五百羅漢

○五百羅漢跡(江東区史跡) 江東区大島4-5-1

 江東区総合区民センター前の植込みに石標柱「五百羅漢跡」と説明板「五百羅漢跡」があります。

DSCN3150_2022032813351907b.jpg

DSCN3158_2022032813352010a.jpg


<五百羅漢跡>

(碑文)
「元禄八年この付近に黄檗宗松雲禅師作の羅漢像五百体を安置する広壮な羅漢寺が創立せられ五百らかんという名所として知られてきたが羅漢寺は明治二十年に墨田区へさらに同四十二年目黒区へ移転したがなお当時の羅漢像の多くを残している
 昭和三十三年十月一日  江東区第十八号」

DSCN3154_20220328133636c07.jpg

DSCN3153_2022032813363770a.jpg

DSCN3155_20220328133639c56.jpg

DSCN3156_2022032813364073c.jpg

DSCN3157_20220328133642772.jpg


<五百羅漢跡>

(説明文)
「五百羅漢跡  大島四‐五
 五百羅漢は、元禄八年(一六九五)に松雲元慶禅師により創建された黄檗宗の寺院です。禅師は貞享年間(一六八四〜八八)に江戸へ出て、元禄四年(一六九一)から木造羅漢像を彫り始めました。元禄八年、将軍徳川綱吉から天恩山五百阿羅漢寺の寺号と六千坪余の寺地を賜り、ここに自ら彫像した羅漢像など五三六体を安置しました。
 当寺の三匝堂は、廊下がらせん状に三階まで続いており、その様子がサザエのようであることから、または三匝とサザエの発音が似ていることから「さざえ堂」と呼ばれ、多くの参詣客を集める江戸名所のひとつでした。区内には、五百羅漢までの道筋を示す道標が二基現存しています。
 羅漢寺は明治二十年(一八八七)本所緑町(現墨田区)へ移り、さらに同四十二年(一九○九)現在地(目黒区)へ移転しました。
 ここに残る石標柱は、五百羅漢跡を示すために昭和三十三年に建てられたものです。
  平成二十年三月  江東区教育委員会」

DSCN3151_20220328134050b94.jpg


「江戸名所図会 五百羅漢さざゐ堂」(3枚連結の全体)

gohyakurakan.jpg


「江戸名所図会 五百羅漢さざゐ堂」から、さざゐ堂部分の抜粋です。

meisyozuesazaidou.jpg


「江戸切絵図」

 「羅漢寺 五百ラカン」が描かれています。西には「猿江御材木蔵」(こちらで記載)、北には「五ツ目渡シ」,、南には小名木川が見えます。小名木川には、五百羅漢道標があります(こちらで記載)。

kiriezurakandera.jpg


「南本所羅漢寺ヨリ中川迄」(天保十一年八月 国立国会図書館蔵)

 国立国会図書館所蔵の天保11年の地図より抜粋です。「羅漢寺」から中川まで描かれています。「羅漢寺」の他、小名木川沿に下流に向かって、「勝智院」「稲荷」「宝塔寺」「永福寺」「稲荷」が見えます。小名木川河口部には、「中川御番所」が見えます。

raranteranakagawa1_20220328134101382.jpg


「名所江戸百景 五百羅漢さざゐ堂」(広重)

100keisazaedou.jpg


「絵本江戸土産 五百羅漢 さざゑ堂」(広重)

edomiyagegohyakurakan.jpg


「東都名所 五百羅漢さゞゐ堂」(広重)

totosazaedou.jpg


「富嶽三十六景 五百らかん寺さざゐどう」(葛飾北斎)

