二十世紀が丘萩町(松戸) 出羽三山供養塔

○いちご公園 松戸市二十世紀が丘萩町38

 松戸市二十世紀が丘萩町「いちご公園」に、出羽三山等供養等と庚申塔2基の、計3基の石造物があります。
 大橋村の玄関口の四ツ辻(現:二十世紀が丘萩町10番地)にあった、庚申塔、供養塔を、昭和45年の二十世紀が丘土地区画整理事業により、「いちご公園」に移設したものです。(手賀沼と松ケ崎城の歴史を考える会会報を参照しました。)

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<一本松の由来>

 松戸市説明板「一本松の由来」(昭和46年)があります。記載内容に齟齬があるようなので、転記せず。

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<出羽三山等供養塔>

 「月山湯殿山羽黒山 秩父西國坂東 拝禮供養塔」

 嘉永7(1854)年の造立です。
 台石には「西 まつど/東 大はし/南 いち可わ/北 可祢かさく」と刻まれ、道標を兼ねているようですが、確認不能です。

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<庚申塔(青面金剛)道標>

 青面金剛立像、三猿の庚申塔です。明和6(1769)年の造立です。

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 道標を兼ねています。
 (左面)「東 大はし/南 市可わ/北 金ヶさく/西 まつど 道」

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<庚申塔(猿田彦大神)道標>

 猿田彦大神を主尊とする庚申塔で、台石には三猿が刻まれています。天保3(1832)年の造立です。
 (正面)「猿田彦大神」

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 道標を兼ねています。
 (右面)「西 ま津と/東 大はし/南 いち可わ/北 可祢かさく 道」

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tag : 出羽三山

稲荷木稲荷神社 稲荷木一本松/延命地蔵尊

○稲荷木稲荷神社 市川市稲荷木3-6-13

 稲荷木(とうかぎ)稲荷神社は、稲荷木の鎮守社として寛永12(1635)年に創建されました。

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<出羽三山供養塔>

 稲荷木稲荷神社に出羽三山供養塔が二基あります。

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「國幣中社出羽神社 官幣大社月山神社 國幣中社湯殿山神社」

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「出羽大神 月山大神 湯殿山大神」

 大正15年の奉納です。

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<天満宮>

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<御歳大神>

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<三祠>

 石祠が3つ並んでいます。
 左から順に「疱瘡神」「疱瘡神」「水神宮」

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○稲荷木一本松/延命地蔵尊 市川市稲荷木3-22

 京葉道路高架下の脇、一本松バス停の後ろに「稲荷木一本松/延命地蔵尊」があります。

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<一本松跡>

 松の根元があります。

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(説明板)
「稲荷木(とうかぎ)一本松
 むかし、行徳から市川に向かうには、今日の行徳橋あたりから稲荷木の雙林寺前を通り、稲荷神社からこの地に出て、江戸川沿いに大和田・大洲・市川南を経て国道十四号線(時代によって上総道・佐倉道・千葉街道とも呼ばれた。)に出、市川に至ったものです。
 伝えによると、慶長年間(一五九六〜一六一五)、伊奈備前守忠次が徳川家康の命によって、上総道の改修にあたったさい、新たに八幡と行徳を結ぶ八幡新道をつくって、その分岐点に松を植えたのが、この『一本松』の由来ということです。
 この松も京葉道路ができると、排気ガスの影響などによって枯死を早め、昭和四十八年に伐採されました。(伐採時の樹齢約百八十年)
  昭和五十五年六月二十日  市川市教育委員会」

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(碑文)
「延命地蔵之由来
 この地蔵尊は享保十二年(一七二七年)祖先椎名茂右衛門が千葉街道(国道十四号)と行徳街道の交わる八幡の四つ角に道標としてまた通行の安全と辻斬り・追い剥ぎ等の災難にあわれた人達の供養のため建立したものという。
 昭和六年国道の拡幅工事のため心ある地元の方々により道向こうの南側に移し爾来人々の諸願の守護地蔵として信仰され今日に至ったがこのたび都営地下鉄十号線の千葉県乗り入れに伴ない駅入口の予定地となったのでやむなく奉納者の地元稲荷木に移転することとなり此所の「一本松」の地に安置するに至ったものである。
 吾在今日無事感謝祖先残後世此由来建立本碑
  昭和六十年七月十五日  稲荷木自治会長 椎名 茂」

