旧駒込林町 高村光太郎旧居跡

○旧町名案内 旧駒込林町 文京区千駄木3-15-12 説明板

 江戸時代、千駄木一帯はもともと千駄木御林と称した林地で、上野寛永寺創建の後、同寺の寺領とし徳川池霊廟用の薪材の供給地とされました。千駄木の名は、一日千駄の薪を伐り出したことにちなむとされます。
 狸坂上の駒込林町公園前に「旧町名案内 旧駒込林町」が掲示されています。

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(説明板)
「旧町名案内 旧駒込林町(昭和40年までの町名)
 千駄木山の内で、千駄木御林といった地である。
 上野寛寺創建の後、この林地を同寺の寺領とし徳川家霊廟用の薪材をとらせた。
 延享3年(1746)開墾して畑とし、後その内に宅地を設けて御林跡と称えた。当時は下駒込村に属していた。
 明治2年、分かれて1か町として、駒込千駄木林町とした。
 同24年、元下駒込村の内、団子坂、上笹原を併合した。
 同44年には千駄木をとり駒込林町と改称した。町内には、高村光雲(彫刻家、1852〜1934)、高村光太郎(詩人・彫刻家、1883〜1956)父子や、宮本百合子(小説家、1899〜1951)が住んでいた。
  文京区」

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「安政改正御江戸大絵図」(安政5(1858)年)

 団子坂部分の抜粋です。「千駄木御林」が見えます。

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○高村光太郎旧居跡 文京区千駄木5-22-8

 旧駒込林町には、高村光太郎が住んでいました。高村光太郎は父の家を出た明治45(1912)年から、戦災で焼失する昭和20(1945)年4月まで暮らしました。

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(説明板)
「高村光太郎旧居跡 千駄木5-22-8
 高村光太郎[明治16年(1883)〜昭和31年(1956)は彫刻家・詩人・歌人。彫刻家高村光雲の長男として台東区下谷に生まれ、10歳の時に、ここからすぐ近く(現・千駄木5-20-6)に移り、そこで育った。
 東京美術学校(現・東京芸大)彫刻科を卒業して欧米に留学、ロダンに傾倒する。詩人としては、在学中「新詩社」に加わり、『明星』に寄稿し、「パンの会」にも参加した。
 明治45年(1912)に住居を父の家からこの地に移し、自分で設計した木造・外観は黒塗りの風変わりなアトリエが完成した。以後、ここで数多くの彫刻・詩などの作品が生まれた。大正3年(1914)長沼智恵子と結婚、昭和13年(1938)死別後は一人で暮らした。
 昭和20年(1945)4月の戦災で住居は焼失し、岩手県花巻に疎開した。昭和27年中野区桃園町の中西利雄のアトリエに仮寓。昭和31年(1956)4月、73歳で没。墓地は豊島区駒込の染井霊園。
  文京区教育委員会  平成7年3月」

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tag : 高村光太郎高村光雲高村智恵子

団子坂 観潮楼(森鴎外旧居跡)

○団子坂 文京区千駄木2丁目・3丁目

 千駄木一帯はもともと千駄木御林と称した林地で、上野寛永寺創建の後、薪材の供給地として寄進されました。千駄木の名は、一日千駄の薪を伐り出したことにちなむとされます。
 千駄木から谷中、上野に通じる千駄木坂は、坂上から佃沖が見渡せたため汐見坂とも言い、また団子坂とも、七面坂ともいいました。坂上には植木屋が多く、年中何らかの園芸植物が見られました。
 嘉永5(1852)年に宇平治という植木屋が紫泉亭と称する花屋敷を開き、庭園には池を設けたといいます。ちなみに浅草の花屋敷は翌年の嘉永6(1853)年に千駄木の植木屋が開園しています。安政3(1856)年、染井から菊栽培の植木屋が移り住み、菊人形で知られました。
 坂下には、本郷台地と上野台地の間を縫って谷戸川(藍染川)が流れていましたが、関東大震災後に暗渠となりました。