fugakusazaedou.jpg


○羅漢寺 江東区大島3-1-8

 現在の羅漢寺は、旧羅漢寺と繋がりはなく、明治36(1903)年に奥多摩の氷川から転入してきた祥安寺が、昭和11(196)年に寺号を羅漢寺に改称したお寺です。

DSCN3149_202204122221456d4.jpg

DSCN3579_20220412222147575.jpg


<奉献石燈籠> 江東区文化財

 寛永寺の奉献石燈籠があります。第4代将軍徳川家綱の正室「高厳院殿」への掛川藩第2代藩主井伊直武による奉献石燈籠です。

 「奉献上石燈籠両基
  東叡山
  大島らかん通り商店街殿 尊前」
  延宝九辛酉年八月五日
  遠州掛河城主
  従五位下伯耆守
  藤原姓井伊氏直武」

DSCN3578_20220412222257908.jpg

DSCN3575_20220412222259c78.jpg

DSCN3574_20220412222300bda.jpg

DSCN3576_20220412222302bed.jpg


○大島らかん通り商店街 江東区大島2・3丁目 HP

 「大島らかん通り商店街」は、都営新宿線西大島駅から明治通りを亀戸方面に、五ノ橋まで続いています。

DSCN3163_202203281358309c8.jpg

テーマ : 神社・仏閣巡り - ジャンル : 旅行

tag : 江戸名所図会歌川広重葛飾北斎奉献石燈籠小名木川史跡

北砂緑道公園(釜屋の渡し跡)/左行秀鍛錬場跡

○北砂緑道公園 江東区北砂

<JR貨物専用線(越中島支線)小名木川橋梁> 江東区北砂2丁目

 貨物線のレンガ橋梁があります。 遺構ではなく現役の貨物線です。

DSCN3064_20220323212239678.jpg

DSCN3066_2022032321224042e.jpg


<釜屋の渡し跡> 江東区史跡 江東区北砂1-3

 貨物線鉄橋のそばに説明板「釜屋の渡し跡」が建っています。
 小名木川に上大島村(大島1丁目)と八右衛門新田(北砂1丁目)を結ぶ渡し船がありました。名称は、鋳物師・釜屋六右衛門・七右衛門の鋳造所があったことに由来しています。

(説明板)
「釜屋の渡し跡  (大島一‐十八〜北砂一‐三)
 釜屋の渡しは、上大島村(大島一)と八右衛門新田(北砂一)を結び、 小名木川を往復していました。名称は、 この対岸に江戸時代から続く鋳物師、釜屋六右衛門・釜屋七右衛門の鋳造所があったことにちなみます。写真は明治末ごろの釜屋のようすです。川沿いに建ち並ぶ鋳物工場と、そこで働く人びとや製品の大釜が写っています。
 明治の初めごろにはすでに、 対岸の農耕地などへ往来する「作場渡船」に類する「弥兵衛の渡」がありました。『大島町誌』(昭和七年刊行)によれば、大正七(一九一八)年七月五日に「営業渡船」として許可されています。利用状況は、平均して一日大人二○○人、自転車五台、荷車一台で、料金は一人一銭、小車一銭、自転車一銭、荷車二銭、牛馬一頭二銭とあります。
 『城東区史稿』(昭和十七年刊行) には営業の記載があるので、それ以後に廃止されたものと思われます。
  平成九年三月  江東区教育委員会」

DSCN3065_202203232122427f0.jpg

DSCN3063_202203232122432c2.jpg


○左行秀鍛錬場跡 江東区史跡 江東区北砂1-2

(説明板)

「江東区登録史跡
 左行秀鍛錬場跡  北砂一‐一八・一九、二‐一七付近
 左行秀は、幕末の著名な刀工で、文化十年(一八一三)筑前国(福岡県)で生まれ、明治二○年(一八八七)に七五歳で没しました。豊永久兵衛(のち久左衛門)ともいい、南北朝時代の名工「左文字」の流れを汲む意から「左」の号を用いました。
 天保年間(一八三○?四四)の初めに江戸へ出て、刀工清水久義に入門し、弘化三年(一八四六)江戸から土佐(高知県)へ移り、翌弘化四年より土佐藩の城下で鍛刀を始めました。安政三年(一八五六)五月、三人扶持で刀工・鍛冶職として土佐藩に召し抱えられました。安政七年(一八六○)二月に江戸出府が命じられ、当時この付近にあった土佐藩下屋敷に滞在し、鍛錬場を築き刀剣を
製造しました。ここで鍛刀した作品には「於東武土佐藩左行秀造之 慶応三年二月日」「於東武砂村元八幡宮北左行秀造之慶応三年二月吉日」などの銘が見られます。また、下屋敷内では当時鉄砲の製造も行っており、これに関わったともいわれています。明治元年(一八六八)土佐へ戻り、明治三年(一八七○)まで作刀を続けました。
 ここに残る石標柱は、左行秀の鍛錬場跡を示すために、東京百年の記念事業として昭和四三年に建てられたものです。」
  平成二二年七月  江東区教育委員会」

