東金町路傍の庚申塔

○東金町路傍の庚申塔 葛飾区東金町6-8-7

 葛西神社前の旧水戸道に文政2(1819)年銘(再興)の庚申塔が建っています。

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(参考)東金町の寺社など
 ・葛西神社
 ・半田稲荷神社
 ・光増寺
 ・金町松戸関所跡

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tag : 水戸道

葛西金町富士(葛西神社)

○葛西金町富士(葛西神社) 葛飾区東金町6-10-5

 明治39(1906)年に江戸川の改修工事で崩され、明治44(1911)年に新たに築造された富士塚です。 登って参拝できます。

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 山頂から
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 号目石が一合目から五合目までと、九合目がありました。

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 山頂に「富士大神」
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tag : 富士塚水戸道

葛西神社

○葛西神社 葛飾区東金町6-10-5 HP

 元暦元(1184)年に葛西清重が、下総国香取神宮の御分霊を勧請し葛西三十三郷の総鎮守として香取宮を創立したと伝えられています。 「経津主神」「日本武尊」「徳川家康公」の三柱を奉祭しています。 葛西囃子発祥の社として知られています。
 明治の神仏分離に際し、社号を香取神社と改め、別当寺だった龍香山吉祥院は廃寺となっています。明治14(1881)年に、葛西清重の功績を長く伝えるため、葛西神社と改称しました。

 江戸川側からは入れませんが土手道路に案内看板が建っています。「祭囃子発祥の社」とあります。

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(説明板)
「史跡 葛西神社(葛西ばやし発祥の地)
 当社は、むかし香取宮と称し元暦元年(一、一八四)下総国香取神宮の御分霊を勧請し葛西三十三郷の総鎮守として創立したものと伝えられ、天正十九年(一、五九一)十一月徳川家康より御朱印十石を賜わった、享保年間当社の神官能勢氏の創作した「和歌ばやし」は後「葛西ばやし」として江戸市中をはじめ近郷一帯の祭礼時に「はやし」として流行し、今なお当地方の郷土芸能の一つとして伝わり、昭和二十八年十一月三日、東京都無形文化財に指定され今日に至る。
  葛飾区 葛飾区観光協会」

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「江戸近郊道しるべ」(村尾嘉陵)
 村尾嘉陵は文化14(1817)年に半田稲荷社へ参詣「半田いなり詣の記」を記しています。図に「半田社」のほか、「香取大明神」も描かれています。「水戸道」や「岩附慈恩寺道」、松戸の渡しも見えます。

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<境外社号標> 葛飾区東金町6-5-4

 葛西神社の戦前の社号標が旧水戸街道沿に建っています。

 (正面) 「郷社 葛西神社」
 (左側面)「陸軍大将林銑十郎敬書」
 (裏面) 「昭和十五年十月 奉納 二葉喜太郎」

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【表参道】

<社号標/正面鳥居>
 正面鳥居は、嘉永7(1854)年の建立です。

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<手水舎>

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 「東照公御」が掲げられています。
 「人の一生は重き荷を負ふて遠き道をゆくが如し。。。」

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<神社由緒沿革>
 石碑の石板に「由緒沿革」が刻まれています。

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<葛西神社のイチョウ> 葛飾区天然記念物
 境内にあるイチョウのうち三株(表参道入口右側、脇参道右側本殿右側)が葛飾区の天然記念物です。

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(説明板)
「葛飾区指定天然記念物 葛西神社のイチョウ
  所在地 東金町六丁目10番5号
  指定年月日 昭和57年2月13日
 葛西神社にはイチョウの立木が数株あります。そのうち天然記念物として指定しているイチョウはつぎの3株です。
1.目通り幹囲3.5m・樹高約24m
  神社本殿の向かって右側に立っています。
2.目通り幹囲3.4m・樹高約25m
  神社脇参道の右側にあります。
3.目通り幹囲3.5m・樹高約23m
  神社表参道入り口の右側に立ち、根元に空洞があります。
 いずれも雄株で樹勢も旺盛です。
 (目通りは、目の高さの直径のことです)
  葛飾区教育委員会」

