名主の滝公園

○名主の滝公園  北区岸町1-15-25

 「名主の滝」は、男滝・女滝・独鈷の滝・湧玉の滝の4つの滝からなります。
 現在は男滝のみ稼働しています。池の水をポンプで汲み上げ流していて稼働時間は10:00-16:00です。

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(掲示)
「名主の滝公園案内
本園は嘉永年間(一八四八年?一八五四年)王子村の名主畑野孫八が自邸に開いた江戸情緒豊かな庭園で台地の斜面を巧みに利用し自然の風景を取り入れ園内の滝は古来王子の七滝の一つとして著名です。(以下注意事項省略)
  東京都北区」

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「絵本江戸土産 十條の里 女滝 男滝」 (広重)

 絵本江戸土産に女滝、男滝が描かれています。

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tag : 歌川広重

王子神社

○王子神社 北区王子本町1-1-12 HP

 源義家が奥州征伐(前9年の役)の際には当社で金輪仏頂を修法し、凱旋の日には甲冑を奉納したと伝えられています。
 王子という地名は元亨二(1322)年に領主豊島氏が熊野より王子大神を勧請した事に由来します。熊野信仰の拠点として尊崇を集めています。
 徳川家康は天正十九(1591)年に朱印地二百石を寄進、将軍家祈願所と定めました。徳川家光は社殿を新造し、林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせ奉納しています。徳川吉宗は 出身である紀州ゆかりの熊野信仰の拠点であった王子権現社を大いに崇敬し、多大な庇護を行っています。元文2(1737)年に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて庶民遊楽の地としました。

<社号標/鳥居/社殿>

 社号標には「元准勅祭王子神社」と刻まれています。
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社殿は戦後の再建です。
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<由緒板>

「王子神社(由来)
御祭神 伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命
 元亨二年(一三二二)、豊島郡を支配していた萱島氏が、熊野の方向を望む石神井川沿いの高台に、紀州熊野三社権現から王子大神を勧請し、若一王子宮として祀られるようになりました。これにより、村名が岸村から王子村に改められ、王子という地名の由来となりました。また、石神井川がこの地域では音無川と呼ばれているのも紀州の地名に擬したとの説があります。
 王子神社は、豊島氏に続いて領主となった小田原北条氏からも寄進をうけ、江戸時代には、徳川家康が社領として二〇〇石を寄進しました。これは、王子村の村高の三分の二にあたります。別当寺は、王子神社に降接していた禅夷山金輪寺で、将軍が日光社参や鷹狩の際に休息する御膳所となっていました。将軍家の祈願所として定められた王子神社は将軍家と関係が深く、三代将軍家光は社殿新造し、林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせて奉納しました。家光の乳母である春日局も析願に訪れ、その後も、五代綱吉、十代家治、十一代家斉が社殿の造営修繕をし、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も十七社を数えました。
 紀州徳川家の出であった八代吉宗は、紀州ゆかりの王子をたびたび訪れ、飛鳥山に桜を植樹して寄進しました。この後、花見の名所となった飛鳥山や王子神社周辺は、江戸近郊の名所として多くの人が訪れるようになります。特に、七月十三日に行われた王子神社の祭札は「槍祭」とよばれ、小さな槍を買い求める人や田楽躍を見物する多くの人でにぎわったことが見物記などからうかがえます。
 明治時代にはいると明治元年(一八六八))、准勅祭社となり、東京十社に選ばれ東京北方の守護とされました。
 戦前の境内は「太田道瀧雨宿りの椎」と呼ばれた神木をはじめ、多くの樹木が茂っていましたが、戦災で焼失したため、境内に現存する東京都指定天然記念物の大イチョウは、戦災を逃れた貴重な文化財です。戦後は、氏子一同により権現造の社殿が再建され、現在の景観にっています。
 末社 関神社 蝉丸法師を祭神とし、理容業者により信仰されている全国でも珍しい「髪」の祖神です。
  平成二十五年六月  東京都北区教育委員会」