DSCN3067_202203232126072a3.jpg

DSCN3069_20220323212609600.jpg

(石碑文)
「刀工 左行秀作刀旧跡
 左行秀は江戸時代末期復古調の刀工として有名であった 行秀は北九州に生れ刀工となり江戸にでて水心子正秀の門人清水久義の弟子となりのち土佐藩の藩工となった 国鉄小名木川駅西側付近にあった土佐藩主山内家の下屋敷において作刀したことがある 行秀の作刀のなかに富賀岡八幡宮北辺おいてと銘のあるものはこの下屋敷において作刀したことを伝えている 行秀は明治初年高知県に帰り明治十八年七十四歳をもって死去した
 昭和四十三年十月一日 江東区第二十八号」

DSCN3068_2022032321272873b.jpg

DSCN3070_202203232127309d0.jpg

DSCN3071_202203232127328a3.jpg

DSCN3072_20220323212733121.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 小名木川鉄道遺構史跡煉瓦

大島稲荷神社/勝智院

○大島稲荷神社 江東区大島5-39-26 HP

 慶安年間(1648〜1651年)、洪水などの水害に悩まされた住民が、伏見稲荷大社の分霊を奉遷し産土神とて奉ったのに始まります。
 大島稲荷神社のHPによると、明治30(1897)年6月に浅草光月町入谷田圃にあった太郎稲荷(旧柳川藩立花家下屋敷邸内社)を、昭和19(1944)年6月に愛宕山勝智院境内の愛宕神社を合祀しています。(太郎稲荷は台東区に継続して存在しています) (太郎稲荷は台東区に継続してあります。)

<丸八橋から>

 小名木川にかかる丸八橋側から、大橋稲荷神社の拝殿・本殿の全景が望めます。

DSCN2942_20220323215048b93.jpg

DSCN2944_20220323215049831.jpg

DSCN2946_20220323215050660.jpg

DSCN2957_20220323215052b5d.jpg


<小名木川対岸から>

DSCN2943_20220323215250139.jpg

DSCN3061_202203232150549bb.jpg


<鳥居> 江東区文化財

 明治25(1892)年銘の鳥居です。

DSCN2888_20220323215424daa.jpg


<松尾芭蕉像と句碑>

DSCN2889_2022032321542616b.jpg

(説明文)
「松尾芭蕉ゆかりの大島稲荷神社
  由緒
女木塚の裏に其日庵社中造立とありますが年代詳 この句は大坂へ旅立つ二年前の元禄五年(一六九二)芭蕉五十才の時奥の細道に旅立する前の句でありまして芭蕉は深川から船で川下りをして神社の前を流れる小名木川に船を浮かべて洞奚宅に訪ね行く途中船を留て当神社に立寄り参拝を致しまして境内の此の森の中で川の流れを眺めながらその際、詠んだのがこの句であります。
  秋に添いて行かはや末は小松川
の句を残しております。
その後年其日庵の俳人たちが芭蕉をしのんでゆかりの深い大島稲荷神社に句碑を建立その面影が偲ばれます。
建立は江戸時代といわれ拓本をとる人も多い。松尾芭蕉が奥の細道に旅立って今年元年が三百年目の年に当ります。
  大島稲荷神社」

DSCN2898_202203232157588f4.jpg

DSCN2900_20220323215800a99.jpg

DSCN2899_20220323215801013.jpg


<芭蕉句碑>

 「俳聖松尾芭蕉奥の細道旅立三百年記念句碑
   五月雨をあつめて早し最上川
      大島稲荷神社 平成元年九月十九日
           第六代宮司佐竹良子建之」

DSCN2890_20220323220139c6c.jpg


<女木塚碑> 江東区文化財

 表「女木塚」
  「秋に添て行かばや末は小松川」

DSCN2896_20220323220140039.jpg

 裏「其日庵社中造立」

DSCN2901_2022032322014112a.jpg


<松尾芭蕉翁石造像>

DSCN2894_2022032322035370f.jpg

DSCN2902_20220323220355072.jpg

DSCN2903_20220323220356be5.jpg

(碑文)
「大島稲荷神社御鎮座三百五十年大祭記念
 松尾芭蕉翁石造像建立之詞書
当神社境内に保存されている「女木塚」句碑にある一句は元禄五年翁が深川より小名木川近在の門人桐奚宅の句会に行く途中船を留め神社に立ち寄り参拝し句会で詠まれたもので
  秋に添て行ばや末ハ小松川
としたためられております。
その後芭蕉翁歿後其日庵社中により神社にこの句碑が建立されました。本句碑は歴史的価値により、江東区有形文化財に登録されております。平成十三年九月十九日には、大島稲荷神社御鎮座三百五十年式年大祭が開催されました。輝かしい佳節を迎え総代氏子崇敬者一同記念事業の一環として、茲に三百五十年史として緑り深いこの地に遺徳を偲び、其日庵社中に感謝の意をこめて翁の石造像建立して後世に伝えることに相成ました。
  平成十三辛巳年九月十九日建之
        大島稲荷神社第六代宮司 佐竹良子(以下省略)」