<団子坂>

 団子坂上からの光景です。

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(説明板)
「団子坂  文京区千駄木2丁目と3丁目の境
 潮見坂、千駄木坂、七面坂の別名がある。
 「千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂と唱ふ云々」 (御府内備考)
 「団子坂」の由来は、坂近く団子屋があったともいい、悪路のため転ぶと団子のようになるからともいわれている。また、「御府内備考」に七面堂が坂下にあるとの記事があり、ここから「七面坂」の名が生まれた。「潮見坂」は坂上から東京湾の入江が望見できたためと伝えられている。
 幕末から明治末にかけて菊人形の小屋が並び、明治40年頃が最盛期であった。
 また,この坂上には森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が居住していた。
  文京区教育委員会  平成10年3月」

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「江戸切絵図」

 「本郷湯島絵図」「根岸谷中辺絵図」 「駒込絵図」から団子坂部分の抜粋です。「ダンゴザカ」の南に「千駄木梅屋敷」が見えます。「四季花屋敷紫泉亭眺望好シ」とあります。藍染川の東に「新幡隋院法住寺」と「大円寺」「カサモリイナリ」が見えます。

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「名所江戸百景 千駄木団子坂花屋敷」(広重)

 渡り廊下で繋がった三階建ての「紫泉亭」が描かれています。急な石段坂には、四阿や石燈籠が見えます。桜の下には多くの床几が並んでいます。手前は藍染川説と庭園の池説があります。

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「絵本江戸土産 千駄木 團子坂 花屋舖」(広重)

 挿絵には「元来植木屋の園なるに 近頃様々の花を培て 四時の遊観となせり」とあります。其二の反対側である谷中からの光景かと思います。
 手前が藍染川だとすれば、鳥居は大円寺に合祀されていた笠森稲荷でしょうか。手前が庭園の池だとすれば、鳥居は庭園の池に島を設けて弁財天を祀っていたということでしょうか。
 「名所江戸百景」の桜の木々を見ると、間に緑色の木々が見えます。桜だけではなく植木屋ならではの四季の木々を植えて遊観に供したと考えると「紫泉亭」の庭園内と考えられます。花見の名所であった吉原では、季節ごとに木々を植えかえていましたが、花見の名所であった「紫泉亭」も、春の桜だけではなく季節ごとの遊観を供していたと考えます。タイトルに「花屋敷」とあり、名所の紹介であるのに、花屋敷の花を描かずして藍染川の桜を描いたとは思えません。

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「絵本江戸土産 其二 紫泉亭より東南眺望」(広重)

 挿絵には「傍の岳に浴室を作り遊人をして沐浴せしむ この楼より眺望すれば図する所の勝地眼下にありて実に絶景いわんかたなし」
 眺望先は、「天王寺」「三崎」「谷中」「幡随院」(関東大震災後足立区東伊興に移転、こちらで記載)「上野」「池之端」「神田」が示されています。紫泉亭の渡り廊下先の女性は浴衣を着ており、左の女性は浴衣を手にしています。

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「江戸名所図会 根津権現旧地」

 根津権現の旧地は千駄木坂(団子坂)上の北側にありました。

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 千駄木坂(団子坂)上の南側に「紫泉亭」が開園する前の植木屋が描かれています。

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「武蔵百景之内 谷中団子坂菊」(小林清親 明治17年)

 小林清親は、「朝日の出」と命名された大輪の菊の花を手前に大きく描いています。

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「東京開化狂画名所 千駄木團子坂 丸き人物集会」(月岡芳年 明治14年 都立図書館蔵)

 団子坂は、転ぶと団子のようになるからともいわれています。一番左の男は洋傘をもっているので雨でしょうか。一人は靴ですが三人は下駄です。転ぶ前から団子ですが、これから泥だらけの団子になるのでしょう。福耳の団子体型の恵比寿様を坂を簡単に上り下りするネズミが励ましているのでしょうか。

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○森鴎外記念館(森鴎外旧居跡) 文京区千駄木1-23-4

 森鴎外の居宅観潮楼では、観潮楼歌会が、明治40(1907)年3月から明治43(1910)年4月まで毎月1回行われました。与謝野鉄幹・平野万里・吉井勇・石川啄木・北原白秋・上田敏(「新詩社」)、伊藤左千夫・長塚節・古泉千樫・斎藤茂吉(「アララギ」)、佐佐木信綱が参加しました。

