太田道灌公像(川越市役所)

○太田道灌公像 川越市元町1-3-1

 川越市役所は川越城大手門跡にあります。その川越市役所前に太田道灌公像が建っています。

DSCN9860.jpg

DSCN9861_20211113204147421.jpg

DSCN9854_20211113204148c7e.jpg

DSCN9859_20211113204149fae.jpg

右手に山吹の小枝を持っています。
DSCN9858_20211113204151605.jpg

DSCN9856_202111132041532b0.jpg

DSCN9855_2021111320415495e.jpg

(碑文)
「太田道灌公像
 川越は、古代から、この地方の文化の中心であった。長禄元年(西暦1457年)に太田氏が川越城を築き、更に江戸城を築いて川越の文化を江戸に移したので、川越は江戸の母と呼ばれた。明治以降も引き続き埼玉県第一の都府として、大正11年他に魁けて市制を施行した。ここに市制50周年を迎えるに当り市庁舎を新築し、川越市開府の始祖とも仰ぐ太田道灌公の銅像を建て、古き歴史を偲びつつ新しき未来を開こうとするものである。
  昭和47年9月吉日
   川越市長 加藤瀧二出」

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 太田道灌銅像川越

川越氷川神社

〇川越氷川神社 川越市宮下町2-11-3 HP

 太田道真、道灌父子は川越築城以来川越氷川神社を城の守護神として篤く崇敬し、道灌は矢竹を植え、「老いらくの身をつみてこそ武蔵野の草にいつまで残る白雪」の和歌を献納しています。

<大鳥居>

 高さが15メートルあり木製鳥居としては国内随一の規模です。扁額の社号文字は勝海舟の筆です。

DSCN2075_202202081456519b9.jpg

DSCN9864_20211113205857e70.jpg

DSCN9863_20211113205858f54.jpg

DSCN9862_202111132058597d2.jpg


<太田道灌手植の矢竹と献詠和歌>

 説明板「太田道灌手植の矢竹と献詠和歌」と、矢竹があります。

(説明板)
「太田道灌手植えの矢竹と献詠和歌
 老いらくの 身をつみてこそ 武蔵野の 草にいつまで 残る白雪
長禄元(一四五七)年川越城の築城にあたった太田道真・道灌父子は城の戊亥(神門)の方角に既に鎮座していた当社を城の守護神として篤く尊崇した
特に道灌は当社に詣でて自らこの矢竹を植え冒頭の和歌を献納した」

DSCN2098_20220208145831ee2.jpg

DSCN2097_2022020814583273e.jpg


<御神水/戌岩/水神社>

 かつて境内には御手洗川という小川があり、上尾街道を通る人々の憩の場所でした。
 御神水(地下水)と、水神社があります。

DSCN9890_20211113210242b63.jpg

DSCN9891_202111132102438f3.jpg

DSCN9892_20211113210506049.jpg


<御神木>

 御神木は樹齢600年を超えるケヤキです。

DSCN9898_2021111321092023c.jpg

DSCN9897_20211113210918ef7.jpg

DSCN9899_2021111321092124b.jpg


<山上憶良歌碑>

 柿本人麻呂神社の右脇には、山上憶良の歌碑があります。明治十六(1883)年に川越の文学愛好家らによる建立です。
 「令反惑情歌」(まどえるこころをかえさしむる歌)

(表面)

DSCN2083_202202081501115c6.jpg

DSCN2084_202202081501137ec.jpg

DSCN2085_202202081501157c0.jpg

(裏面)

