在の橋になりました。
 その後、平成二十年(二○○八)の旧中川の景観整備によって、護岸が現在のように整備されております。
 (挿絵「平井聖天宮」(『江戸名図会』より))
  江戸川区」

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「平井聖天宮 江戸名所図会」

 燈明寺と諏訪神社が描かれています。中川の「平井渡」には乗客を乗せた渡し船が見えます。岸にあがるとすぐに鳥居があります。

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<平井橋>

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○下平井観世音菩薩浅草道石造道標 江戸川区平井6-17-36

 平井諏訪神社の社務所裏の細道に、享保19(1734)年銘の浅草道道標があります。元は行徳道に置かれていた道標で、行徳道は、平井の渡しを起点として、四股で元佐倉道と交差し、東小松川村・西一之江村・東一之江村を経て、今井の渡し、行徳河岸に至ります。
 (※四股の道標についてはこちらで記載

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 (中央)  観世音菩薩立像
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 (光背左)「是与り左 ぎやうとく道」
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 (光背右)「あさくさ道」
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(説明板)
「□下平井の観世音菩薩浅草道石造道標
   昭和五十八年(一九八三)三月登録
   区登録有形文化財・歴史史料
 道標は、明治以降の地図と比較して精度の低いとされる絵地図類を補うものであり、江戸時代の当地域をめぐる交通史上のきわめて有用な歴史資料です。
 この道標は、行徳道と呼ばれた旧道上にあります。行徳道は、旧中川平井の渡しから東小松川村、西一之江村、東一之江村を経て、今井の渡しに達する道筋でした。元の位置はここから東のつきあたりにあり、浅草方面から来た人が平井の渡しを越えて先ず目にした道標でした。「享保十九年甲寅」の観世音菩薩像右脇に「あさくさ道」左脇に「是より佐り、ぎやうとく道」とあります。平
成十七年十二月、現在地へ移設しました。
  平成十八年 三月  江戸川区教育委員会」

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