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<弥栄銀杏(いやさかいちょう)>
 天然記念物の指定は受けていませんが、表鳥居左側の「弥栄銀杏」です。

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(説明板)
「弥栄銀杏(いやさかいちょう)
 明治の初年迄は金町の昼なお暗き明神森の大銀杏として知られていたが、度重なる此の地方の水害のため官命により排水を容易にする手段として数々の大木と共に伐採を余儀なくされた。しかし此の樹木の生命力は強く、再び自力で芽を吹き出して雄々しく成長して今日に至り、其の旺盛な生命力を称え『弥栄銀杏』と命名した。
(俗称 曾孫生え銀杏(ひこばえいちょう))」

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<大鳥居>
 昭和4(1929)年奉納の大鳥居です。

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<葛西霊松の碑>
 「葛西霊松」碑と、「霊松保存紀念之碑」があります。
 記念碑は、陸軍大将山縣有朋による篆額、碑文は依田百川の撰。明治27(1894)年の建立です。葛西神社のHPによると、宝物殿に霊松の切り株が保存されています。

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<神楽殿>
 大正12(1923)年に建立の神楽殿です。

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<社殿>

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【脇参道】
<社号標>

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<江戸・東京の農業>
 参道右手に「江戸・東京の農業」のパネルが2つ掲示されています。千住ネギ、金町コカブはともに千住市場(やっちゃ場)に出荷されました。

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(説明板)
「江戸・東京の農業 千住ネギの産地
 葛飾区北部にあたる金町、水元、新宿地区一帯は、昭和の中期までいわゆる千住ネギの産地として全国的にも有名でした。
 当地区の精農家たちは、もともと千住付近(現在の荒川区と足立区にまたがる地域)にあった古い「熊手ネギ」や「砂村ネギ」などから選抜改良して、良質な「根深一本葱」を競って作りだし、これらを総称して「千住ネギ」といわれてきました。中でも地元が生んだ「金長ネギ」は、その品質の良さから全国的に広く作られていきました。
 当地での千住ネギ栽培の起源は不明ですが、本格的生産は明治中期以降とされ、日清、日露の戦勝景気で需要も急増し、庶民の食生活を豊かにしてきました。
 土質が適していた当地産の千住ネギは軟白部分が長くて締まりも良く、煮くずれしないため、とくにすき焼きなどの鍋物に好んで使われました。
 千住市場には、江戸時代から千住ネギの荷が集まり、当地では大正の頃、正月の初荷に1束150kgの巨大な荷姿のネギを出荷して祝うなど、当時の産地の勢いと、農家の心意気がうかがえます。
  平成9年度JA東京グループ 農業協同組合法施行五十周年記念事業 葛飾農業協同組合」

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(説明板)
「江戸・東京の農業 金町コカブ
 金町コカブは、明治末期に金町(現在の葛飾区東金町)の長谷緑之助が、下千葉中生というコカブを、4月に早どりできるように改良しました。
 当時は、千住市場に出荷され、新カブと言われていましたので、高級料亭等に高値で取り引きされていました。
 その後は金町一帯で広く栽培されるようになり、さらに、東京から全国に広まったカブの品種です。
 「金町コカブ」は春に花芽が出にくい性質をもっているため、春の栽培がしやすい特徴を生かして、金町周辺では盛んに生産が行なわれました。
 青物の乏しい春先、霜や寒さで傷んでいない青々とした葉や真っ白で光沢のあるカブは消費者に大変喜ばれました。
  平成9年度JA東京グループ 農業協同組合法施行五十周年記念事業 葛飾農業協同組合」