DSCN2086_20220208150117153.jpg

DSCN2087_202202081501181b5.jpg

DSCN2088_20220208150120e30.jpg


<鯛みくじ>

 ピンクは「あい鯛みくじ」、赤は「一年安鯛みくじ」。

DSCN9886_20211113211131e20.jpg

DSCN9884_20211113211130919.jpg

DSCN9885_20211113211133751.jpg


<舞殿>

DSCN2089_20220208151548e6d.jpg


<拝殿・本殿>

 本殿は、埼玉県指定文化財です。

DSCN9887_20211113211250d9f.jpg

DSCN9889_2021111321125105a.jpg


<境内の摂社と末社>

 境内の摂社と末社が多々、当然ながら御利益も多々。

DSCN2080_20220208150342b20.jpg

DSCN2082_202202081503435fa.jpg


・八坂神社

 社殿は埼玉県指定文化財。

DSCN9895_2021111321261746d.jpg

DSCN9894_20211113212618d19.jpg


・護国神社

 「義勇奉公碑」
  西南戦争以降の川越出身の戦没英霊の碑です。
  「義勇奉公碑 陸軍大将鈴木壮六書」

DSCN9867_2021111321271044c.jpg

DSCN9868_20211113212713728.jpg


・柿本人麻呂神社

 柿本人麻呂をお祀りしています。

DSCN2093_202202081505463bb.jpg

DSCN2091_2022020815054712e.jpg

DSCN2090_20220208150547c94.jpg

DSCN2092_2022020815054881c.jpg


<富士塚>

「御嶽神社」

DSCN9874_2021111321301749c.jpg

DSCN9875_20211113213018141.jpg

DSCN9876_202111132130186e7.jpg


「小御嶽神社」「烏帽子岩」
 小御嶽神社の石碑と、「烏帽子岩 角行霊神 食行霊神」石碑があります。
 「富士講」開祖の長谷川各行と6代目の食行の名前が刻まれています。

DSCN2078_20220208150944171.jpg

DSCN2076_2022020815094550f.jpg


<各社>

DSCN9873_20211113213014135.jpg

DSCN9877_20211113213019a9a.jpg

DSCN9879_20211113213021aee.jpg

DSCN9878_20211113213023c59.jpg

DSCN9880_20211113213024c57.jpg

DSCN9881_20211113213025594.jpg

DSCN9882_2021111321302723c.jpg

DSCN9883_20211113213028029.jpg


<鈴木聞多命顕彰碑>

 北参道に「鈴木聞多命顕彰碑」があります。

DSCN9896_202111132132249f6.jpg


○新河岸川

 川越氷川神社の北参道の先に、新河岸川が流れています。

DSCN9871_20211113213337852.jpg

DSCN9872_20211113213339505.jpg

DSCN2074_20220208142714aee.jpg


○旧上尾街道 川越市宮下町

 川越氷川神社に面した西の道は、旧上尾街道です。北参道の入口に説明板「旧上尾街道」があります。

(説明板)
「旧上尾街道 所在地 川越市宮下町
 この坂道は、明治時代まで上尾街道として人々が往還し、上尾街道はここから東に水田地帯を貫いて入間川、荒川の流れを渡り、上尾宿(現在の上尾市)に至る中山道の脇往還としても大切な役割を果たしていた。
 特に、川越と江戸を結ぶ「川越夜舟」で名高い新河岸川の舟運が発展するまでは、荒川が物資流通の大動脈として盛んに利用されたので、老袋河岸や上尾側の平方河岸も物資の集散場として栄えた。このため、河岸に通じるこの街道は、人馬の往来がしきりであった。
 昔は、この坂の途中には冷たい水の湧き出る泉があって、街道を行く人々の疲れをいやしたという。
  昭和五十八年三月  川越市」

DSCN9869_20211113213507b5b.jpg

DSCN9870_20211113213509276.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 太田道灌勝海舟富士塚川越川越夜舟

岩槻城址

○岩槻城址 さいたま市岩槻区太田3-4他

 岩槻城は太田道灌の築城との江戸時代からの従来説に対し、現在は成田氏築城説が有力なようです。
 太田道灌の曾孫の岩槻城主だった太田資正は、令和4年2月に生誕500年を迎えるとのことで、イベントが行われるようです。