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(説明プレート)
「北区指定有形文化財(歴史史料)
 「若一王子縁起」絵巻(模本)」
 寛永18(1641)年、徳川家光は林羅山に命じて「若一王子縁起」三巻を作成させ寄進しています。
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「東京都北区指定無形民俗文化財 王子田楽
王子田楽は、豊かな実りと無事を祈って、毎年8月、王子神社の例祭で、神前に奉納される伝統芸能です。花笠をつけ、鼓・筅・太鼓方が笛に合わせて踊る、全国でも数少ない芸能です。しばらく絶えていましたが復元され、王子田楽衆と王子田楽式保存会によって保存・伝承されています。
 東京都北区教育委員会」
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<東京十社>

 准勅祭社に指定された十二社のうち、東京23区内の神社が現在の「東京十社」です。

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<神輿>

 平成29(2017)年に奉納された本社神輿です。

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<関神社(髪の祖神)>

 「髪の祖神」が祀られ、御祭神は蝉丸公。昭和34年に再建されています。「「髪の祖神」関神社由緒略記」があります。境内には毛塚も建てられています。

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(掲示)
「髪の祖神」関神社由緒略記
 御祭神 蝉丸公  神霊
     逆髪姫  神霊
     古屋美女 神霊
 「これやこの 行くも帰るも 別れては
    知るも知らぬも逢坂の関」の和歌で有名な「蝉丸公」は延喜帝の第四皇子にして和歌が巧みなうえ、琵琶の名手であり又 髪の毛が逆髪である故に嘆き悲しむ姉君のために侍女の「古屋美女」に命じて「かもじ・かつら」を考案し髪を整える工夫をしたことから「音曲諸芸道の神」並に「髪の祖神」と博く崇敬を集め「関蝉丸神社 」として、ゆかりの地 滋賀県大津の逢坂山に祀られており、その御神徳を敬仰する人達が「かもじ業者」を中心として江戸時代 ここ「王子神社 」境内に奉斎したのが、当「関神社 」の創始なり。 昭和二十年四月十三日戦災により社殿焼失せしが、人毛業界これを惜しみて全国各地の「かもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師」の各界に呼び掛け浄財を募り昭和三十四月五月二十四日これを再建せり。
  王子神社 宮司

毛塚の由来
釈尊が多くの弟子を引き連れて、祇園精舎に入られたとき貧女が自らの髪の毛を切り、油に変えて献じた光が、大突風にも消えることなく煌煌と輝き世に貧女の真心の一灯として髪の毛の尊さと共に、毛髪最古の歴史なりと永く言い伝えられる由縁である。
毛髪を取り扱う我々業者は毛髪報恩と供養の為に、昭和三十六年五月二十四日「関神社」境内に毛髪の塔を建立し永く報恩の一助とする。
  関神社奉賛会
  東京人毛商工組合
  東京床山協会
  東京かつら協会
  関西かつら協会」

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「毛塚」
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「関神社再建碑」
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「関神社 新社殿御造営費奉納者 昭和45年9月」
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「江戸名所図会 王子権現社」

 江戸名所図会の王子権現社は3枚に渡って描かれています。

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「江戸名所図会 王子権現社 祭礼」

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<東照大権現>

 江戸名所図会には多くの境内社が見られ、その数は17社にも及びます。戦災で焼失し、再建されたのは関神社のみです。
 図会では裏手の高台に家康を祀った「東照大権現」が描かれています。家光の日光社参では、王子通過時は「下に下に」は言わずに通過したと古老が伝唱しているらしいです(王子田楽のサイトで拝見)。

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<康家清光合社>

 康家清光合社という、室町時代に当社を庇護した豊島康家清光を祀る末社も祀られています。「清光康家」の記載が見えます。

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tag : 江戸名所図会徳川家康東京十社源義家豊島氏

王子稲荷神社

○王子稲荷神社  北区岸町1-12-26

 大晦日の夜に、関東一円の稲荷神社から狐たちが集まって、参詣したという伝承があります。
 正面に惣門があり、本社まで参道が続いています。
 一の鳥居の右手に「市杵島神社」が祀られています。

