喜連川人車鉄道
○喜連川人車鉄道 さくら市早乙女1818-1
HP 喜連川人車鉄道再現計画 ネットショップ
<喜連川人車鐵道 弥五郎坂駅跡地>
「喜連川人車鐵道」という手押し客車が、明治35(1902)年から大正7(1918)年まで、氏家と喜連川間の約8.25kmを結んでいました。国道293号の弥五郎坂(早乙女)に、令和3(2021)年5月に軌道敷設、客車設置が行われました。



<戦車>
人車鉄道の模型を製作した学生が作成した木でできている戦車です。びゅうフォレスト販売センターを運営する株式会社ポラリスが戦車を購入、自社地に保存しています。



<中華ドナルド>
「中華食房 あおやま」が2020年11月30日に閉店し、「中華ドナルド」がオープンしています。


閉店した「中華食房 あおやま」


<喜連川人車鐵道株式會社>
クラウドファンディングと通信販売の案内が掲示されています。



<軌道>






<客車その1>






<客車その2>




<人車餃子と人車たい焼き>
令塔餃子の無人販売が目立っています。冷凍餃子と冷凍たい焼きを売っています。




店内に人車鐵道の写真が掲示されています。




<宅地分譲など>
「フィオーレ喜連川」と「びゅうフォレスト喜連川」の宅地分譲看板があり、「タイニーハウス」などが置かれています。






<旧道>


HP 喜連川人車鉄道再現計画 ネットショップ
<喜連川人車鐵道 弥五郎坂駅跡地>
「喜連川人車鐵道」という手押し客車が、明治35(1902)年から大正7(1918)年まで、氏家と喜連川間の約8.25kmを結んでいました。国道293号の弥五郎坂(早乙女)に、令和3(2021)年5月に軌道敷設、客車設置が行われました。



<戦車>
人車鉄道の模型を製作した学生が作成した木でできている戦車です。びゅうフォレスト販売センターを運営する株式会社ポラリスが戦車を購入、自社地に保存しています。



<中華ドナルド>
「中華食房 あおやま」が2020年11月30日に閉店し、「中華ドナルド」がオープンしています。


閉店した「中華食房 あおやま」


<喜連川人車鐵道株式會社>
クラウドファンディングと通信販売の案内が掲示されています。



<軌道>






<客車その1>






<客車その2>




<人車餃子と人車たい焼き>
令塔餃子の無人販売が目立っています。冷凍餃子と冷凍たい焼きを売っています。




店内に人車鐵道の写真が掲示されています。




<宅地分譲など>
「フィオーレ喜連川」と「びゅうフォレスト喜連川」の宅地分譲看板があり、「タイニーハウス」などが置かれています。






<旧道>


テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
喜連川本陣跡と喜連川停車場
○喜連川本陣跡と喜連川停車場 さくら市喜連川4366-4
早乙女の桜並木は、喜連川人車鐵道の専用道でした。荒川に架かる連城橋を渡り、下町を経て本町に至ります。
郵便局の隣りに警察分署があり、線路の終端が切れている場所に喜連川人車鐵道の本社がありました。警察署の前に「喜連川停車場」があったと言われています。

早乙女の桜並木

連城橋の道標


明治になり、喜連川宿の本陣跡には警察署、郵便局、銀行が開設されました。「街の駅本陣」は大正15(1926)年に建築された元喜連川警察署の建物で、平成16(2004)年に食堂としてリニューアルされました。その時は「カフェレストラン・蔵ケ崎」が営業しており、店員が「ハイカラさんが通る」大正衣装で接客する、あさの豚が美味しい店でした。
当初営業の「カフェレストラン・蔵ケ崎」








現在営業の「そば処 きつれ川本陣」

○脇本陣跡 さくら市喜連川4355
脇本陣跡は、「和い話い広場」となっています。大正2年に建てられた旧喜連川興業銀行本店の建物を利用し、観光案内や特産品の販売、地元の作品展示を行っています。