DSCN4640_20210629225424149.jpg

DSCN4635_20210629225425368.jpg

DSCN4637_20210629225426cd5.jpg

DSCN4636_202106292254286a0.jpg

(説明板)
「埼玉県指定史跡岩槻城跡
 岩槻城は室町時代の末(15世紀中頃)に築かれたといわれています。江戸時代には江戸北方の要として重要視され、有力譜代大名の居城となりました。
 戦国時代には何回も大改修が行われ、戦国時代の末期には大幅に拡張されました。本丸・二の丸・三の丸などの城の中心部のある主郭部、その周囲を取り囲む沼の北岸に位置する新正寺曲輪、南岸に位置する新曲輪という、3つのブロックから構成されていました。さらに城の西側及び南側の一帯には武家屋敷と町家、寺社地などからなる城下町が形成・配置され、その周囲を巨大な土塁と堀からなる大構が取り囲んでいました。
 この岩槻公園のあたりは、そのうちの新曲輪部分にあたっており、その大部分が埼玉県史跡に指定されています。新曲輪は戦国時代の1580年代に、豊臣政権との軍事対決に備え、その頃岩槻城を支配していた小田原北条氏が岩槻城の防衛力を強化するために設けた曲輪と考えられ、新曲輪・鍛冶曲輪という二つの曲輪が主郭部南方の防備を固めていました。
 明治維新後、開発が進んで城郭の面影が失われている主郭部とは対照的に新曲輪部分には、曲輪の外周に構築された土塁、発掘調査で堀障子が発見された空堀、外部との出入り口に配置された二つの馬出しなど、戦国時代末期の城の遺構が良好な状態で保存されています。  さいたま市」

DSCN4634_20210629225430f97.jpg


<岩槻城裏門>

DSCN4630_20210629225616c43.jpg

DSCN4633_2021062922561890f.jpg

(説明板)
「岩槻市指定文化財 岩槻城裏門
 この門は岩槻城の城門である。岩槻城の裏門と伝えられるが、城内での位置は明らかではない。
 現状では、門扉を付けた本柱と後方の控柱で屋根を支える薬医門形式となっている。間口約三メートル、奥行約二メートルであり、向かって左側袖塀に門扉左に潜戸を付属している。屋根は切妻造で瓦葺き。
 左右の本柱のホゾに記された墨書銘により、江戸時代後期の明和七年(一七七〇)に当時の岩槻城主大岡氏の家臣武藤弥太夫らを奉行として修造され、文政六年(一八二三)に板谷官治らを奉行として修理されたことが知られる。数少ない岩槻城関係の現存遺構の中でも、建築年代の明確な遺構として貴重なものである。
 廃藩置県に伴う岩槻城廃止後、民間に払い下げられたが、明治四十二年(一九〇九)以降、この門を大切に保存して来られた市内飯塚の有山氏から岩槻市に寄贈され、昭和五十五年(一九八〇)岩槻城跡の此の地に移築された。なお、門扉右の袖塀はこの時付け加えられたものである。
  文化財に関する問合せ先・・・さいたま市教育委員会文化財保護課」

DSCN4631_20210629225619ccf.jpg


<人形塚>

 昭和46(1971)年に当時の岩槻人形連合協会が建立。ここで人形供養祭が行われます。

DSCN4626_20210629225759fb8.jpg

(説明板)
「人形塚について
 昭和四十六年(一九七一年)当時の岩槻人形連合協会は十月十五日を「人形の日」と決め、埼玉百年を記念してこの岩槻城の一角に人形塚と人形の碑を建立いたしました。人形塚は、郷土の日本画家、関根将雄画伯のデザインによりもので、製作に当たっては、地元の若き人形職人等の熱き協力がありました。
 男雛、女雛が仲むつまじく寄りそった姿は「人」を形象し世界の平和と郷土岩槻の限りなき発展を願っております。当地の人形作りの起源は、江戸時代のはじめ日光東照宮造営の頃(一六三○年)とされています。
 その後幾とせ、人形作りに心血を注ぎ、いそしんだ先輩父祖の霊を慰め、また多くの人形師が心をこめて作り上げかつ人々に愛された人形達の冥福を祈り、この人形塚はつくられました。
  平成四年三月末日  埼玉県観光連盟 岩槻市観光協会 岩槻人形協同組合」