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<日露戦役記念碑>
 参集殿の横にある明治40(1907)年に建立の日露戦役記念碑です。東郷平八郎による書です。
 日露戦役紀念は、乃木希典揮毫に次いで多いのが東郷平八郎揮毫です。東郷平八郎は神社の社号標の揮毫も多々見られます。

(碑文)
 「戦役紀念
  海軍大将東郷平八郎書」

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 閉店した「柴又川甚」の玉垣がありました。

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<記念碑>

「御鎮座八百周年記念」
 昭和60(1985)年に御鎮座八百周年大祭を祝しての建立です。葛飾区文化財に指定の豊臣秀吉公家臣浅野長吉氏の御朱印状及び徳川家康公ご朱印状の取り次ぎ文書が刻銘されています。

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「御造榮記念」
 現社殿が竣工した昭和40(1965)年の建立です。北白川房子様による御献詠の御歌が刻銘されています。

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<金町招魂社>

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 「明治天皇御製」碑があります。

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<参集殿>

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<力石>

(説明板)
「力石
当神社に奉納された重さ五十八貫(217キロ)をはじめ5つの力石は手で触れることにより力をいただけると言われています」

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<「三猿」「犬」>

 参集殿横の「三猿」です。
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 力石横の「犬?」の置物です。
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【旧道参道】
<石造鳥居> 葛飾区文化財
 江戸川に通じる旧道に建立された、宝暦13(1763)年と葛飾区最古の石鳥居です。石燈籠は宝暦8(1758)年銘です。
 葛飾区教育委員会の説明板には「宝永3年(1760)銘の狛犬」とありますが、宝永3年は1706年であり、1760年は宝暦10年であり、どちらかが誤謬の記載です。

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(説明板)
「葛飾区登録有形文化財 石造鳥居
  所在地 葛飾区東金町六丁目10番5号
  登録年月日 平成6年(1994)2月22日
 この石造鳥居は最も一般的な明神鳥居です。柱が八字形に傾斜し、上の笠木などが曲線を描き両端が反り上がっているのが特色です。一部補修されていますが「宝暦十三年未天(1763)二月吉日別当吉祥院現住長成」「大願主 惣氏子中」の刻名があり、区内に現存する最古の石造鳥居です。今は嘉永7年(1854)に造られた大鳥居が新道に面して建っていますが、この鳥居は江戸川堤に通じる旧道に建てられていた正面鳥居だと思われます。周辺には元禄10年銘の手水鉢、宝永3年(1760)銘の狛犬、宝暦8年(1758)銘の灯燈などがあり葛西神社の昔をしることができます。
  葛飾区教育委員会」

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<狛犬>
 宝永3(1706)年?の狛犬です。

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<手水鉢>
 元禄10(1697)年銘の手水鉢です。

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<聖観音像>
 寛保元(1741)年銘の聖観音像です。

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<石碑>

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「新編武蔵風土記稿 葛飾郡之八 香取社地図」
 新編武蔵風土記稿に描かれている香取社ですが、江戸川に向かって鳥居が描かれています。

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<家康の茶碗>
 挿絵に茶碗も掲載されており、何だろうと読んでみると、徳川家康公が鷹狩の際に香取社でお茶を飲み、その茶碗が別当の吉祥院の寺宝となっていると記されています。

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【弁天池周辺】

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<厳島神社鳥居>

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<庚申石>
 詳細不詳。

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<福神殿>

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<辨財天石祠/大黒様と恵比寿様の石像>

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<撫蛇>

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<厳島神社(金町弁天社)>
 掲示にある瀬崎(現八潮市)は、現草加市かと思います。

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(掲示)
「厳島神社(金町弁天社)
 葛西神社の境内にある厳島神社(金町弁天社)は、出世・金運・芸能・良縁等をつかさどる神様の市杵島大神(弁天様)をお祀りしています。
 その昔平家の人達が東国に移り住んだ際に、氏神として信仰の篤かったご尊像を奉戴し、武蔵国瀬崎(現八潮市)の里に鎮座され、その尊像は古く神さびていました。その後、信仰者が弁天様と共に金町に移り、縁あって葛西神社の地に祀られ、現在に至っております。」