〇きつれ川の突抜き井戸 さくら市喜連川4366-4 きつれ川本陣
<水汲み>
「【名泉】きつれ川の突抜き井戸 ご自由にどうぞ!」
入浴後の帰りに汲みました。喜連川の突抜き井戸の水は旨いです。市営露天風呂のカランからも多くの入浴客が汲んでいます。


「水質検査報告書」の掲示のほかに、「放射性物質濃度測定結果」も併せて掲示されています。結果は不検出です。


早乙女の桜並木は、喜連川人車鐵道の専用道でした。荒川に架かる連城橋を渡り、下町を経て本町に至ります。
郵便局の隣りに警察分署があり、線路の終端が切れている場所に喜連川人車鐵道の本社がありました。警察署の前に「喜連川停車場」があったと言われています。

早乙女の桜並木

連城橋の道標


明治になり、喜連川宿の本陣跡には警察署、郵便局、銀行が開設されました。「街の駅本陣」は大正15(1926)年に建築された元喜連川警察署の建物で、平成16(2004)年に食堂としてリニューアルされました。その時は「カフェレストラン・蔵ケ崎」が営業しており、店員が「ハイカラさんが通る」大正衣装で接客する、あさの豚が美味しい店でした。
当初営業の「カフェレストラン・蔵ケ崎」








現在営業の「そば処 きつれ川本陣」

○脇本陣跡 さくら市喜連川4355
脇本陣跡は、「和い話い広場」となっています。大正2年に建てられた旧喜連川興業銀行本店の建物を利用し、観光案内や特産品の販売、地元の作品展示を行っています。

〇きつれ川の突抜き井戸 さくら市喜連川4366-4 きつれ川本陣
<水汲み>
「【名泉】きつれ川の突抜き井戸 ご自由にどうぞ!」
入浴後の帰りに汲みました。喜連川の突抜き井戸の水は旨いです。市営露天風呂のカランからも多くの入浴客が汲んでいます。


「水質検査報告書」の掲示のほかに、「放射性物質濃度測定結果」も併せて掲示されています。結果は不検出です。



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tag : 喜連川
お丸山公園(喜連川城跡)
○お丸山公園頂上部 さくら市喜連川
<貯湯タンク>
貯湯タンクが新たに塗装されていました。

捨て湯

かつての温泉スタンドの給湯パイプが痛々しく残っています。

「きつれがわ奥州街道案内図」
古い案内図がそのまま掲示されています。

<全面開放>
令和2(2020)年3月に、頂上部の立ち入り禁止から全面開放されました。建物は停留所跡だけ残して、令和2(2020)年度に、老人福祉センター(喜連川城温泉)、物産センター、足湯と全て撤去されました。



スカイタワーは電波塔として残されています。


<平地林>
平地林遊歩道が再整備されています。


<伊藤清雲詩碑>
(碑文)
「祝 喜連川温泉吟詠
由緒ある山間喜連川町
文化の恵み拓いて温泉湧き
諸賢光来日日に栄え
更に明らかすお丸山城跡
伊藤清雲作」

<恵泉句碑>
金子義夫(恵泉)の句碑で、平成5年の建立です。
「雲湧きて全山動く新樹かな」


○黒髪道祖神
(碑文)
「残雪の黒髪山を背に睦む
道祖神笑みて
花散りしきる」





<双体道祖神など>


<展望>
お丸山から西の展望、眼下には「もとゆ」が見えます。


お丸山が崩落した時の「もとゆ」からの光景

〇大蔵ヶ崎橋
三の堀に架かるのが「大蔵ヶ崎橋」です。
※「一の堀橋」(雨情橋)はこちらで記載。なお「二の堀」に架かっていた「背山橋」は土砂崩壊で消失しています。



(碑文)
「橋名の由来
源平の合戦に源氏の大将源義経に従って武勲をたてた塩谷惟広が文治二年(一一八六)初めて城を築き大蔵ヶ崎城と言った。
城は三方が崖で幾重もの空堀をめぐらした堅固な山城であった。
天正十八年(一五九二)第十七代城主惟久は豊臣秀吉の東征に際し、人員その他物資の調達を命じられたが、惟久は機を失してこれに応じなかったため、秀吉の怒りに触れることを恐れて出奔したので廃城となった。
しかし、惟久の妻嶋子は、秀吉が古河に出陣した折、出向いて惟久に二心のないことを釈明したため、秀吉は嶋子の懇願を聞き入れ名門足利氏の断絶を惜んで古河公方家(のち喜連川に移って喜連川公方)を再興させた。
ここに、初代惟広築城以来八百余年の大蔵ヶ崎城(のち倉ヶ崎城)の歴史を偲び、この名を後世に残すために橋の名としたものである。
平成元年三月 喜連川町」

「鮎供養塚」ですか?