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(掲示)
「文京区立 森鴎外記念館
 Mori Ogai Memorial Museum
 文京区立森鴎外記念館は、明治、大正期に活躍した森鴎外(本名森林太郎)が暮らした家の跡に建てられています。
 鴎外は、1892(明治25)年1月から、この地で家族とともに暮らしました。家は団子坂の上に位置し、2階から品川沖の白帆がのぞめ、鴎外により観潮楼と名付けられました。
 敷地内には、往時を偲ばせるものが今も残っています。藪下通りには正門の門柱の礎石やや敷石、庭には鴎外ゆかりの「三人冗語」の石や、大銀杏があります。また「沙羅の木」詩碑、「観潮楼址」碑も設置されています。
 鴎外は軍医として勤めるかたわら、「青年」「雁」「高瀬舟」などたくさんの小説や翻訳を執筆しました。また、この家には鴎外を訪ねて、永井荷風、芥川龍之介、伊藤左千夫、石川啄木、斎藤茂吉など多くの文人が訪れました。観潮楼は、森家の住まいのみならず、文人たちの社交塲(サロン)でもありました。
 文京区は、多くの文化人が住んだ文の京でもあります。鴎外がたくさんの人と交流し、みずから散策に出かけたこの地から、当時の面影をさがしに街へお出かけください。」

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根津権現社~曙の里

○根津権現社~曙の里

 根津権現の境内には料理茶屋が並び、「曙の里」と呼ばれる遊観の地として江戸の庶民に親しまれました。


<江戸名所図会 根津権現社>

 挿絵を3枚合成した挿絵と、社殿の拡大です。
 挿絵には「当社の境内を世に曙の里といへり」と記されています。
 本文末には「ことに門前には貨食店簷をならべて詣人を憩はしめ酣歌の声間断なし」とあります。

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「絵本江戸土産 根津権現社地 紅楓」(広重)

 中央に楼門、奥に唐門と社殿が描かれています。

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「江戸切絵図 小石川 谷中 本郷絵図」(根津権現抜粋)

 「根津権現」と、遊郭のあった「根津門前町」が描かれています。
 根津権現脇に「此辺アケホノゝ里ト云」との説明があります。

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「江戸名勝図会 根津」(広重)

 参道、手水舎、燈籠、透垣の配置を見ると、社殿の唐門右手を描いた絵です。

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「江戸名所百人美女 根津権現」(豊国)

 色々と解釈できる錦絵です。

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「根津神社秋色」(小林清親 明治13年)

 秋の楼門が描かれています。

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「根津神社」(井上安治)

 冬景色の牢門が描かれています。

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※出典はすべて国立国会図書館デジタルコレクション

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根津遊郭の跡地ほか

○根津遊郭の跡地 文京区根津1-21-8

 根津神社表参道前新坂下の杉本染物舗の壁に、銅版プレート「根津遊郭の跡地」が掲げられています。

(プレート文)
「根津遊郭の跡地
根津八重垣町(昔は門前町と言った)から根津神社まで遊郭があった そして昔根津は不寝と書かれていたようだ 小石川本郷と谷中の中間の谷間で 天保十有余年この根津に娼妓がいたことを記している 更に当時の江戸市中の風紀から見て一大改革が持たれ 俗に言う水野越前守の緊粛政治で根津遊郭も禁止した 明治維新となるやこの根津の遊郭復帰は声高く叫ばれ公然と開業された ところが東大 一高が本郷向岡に開設されるに及び 再びこの根津遊郭廃止論は大きく起った そして遂に明治二十年十二月限りで廃止 その殆どは洲崎に移り 又一部は吉原に移った 明治十五年当局の調査によると吉原(娼妓一○一九人)根津(娼妓六八八)品川(娼妓五八八)と記され、その繁華ぶりが偲ばれる
  昭和六十二年四月
      文京歴史研究会
         荒川 忠親 浪越徳治郎
         小林 光二 田中 行成
         松浦 信夫 石坂 岩雄 
         田代喜一郎 森田 一郎
         高田 栄一 菊見 岩雄
         (株)松浦土建 中尾 泰一
         里見 博康 北山  茂
         小平 千里 杉本 順子」