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<額面著色鬼女図>

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<市杵島神社>

 階段参道手前右手に、市杵島神社があります。

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<脇参道>

 王子稲荷神社は、境内に幼稚園があり、平日は惣門が閉じられているので、惣門の左手を進み、坂を上った先にある鳥居から神社へ入ることとなります。

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<狛犬/狐>

 狛犬や狐も、赤や白などマスクをしています。中にはマスクをしていない狐がいます。

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<常夜燈兼道標>

 南側参道に道標を兼ねた常夜燈があります。
 寛政3年(1791)11月造立。中山道に立っていたものを昭和32年に移築。
 中央「王子 稲荷大明神」
  左「古礼与り王子ミち」
  右「これより王子みち

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<本宮>

 拝殿の右手に通路が続き、突き当りに王子稲荷神社の本宮があります。
 扁額は亀田鵬斎の揮毫です。

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<亀山稲荷神社/嬉野森稲荷神社/北村稲荷神社>

 本宮の右手に通路が続いており、その先に3社が合祀されています。
 左から亀山稲荷神社、嬉野森稲荷神社、北村稲荷神社です。

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<御石様>

 三社の左に、願いごとをかなえてくれると言う御石様があります。

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<石祠/狐穴>

 階段を上ると、その上に石祠と狐穴があります。

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<千種庵霜解歌碑>

 「加くて古そ 以の流加ひ安連  衣食住 奈尓くら可らむ 三つの燈火 千種庵霜解」

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<古帳庵句碑>

 「苗代や飛鳥は滝の川つゞき  古帳庵
  のぼる日に露のむ稲のはらみかな  古帳女」
 天保12(1841)年正月の建立。

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「江戸名所図会 王子稲荷社」

 江戸名所図会に描かれた王子稲荷社です。
 垢離場が現在はいなり幼稚園になっています。
 狐穴に上がる階段が、現在は反対側についています。

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「東都三十六景 王子稲荷」(広重)

 浮世絵に描かれた王子稲荷神社です。

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「名所江戸百景 王子稲荷乃社」(広重)

 遠景に筑波山が見えます。惣門参道方向を見た図です。

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「武藏百景之内 王子稲荷社」(小林清親 明治17年)

 広重と同じ構図で王子稲荷社を描いています。

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「絵本江戸土産 王子稲荷社」(広重)

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○稲荷道/王子稲荷の坂 北区岸町1-12地先

(説明板)
「この坂は、王子稲荷神社の南側に沿って東から西に登る坂で、神社名から名前がつけられています。また江戸時代には、この坂を登ると日光御成道があり、それを北へ少し進むとさらに北西に続く道がありました。この道は姥ヶ橋を経て、蓮沼村(現板橋区清水町)まで続き、そこで中山道につながっていました。この道は稲荷道と呼ばれ、中山道から来る王子稲荷神社への参詣者に利用されていました。
  平成五年三月 北区教育委員会 」

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tag : 江戸名所図会歌川広重小林清親日光御成道

装束稲荷神社 王子

○装束稲荷神社  北区王子2-30-14

「名所江戸百景 王子装束ゑの木大晦日の狐火」(広重)

 広重の名所江戸百景にも描かれている「王子装束ゑの木大晦日の狐火」です。 多くの狐が榎木に集まっています。

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「江戸名所道戯尽十六 王子狐火」(歌川広景)

 狐火と左手に王子稲荷が見えます。
 大名行列ごっこを楽しむ狐たち。狐に化かされた人も、狐の担ぐザルに乗ってお殿様気取りでご満悦です。
 行列は、「挟み箱」の代わりにカボチャを担ぎ、毛槍の代わりにトウモロコシをつけた竹竿を持っています。