○展望台(旧シャトルエレベーター山頂駅)
展望台から東の展望です。



(参考)震災前のお丸山





<貯湯タンク>
貯湯タンクが新たに塗装されていました。

捨て湯

かつての温泉スタンドの給湯パイプが痛々しく残っています。

「きつれがわ奥州街道案内図」
古い案内図がそのまま掲示されています。

<全面開放>
令和2(2020)年3月に、頂上部の立ち入り禁止から全面開放されました。建物は停留所跡だけ残して、令和2(2020)年度に、老人福祉センター(喜連川城温泉)、物産センター、足湯と全て撤去されました。



スカイタワーは電波塔として残されています。


<平地林>
平地林遊歩道が再整備されています。


<伊藤清雲詩碑>
(碑文)
「祝 喜連川温泉吟詠
由緒ある山間喜連川町
文化の恵み拓いて温泉湧き
諸賢光来日日に栄え
更に明らかすお丸山城跡
伊藤清雲作」

<恵泉句碑>
金子義夫(恵泉)の句碑で、平成5年の建立です。
「雲湧きて全山動く新樹かな」


○黒髪道祖神
(碑文)
「残雪の黒髪山を背に睦む
道祖神笑みて
花散りしきる」





<双体道祖神など>


<展望>
お丸山から西の展望、眼下には「もとゆ」が見えます。


お丸山が崩落した時の「もとゆ」からの光景

〇大蔵ヶ崎橋
三の堀に架かるのが「大蔵ヶ崎橋」です。
※「一の堀橋」(雨情橋)はこちらで記載。なお「二の堀」に架かっていた「背山橋」は土砂崩壊で消失しています。



(碑文)
「橋名の由来
源平の合戦に源氏の大将源義経に従って武勲をたてた塩谷惟広が文治二年(一一八六)初めて城を築き大蔵ヶ崎城と言った。
城は三方が崖で幾重もの空堀をめぐらした堅固な山城であった。
天正十八年(一五九二)第十七代城主惟久は豊臣秀吉の東征に際し、人員その他物資の調達を命じられたが、惟久は機を失してこれに応じなかったため、秀吉の怒りに触れることを恐れて出奔したので廃城となった。
しかし、惟久の妻嶋子は、秀吉が古河に出陣した折、出向いて惟久に二心のないことを釈明したため、秀吉は嶋子の懇願を聞き入れ名門足利氏の断絶を惜んで古河公方家(のち喜連川に移って喜連川公方)を再興させた。
ここに、初代惟広築城以来八百余年の大蔵ヶ崎城(のち倉ヶ崎城)の歴史を偲び、この名を後世に残すために橋の名としたものである。
平成元年三月 喜連川町」

「鮎供養塚」ですか?

○展望台(旧シャトルエレベーター山頂駅)
展望台から東の展望です。



(参考)震災前のお丸山






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お丸山ホテル (喜連川温泉)
〇お丸山ホテル さくら市喜連川5445-1 028-686-6688 HP
<変遷>
当初は、「国民年金健康保養センターきつれがわ」としてオープンしましたが、2006年8月23日に閉館しました。
2008年9月に「喜連川温泉さくら館」(不動産賃貸会社が運営)がオープン、その後、閉館。
2013年7月19日に「ホテルニューさくら」(神明畜産関連会社が運営)がオープン、2020年4月17日に閉館しました。
2021年4月28日に「お丸山ホテル」(ハンドレッドグループが取得)がオープンしました。
<お丸山>
左「日本三大美肌の湯」、直進「亀の井ホテル」
喜連川少年院の脇から坂を上ってきて、お丸山公園へ向かう道に入ってすぐ左手に「お丸山ホテル」、そのまま曲がらないと、右手に「亀の井ホテル喜連川」があります。



