隅田川テラス(明石地区)

隅田川テラス(明石地区)

○勝鬨橋〜佃大橋 中央区築地6・7丁目〜中央区明石町

<勝鬨橋袂>

 勝鬨橋北にあるチレイ本社から隅田川テラスへ下ります。
 「河口より約0.5km」
 「佃大橋850m 中央大橋1400m」

DSCN2492_2022030720573758a.jpg

DSCN2495_202203072057380c9.jpg

DSCN2496_2022030720574028b.jpg

DSCN2497_20220307205743496.jpg


<案内板>

 階段を下りたところの案内板です。
 「佃大橋 800M→」「ここは河口から0.6km」の表示です。
 「①勝鬨橋」「②築地本願寺」の説明があります。

DSCN2491_20220307205952a5e.jpg

DSCN2489_2022030720595487d.jpg


<被覆修景工事>

 「1995年3月
  隅田川(勝鬨橋上流)右岸被覆修景工事
   延長 345m →
   東京都
  坪井工業株式会社施行」

DSCN2488_2022030721004596b.jpg


<モニュメント>

 煉瓦調の堤防には、西洋風の窓や扉で修景されています。噴水は、水受けは塞がれ稼働していません。

DSCN2487_20220307210228f49.jpg

DSCN2474_20220307210229ed0.jpg

DSCN2485_202203072102314cc.jpg

DSCN2486_202203072102320a2.jpg


<水門と橋>

 明石堀と明石橋はなくなりましたが、東京都下水道局明石町ポンプ所の水門と隅田川テラスに架かる橋があります。

DSCN2482_20220307210359e10.jpg

DSCN2483_20220307210400dcd.jpg

DSCN2484_20220307210402fbe.jpg


<モニュメント/距離表示板>

 5本柱とアーチのオブジェ。
 「←勝鬨橋 300m  佃大橋 550m→」

DSCN2480_20220307210449d9f.jpg

DSCN2481_20220307210451bee.jpg


<運上所跡(水たき治作)>

 運上所跡(水たき治作)を隅田川テラスから見たところです。

DSCN2475_202203072105463b4.jpg

DSCN2498_2022030721054854f.jpg


<案内板>

 「築地の歴史」「①蘭学事初の地」「②築地外国人居留地跡」の説明があります。
 「←勝鬨橋 350M  佃大橋 500M→」
 「ここは河口から0.9km」

DSCN2476_202203072107042d3.jpg

DSCN2477_20220307210705fd4.jpg

DSCN2478_20220307210706514.jpg

DSCN2479_2022030721070841f.jpg


<明石町(聖路加ガーデン前)船着場>

 東京水上ライン「明石町(聖路加ガーデン前)船着場」です。
 東京クルーズの「ホタルナ」が来たので撮影。

DSCN2621_2022030721092023e.jpg

DSCN2623_2022030721092152a.jpg

DSCN2468_20220307210926bab.jpg

DSCN2622_20220307210923e78.jpg

DSCN2473_202203072109253b1.jpg


<被覆修景工事>

 「1986年3月
  隅田川(明石地区)被覆及び(佃大橋上下流)右岸被覆修景工事
   延長 340m →
   東京都
  日特建設株式会社施行」

DSCN2472_20220307211115c12.jpg


<指標>

 「河口より1.0km 隅田川右岸」

DSCN2471_20220307211117426.jpg

DSCN2470_20220307211119313.jpg


<明石町河岸公園から隅田川テラス>

 明石町河岸公園の下から佃大橋の手前まで、隅田川テラスの歩道は煉瓦調となります。

DSCN2578_202203072112585dd.jpg

DSCN2443_20220307211259965.jpg

DSCN2499_20220307211301590.jpg


<案内板>

 聖路加タワー裏の階段下の脇にある案内板です。

 「←勝鬨橋 620M」「ここは河口から1.1km」
 「スーパー堤防事業」「①アメリカ公使館跡」の説明掲示があります。

DSCN2467_20220307211416b83.jpg

 隅田川テラスを聖路加タワーへの階段を上ると、左手の植栽に「アメリカ公使館跡石標」があります(別途記載済)。
 聖路加タワーの正面、聖路加レジデンス前に、中央区の説明板「アメリカ公使館跡」があります(別途記載済)。