DSCN2892_20220323220358c74.jpg


<その他>

 双体道祖神ですかね。

DSCN2904_20220323220714510.jpg

DSCN2932_20220323220715128.jpg


<その他>

 芭蕉像の反対側にある不詳の石碑です。

DSCN2905_202203232207171ed.jpg


<大島稲荷神社御由緒>

 「俳人 松尾芭蕉 句(秋に添て 行はや末は 小松川)
  俳人 小林一茶 句(水売の いまきた顔や 愛宕山)
  俳句碑を残してをります。」
 とありますが、小林一茶句碑は見当たりませんでした。

  御由緒碑の前に百度石があります。力石に見える百度石です。江東区文化財として大島稲荷神社の力石が2基登録されているので、力石を転用しているのかも。

DSCN2906_20220323221144aeb.jpg

DSCN2931_202203232211462da.jpg

DSCN2941_2022032322114766f.jpg

DSCN2907_20220323221149797.jpg


<西参道>

DSCN2919_20220323221353b19.jpg

DSCN2921_20220323221355eb3.jpg

DSCN2916_20220323221356f97.jpg

DSCN2960_20220323221357770.jpg


<大島稲荷神社 大島神社 年中行事>

 「大島稲荷神社 大島神社 年中行事」です。

DSCN2920_20220323221359562.jpg


<小林一茶が詠んだ地は大島稲荷神社>

(説明板)
「小林一茶が詠んだ地は大島稲荷神社
  信州大小林講師が「水売」の句で推定
           享和三年七月七日
  かぢの音は耳を離れず星今宵
  七夕の相伴に出る川辺哉
 享和句帖三年九月十九日の条に稲荷祭とあるのは当神社の御祭礼の事である
  水売の今きた顔や愛宕山(文政二年)
 当地大島あたり飲水が悪く小名木川を水売り船が往来し、水だ水だと一軒一軒に水売りにきていた事が伝えられている。
 (懐かしき大正時代 江東大島の思い出)」

DSCN2924_20220323221552011.jpg


<大祓神事>

(説明掲示)
「大祓神事
 大祓は、氏子中の人々の心や身体に色々な良く無いことが起る原因を取り除き、幸福と繁栄を迎えるために諸々の罪穢を祓ひ清め清明心を自己の内に培う神事です、大島稲荷神社では毎年六月三十日、十二月三十一日の年二回、大祓式を厳修し、氏子の皆様からお預かり致した人形を水清き河海に流し清めるか、清浄地において御浄火にふして罪穢消滅を祈願いたします。
 茅の輪の由来
 神代の昔、素戔嗚尊様が大勢の神々等と日本の国土に住まいする人等の平和と産業の発展の為に諸国を視察して廻っている時ある貧しい一軒の家で(蘇民将来と云ふ人)一夜の暖かい待遇を受けられた事を大変感謝され「もし世の中に悪疫(悪い病気)が流行だしたらチカヤをもって輪を作り腰の上にかければ必ず一切の悪疫から免れる事が出来る」とお教へ下さった。(備後風土記)此の
故事に習って、茅の輪の信仰が広まり現在では鳥居に輪を作り、くぐる事によって、悪疫を免れると云ふ教えが行われています。
 輪のくぐり方
 正面より左にくぐり右・左にくぐる(8の字形)
 昔は輪をくぐる度毎に次の歌を誦してくぐり、お参りをしました
 一.母の分も一つくぐる茅の輪かな(一茶)
 一.思ふ事皆つきぬとて麻の葉を切りて切りて、祓へつるかな(和泉式部)
 一.六月の夏越の祓いする人は千歳の生命延といふなり(読人不知)
 一.宮川の清き流れにみそぎせば祈れることの叶わぬはなし」(読人不知)
   大島稲荷神社」