DSCN4628_202106292258003be.jpg

DSCN4629_2021062922580175f.jpg


<岩槻城址記>

 大正14(1925)年10月、岩槻町の建立です。

DSCN4638.jpg

DSCN4639_20210629225858606.jpg

※岩槻城址公園第3駐車場右側に、東武特急「きぬ号」が展示されています。

テーマ : 城址巡り - ジャンル : 旅行

tag : 岩槻城址日光御成道

久伊豆神社

○久伊豆神社 さいたま市岩槻区宮町2-6-55
 
<参道>

 本殿南に参道。参道入口に「武州岩槻総鎮守 久伊豆神社」の大きな社号標。
 参道は鬱蒼とした埼玉県指定「社叢ふるさとの森」に覆われています。

DSCN4641_202106292031434c0.jpg

DSCN4642_20210629203145b61.jpg

DSCN4643_2021062920314668f.jpg

DSCN4644.jpg

DSCN4645.jpg

(掲示抜粋)
「岩槻久伊豆神社由緒
 久伊豆神社は、今を去る千三百年前、欽明天皇の御代出雲の土師連の創建したものと伝えられる。その後相州鎌倉扇ヶ谷上杉定正が家老太田氏に命じ、岩槻に築城の際城の鎮守として現在地に奉鎮したといわれている。江戸時代歴代城主の崇敬厚く、特に家康公は江戸城の鬼門除けとして祈願せられた。
 神社境内は城址の一部で、元荒川が東北に流れ、市内でも数少ない貴重な社叢として知られている。
 明治八年一月十一日、火災に遭い、時の城主、町民より寄進された社殿等烏有に帰し、現社殿は、その後氏子崇敬者の誠意により再建されたものである。現在神域は次第に整い、神威はいよいよ高く神徳ますます輝きわたり岩槻市総鎮守として秘匿の崇敬をあつめている。
  岩槻市観光協会」

DSCN4647.jpg


<石碑>

 石碑が色々とあります。文化2年銘の「猿田彦大神」。力石もありました。

DSCN4648.jpg

DSCN4646.jpg

DSCN4650.jpg


<神苑>

 参道左手に神苑(枯山水)。
 平成三十年四月十九日に植樹された、朝香宮殿下孔雀奉納八十年祭記念植樹「しだれ桜」があります。

DSCN4657.jpg

DSCN4679_2021062920355501b.jpg

DSCN4678_20210629203556954.jpg


<明戸庚申>

 狛犬に石燈籠が載っています。
 徳川将軍霊廟の奉献石燈籠によく似ていて元の銘が削られているので転用かと思いましたが、裏面には奉納年が刻まれているので、どうでしょうかね。