<聖路加タワー前階段>

 聖路加ガーデン〜明石町河岸公園〜隅田川テラスと階段で繋がっています。お昼時は、階段に座って食事をする方々が多々です。

DSCN2619_20220307212032ae6.jpg

DSCN2614_2022030721203430e.jpg

DSCN2620_202203072120358c4.jpg

DSCN2442_2022030721203719f.jpg    


<明石町河岸公園の案内地図>

 階段中段の明石町河岸公園の案内板です。
 「←佃大橋 250M   勝鬨橋 670M→」
 「①聖ルカガーデン」「②浅野内匠頭邸跡」の説明掲示があります。

DSCN2612_20220307212634984.jpg

DSCN2444_20220307212637f84.jpg

DSCN2613_20220307212635481.jpg


<距離指標>

 聖路加タワー裏の階段下とスロープの間に距離指標があります。

 「←勝鬨橋 650m   佃大橋 200m→」
 「河口より約1.2km」

DSCN2462_2022030721280535b.jpg

DSCN2463_202203072128064c4.jpg

DSCN2465_20220307212807381.jpg

DSCN2464_202203072128094a2.jpg


<隅田川テラスのベンチと煉瓦壁>

DSCN2615_20220307213420b92.jpg

DSCN2617_202203072134222aa.jpg

DSCN2616_20220307213423da4.jpg

DSCN2460_202203072134255d1.jpg

DSCN2461b.jpg

DSCN2461_2022030721342864f.jpg


<佃大橋> 中央区明石町・湊3丁目〜中央区月島1丁目・佃1丁目

DSCN2446_2022030721370289c.jpg

DSCN2618_202203072137032d4.jpg

DSCN2447_202203072137059e8.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 煉瓦隅田川

新島原遊郭/躍金楼(新富町)

○新島原遊郭 現:中央区新富1・2丁目〜銀座1丁目

 築地居留地が設けらるのに伴い、外国人の利用を当て込んで設けられたのが「新島原遊郭」です。 1871(明治4)年7月に廃止され、新吉原に移転しました。
 「東京築地鉄炮洲景」(歌川国輝 明治2(1869)年)から、左手に描かれている「新島原遊郭」部分の抜粋です。遊郭の西から東を見た光景です。四方を塀で囲み、中央の大通りは「仲ノ町」と名付けられています。

teppousu.jpg

shinsimabarayuukaku.jpg


<仲之町通りと大門>

 仲之町通りと大門の部分の抜粋です。大門は西と東の両方に描かれています。

teppousuoomon.jpg
  

「東京新嶋原勝景」(歌川国輝 明治2(1869)年)

 新嶋原遊郭を細かく描写した10枚続の錦絵です(10枚を連結しました)。 左手奥に富士山が描かれているので、遊郭を東から西に見た光景です。

shinshimabara.jpg

fuji.jpg


<仲之町通りと大門>

 仲之町通りの抜粋です。仲之町通りには桜が満開です。新吉原と同じく、植桜でしょうね。大門は東と西の両方に描かれています。

shinshimabaranakanomachi.jpg

oomonwest.jpg

oomoneast.jpg


「新島原晩華楼遊女揃」(歌川国貞 明治2年)

 「晩華楼」を描いています。堀の上に建っているようです。

bankarou.jpg


 「東京新嶋原勝景」で確認すると、「晩花楼」が遊郭の南東端の堀際にあります。

bankaroubassui.jpg


<仲之町通り>

 通りの名前や痕跡など残っていません。新島原遊郭が廃止されて2年後に創業の躍金楼が往時の花柳界をしのばせます。
 画像は入船二丁目交差点〜新富町郵便局交差点。

DSCN2243_202203110951335b7.jpg

DSCN2244.jpg

DSCN2815_20220311095136ffd.jpg

DSCN2814_20220311095137f13.jpg


○躍金楼 中央区新富1-10-4 HP
 
 明治4(1871)年7月に新島原遊郭が廃止され、その跡に花柳界が発展しました。
 躍金楼(てっきんろう)は 明治6(1873)年の創業で、名付け親は、山岡鉄舟です。建物は、国の登録有形文化財となっています。