「かんぽの宿 栃木喜連川温泉」は、令和4(2022)年7月1日に「亀の井ホテル 喜連川」となりました。



お丸山ホテルの「日帰り温泉」の大きな看板があります。

横に回ると露天風呂の囲いが見えます。

お丸山ホテル

エントランス


館内

レストラン

浴室のある2階へ

<喜連川神社の御輿>
2階に、喜連川神社の文政5(1822)年の御輿が置かれています。



<脱衣所へ>






料金改定のお知らせ
800円〜1700円 → 1000円〜1900円

<温泉分析書> 平成30年3月14日
源泉名:喜連川温泉3号泉 ナトリウム-塩化物温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)
湧出地:栃木県さくら市喜連川字璉光院下6691-1
泉温:45.4℃ 湧出量:300L pH:8.1
成分総計:4577mg
知覚的試験:微黄色澄明、塩味、特異臭



<影響を与える事項>
年金保養センター等、以前は「清掃後の給湯時加水、加温、循環ろ過、塩素」でしたが、今回は掲示はありません。ホームページには「源泉100%の温泉」と記載しているので、加水はないようです。
内湯、露天とも循環加温はありました。塩素投入は不明ですが、以前のような塩素臭はありません。内湯、露天風呂とも常時源泉投入で、同量がオーバーフローしていました。年金保養センター等の時より、はるかに湯づかいは良くなっていました。
【内湯】
大浴槽は当初から同じです。



<湯口/オーバーフロー>
湯口からは以前は循環湯が出ていましたが、現在は源泉が投入されています。

湯舟の縁から、同量がオーバーフローしています。

<水風呂>
サウナと水風呂が新たに設けられています。水風呂は、評判の良い喜連川の井戸水を使用しています。ジャグジー風呂は水風呂と通路にかわっていました。


<打たせ水>
寝湯のあった場所がサウナとなり、打たせ湯は、打たせ水となっています(お湯は出ません)。こういう転用法もあるのかと感心しました。



【露天風呂】
新たに設けられた露天風呂です。




<湯口/オーバーフロー>
湯口からは常時源泉が投入されています。青く見える十和田石により、黄色の温泉が緑色に見えます。

投入量と同量がオーバーフローしていきます。

<景色>
高い塀で囲まれているので、眺望はいまいちです。立って無理すれば見えます。
<変遷>
当初は、「国民年金健康保養センターきつれがわ」としてオープンしましたが、2006年8月23日に閉館しました。
2008年9月に「喜連川温泉さくら館」(不動産賃貸会社が運営)がオープン、その後、閉館。
2013年7月19日に「ホテルニューさくら」(神明畜産関連会社が運営)がオープン、2020年4月17日に閉館しました。
2021年4月28日に「お丸山ホテル」(ハンドレッドグループが取得)がオープンしました。
<お丸山>
左「日本三大美肌の湯」、直進「亀の井ホテル」
喜連川少年院の脇から坂を上ってきて、お丸山公園へ向かう道に入ってすぐ左手に「お丸山ホテル」、そのまま曲がらないと、右手に「亀の井ホテル喜連川」があります。



「かんぽの宿 栃木喜連川温泉」は、令和4(2022)年7月1日に「亀の井ホテル 喜連川」となりました。



お丸山ホテルの「日帰り温泉」の大きな看板があります。

横に回ると露天風呂の囲いが見えます。

お丸山ホテル

エントランス


館内

レストラン

浴室のある2階へ

<喜連川神社の御輿>
2階に、喜連川神社の文政5(1822)年の御輿が置かれています。



<脱衣所へ>






料金改定のお知らせ
800円〜1700円 → 1000円〜1900円

<温泉分析書> 平成30年3月14日
源泉名:喜連川温泉3号泉 ナトリウム-塩化物温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)
湧出地:栃木県さくら市喜連川字璉光院下6691-1
泉温:45.4℃ 湧出量:300L pH:8.1
成分総計:4577mg
知覚的試験:微黄色澄明、塩味、特異臭