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<水神社>
 天保8(1839)年の造営、明治36(1903)年の再建です。

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<道祖神>
 元禄13(1700)年の造営です。

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<石祠群>

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【境内社など】

 神楽殿と宝物殿の間にある境内社と石碑です。

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<神明社>
 平成2(1990)年に再建の神明社です。

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<諏訪神社>
 安政5(1858)年に建立の諏訪神社です。
 どこに属しているのわかりませんが、文政3(1820)年銘の手水鉢があります。

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<葛西ばやし碑> 葛飾区無形文化財
 「葛西ばやし」は、享保の初年に香取社の神主能勢環氏が和歌ばやしという一種のはやしを青少年に教えたのがその起因といわれています。

(ウキペディアから引用)
「東京都は1953年(昭和28年)11月3日、東都葛西囃子睦会による葛西囃子(江戸川区)を無形民俗文化財に指定した。これに対し長年、本家争いを繰り返してきた葛飾区側は猛抗議を行った。これに対して東京都は1954年(昭和29年)4月9日、葛飾区の葛西囃子、神田囃子も包括して「江戸の祭囃子」として再指定を行った。」

(碑表)
 「東京都指定無形文化財 葛西ばやし碑」
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(碑陰)
「葛西ばやしは葛飾方面に古るくから伝はる郷土芸術の一とつである享保の初年葛西金町の鎮守香取神社の神主能勢環氏の郷土の青少年の情操に思ひをいたし和歌ばやしといふ一種のはやしを教え次第に江戸近郷の祭礼に愛賞され神霊を慰めたのがその起因といわれる後ちに葛西はやしとなって爾来文化の進取と共に郷土色豊かな祭りばやしとなって現代に至ったのである昭和二十六年区内有志により葛西ばやし保存会を創設し一段と技能の研精に努め同二十八年十一月三日東京都より無形文化財の指定を受けたのである偶々今秋社殿の落慶を記念しこれが起因を石に刻してもって後代に伝ふ
  昭和四十年十月建之
  葛西神社宮司 葛西ばやし保存会」
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<稲荷社>
 稲荷社脇には石祠も祀られています。

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 稲荷社前に不詳の碑があります。
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<宝物殿>
 安政年間(1855〜60)の建造という旧社殿です。

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【社殿横の境内社など】

<葛西天神社>

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 神牛がいます。
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<鍾馗像> 葛飾区文化財
 元禄8(1695)年に建立された鍾馗像(しょうきぞう)です。鍾馗とは、端午の節句に人形や絵で飾る神様です。鍾馗様は絵には多く描かれていますが、石像は初めて見ました。

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(説明板)
「区指定有形民俗文化財
 葛西神社鍾馗石像
   所在地 葛飾区東金町六丁目10番5号
   特定年月日 昭和58年(1983)2月21日
 この石碑は、右手に剣を待ち、左手で小鬼をつかむ立像を浮き彫りにしたものです。像の光背の左右には「奉造立鍾馗為悪魔降伏 金町村施主敬白 念仏講結同行四十一人元禄八乙亥七月十七日」の銘があります。
 銘文から元禄8年(1695)金町村の念仏講の人々が悪魔降伏を祈って建てたことがわかります。念仏講は宗派を越えて結成され、来世での極楽往生を願い、庶民の間に広がりました。 念仏を勤め会食をしたり、葬儀の際には助け合うなど、念仏による相互扶助的な信仰共同体として各地に普及しました。
 鍾馗は疫鬼を退け、魔を除く神として信仰されたものです。画像は、室町時代にきかのぼって見られますが、石像は他にほとんど例がなく、この鍾馗石像は大変貴重なものです。
  ●材質 石材 ●大きき 地上高111cm 像高72cm
  葛飾区教育委員会」