 DSCN2245_20220311095422bbf.jpg

DSCN2811_202203110954252a3.jpg

DSCN2252_202203110954278b4.jpg

DSCN2810_2022031109550990c.jpg

DSCN2246_20220311095428488.jpg

DSCN2805_2022031109542975c.jpg
    
DSCN2248_20220311095654b9f.jpg

DSCN2250_202203110956551b3.jpg

DSCN2249_20220311095657563.jpg


「開化三十六会席 新富町躍金楼」(豊原国周 明治11(1878)年 東京都立図書館蔵)
 開化三十六会席に躍金楼が描かれています。

tekkinrou.jpg

<ランチ>
 こちらで記載

<新富商栄会>

DSCN2996_20220313145350408.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 国登録有形文化財山岡鉄舟

築地居留地 発祥の地コレクション

○築地居留地跡 発祥の地

 【明石町緑道】
  ○ 青山学院記念の地
  ○ 女子聖学院発祥の地
  ○ 明治学院発祥の地
  ○ 指紋研究発祥の地(ヘンリー・フォールズ住居跡)
 【居留地中央通り】
  ○ 雙葉学園発祥の地
  ○ 東京中学院発祥の地
  ○ 暁星学園発祥の地
 【聖ルカ通り】
  ○ 女子学院発祥の地
  ○ 立教学院発祥の地
  ○ 日本文化事始の地
    ・慶應義塾発祥の地
    ・蘭学の泉はここに
  ○ 都市型保健所発祥の地
 【その他】
  ○ 工学院大学学園発祥之地
  ○ 東京税関発祥の地 別ページ
  ○ 電信創業之地 別ページ
  ○ 靴業発祥の地(入船) 別ページ


【明石町緑道】
○青山学院記念の地 中央区明石町6-24

 歩道に「青山学院記念の地」碑があります。

(碑文)
「青山学院 記念の地
  海岸女学校
  一八七七年 開校」

「青山学院は、米国メソジスト監督教会の宣教師により創立された三つの学校を源流としています。
 「海岸女学校」は、ドーラ・E・スクーンメーカーによって創立された源流の一つ「女子小学校」(一八七四年麻布に開校)が「救世学校」を経てこの地で大きく発展したもので、明治の女子教育に多大な足跡を残すとともに、青山学院の礎となりました。
  二〇〇八年三月
  学校法人 青山学院」

DSCN2403_2022030714421742b.jpg

DSCN2404_20220307144218436.jpg


○女子聖学院発祥の地 中央区明石町6-23

(碑文)
「女子聖学院発祥の地」
「この地は女子聖学院発祥の地もと築地居留地14番であった。そこに建つ14番館が、宣教師ジョン・マッケシブ先生の居宅だった。1905年、米国のクリスチャン・チャーチ(ディサイプルス・オブ・タライスト)の宣教師バーサ・F・クローソン女史が借り受け婦人伝道師の養成を始めた。開校式は同年11月1日教師3人に生徒10人であった、という。今日では幼稚園から大学院までを擁する総合学園となっている。
 学校法人 聖学院」

DSCN2418.jpg

DSCN2419_202203071443597c8.jpg

DSCN2420_20220307144400a25.jpg


○明治学院発祥の地 中央区明石町7-20

(碑文)
「明治学院発祥の地
 明治学院は1877年(明治10年)
 ここ旧築地17番地に開設された
 東京一致神学校を基とする
  これを記念しこの碑を建てる」
「一九八七年十月三十一日建立
 学校法人 明治学院
 第九代学院長 平出宣道」

DSCN2422_20220307144529777.jpg

DSCN2424_20220307144530ffe.jpg

DSCN2425_202203071445327dc.jpg


○指紋研究発祥の地(ヘンリー・フォールズ住居跡) 中央区明石町8-1

(碑文)
「指紋研究発祥の地 ヘンリー・フォールズ住居の跡
 ここは明治初年にあった築地居留地の18号地で英国人医師ヘンリー・フォールズ(1843〜1930)が明治7年から同19年(1886)に至る滞日中に居住した所である フォールズはスコットランド一致長老教会の宣教師として来日しキリスト教布教のかたわら築地病院を開いて診療に従事しまた日本人の有志とはかって盲人の保護教育にも尽力した
彼はわが国で行われていた指印の習慣に興味をもちたまたま発掘された土器に印象されていた古代人の指紋を発見しこれにヒントを得てここではじめて科学的な指紋の研究を行なった
明治13年(1880)10月英国の雑誌「ネーチュア」に日本から投稿した彼の論文は科学的指紋法に関する世界最初の論文といわれ その中で早くも犯罪者の個人識別の経験を発表し また指紋の遺伝関係にも言及している 明治44年(1911)4月1日わが国の警察において はじめて指紋法が採用されてから満50年の今日 ここゆかりの地に記念碑を建立し その功績をたたえるものである」