DSCN2922_2022032322170995d.jpg

DSCN2917_20220323221711c1d.jpg

DSCN2917b.jpg


<佐竹神社>

DSCN2933_20220323222004b49.jpg

DSCN2934_202203232220065d3.jpg

DSCN2909_20220323222007639.jpg

DSCN2936_20220323222009f88.jpg

DSCN2910_20220323222010262.jpg


<出世開運牛>

 親子の牛の石像です。
 「この親牛は商産業白い子牛は子供の頭脳授 自分の生まれ歳の干支の所をなでて無事成長を神社に祈念して下さい」

DSCN2912_2022032322213330c.jpg

DSCN2914_202203232221342df.jpg

DSCN2913_20220323222136443.jpg


<手水舎> 江東区文化財

 石水盤は江東区文化財です。手水舎の後ろに三猿がいます。

DSCN2911_20220323222344945.jpg

DSCN2927_202203232223463c7.jpg


<社務所>

 社務所に狛犬です。

DSCN2937_20220323222455285.jpg

DSCN2938_202203232224574db.jpg

DSCN2939_20220323222459776.jpg

DSCN2940_202203232225007b7.jpg


<拝殿>

 狛犬は、江東区文化財です。

DSCN2925_202203232226358c3.jpg

DSCN2926_202203232226362b5.jpg

DSCN2959_20220323222638091.jpg

DSCN2928_20220323222639afa.jpg

DSCN2929_2022032322264112f.jpg


○勝智院 江東区大島5-39-30

 愛宕山勝智院は道路計画のため、昭和41年に佐倉市に移転、現在地には出張所が残っています。
 小林一茶が享和3(1803)年から文化元(1804)年まで勝智院に住んでいたようです。 荒川辺八十八ヶ所霊場第76番札所でした。

DSCN2945_20220323223041029.jpg

DSCN2947_2022032322304446d.jpg

DSCN2948_2022032322304568d.jpg

DSCN2958_202203232230466b4.jpg

DSCN2949_20220323223047e6a.jpg


<墓苑造成中>

DSCN2951_2022032322321751c.jpg

DSCN2952_20220323223219c18.jpg


 寛文12(1672)年6月銘の石造物です。

DSCN2954_20220323223220b3c.jpg

DSCN2955_20220323223222de3.jpg


「南本所羅漢寺ヨリ中川迄」(天保十一年八月 国立国会図書館蔵)

 国立国会図書館所蔵の天保11年の地図より抜粋です。

raranteranakagawa1.jpg

 「勝智院」「稲荷」が小名木川沿いに描かれています。

raranteranakagawa2.jpg

テーマ : 神社・仏閣巡り - ジャンル : 旅行

tag : 松尾芭蕉銅像小林一茶小名木川力石

塩の道橋(小名木川)

○塩の道橋 江東区大島8丁目〜北砂6丁目・北砂1丁目

 小名木川にかかる河口から番所橋の次の2番目の橋「塩の道橋」です。2008(平成20)年3月架設の自転車、歩行者専用橋です。

DSCN3043_20220323210924375.jpg


<丸八橋方向>

DSCN3044_20220323210925d87.jpg

DSCN3052_20220323210927d68.jpg


<番所橋方向>

DSCN3053_20220323211151277.jpg

DSCN3047_20220323211152842.jpg


<プレート>

 橋の両端に、プレートが掲示されています。

「明治の小名木川運河」

DSCN3051_20220323211243ac5.jpg

DSCN3045_202203232112447a0.jpg

「中川船番所 中川口の図 広重画」

DSCN3050_20220323211340182.jpg

DSCN3048_20220323211342e58.jpg


<仙台堀川暗渠>

 橋の下には仙台堀川の暗渠からの排水を流す施設が造られていますが、泡でぶくぶくです。

DSCN3055_20220323211439356.jpg

DSCN3054_20220323211441a9e.jpg


<仙台堀公園>

 仙台堀公園の終端に「塩の道橋」があります。

DSCN3056_2022032321160813e.jpg

DSCN3057_20220323211610840.jpg

DSCN3058_20220323211611165.jpg

DSCN3060_20220323211613849.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 小名木川

宝塔寺(塩なめ地蔵)