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(参考)
「端午市井図」(東都歳事記)
 鍾馗(しょうき)様の幟が描かれています。

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「豊歳五節句遊 端午の節句」(香蝶楼国貞)
 足元に、鍾馗(しょうき)様を描いた幟と鯉のぼりが見えます。

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「名所江戸百景 水道橋駿河台」(広重)
 武家は、端午の節句には家紋の幟や吹き流し、鍾馗(しょうき)様の幟を上げました。鯉のぼりを揚げるのは町人の文化でした。

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「平井諏訪神社」
 平井諏訪神社で見た鍾馗(しょうき)様の幟です。鍾馗様は、疫鬼を踏みつけています。

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<社号標「香取神社」(勝海舟直筆)>
 勝海舟が葛西神社(当時は香取神社)に立ち寄った際に書いた、社号標「香取神社」(明治13(1880)年)です。

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<三峯社>

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<祓戸神社>

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次、富士塚(葛西金町富士)

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金町松戸関所跡

○金町関所跡之記 葛飾区東金町8-23-8

 「水戸道」は「千住宿」で「日光道」から分岐し、「新宿」を経て「金町松戸関所」を通って、江戸川を「金町・松戸の渡し」で渡り、「松戸宿」へ至りました。江戸市中からは、水戸道だけではなく、四ツ木道(曳船)の利用も多かったようです。
 平成15(2003)年3月に、東京都下水道局東金町ポンプ所の隣に「金町関所跡之記」の碑が建てられています。実際の関所跡は、堤防内の河川敷となります。

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(標柱)
 (正面)
  「金町関所跡之記」
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 (右側面)
  「是より堤外江戸川河川敷一帯」
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 (裏面)
  「平成十五年三月吉日建立
   葛飾区教育委員会 金町関所跡石碑建立実行委員会」
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(説明板)
「全町関所跡」
  所在地 葛飾区東金町八丁目23番先
 金町関所は、金町松戸関所と称され、水戸街道が江戸川を渡る地点に置かれた江戸の東の関門でした。関所の施設がある一帯は金町御番所町と呼ばれ、四名の関所番が明治二年(一八六九)まで、その任にあたりました。
 対岸松戸宿との間には渡船が常備されていましたが、将軍が小金原に鹿狩りに出かける際には、江戸川に高瀬船を並べた仮設の船橋が架けられました。四度行われた鹿狩りのうち、最後の嘉永二年(一八四九)の史料は、関所付近のようすを多く伝えています。
 その後、明治末期に行われた江戸川の改修により、御番所町の家並みの一部は拡幅された堤防の下となり、江戸川の河身も大きく変貌しました。
 関所跡は、松戸宿との位置関係から、現堤防下の河川敷一帯と推定できます。
  葛飾区教育委員会」

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「水元公園案内図」

 水元公園(東金町八丁目地区)より抜粋です。

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<江戸川河川敷>

 東京都下水道局東金町ポンプ所と、江戸川河川敷にある東金町ポンプ所排水樋管です。

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 江戸川上流です。
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 江戸川対岸と河川敷の江戸川ラインゴルフ練習場です。関所と御番所町があった場所のようです。
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 江戸川下流葛西橋です。
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「江戸名所図会 松戸の里」

 金町・松戸の渡しが描かれています。

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「小金野鹿狩之記」(国立公文書館蔵)

 「小金野鹿狩之記」には嘉永2(1849)年に小金原で行われた鹿狩に向かう12代将軍家慶(一橋慶喜が御随従)の御成りが描かれています。旗本たちは前日に江戸を出発し、金ケ作で一泊。将軍は当日の午前1時に江戸城を出ました。総勢2万3千人。見物は3万人。見物者は12代将軍家慶や一橋慶喜公を見ると歓声を上げました。