DSCN2408_20220307144718544.jpg

DSCN2406_20220307144719e97.jpg


【居留地中央通り】

DSCN2276_202203071448152d1.jpg

○雙葉学園発祥の地 中央区明石町1-6

 ふたば葵の葉をかたどったデザインの2本の石碑が「雙葉学園発祥の地」碑です。

(碑文)
 「徳に於ては純真に
  義務に於ては 堅実に
   明治四十二年
   雙葉学園発祥の地」

DSCN2268_20220307144921a1a.jpg


○東京中学院発祥の地 中央区明石町1-15

(碑文)
 「関東学院の源流
  東京中学院発祥の地
  一八九五年九月十日、ここ築地居留地四二、四三番地で
  米国バプテスト伝道協会が東京中学院を設立した
  関東学院教育の源流はここに発する」

DSCN2413_2022030714502169b.jpg

DSCN2414_20220307145022a78.jpg

DSCN2415_20220307145024b23.jpg


○暁星学園発祥の地 中央区明石町5-26

 カトリック築地教会の前の歩道に「暁星学園発祥の地」碑が建っています。碑の上には聖書が開かれています。

(碑文)
 「明治二十一年(一八八八)創立 暁星学園発祥の地」

DSCN2275_20220307145128208.jpg

DSCN2417_20220307145129a01.jpg


【聖ルカ通り】

DSCN2509_20220307145225f8e.jpg


〇女子学院発祥の地 中央区明石町10

DSCN2689_20200612210632bf8.jpg


〇立教学院発祥の地 中央区明石町10

DSCN2697.jpg


〇日本文化事始の地 中央区明石町11

「日本文化事始の地
 「慶應義塾発祥の地」
 「蘭学の泉はここに」
    1982 2月3日」

DSCN2690_20200612210344dd2.jpg

DSCN2591_20220307145839d68.jpg


「慶應義塾発祥の地」

 1858年、福沢諭吉は、鉄砲洲中津藩中屋敷に蘭学塾を開き蘭学を教えました。

(碑表)
 「安政五年福沢諭吉この地に学塾を開く
  創立百年を記念して昭和三十三年慶応義塾これを建つ」

(碑横)
「慶応義塾の起源は一八五八年福沢諭吉が中津藩奥平家の中屋敷に開いた蘭学の家塾に由来する。
 その場所はこれより北東聖路加国際病院の構内に当る。
 この地はまた一七七一年中津藩の医師前野良沢などがオランダ解剖書を初めて読んだ由緒あるところで、日本近代文化発祥の地として記念すべき場所である。
   一九五八年四月二十三日除幕」

DSCN2590_2022030715012347c.jpg

DSCN2691.jpg

DSCN2592_20220307150126877.jpg

DSCN2692_20200612210350bdf.jpg

DSCN2695.jpg


「蘭学の泉はここに」

 前野良沢・杉田玄白・中川淳庵の3人が、奥平家中屋敷で、オランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』の翻訳を行いました。

DSCN2693_202006122103461e0.jpg

DSCN2694.jpg


○都市型保健所発祥の地 中央区明石町12-1

 中央区保健所の入口左手の壁に、「都市型保健所発祥の地」があります。

<都市型保健所発祥の地>
(プレート文)
 「都市型保健所発祥の地
   沿革
   昭和10年 1月 東京市特別衛生地区保健館として誕生
   昭和12年12月 ロックフェラー財団の基金による庁舎援助
   昭和19年10月 東京都立中央保健所となる
   昭和23年10月 東京都中央保健所となる
   昭和50年 4月 東京都中央区中央保健所となる
   昭和57年11月 現庁舎竣功」