○宝塔寺 江東区大島8-38-32

 中川船番所の西、小名木川近くにある宝塔寺には、江戸時代の商人が商売繁盛を願って塩を供えたことが由来の「塩なめ地蔵」があります。

DSCN3121_20220323204710f8c.jpg

DSCN3129_2022032321065357b.jpg

DSCN3130_202203232047119fa.jpg


「南本所羅漢寺ヨリ中川迄」(天保十一年八月 国立国会図書館蔵)

 国立国会図書館所蔵の天保11年の地図より抜粋です。「宝塔寺」が「中川御番所」から小名木川の西に描かれています。

raranteranakagawa1.jpg

chizuhoutouji.jpg


<法塔寺(塩なめ地蔵)>

(説明板)
「江東みちしるべ
 法塔寺(塩なめ地蔵)
 由来
 宝塔寺は真言宗で、稲荷山小名院と号します。境内に安置されている塩なめ地蔵は、もとは、小名木川沿いにあったものを昭和初期に移したものです。
 江戸時代に、小名木川や行徳道を通る商人たちが、この地蔵の前で休憩し、商売繁盛を願って塩を供えたのが由来と伝えられています。また、仏前の塩をもらっていぼにぬると治るともいわれ、別名「いぼ取り地蔵」とも呼ばれていました。」

DSCN3118_20220323205023a82.jpg


<塩舐め地蔵> 江東区文化財

DSCN3148_20220323205152955.jpg

DSCN3132_20220323205154afa.jpg

(説明板)
「塩舐め地蔵
この塩舐め地蔵は
石井某によって小名木川から掘り出され宝塔寺に納められたと伝えられます。小名木川は慶長年間に開削されておりおそらく宝塔寺の開創(慶長十五年・一六一○年)とともに境内に安置されたものでしょう。
塩地蔵とよばれる地蔵尊はきわめて数少なく供えられた塩をつけると疣が取れるといわれ疣取り地蔵ともよばれます。
また商売繁昌、航海安全のご利益も授かると伝えられます。」

DSCN3133_202203232053062fb.jpg


「塩なめ地蔵
 ・塩をかけずに合掌してお参り下さい
 ・ご真言「おん・かかか・びさんま・えい・そわか」
 ・願い事する時はお塩をお供え下さい
 ・供えられた塩を「いぼ」につけると「いぼ」が取れると「いぼ取り地蔵」とも呼ばれます
  供えられた塩を持ち帰り「いぼ」が取れたら改めて塩を供えて下さい
 ・塩なめ地蔵のお札ご希望の方寺までお願いします  合掌」

DSCN3137_2022032320542336b.jpg
  
DSCN3141_20220323205424ba3.jpg

DSCN3139_20220323205426337.jpg

DSCN3140_20220323205427971.jpg


<六地蔵> 江東区文化財

DSCN3136_202203232056049e8.jpg


<石仏>

 地蔵菩薩?弘法大師像ですかね。

DSCN3135_20220323205606406.jpg


<大先達加藤忠治之碑> 江東区文化財

 加藤忠治は、富士講のひとつである丸不二講の初代先達。裏面に「大正九年三月建之」

DSCN3122_20220323205731994.jpg

DSCN3128_202203232057339e3.jpg

DSCN3127_202203232057349fd.jpg


<丸不二講先達五十年記念碑> 江東区文化財

 明治28年銘の記念碑です。

DSCN3124_202203232059475b5.jpg

DSCN3147_20220323205948326.jpg

DSCN3126_20220323205950cf5.jpg


<高野山弘法大師 南無阿彌陀佛> 江東区文化財

 「南無阿彌陀佛」の六字名号供養塔です。

DSCN3123_20220323210042a6c.jpg

DSCN3125_20220323210044131.jpg


<水子地蔵菩薩像/聖観音像>

DSCN3131_20220323210238f66.jpg


<西国坂東秩父百番札所巡拝塔> 江東区文化財

 宝暦8(1758)年銘、並木浅右衛門奉納。
 「西国坂東秩父百番諸願成就所」

DSCN3142_20220323210340c15.jpg

DSCN3146_202203232103414e6.jpg

DSCN3145_20220323210343367.jpg

テーマ : 神社・仏閣巡り - ジャンル : 旅行

tag : 小名木川

カウンター
プロフィール

ほっと湯Web

Author:ほっと湯Web

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
05 | 2023/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
検索フォーム
リンク
カテゴリ
北 (8)
タグリスト

全記事タイトル表示

全ての記事を表示する

Japanese→English
English
♥. ♠. ♣Alice
QRコード
QR