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「東京名所三十六戯撰 王子」(昇齋一景 明治5(1872)年)

 大きな榎木が見えるので、装束稲荷の前でしょう。
 狐が二匹見えますが、二人の美女も狐で、尻尾が見えています。多くの狐火が見えます。

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<装束畠 衣裳榎>

 江戸名所図会の「装束畠 衣裳榎」です。狐火が多く描かれています。

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<狐の行列パンフレット>

 狐の行列は復活して定着しているようです。

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<装束稲荷神社>

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(説明板)
「王子の狐火と装束榎
   北区王子二ー三〇ー一四 装束稲荷神社
 かつてこの辺りは一面の田畑で、その中に榎の木がそびえていました。
 毎年大晦日の夜、関東各地から集まって来た狐たちがこの榎の下で衣装を改めて王子稲荷神社に参詣したといういいつたえがあることから、木は装束榎と呼ばれていました。狐たちがともす狐火によって、 地元の人々は翌年の田畑の豊凶を占ったそうです。
 江戸の人々は、商売繁盛の神様として稲荷を厚く信仰しており、王子稲荷神社への参詣も盛んになっていました。やがて、王子稲荷神社の名とともに王子の狐火と装束榎のいいつたえも広く知られるようにな り、左の広重が描いた絵のように錦絵の題材にもなりました。
 昭和四年(一九二九)、装束榎は道路拡張に際して切り倒され、装束榎の碑が現在地に移されました。後に、この榎を記念して装束稲荷神社が設けられました。平成五年(一九九三)からは、王子の狐火の話を再現しようと、地元の人々によって、王子「狐の行列」が始められま した。毎年大晦日から元日にかけての深夜に、狐のお面をかぶった裃姿の人々が、装束稲荷から王子稲荷までの道のりをお囃子と一緒に練り歩く光景が繰り広げられます。
  平成九年三月  東京都北区教育委員会」

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<石碑「装束榎」と「御神木榎」>

 石碑の裏には榎が植えられています。

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<狛狐>

 狐が咥えているのはカギです。

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<大田南畝句碑>

 「いざあけん かぎ屋扇屋とざすとも 王子の狐 かぎをくはえて 南畝」
 扇屋は今も玉子焼きを販売しています。こちらで記載

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<御手洗>

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金剛寺(紅葉寺/滝野川城跡)

〇金剛寺(紅葉寺) 北区滝野川3-88-17

 金剛寺付近は豊島氏の支族滝野川氏の居館である滝野川城跡であるとも言われています。

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<山門>

 山門の石柱には「紅葉寺」とあります。山門前に5基の石造物が並んでいます。
 「西国三十三所供養佛」「旧蹟 瀧野川七福神」「道標」「水子地蔵」「庚申塔板碑?」

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<源頼朝布陣伝承地>

 門前左に説明板。

(説明板)
「 源頼朝布陣伝承地
    北区滝野川三・八八・一七 金剛寺境内
 治承四年(一一八○)八月、源義朝の三男源頼朝は、配流先の伊豆国で兵を挙げました。初戦に勝利するも、石橋山の合戦で敗れて安房国に逃れ、そこから上総国・下総国の諸将を味方につけ、隅田川を渡ります。滝野川・板橋を経て、府中六所明神へ向かい、さらにそこから鎌倉を目指します。そして鎌倉の大倉に本拠を築いた頼朝は、後に鎌倉幕府初代将軍として、その場所に政権を樹立することになるのです。
 その途次の十月、頼朝は軍勢を率いて滝野川の松橋に陣をとったといわれています。松橋とは、当時の金剛寺の寺域を中心とする地名で、ここから見る石神井川の流域は、両岸に岩が切り立って、松や楓があり、深山幽谷の趣をもっていました。弁財天を信仰した頼朝は、崖下の洞窟の中に祀られていた弘法大師の作と伝えられる弁財天に祈願して、金剛寺の寺域に弁天堂を建立し、田地を寄進したと伝えられています。
 この地域は、弁天の滝や紅葉の名所として知られていました。現在、金剛寺が紅葉寺とも呼ばれるところに、この頃の名残が見られます。
  平成元年三月  東京都北区教育委員会」

