滝沢馬琴像

○滝沢馬琴像

 「江東区教育委員会 滝沢馬琴誕生の地 説明板」
  (『戯作六歌撰』東京大学総合図書館蔵)

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 「新宿区教育委員会 滝沢馬琴終焉の地 説明板」

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 「日本肖像大観 第1巻(永井菊治 吉川弘文館 明治41年8月)」

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 「南總里見八犬傳 五十三巻下」(曲亭馬琴)

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○曲亭馬琴(滝沢馬琴)まとめ

  曲亭馬琴(滝沢馬琴)ゆかりの地は、千代田区、新宿区、文京区、荒川区、江東区とあり、説明板の掲示だけの区もあれば、江東区のように「おぉ!」と感心するものもあります。

 ○ 滝沢馬琴像
 ○ 滝沢馬琴誕生の地(深川)
 ○ 滝沢馬琴宅跡の井戸(元飯田町中坂下)
 ○ 滝沢馬琴の住居跡(神田明神下)
 ○ 滝沢馬琴終焉の地(四谷信濃坂)
 ○ 滝沢馬琴の墓(深光寺)
 ○ 滝沢馬琴筆塚の碑/滝沢馬琴の硯塚(青雲寺)
 ○ 滝沢馬琴筆塚碑跡(ひぐらしの里)

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tag : 滝沢馬琴

滝沢馬琴墓~深光寺

○深光寺 文京区小日向4-9-5

 急坂の参道を登ると右に鐘楼、正面に本堂、左に墓所。墓所には「滝沢馬琴の墓」「路女の墓」などがあります。

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<滝沢馬琴墓> 文京区指定史跡

 本堂の手前左側に滝沢馬琴の墓があります。馬琴墓の左後方奥には「露女の墓」が見えます。
 墓石表には、戒名が2行に刻まれています。右に馬琴の戒名「著作堂隠誉蓑笠居士」、左に妻お百の戒名「黙誉静舟到岸大師」とあります。
 右側面には、馬琴の功績と、妻お百のことが記されています。
 台石には、台石には、馬琴の蔵書印といわれる家型の模様が刻まれています。

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(説明板)
「滝沢馬琴墓(文京区指定史跡)
 馬琴は、江戸の人。明和4年~嘉永元年(1767~1848)。江戸時代後期の著名な戯作者。“南総里見八犬伝”“鎮西弓張月”など、多数の作品を残した。著作堂、蓑傘、玄同など多くの別号をもち、晩年は髪をおろして、曲亭馬琴と号した。
 墓碑には、馬琴の法名「著作堂隠譽蓑笠居士」と、馬琴より先に没した妻お百の法名「黙誉静舟到岸大姉」があり、台石には、馬琴の蔵書印といわれる家型の模様が刻まれている。江戸時代後期の著名な戯作者の墓として、歴史的価値が高い。(墓は本堂左わき)
 なお、馬琴の墓の後左側には、晩年、失明した馬琴を助け、南総里見八犬伝を完成させた、嫁の路女が眠る墓がある。法名・操誉順節路霜大姉。
  浄土宗 深光寺 文京区小日向4-9-5
    文京区教育委員会 平成3年3月」

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<露女の墓>

 晩年に失明した滝沢馬琴を助け、「南総里見八犬伝」を口述筆記によりを完成に導いたのが、馬琴の長男・宗伯の妻であったお路でした。
 墓石左に「路女の墓」という立札があります。墓石正面左端に「操誉順節路霜大姉」と刻まれています。その右隣に宗伯の戒名「王照堂君誉風光琴嶺居士」が並んでいます。

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<無縁仏の石像群>

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<織部石燈籠>

 深光寺は「小石川七福神」の恵比寿天を祀っています。
 恵比寿像の右に「織部石燈籠」が置かれています。

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<石碑/石像>

 「厄除観世音菩薩/聖徳太子御作/寛政元年乙酉二月」
 聖徳太子の作と伝わる観世音菩薩像がかつてはあったということでしょうか。

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 他に「不動明王像」があります。

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滝沢馬琴住居跡/滝沢馬琴終焉の地

○滝沢馬琴住居跡 千代田区外神田3-5-18若林公園

 千代田区立昌平小学校の向かいにある芳林公園入口に「滝沢馬琴住居跡」と記されています。
 滝沢馬琴は、元飯田町中坂下から、神田明神下に転居します。四谷信濃坂に転居するまでの12年間、ここで暮らしました。

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(説明板)
「滝沢馬琴住居跡
 滝沢馬琴は『南総里見八犬伝』、『椿説弓張月』などを著わした江戸時代の戯作者です。
 旗本松平信成の家臣の子として生まれた馬琴は、元飯田町中坂下(現在の九段北1丁目)の下駄屋会田家の養子となりますが、家業は人に任せ、戯作者としての道を歩み始めます。
 1824年(文政7年)には、外神田のこの場所に転居し、戦国時代の物語をまとめた『近世説美少年録』や、南朝再興の物語をまとめた『開巻驚奇侠客伝』などを著しています。
 馬琴は、1836年(天保7年)に四谷信濃坂(現在の新宿区信濃町)に転居するまでの12年間、ここで暮らしました。」

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○滝沢馬琴終焉の地 新宿区霞ヶ丘町14-1

 滝沢馬琴が天保7(1836)年から嘉永元(1848)年11月6日に死去するまで、12年間を過ごした場所です。

(説明板)
「新宿区指定史跡
 滝沢馬琴終焉の地
    所 在 地 新宿区霞ヶ丘町十四番一号
    指定年月日 平成二重五年三月二十七日
 この地は、『南総里見八犬伝』の著者として有名な江戸時代後期の滝沢馬琴(一七六七~一八四八)が、天保七年(一八三六)から嘉永元年(一八四八)に亡くなるまでの約十二年間暮らした場所である。
 馬琴は、江戸深川で旗本の用人の子として生まれた。名は興邦、後に解と改め、曲亭馬琴、著作堂主人、篁民などと号した。
 天保六年(一八三五)に嫡男の宋伯が病死したため、幕府の御家人株を買い、翌年、神田同明町の屋敷から四谷信濃町の四谷組同心屋敷へ転居した。
 四谷に移転してからは、婿、妹、妻が相次いで亡くなり、自身も目を患い失明に近い状態であったが、嫁の路に口述筆記させ『南総里見八犬伝』を完成させた。
 挿絵「滝沢馬琴肖像並古稀自祝之題詠」(早稲田図書館蔵)より
  平成二十五年三月 新宿区教育委員会」

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 英語の説明板では、最後に「February 2019 Shinjuku City」と記されています。
 英語の説明板は、平成31年2月に追加して設置されたことになります。

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