DSCN4658.jpg

DSCN4651_20210629203745e6b.jpg

DSCN4652.jpg

DSCN4656.jpg

DSCN4655_202106292037491a9.jpg

DSCN4653_202106292037501d8.jpg

DSCN4654_20210629203752a5c.jpg

DSCN4680_20210629203753951.jpg


<孔雀小屋と鶏>

 1938(昭和13)年3月9日、朝香宮殿下が岩槻にご来臨の折、孔雀三羽を奉納されたのが始まりです。
 小屋から出てきた鶏が、境内を闊歩しています。

DSCN4659_202106292039366bc.jpg

DSCN4660_202106292039387c7.jpg

DSCN4663.jpg

DSCN4661.jpg

DSCN4664_202106292039426e3.jpg


<日露戦役紀念碑>

 孔雀小屋の横に、「日露戦役紀念碑」があります。
 陸軍大将寺内正毅の揮毫です。大正5年5月14日建立。

DSCN4662.jpg


<拝殿/本殿>

 拝殿は、平成26年10月19日竣工。

DSCN4666_20210629204125c83.jpg

DSCN4667_20210629204126b9b.jpg

 岩槻黒奴の顔出しパネルがあります。
DSCN4665_202106292041233c6.jpg


<伏見稲荷神社>

DSCN4668_20210629204303907.jpg

DSCN4669_202106292043057a1.jpg


<厄割り石>

DSCN4670_20210629204306da1.jpg


<榛名神社>

 本殿裏に榛名神社。榛名神社の前にあった大榊は、平成30年に枯れたとのことです。

DSCN4671_202106292044416f7.jpg


<北野天満宮>

 「撫で牛」「叶い戌(子育て戌)」
 コロナのご時世、牛は撫でないでお祈りしましょうとの掲示を見ることがありますが、ここは掲示がないですね。よく撫でられる部分の色が変わっています。

DSCN4677.jpg

DSCN4674.jpg

DSCN4672_20210629204553687.jpg

DSCN4673_202106292045540e6.jpg

DSCN4675.jpg

DSCN4676.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 岩槻久伊豆神社日光御成道力石戦役紀念碑

芳林寺

○芳林寺 さいたま市岩槻区本町1-7-10

 文明18(1486)年、太田道灌が暗殺された時、道灌の父道真と養子の太田資家(岩槻城主)が伊勢原に行き、道灌の遺骨や遺髪をもらい受け、越生町の龍穏寺と芳林寺(当時松山の地蔵寺?)に分けられて葬られました。
 永正17(1520)年8月火災に罹ったため太田資正が松山から道灌の遺骨を当地に移し、資正の子氏資が母の芳林尼の追慕のため、永禄10(1567)年に寺名を芳林寺としたと伝えられています。 (言い伝えが色々ありよくわかりません。)

DSCN4694_2021060319353529e.jpg

DSCN4695_202106031935377c4.jpg

DSCN4702.jpg

DSCN4715_20210603193541dce.jpg

DSCN4734.jpg

DSCN4733.jpg

DSCN4735_20210603193753c74.jpg

DSCN4740_20210603193755f9e.jpg


 境内には「やまぶきの寺」石碑があります。やまぶきの寺とも呼ばれているようです。

DSCN4732_20210603193545a4c.jpg

(説明板)
「岩槻城・太田道灌・芳林寺
 岩槻城は、室町時代に古河公方足利成氏の執事扇谷(上杉家)持朝の命を受け、長禄元年(一四五七)太田道真・道灌父子が築城したと伝えられる。
 文明十八年(一四八六)、太田道灌が神奈川県伊勢原にあった主君・上杉定正の館で暗殺された時、父の道真と道灌の養子・太田資家(岩槻城主)が伊勢原に行き、道灌の遺骨や遺髪をもらい受けてきたと言われている。
 そして、それらは埼玉県越生町の龍穏寺と芳林寺に分けられて丁重に葬られ、今日まで供養されている。
 また、芳林寺は太田三楽斎資正が、東松山城(埼玉県東松山市)の城代難波正直の娘婿として活躍していた頃に、同地ゆかりの地蔵堂を岩槻に移したと伝えられ、資正の嫡男・太田氏資(岩槻城主)の時代に名前を地蔵堂から「芳林寺」と改めて、母・芳林妙春尼の御霊をはじめ、多くの合戦で亡くなった将兵や町内外の檀家の方々のご先祖の御霊を供養して、現在まで続いている由緒ある禅寺である。」

DSCN4697_2021060319393469e.jpg


<太田道灌公築城550年記念 岩槻城復元図>(平成19年7月26日)

DSCN4698_20210603193936db2.jpg


<武州岩槻城 阿部氏在城五十九年>

DSCN4699_20210603193937fd3.jpg


<道灌松>

 「道灌松」の石碑と、松があります。由来は何でしょう?