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<大八幡楼跡>

 道路反対の根津神社側に建っている日本医科大学大学院は、根津遊郭の妓楼「大八幡楼」があった場所です。東大生の坪内逍遥と、大八幡楼の遊女「花紫」が出会い、夫人となったセン。洲崎への遊郭移転後の「大八幡楼」跡地は、温泉旅館「紫明館」が明治29年に開業します。
 永井荷風は、「里の今昔」の中で、紫明館について言及しています。
 「当時入谷には「松源」、根岸に「塩原」、根津に「紫明館」、向島に「植半」、秋葉に「有馬温泉」などいう温泉宿があって、芸妓をつれて泊りに行くものも尠くなかった。」
 紫明館は明治36年に廃業し、本郷医院が開業、翌年真泉病院と改称しています。その後日本医科大学の付属病院を経る等して、現在に至っています。

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○旧根津須賀町 文京区根津1-25-16

 遊郭「大八幡楼」跡に建っている日本医科大学大学院の前に、文京区「旧根津須賀町」説明板があります。

(説明板)
「旧 根津須賀町(昭和40年までの町名)
 もと、甲府宰相徳川綱重(三代将軍家光の子で五代将軍綱吉の兄)の屋敷があった。綱重の子の綱豐(六代将軍家宣となる)がここで生まれ、団子坂上にあった根津神社が産土神(生まれた土地の神)であった。綱豊は網吉将軍の跡継ぎとなり江戸城に移った。
 綱吉は、宝永3年(1706)根津神社を甲府屋敷の跡に移し、華麗な社殿を造営した。また町屋が開かれ、根津社地門前と称した。明治2年、町名を根津須賀町とした。
 根津の名の由来には、ねずみのいわれ、台根の根ににあって舟の泊まるところなどの各説がある。
 須賀は、根津神社の祭神素盞鳴尊が、出雲の須賀に宮居を定め、わが心須賀須賀須といわれたによると。  文京区」

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○新坂(権現坂・S坂) 文京区根津1丁目

 文京区の説明板が根津神社前にあります。
 根津神社の表門に下る坂が、新坂(権現坂・S坂)です。明治になって新設の坂道なので新坂、根津権現の前へ下りるので権現坂、森鴎外がS坂と命名。

(説明板)
「新坂(権現坂・S坂)
 本郷通りから、根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため、新坂と呼んだ。また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので権現坂ともいわれる。
 森鴎外の小説「青年」(明治43年作)に、「純一は権現前の坂の方に向いて歩き出した。・・・右は高等学校(注・旧制第一高等学校)の外囲、左は出来たばかりの会堂(注・教会堂は今もある)で、・・・坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。・・・」とある。
 旧制第一高等学校の生徒たちが、この小説「青年」を読み、好んでこの坂をS坂と呼んだ。したがってS坂の名は近く観潮楼に住んだ森鴎外の命名である。
 根津神社現社殿の造営は宝永3年(1706)である。五代将軍徳川綱吉が、綱豊(六代将軍家宣)を世継ぎとしたとき、その産土神として、団子坂北の元根津から、遷座したものである。
  文京区教育委員会  平成14年3月」

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 坂上始点
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 S字に連なる坂道
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 坂下から
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○根津裏門坂 文京区根津1丁目と千駄木2丁目の間

 根津神社の裏門前を、根津谷から本郷通りに上る交通量の多い坂道です。
 根津神社西口の鳥居前に、文京区が設置した説明板「根津裏門坂」があります。
 坂上の日本医科大学付属病院の西を北に曲がると、夏目漱石の住んだ家「猫の家」跡があります。