DSCN2589_20220307150443147.jpg


【その他】

○工学院大学学園発祥之地 中央区築地7-2

 あかつき公園の入口にあります。工学院大学は明治21年にこの地に創設された「工手学校」に始まります。

DSCN2500_20220307150607d70.jpg

DSCN2502_20220307150608ea1.jpg

DSCN2503_2022030715061074a.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 福沢諭吉杉田玄白

築地居留地跡のガス灯

築地居留地跡のガス灯

 ガス街灯柱が、外国人居留地中央通り沿いに2基、明石町区民館に1基、残されています。柱頭のランプ部分は新たに復元されたものですが、2基に「築地ホテル館」の塔が据えられています。他に、明石小学校正面横に3基、トイスラー記念館前に2基のガス街灯があります。

○ガス街灯柱(明石小学校角地) 中央区明石町1-15 明石小学校角地

 明石小学校角地にある緑色のガス街灯柱です。

DSCN2253_2022030715142991d.jpg

DSCN2278_20220307151430dbe.jpg

(説明板)
「ガス街灯の柱
 このガス街灯の柱は、コリント風の様式で上部にある左右二十センチメートルの腕金や下部に施された帯状の操り形など、特徴的な装飾が見られる鋳鉄製の柱です。照明ランプ部分は、電気灯として使用されていたランプを修復した上で、後年に取り付けたものです。
 柱部分は、形状や材質などから判断して、明治末年頃のガス街灯のものであると推定されます。明治情緒を偲ばせるガス街灯の柱からは、文明開化の象徴として輝いていた頃の様子が想像されます。」

DSCN2255_20220307151432fd1.jpg


○ガス街灯(明石小学校正門横) 中央区明石町1-15 明石小学校正門横

 青色のガス街灯です。風力発電の電力を利用。3基が連なっています。

DSCN2260_20220307151702295.jpg

DSCN2269_20220307151703e33.jpg

DSCN2260_202203071517042bd.jpg

DSCN2261_2022030715170610f.jpg

DSCN2270.jpg

DSCN2259_20220307151709610.jpg


○ガス街灯柱(リハポート明石前) 中央区明石町1-6 リハポート明石

 こちらはリハポート明石の前にあるクリーム色の街灯柱です。

(説明板)
 「ガス街灯柱
  これは、ガス灯を点灯するための街灯柱です。
  高さは三.四メートルで柱は鋳鉄製
 コリント風の様式をとり
 柱頭・柱身・基部の部分からなっています。
  柱頭のランプ部分は新たに復元しました。
  この街灯柱は、以前この場所に在った
 「中央区立第二中学校」に設置されていました。
  また、基部の台座も
 「学校」の階段の石(白御影石)が
 使われています。
   平成十六年三月」