<影響を与える事項>
年金保養センター等、以前は「清掃後の給湯時加水、加温、循環ろ過、塩素」でしたが、今回は掲示はありません。ホームページには「源泉100%の温泉」と記載しているので、加水はないようです。
内湯、露天とも循環加温はありました。塩素投入は不明ですが、以前のような塩素臭はありません。内湯、露天風呂とも常時源泉投入で、同量がオーバーフローしていました。年金保養センター等の時より、はるかに湯づかいは良くなっていました。
【内湯】
大浴槽は当初から同じです。



<湯口/オーバーフロー>
湯口からは以前は循環湯が出ていましたが、現在は源泉が投入されています。

湯舟の縁から、同量がオーバーフローしています。

<水風呂>
サウナと水風呂が新たに設けられています。水風呂は、評判の良い喜連川の井戸水を使用しています。ジャグジー風呂は水風呂と通路にかわっていました。


<打たせ水>
寝湯のあった場所がサウナとなり、打たせ湯は、打たせ水となっています(お湯は出ません)。こういう転用法もあるのかと感心しました。



【露天風呂】
新たに設けられた露天風呂です。




<湯口/オーバーフロー>
湯口からは常時源泉が投入されています。青く見える十和田石により、黄色の温泉が緑色に見えます。

投入量と同量がオーバーフローしていきます。

<景色>
高い塀で囲まれているので、眺望はいまいちです。立って無理すれば見えます。

tag : 喜連川
さくら市営もとゆ
○お丸山
震災後がそのまま続いている現状で、頂上部は引き続き立入禁止です。
シャトルエレベーターはどんどん朽ち果てています。



<貯湯タンク>
温泉スタンドは廃止ですが、貯湯タンクは稼働しています。
これまで気がつかなかったのですが、捨て湯があります。
文学の道を下る前に、ここで手湯しました。油臭の良い源泉ですね。
その後、もとゆで全身入浴しました。



○喜連川もとゆ温泉(さくら市第一温泉浴場) さくら市喜連川6620-1 028-686-3633
お丸山の貯湯タンクの捨て湯で源泉に触れて、源泉の良さを再認識したので、 「加水、加温、循環ろ過、塩素」ですが、久しぶりに入浴しました。朝7時から営業しているのと入浴料300円で重宝します。
内湯で排泄した人がいて、営業時間中にお湯を抜いているところでした。
お湯を抜き終わると、ジョウロで塩素消毒。
お湯張りは湯底からドバっと投入で、さほど時間はかからず入浴可能となりました。
埼玉県の日帰り温泉施設で遭遇した時は、網ですくっただけでお湯は入れ替えなかったので、疑問に思いました。
東京の銭湯では、脱衣所の床で遭遇した時があります。










震災後がそのまま続いている現状で、頂上部は引き続き立入禁止です。
シャトルエレベーターはどんどん朽ち果てています。



<貯湯タンク>
温泉スタンドは廃止ですが、貯湯タンクは稼働しています。
これまで気がつかなかったのですが、捨て湯があります。
文学の道を下る前に、ここで手湯しました。油臭の良い源泉ですね。
その後、もとゆで全身入浴しました。



○喜連川もとゆ温泉(さくら市第一温泉浴場) さくら市喜連川6620-1 028-686-3633
お丸山の貯湯タンクの捨て湯で源泉に触れて、源泉の良さを再認識したので、 「加水、加温、循環ろ過、塩素」ですが、久しぶりに入浴しました。朝7時から営業しているのと入浴料300円で重宝します。
内湯で排泄した人がいて、営業時間中にお湯を抜いているところでした。
お湯を抜き終わると、ジョウロで塩素消毒。
お湯張りは湯底からドバっと投入で、さほど時間はかからず入浴可能となりました。
埼玉県の日帰り温泉施設で遭遇した時は、網ですくっただけでお湯は入れ替えなかったので、疑問に思いました。
東京の銭湯では、脱衣所の床で遭遇した時があります。











tag : 喜連川
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