(説明板)
「根津裏門坂
 根津神社の裏門前を、根津谷から本郷通りに上る坂道である。
 根津神社(根津権現)の現在の社殿は、宝永3年(1706)五代将軍綱吉によって、世継ぎの綱豊(六代家宣)の産土神として創建された。形式は権現造、規模も大きく華麗で、国の重要文化財である。
 坂上の日本医科大学の西横を曲がった同大学同窓会館の地に、夏目漱石の住んだ家(“猫の家”)があった。『吾輩は猫である』を書き、一躍文壇に出た記念すべき所である。
  (家は現在「明治村」に移築)
   文京区教育委員会  平成20年3月」

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tag : 永井荷風森鴎外

乙女稲荷神社

○乙女稲荷神社 文京区根津1-28-9 根津神社境内

 乙女稲荷神社は、西参道から向かうと、駒込稲荷神社の先にあります。根津神社の社殿西門前にも、鳥居と階段参道があります。表参道から向かうと、つつじ苑の先にあります。
 根津遊郭の遊女達が詣でていたようです。

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<社殿>

 神狐の先の千本鳥居をくぐると、すぐに社殿です。

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 社殿の奥に岩窟(風穴)があります。乙女の由来は、ここからきているようです。

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(説明板)
「乙女稲荷神社 祭神 倉稲魂命
 宝永三年(一七〇六)根津神社がこの地に遷座した後、「つつじが岡」の中腹に穿たれた洞に祀られた社で、古記録には「穴稲荷」とある。霊験あらたかと崇敬者多く、参道には鳥居の献納が絶えない。
現在の社殿は昭和三十一年に奉建されたものである。」

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 きつねが蕪の廻りに群れている木彫り彫刻の額がはめ込まれています。
 浅草の待乳山聖天は大根を奉納しますが(こちらで記載)、乙女稲荷神社は蕪を奉納するのでしょうか?

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<百度石>

 乙女稲荷講の奉納です。

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<六代将軍家宣胞衣塚と胞衣塚碑> 文京区指定文化財

 千本鳥居の終端にあるのが「徳川家宣胞衣塚」と「胞衣塚碑」。階段参道からだと、登ってすぐ左手にあります。
 胞衣塚には、六代将軍家宣公の胎盤が納められています。塚と碑は、両方とも文京区指定文化財です。

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<胞衣塚碑> 文京区指定文化財

 「徳川将軍文昭公胞衣塚碑」
 明治14年の建立で、徳川家宣胞衣塚の由緒を伝えています。

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(説明板)
「徳川家宣胞衣塚  文京区指定有形民族文化財
          昭和49年11月1日 指定
 六代将軍家宣の胞衣を埋めたところと伝えられ、十数箇の割り石が雑然と積み重ねてある。
 この根津神社の境内は、もと五代将軍綱吉の兄綱重(家光の第二子)の山手屋敷(別邸)で、綱重の長子家宣は寛文2年(1662)4月25日ここで生まれた。
 胞衣とは、胎児(母体の中の子)を包んだ膜と胎盤をいう。われわれの祖先が、胞衣を大切に扱ったことは、各地の民間伝承にある。例えば、熊野では大石の下に納めたと伝えられる。関東では、家の床下や入口の敷居の下に埋めたといわれ、また屋敷の方角をみて埋めるという所もあった。
 一方上流の階層では、胞衣塚を築くことが早くから行われた。愛知県の岡崎には、徳川家康の胞衣塚がある。
 この胞衣は誕生の敷地内に納められた。徳川家の他のものとくらべ、形式が素朴であるなど、将軍の胞衣塚ながら庶民の民俗の理解の上で貴重なものである。
 塚正面には、明治14年に建てられた「胞衣塚碑」があり、徳川家宣胞衣塚の由緒を伝えている。また、家宣の産湯の井戸と伝えられるものが、社務所の庭にある。
 家宣が綱吉将軍の跡継ぎとなり江戸城に入ると、屋敷跡に家宣の産土神(氏神)である根津神社を移し、華麗な社殿が綱吉によって建てられた。
    文京区教育委員会  令和2年2月」

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<千本鳥居>

 北から南に通り抜けると邪気が払われると各HPで言及されていますが根拠な何でしょう?南から北に通り抜けると邪気を吸収してしまうのかもしれません(そんなことはないと思います)。

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