 「金町村御関所」
  金町村の御関所が描かれています。

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 「松戸宿ヨリ御舩橋ヲ顧図」
  江戸川には将軍は舩橋を架け渡ります。御関所も描かれています。
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 「御小休所松龍寺之図」
  江戸川の松戸宿側が描かれています。
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「千代田之御表 松戸宿船橋」(楊洲周延 明治30年)

 小金野鹿狩では、江戸川に舟21艘で船橋を作り、将軍を渡しました。御座船「麒麟丸」が船橋の脇に見えます。 御関所は屋根だけ見えます。

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「江戸近郊道しるべ」(村尾嘉陵)

 村尾嘉陵は文化14(1817)年に半田稲荷社へ参詣「半田いなり詣の記」を記しています。浜町→小梅→四ツ木→曳船→新宿→夕顔観音→半田稲荷社とたどります。「新宿」(中川)から「金町」(刀弥川)までの「水戸道」が記されています。

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tag : 江戸名所図会江戸幕府施設関所水戸道楊洲周延

柴又帝釈天

〇柴又帝釈天(経栄山題経寺) 葛飾区柴又7-10-3 HP

 庚申信仰により多くの参詣者を集めていた江戸近郊の寺です。

「新編武蔵風土記稿 葛飾郡之八」

 題経寺境内図が掲載されています。題経寺由来の松が見えます。また本尊の挿絵が掲載されています。板本尊は中世の一時期、行方不明になっていました(本尊が行方不明とはどういうことですかね)。
 1779年庚申の日、中興の祖、日敬上人が本堂の天井裏から本尊を発見しました。板本尊は庚申の日に開帳されます。墨を塗って紙などに写し取って配っていたので、板本尊は真っ黒なようです。

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「絵本江戸土産 帝釈天」(広重)

 挿絵には「帝釈天ハ柴又村にあり 庚申の日ハ都鄙の貴賎群参す 利根川を見越して鴻の臺の眺望最よし」とあります。田圃の中の参道を多くの人々が行きかっています。

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<二天門> 葛飾区文化財

 明治29(1896)年の建築。日光東照宮の陽明門を模したと言われ、木鼻や組物間に彫刻が施されています。平安時代の作といわれる増長天と広目天の二天像を安置しています。

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(説明板)
「葛飾区登録有形文化財
   題経寺(柴又帝釈天)
   諸堂内及び二天門   建築彫刻一括
     所在地 葛飾区柴又七丁目10番3号
     登録年月日 平成4年2月5日
 帝釈堂、祖師堂、二天門、には多くの木彫による建築浮彫装飾が施されています。特に帝釈堂は設計林門作、棟梁坂田留吉の指揮のもとに作られました。内陣外側の胴羽目彫刻10枚は法華経説話を題材にして、加藤寅之助・金子光清・木嶋江運・石川信光・横谷光一・石川銀次朗・加府藤正一・山本一芳・今関光次・小林直光等の彫刻師により制作されました。大正12年(1923)9月、それぞれの彫刻師のもとに運ばれていた欅の彫刻材は、関東大震災によって、すべて焼失しました。その後欅材を全国に求め、発願から十数年の歳月を費やし、10枚の胴羽目彫刻は昭和9年に完成しました。
 彫刻の下絵は高山栄州が描いています。胴羽目の寸法はそれぞれ縦1.27m、横2.27m、厚さ20cm襖一枚の大きさです。
 他堂や二天門の内外に、施された彫刻も、同じように貴重なものです。
  葛飾区教育委員会」

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<帝釈天境内案内図/柴又帝釈天周辺地域案内>

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<大鐘楼堂>

 昭和30(1955)年の建築です。

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<釈迦堂(開山堂)> 葛飾区文化財

 二天門を入った右手、本堂の右手前にあります。江戸末期に建立された寺内最古の建築で、釈迦如来立像と、開山日栄上人と中興の祖日敬上人の木像を安置します。

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<祖師堂(本堂)> 葛飾区文化財

 釈迦堂の右側、釈迦堂(開山堂)の左手にあります。拝殿と内殿が前後に並んで建ちます。

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<帝釈堂> 葛飾区文化財

 参道正面に位置し、拝殿と内殿が前後に並んで建っています。内殿に帝釈天の板本尊を安置し、持国天と多聞天(毘沙門天)を安置しています。内殿は大正4(1915)年、拝殿は昭和4(1929)年の建築です。内殿の外部は法華説話を題材とした彫刻で埋め尽くされ、建物はガラスで覆われ、「彫刻ギャラリー」として有料公開されています。