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<稲荷木の延命地蔵尊道標>

 2度の移設を経て現在地に遷座。台石が道標となっています。享保12(1727)年の造立。

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<稲荷木の庚申塔道標>

 移設の庚申塔道標です。正徳3(1713)年の造立。
 右面「これより右 やわたとうり 正徳三癸巳歳」
 左面「これより左 市川国分寺みち」

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<馬頭観音>

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<燈籠と石碑>

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tag : 出羽三山関東郡代

仙元宮(出羽三山供養塔)  国分山国分寺

○仙元宮 市川市国分3-19-6

 弘法寺から国分寺へ向かう道の途中に「仙元宮」があります。

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<出羽三山供養塔>

 鳥居の手前左手に出羽三山供養塔があります。
 「月山 湯殿山 羽黒山 供養塔」(供から下は埋まっているので推定)
 文政12(1829)年の造立です。

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○国分山国分寺 市川市国分3-20-1

 仙元宮で出羽三山供養塔を見たついでに、国分寺に寄りました。

<江戸名所図会 国分寺>

 江戸名所図会に描かれている国分寺です。

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<史跡 下総国国分僧寺跡>

(説明板)
「史跡 下総国国分僧寺跡  指定 昭和四十二年十二月二十七日
 天平十三年(七四一)春、聖武天皇は全国に国分寺建立の詔を発し、一国一寺の建立を指令されました。
 下総国では、市川に国府がありましたので、ここに国分寺が建立されたのです。その建立年代ははっきりしませんが、奈良時代であることは確実です。
 国分僧寺は過去数回の火災をうけて当時のおもかげはありませんが、発掘調査の結果、法隆寺様式の伽藍配置をもつ金堂・講堂・塔の遺構が発見されています。
  昭和四十八年三月 市川市教育委員会」

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<南大門>

 扁額は「金光明四天王護国之寺」。

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(説明板)
「國分山國分寺南大門
 國分寺は天平十三年(七四一)の詔勅に「僧寺は寺名を金光明四天王護国之寺と為す」とあり、中古より明治二十二年 寺名改称まで当寺は國分山金光明寺と称し、現在は國分山國分寺と呼称す。
 当山の南大門は天平創建当初は、現在位置より凡そ南方約二十米 西方約七米の位置に建立されたものと推定される。(法隆寺式の伽藍配置のため)幾度かの火災に依り或る時代に現在の位置に移建されたものである。明治焼失の山門は宝暦年間勝快法印の代に建立されたもので、江戸名所図会や古老の言に依ると楼門造の立派な山門であったことが判る。此の門は明治二十四年十一月の火難に焼失し、この時山門内に安置された仁王尊の阿形像は火中より救出され、吽形像は焼失す。
 昭和四十九年大佛師法橋松久明琳氏に依り阿形像は復元補修、吽形像は復元造像されたので、これを安置するため山門焼失後八十七年目に今回檀徒一同の浄財に依って國分山國分寺南大門として再建されたものである。
(以下略)
昭和五十三年七月  國分山國分寺」

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<下総国分寺創建伽藍基垣配置図(昭和六十二年七月国分寺)>

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<塔の礎石>

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<国分山開創一千二百年 記念碑>

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<鐘楼>

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<石像>

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<六地蔵燈籠>

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<本堂>

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<毘沙門天>

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<三人地蔵>

 大正2(1913)年、遠足の小学生が江戸川の渡し船の転覆事故で3人亡くなり、それを供養するための地蔵です。里見公園からの移設です。

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tag : 出羽三山江戸名所図会史跡

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