DSCN2264_20220307151914f06.jpg

DSCN2265_20220307151916ec9.jpg

DSCN2266_20220307151917367.jpg

DSCN2263_20220307152145d02.jpg


○ガス街灯柱(明石町区民館)  中央区明石町14-2 明石町区民館

 明石町区民館に、ガス街灯柱が1基あります。
 明石町区民館の入口の照明は、ガス灯のランプを模しています。

DSCN2579_20220307152315466.jpg

DSCN2624_20220307152317838.jpg

DSCN2574_20220307152318e22.jpg

DSCN2573_2022030715232007d.jpg

DSCN2576_20220307152321bc0.jpg

DSCN2577.jpg


○トイスラー記念館 中央区明石町10

<トイスラー記念館前ガス灯>

DSCN2597_20220307152541407.jpg

DSCN2599_2022030715254217d.jpg


<聖路加国際病院トイスラー記念館>

 現在の聖路加ガーデンに昭和8(1933)年に宣教師館として建てられ、平成10(1998)年に現在地に移築復元されました。

DSCN2603_20220307153036d8c.jpg

DSCN2593_202203071530358dd.jpg

DSCN2602_20220307153037b37.jpg


(説明板)
「聖路加国際病院トイスラー記念館
  所在地 中央区明石町一○番
 昭和八年、トイスラー記念館は隅田川畔の明石町十九番地に聖路加国際病院の宣教師館として建設されました。
 設計者は米国人建築家のJ・V・W・バーガミニィで、施工は清水組(現在の清水建設株式会社)が行いました。建物の躯体は、昭和初期の住宅建築には珍しい鉄筋コンクリート造一部木造二階建てで、ヨーロッパの山荘を思わせる重厚な風格のある建物でした。
 平成元年に解体工事が行われ、平成十年二月に現在地へと移築復元されました。復元にあたり、創設当時の施工技術や構造上の特徴を精密に記録し、再利用可能な部材をできる限り用いています。
 外観は、外部に柱や梁を表現したハーフティンバー風の意匠です。室内はチューダー・ゴシック風のデザインで、玄関ホールやリビングなどに重厚な木の内装がみられます。
 この建物は、聖路加国際病院の歴史を物語るとともに、築地居留地時代から引き継がれてきた明石町の歴史の一端を伝える貴重な文化財です。
  平成十八年三月  中央区教育委員会」

DSCN2606_20220307153212e7c.jpg

DSCN2605_20220307153214dc9.jpg


<玄関に掲示のプレート>

 「トイスラ―記念館
 Teulsler Memorial House
 1933年(昭和8年)病院が新築完成した頃、トイスラー院長が宣教師会館として、また迎賓館として隅田川河畔にある第3街区(現在の聖路加ガーデン)の芝生に建てられたもの。
 此度の聖路加再開発計画に基づき、この場所に移築復元された。
  ※この下には災害時用の縦横10m×深3mの水槽がある。
  1998年5月23日」

DSCN2600_202203071533186e5.jpg

DSCN2601_20220307153319f42.jpg


<創設者トイスラー医師>

 「創設者 R.B.トイスラ―医師 1876-1934」
 「DR.RUDOLF BOLLING TEUSLER, FOUNDER
  本院は創立以来、キリスト教精神の下に、病む人を中心とした
  医療と看護を実践してきました。
  その精神は百年を経た今日も受け継がれ、永遠に生き続けます。
  キリストの愛の心が 人の悩みを救うために働けば 苦しみは消えて、
  その人は生まれ変わったようになる。この偉大な愛の力を、だれでもがすぐ
  わかるように あらわせるよう、計画されてきた生きた有機体がこの病院である。

DSCN2595_20220307153418478.jpg

DSCN2596_202203071534204a3.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

アメリカ公使館跡

○アメリカ公使館跡 中央区明石町8-2

 現在、アメリカ大使館は、港区赤坂にあります。それ以前は、聖路加ガーデンの場所に、明治7(1874)年から同23(1890)年にかけてアメリカ公使館がありました。

(説明板)
「アメリカ公使館跡
   所在地 中央区明石町八
 開港によって日本に駐在した初代ハリスは、安政六年(一八五九)に現在の港区元麻布一‐六の善福寺に公使館を開設しました。ついで明治七年(一八七四)、築地居留地内のこの地に公館を新築し、はじめて形容を整えました。
 後にこれが手狭となり、同二十三年(一八九○)、赤坂の現在地(アメリカ大使館)に移転しました。
 公使館跡には、小松石の紀念碑が残されていました。大きさは、縦八六〜一○一センチメートル、横八四〜一一八センチメートル、厚さ一八〜三四センチメートル、うち、二個には当時のアメリカの国章である盾、一個には星と鷲と盾、二個には五稜の星が刻まれています。
 現在三個は聖路加国際病院のトライスラ―記念館の前に、二個は聖路加ガーデン内に移されています。
 この記念碑は、築地の居留地時代を伝える貴重な遺品として、中央区民有形文化財に登録されています。
  平成二十七年三月  中央区教育委員会」

DSCN2412_20230204120333227.jpg

DSCN2409_2023020412033540d.jpg

DSCN2411_20230204120549950.jpg


〇アメリカ公使館跡石標(旧病院前) 中央区明石町10

 トイスラー記念館前の植栽に、アメリカ公使館に残された小松石3個(白頭鷲、星条旗、星)があります。

(説明板)
「アメリカ公使館跡石標
 アメリカ公使館は安政6年(1859)ハリスにより港区元麻布1‐6、善福寺に開設されたが、明治8年(1875)12月築地の外国人居留地内のこの地に新築され、はじめて形容を整えた。のち明治23年(1890)3月赤坂の現在地に移転され、現在の大使館となっている。
 最後の移転により、この地には8個の小松石の石標が残された。石標には白頭鷲、星条旗、星の3種類の彫刻が施されており、白頭鷲はアメリカ国鳥であり、星条旗に彫られた13の星は同国初期の13州を示す。
 8個の石標のうち3個は昭和59年(1984)10月に日米友好のシンボルとして、赤坂のアメリカ大使館に寄贈され、現在同大使館の前庭に設置されている。残る5個の石標は、築地の居留地時代を伝えるものとして中央区民文化財に登録されており、うち3個をここに、2個を聖路加ガーデンに設置する。
  1998年5月
  聖路加国際病院」