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<柴又七福神>

 柴又七福神の毘沙門天を祀っています。

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<瑞龍のマツ> 東京都文化財(天然記念物)

 「新編武蔵風土記稿」の境内図に松が見えます。開基の日栄上人が、見事な枝ぶりのマツと、その下に霊泉が湧いているのを見つけ、この地に庵を設けました。

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(説明板)
「東京都指定天然記念物(植物)
 瑞龍のマツ
 所在地 葛飾区柴又七丁目一七五一番一
 指定 平成二八年三月一一日
 「帝釈天」の名で知られる経栄山題経寺。その参道から二天門をくぐって境内に入ると正面に帝釈堂が建っており、その帝釈堂の手前、向かって左に生えているのが瑞龍のマツです。
 幹は上方にまっすぐ伸び、大枝は北、南、西の三方に長く伸びています。そのうち、西の枝は石畳に沿うように伸び、南北の枝は帝釈堂を守護するかのように庇の前に伸びています。その生き生きとした姿は、頭を空に向け、尾を西に伸ばして天に昇る「龍」のようです。
 縁起によると、題経寺は寛永六年(一六二九)創建で、開基の日栄上人が柴又に寄った際、見事な枝ぶりのマツと、その下に霊泉が湧いているのを見つけ、この地に庵を設けたことがその始まりとされています。この時に日栄上人が見た木が、瑞龍のマツとされています。
 瑞龍のマツは、帝釈堂正面と一体となって景観をなしており、また帝釈天題経寺の創建の由来を伝える銘木、巨木として重要です。
  平成二九年三月 建設  東京都教育委員会]

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<御神水/水神/浄行菩薩>

 江戸時代に、日栄上人が瑞龍の松の根元に湧くこの水を発見したと伝わります。現在は地下水をポンプで汲み上げており、水量は豊富です。水質は、少々鉄分を含んでいるようです。

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 黒ボクを組んで水神様が祀られています。

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 横のお堂には、浄行菩薩がおられます。

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<大客殿> 東京都歴史的建造物

 本堂続きの奥に大客殿があります。有料公開されています。

(説明板)
「東京都選定歴史的建造物
 柴又帝釈天題経寺大客殿
   所在地  葛飾区柴又七丁目10番3号
   設計者  大工棟梁 鈴木源治朗
   建築年  昭和4年(1929)
 帝釈天題経寺は寛永年間に創建された日蓮宗の寺院で、境内には、文化・文政の頃の釈迦堂をはじめ、明治以降に建てられた諸堂が多く現存する。
 北側の和風庭園(邃渓園)に面した大客殿は、信徒の接待所として設計された建物で昭和4年(1929)に完成した。この年には釈迦堂拝殿の造営も行われている。
 建物は木造、平屋建、総檜造りで、屋根は入母屋、桟瓦葦き。ガラス障子の広縁を巡らし、縁の正面中央に張り出し部分を設けているところが外観上の特徴である。建物内部は四部屋からなる書院造りで、一番奥の頂経の間が上段の間である。天井には杉の一枚板を鏡板に用い、折上げ部分に漆を塗っている。また、床の間には近江の伊吹山山麓にあった「日本一」と言われる大南天の床柱がある。
  東京都生活文化局」

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<遂渓園> 東京都文化財(名勝)