DSCN4710_20210603193938465.jpg

DSCN4709_20210603193940f8a.jpg


<太田道灌騎馬像>

 平成19(2007)年に騎馬像が建てられました。葛飾区柴又在住の彫刻家である冨田憲二氏と山本明良氏の両名(彫刻工房十方舎)によって作られました。

(説明板)
「この太田道灌公の騎馬武者像は、東京都葛飾区柴又在住の世界的にも著名な彫刻家である冨田憲二・山本明良両先生(彫刻工房、十方舎)の作品です。」

DSCN4708_202106031942146f4.jpg

DSCN4701_20210603194216345.jpg

DSCN4714_2021060319421789f.jpg

DSCN4700_20210603194219fa2.jpg

DSCN4713_202106031942207ba.jpg

DSCN4711_20210603194222c8b.jpg

DSCN4696_20210603194406410.jpg
    
 「江戸城の石」石標があります。江戸城の石も用いて、細部にもこだわりの騎馬像です。
    
DSCN4712.jpg


<太田道灌公鷹狩之像>

 富田憲二・山本明良の作、平成26(2014)年の建立。

DSCN4704_20210603194520640.jpg

DSCN4705.jpg

DSCN4706_20210603194523927.jpg

DSCN4707_20210603194524774.jpg


<太田氏資公像>

 富田憲二・山本明良の策、平成15(2003)年の建立。
 太田氏資像は、母である芳林妙春禅尼像に向いています。

DSCN4718_20210603194729d4e.jpg

DSCN4719_2021060319473177f.jpg


<芳林妙春禅尼像>

 富田憲二・山本明良の作、平成16(2004)年の建立。
 太田氏資の母で 当山の開祖です。

DSCN4741_20210603194846420.jpg

DSCN4742_20210603194847dca.jpg
   

<道標>

 「京 三条大橋百四十二里」「白鶴城本丸半里」「江戸日本橋九里」

DSCN4739_20210603194945d5b.jpg

DSCN4716_20210603194947ac0.jpg


<地蔵堂・位牌堂>

DSCN4717_20210603195202b97.jpg


<弁天堂/弁財天尊像>

DSCN4720_20210603195204cdb.jpg


<白山堂>

 白山堂の標石には「金毘羅大権現、白山大権現、三峯大権現」とあるので、
 この三社を祀っているようです。

DSCN4737_20210603195206b1a.jpg


<寶聚稲荷社>

DSCN4738.jpg


<埼玉県庁が最初に設置された芳林寺>

DSCN4736_202106031952084ee.jpg


<芳林寺境内墓地>

DSCN4721_20210603195417f47.jpg

DSCN4722_20210603195419f30.jpg


<田中保画伯の略歴>

 墓地手前にあります。

DSCN4730.jpg

DSCN4731_20210603195421c3b.jpg


<芳林妙春尼御霊廟 太田道灌公御霊廟 太田氏資公御霊廟>

DSCN4725_20210603195719df2.jpg

DSCN4723_20210603195721f76.jpg

DSCN4726_2021060319572218e.jpg

DSCN4726_20210603195724d33.jpg

DSCN4724_20210603195725d68.jpg


「太田氏資供養塔」

DSCN4729_2021060319572646e.jpg

DSCN4728_20210603195728ea0.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 太田道灌岩槻日光御成道銅像

カウンター
プロフィール

ほっと湯Web

Author:ほっと湯Web

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
03 | 2024/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
検索フォーム
リンク
カテゴリ
タグリスト

全記事タイトル表示

全ての記事を表示する

Japanese→English
English
♥. ♠. ♣Alice
QRコード
QR