DSCN2699_20220305182118a3b.jpg

DSCN2698_202203051821186c4.jpg

DSCN2598_202203051821201fe.jpg


○アメリカ公使館跡石標(聖路加ガーデン) 中央区明石町8-1

 アメリカ公使館に残された小松石2個の石標が聖路加ガーデンの植栽にあります。

(説明板)
「アメリカ公使館跡石標
 アメリカ公使館は安政6年(1859)ハリスにより港区元麻布1‐6、善福寺に開設されたが、明治8年(1875)12月築地の外国人居留地内のこの地に新築され、はじめて形容を整えた。のち明治23年(1890)3月赤坂の現在地に移転され、現在の大使館となっている。
 最後の移転により、この地には8個の小松石の石標が残された。石標には白頭鷲、星条旗、星の3種類の彫刻が施されており、白頭鷲はアメリカ国鳥であり、星条旗に彫られた13の星は同国初期の13州を示す。
 8個の石標のうち3個は昭和59年(1984)10月に日米友好のシンボルとして、赤坂のアメリカ大使館に寄贈され、現在同大使館の前庭に設置されている。残る5個の石標は、築地の居留地時代を伝えるものとして中央区民文化財に登録されており、うち2個をここに、3個を旧病院前に設置する。
  1994年5月
  聖路加国際病院」

DSCN2437_2022030518250530e.jpg

DSCN2440_2022030518250603d.jpg

DSCN2434_2022030518250791a.jpg

DSCN2435_20220305182509f5a.jpg

DSCN2436_2022030518251053a.jpg

DSCN2442_202203051825127cf.jpg


○「友好の木 ハナミズキ・イニシアチブ」による寄贈について 中央区明石町12-1

 明石町は、かつて外国人居留地があり、アメリカ公使館が設置されるなど、アメリカとの関係が深い場所です。こうした地区の歴史を踏まえ、ハナミズキ・イニシアチブにより、ハナミズキが、聖ルカ通りと明石町緑道に植樹されています。説明板が聖ルカ通りにあります。

<桜とハナミズキ>

 尾崎行雄東京市長は、1909(明治42)年、タフト米国大統領夫人が、日本の桜をワシントンのポトマック河畔に植えたいと希望していることを知り、2000本の苗木をワシントンに送りますが、害虫が発見されすべて焼かれてしまいます。
 1912(大正元)年、今度は苗木6040本を、半分はニューヨークハドソン河開発300年記念式へ、残る半分はワシントンのポトマック河畔に植樹されました。
 米国政府は1915(大正4)年に返礼の特使を日本に派遣、白いハナミズキ40本が日本に寄贈され、日比谷公園や小石川植物園、東京府立園芸学校(現都立園芸高校)などに植栽されました。
 1917(大正6)年にも赤いハナミズキ10本が贈られ、新宿御苑などに植えられました。現存が確認されているのは都立園芸高校の1本だけとなっています。
 友好の木イニシアチブは、1912(大正元)年に日本から米国に桜の苗木が寄贈されてから100周年を記念し、米国から日本に3000本のハナミズキが贈られました。2012(平成24)年秋にまず東京で植樹した後、2015(平成27)年にかけて日本各地で植樹されました。