 有料公開されています。

(説明板)
「東京都指定名勝
 題経寺遂渓園
   所在地 葛飾区柴又七丁目一七五一番一
   指定 平成二八年三月一一日
 遂渓園は、題経寺寺域の東、約二○○○平方メートルの広さをもつ寺院庭園です。その歴史は、大正十五年(一九二六)発行の『東京府下帝釈天境内全図』に庭園が描かれていることから、その前後に作庭されたと思われます。その後、庭園は昭和初期に第一六代観明院日済上人より依頼を受けた庭師、永井楽山(一八八○~一九七一)が大幅に手を加え、昭和四○年(一九六五)、ほぼ現在の姿に完成しました。
 元々は、昭和四年(一九二九)に落成した大客殿から眺める座観式庭園でしたが、昭和三十五年(一九六○)に大回廊が建てられ、現在は大客殿の広縁を通って回遊することができます。
 東西に長い庭園敷地は、その北側半分を池泉とし、北西に築山、北東に中島を配しています。築山頂部から流れる滝は二段落ちで、池側に張り出した汀線や中島により、流路は大きく蛇行しているように見え、東端の流末に至ります。永井楽山は、この滝がもつ幽邃な風情から、本庭園を「邃渓園」と名付けました。
 庭園南側は開放的な芝庭で、大客殿より嵩上げすることで、芝がより近くに見えるような錯覚が起ります。この錯覚は、奥の池泉を大きく感じさせる効果もあり、大客殿広縁からの景色に奥行きが生まれるのです。
 瀬戸御影石や京都加茂川の赤石、京都桂川の自然石を使った蹲(つくばい)など、庭園には名石がふんだんに使われています。また、園池南東には、茶室「不答庵」が設けられています。
 永井楽山作庭の邃渓園は、様々な技巧を配し、東京低地の一画に幽邃な渓谷を再現した芸術的価値の高い寺院庭園です。
  平成二九年三月 建設  東京都教育委員会」

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【諸碑】
<帝釈天出現由来碑> 葛飾区文化財

 この碑は、安永8(1779)年に、題経寺本堂改修のとき発見した日蓮聖人自刻の帝釈天板本尊を、後世に伝えるため、その由来と功徳を記して建てられました。

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(説明板)
「葛飾区指定有形民俗文化財
 帝釈天出現由来碑
    所在地 葛飾区柴又七丁目10番3号
    指定年月日 昭和574年2月13日
 この碑は、安永8年(1779)題経寺本堂改修のとき発見した日蓮聖人自刻の帝釈天坂本尊を後世に伝えるため、弘化2年(1845)俳人 鈴木松什および檀徒 石渡忠右衛門等が協力し、その由来を記し、併せて帝釈天の功徳を述べている。
 碑の総高1.48m、撰文は宮沢雉神遊、書は萩原翬、刻者は窪世昌である。題経寺縁起の整ったものは、明治29年(1896)に作成されたが、碑は、それ以前における由緒資料として貴重である。
  葛飾区教育委員会」

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<帝釈天御本尊出現三百年記念>

 納主は、足立市場青果柴又講です。

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<人生劇場 青春立志の碑>

 尾崎士郎の「人生劇場」の碑があります。

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「尾崎士郎肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像
  明治31(1898)年2月5日〜昭和39(1964)年2月19日

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<水原秋桜子の句碑>

 青春立志の碑の横に「水原秋桜子の句碑」が建っています。
 「木々ぬらし石う可ちつひに春の海 秋桜子」
 同じ句碑が長命寺(練馬区高野台)にあります。こちらで記載

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<草木供養之碑>

 「東京造園業組合」創立60周年記念事業として草木供養之碑を平成16(2004)年6月建立。

 「草木供養之碑
     東京都知事
     石原慎太郎」

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<蓮花と3人の子ども像(噴水)>

 覆屋根の中にあります。

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<二仏>

 左は、十一面観音像(明応2(1493)年)。廃仏毀釈で、富士山からこの地に据えられています。
 右は、大日如来像(江戸時代初期)。

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