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<鹿島万平翁之碑>

 鹿島万平翁は、明治5(1872)年に民間初の近代的紡績工場の鹿島紡績所を滝野川(反射炉跡→靴製造所跡→鹿島紡績所跡)に創設しました。
 現在、跡地は、国の重要文化財の赤煉瓦酒造所跡となっています。碑は明治38(1905)年の建立です。

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<村雨軒化風句碑>

 「白露や無明の夢乃さ免し庵」

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<為山句碑>

 「由可李那く か流やまこ登の 花の宿 為山」

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<柳袋川柳碑>

 「落葉盤おしむ那あと耳芽能春支度 二世括嚢舎柳袋 石井玉泉手」

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<玄朱亭狂歌碑>

 「花笠をぬふ梅や那幾春能もやふを よ勢き連の谷濃戸尓者類鶯乃聲 玄朱亭印肉墨」

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<不詳の碑→邨山退翁先生高臥圖>

 線刻と漢文の碑、不詳。

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<仏足跡>

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<水子地蔵>

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<七福神>

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<弁天堂>

 新しいです。

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<富士講碑>

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(説明板)
「 富士講先達の安藤冨五郎顕彰碑
 富士山は神のやどる霊山として古来から人々による崇拝による信仰をあつめてきましたが、登拝すると数々の災難から逃れられるとも信じられ、富士山参詣による信仰が形成されてきました。冨士講は、これらを背景に江戸時代、関東地方を中心とする町や村につくられた信仰組織です。
 ここにある富士山をかたどった記念碑は冨士講の先達として活躍した安藤冨五郎の顕彰碑です。碑の表側には参という文字を丸でかこんだ講紋および「三国の光の本をたちいてて こころやすくも西の浄土へ」という天保八年□月十二日に没した伊藤参翁の和歌の讃が刻まれています。裏側の人物誌によれば、冨五郎は宝暦五年(一七五五)、滝野川村に生れましたが青少年時代から冨士信仰の修行をおこない、丸参講という講組織をつくって冨士信仰を広めるのに努力した。その甲斐もあってか、中興の祖である食行身禄(伊藤伊兵衛)の弟子の小泉文六郎から身禄が姓とした「伊藤」という姓を許されて伊藤参翁と称した。富士への登山・修行は五十回におよび、冨士信仰にかかわる多くの人々から敬われ、八十才を越えてもなお、顔立は早春に野山の枯草を焼く野火や紅色の雲のように活気に満ち、嘘や偽りのない美しさを保っていたとあります。
 冨五郎が生きた時代、冨士信仰は、政治・経済の混乱や封建的な身分制秩序による苦難から人々が救われるには男女の平等や日常生活のうえでの人として守るべき規範を実践し、これによって弥勒の世を実現するべきだという信仰思想に触発され人々のあいだに急速にひろまりました。
  平成七年三月  東京都北区教育委員会」

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<右から5基を順に>

 「弘法大師一千百年供養塔」

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 「富士講歌碑」
 「一眠利永き浮世を夢尓左へ 見し白妙能婦し尓ま可勢天 三代目伊藤廣山 樫秀吉謹書也」

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 「安藤冨五郎顕彰碑」
  三角形の石碑です。説明板に詳述。

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 「冨士講碑?→金剛寺中興碑」
  漢文の大きな碑です。

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 絵本江戸土産に富士塚が描かれている!と勘違いしました。家の屋根のようです。
 浮世絵のほうで確認すると黄色に着色されているので屋根ですね。

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<石造物3基>

 「辨天堂造営供養塔」(中)、「不動明王像」(左)、「馬頭観音像」(右)

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<本堂/釈迦堂>

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