<「友好の木ハナミズキ・イニシアチブ」による寄贈について>

(説明板)
「「友好の木 ハナミズキ・イニシアチブ」による寄贈について
 ハナミズキは、大正元年(一九一二)に当時の東京市長尾崎幸雄 がアメリカに桜を三〇〇〇本寄贈した際、その返礼として大正四年(一九一五)に日本へ贈られた木であり、日米友好の象徴とされてきました。
 平成二十四年(二〇一二)、サクラ寄贈一〇〇周年を記念し、また今後の日米の友好関係を見据え、アメリカはハナミズキ約三〇〇〇本を日本各地に植樹する「友好の木ハナミズキ・イニシアチブ」プロジェクトを開始しました。
 明石町は、かつて外国人居留地があり、明治七年(一八七四)から約十六年間アメリカ公使館が設置されるなど、アメリカとの関係が深い場所です。
 こうした地区の歴史を踏まえ、このプロジェクトにより、ハナミズキ二〇本の寄贈を受け、聖ルカ通りと明石町緑道(左下図参照)に植樹しました。
  平成二十六年十月  中央区環境土木部水とみどりの課」

DSCN2508_20220305182754864.jpg

DSCN2507_20220305182756599.jpg

※ 憲政記念館のある国会前庭や各所に、ハナミズキ・イニシアチブのハナミズキが植えられています。
 中央区では、数寄屋橋公園にも、ハナミズキ・イニシアチブの同様の説明板とハナミズキがあります。→こちら
※ 日比谷公園には、当初のハナミズキの2世と3世が植樹されています。→こちら


○都旧跡 最初のアメリカ公使宿館跡 港区元麻布1-6-21 麻布山善福寺

<都旧跡 最初のアメリカ公使宿館跡>

 麻布山善福寺の山門を入るとすぐに、寺号標「麻布山善福寺」に続いて「都旧蹟 最初のアメリカ公使宿館跡」碑があります。

 「都旧跡 最初のアメリカ公使宿館跡」

DSCN2565_202203051832391b1.jpg

DSCN2562_20220305183240546.jpg

「開山弘法大師創立
 親鸞聖人御舊蹟地
 初代米國公使館趾」

DSCN2563_20220305183242dc7.jpg


<最初のアメリカ公使宿館跡(ハリス記念碑)>

 境内にハリス記念碑があります。

(碑表)
 「 ON
  THIS SPOT
  TOWNSEND HARRIS
   OPENED
  THE FIRST AMERICAN LEGATION
   IN JAPAN
   JULY 7.1859
  DEDICATED BY THE AMERICAN-JAPAN SOCIETY
         DECEMBER 19 1930」

DSCN2510_20220305183554ced.jpg

DSCN2517_20220305183555ea0.jpg

DSCN2513_20220305183556811.jpg

DSCN2514_2022030518355861b.jpg

(碑裏)
 「本邦駐箚 初代米国公使館址」

DSCN2518_20220305183709911.jpg

(副碑)
 「此の碑は
  日米修好通商百年にあたり同記念行事運営会が復元したものである。
  昭和三十五年五月十二日」

DSCN2516_20220305183836305.jpg

DSCN2532_2022030518383868e.jpg

DSCN2531_20220305183839a74.jpg


<東京都指定旧跡 最初のアメリカ公使宿館跡 >

(説明板)
「東京都指定旧跡
 最初のアメリカ公使宿館跡
   所在地 港区麻布一の六の二一善福寺
   史跡指定 昭和二八年一一月三日
   旧跡指定 昭和三○年三月二八日
 安政五年(一八五八)六月に締結された日米修好通商条約により、それまで下田にいた総領事ハリスを公使に昇格させ、安政六年(一八五九)善福寺をアメリカ公使館として八月に赴任します。当時の宿館としては、奥書院や客殿の一部を使用していましたが、文久三年(一八六三)の水戸浪士の焼き討ちで書院などを焼失したため、本堂、開山堂なども使用しました。明治八年(一八七五)に築地の外国人居留地へ移転します。当時の建物は戦災で焼失しています。
 寺には「亜墨利加ミニストル旅宿記」(港区指定文化財)が残されており、外国公使館に使用された寺の実態がよく伝えられています。
  平成二四年三月建設  東京都教育委員会」

DSCN2512_20220305183840663.jpg

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 尾崎行雄旧跡

カウンター
プロフィール

ほっと湯Web

Author:ほっと湯Web

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
03 | 2024/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
検索フォーム
リンク
カテゴリ
タグリスト

全記事タイトル表示

全ての記事を表示する

Japanese→English
English
♥. ♠. ♣Alice
QRコード
QR