水神社 品川区
○出羽三山供養塔 品川区西大井3-1-5
「原の水神池」「水神社」「出石児童遊園」があります。
出羽三山供養塔があるらしいので行きましたが、確認できず。
<原の水神池>






(説明板)
「品川区指定史跡
大井・原の水神池
所在 西大井三丁目一番
指定 昭和五十七年二月十日
武蔵野台地の末端部に位置するこの湧水池は、むかし原・出石などの農家が、出荷する野菜を洗った「洗い場」であった所で、現在も水が湧き続けている。
水神社は、農耕や日常生活に欠かすことのできない水を確保し続けたいという願いから、地元の人々が祀ったものである。
清く澄んだこの池の水は、眼病を治すのに効果があるといわれ、治るとそのお礼に鯉を放ったという。
「洗い場」は、都市化とともに姿を消してしまったが、この水神池により、農村だった頃の生活や民間信仰の一面を知ることができる。
平成四年十一月一日 品川区教育委員会」

<原水神社>
明治12(1879)年再建。階段の左に「溜井由来記」石碑があります。






<水神池/鯉塚>






<羽黒山 湯殿山 月山 供養塔>
水神社の左隣に小さな石祠があります。
ネットで検索すると、羽黒山湯殿山月山供養塔のようですが、現地確認するも詳細不明でした。
横の水神社は湯殿山で修行した者が祭祀したものらしい。





「原の水神池」「水神社」「出石児童遊園」があります。
出羽三山供養塔があるらしいので行きましたが、確認できず。
<原の水神池>






(説明板)
「品川区指定史跡
大井・原の水神池
所在 西大井三丁目一番
指定 昭和五十七年二月十日
武蔵野台地の末端部に位置するこの湧水池は、むかし原・出石などの農家が、出荷する野菜を洗った「洗い場」であった所で、現在も水が湧き続けている。
水神社は、農耕や日常生活に欠かすことのできない水を確保し続けたいという願いから、地元の人々が祀ったものである。
清く澄んだこの池の水は、眼病を治すのに効果があるといわれ、治るとそのお礼に鯉を放ったという。
「洗い場」は、都市化とともに姿を消してしまったが、この水神池により、農村だった頃の生活や民間信仰の一面を知ることができる。
平成四年十一月一日 品川区教育委員会」

<原水神社>
明治12(1879)年再建。階段の左に「溜井由来記」石碑があります。






<水神池/鯉塚>






<羽黒山 湯殿山 月山 供養塔>
水神社の左隣に小さな石祠があります。
ネットで検索すると、羽黒山湯殿山月山供養塔のようですが、現地確認するも詳細不明でした。
横の水神社は湯殿山で修行した者が祭祀したものらしい。






tag : 出羽三山
三山百番供養塔 杉並区
〇江戸向き地蔵と三山百番供養塔 杉並区善福寺4-1-1
青梅街道沿の三叉路脇に、「江戸向き地蔵」享保14(1729)年、「三山百番供養塔」文政9(1826)年があります。
(説明板)
「江戸向き地蔵と三山百番供養塔
三体の地蔵菩薩立像と、一基の三山百番供養塔が造立されています。これらは、江戸時代以降、地域の人々が願いを込めて造立した民間信仰石造物です。
中央の地蔵菩薩立像は、享保十四年(1729年)に造立され、通称「江戸向き地蔵」と呼ばれていたと伝わります。
また、この場所において、地域の人々が集まって念仏を唱え、死者の供養を行う念仏講等の活動が行われていたと言われています。
三山百番供養塔は、文政九年(1826年)に造立され、江戸時代に流行した坂東三十三番、秩父三十四番、西国三十三番の角巡礼場所を足した百番と出羽三山の巡礼を終えた巡礼記念として作られたものと考えられます。
また、梵字で「観世音」と刻まれていることから、その功徳を地域の人々に施す目的もあったと思われます。」




「月山 湯殿山 羽黒 西國 秩父 坂東 百番供養塔 観世音」




青梅街道沿の三叉路脇に、「江戸向き地蔵」享保14(1729)年、「三山百番供養塔」文政9(1826)年があります。
(説明板)
「江戸向き地蔵と三山百番供養塔
三体の地蔵菩薩立像と、一基の三山百番供養塔が造立されています。これらは、江戸時代以降、地域の人々が願いを込めて造立した民間信仰石造物です。
中央の地蔵菩薩立像は、享保十四年(1729年)に造立され、通称「江戸向き地蔵」と呼ばれていたと伝わります。
また、この場所において、地域の人々が集まって念仏を唱え、死者の供養を行う念仏講等の活動が行われていたと言われています。
三山百番供養塔は、文政九年(1826年)に造立され、江戸時代に流行した坂東三十三番、秩父三十四番、西国三十三番の角巡礼場所を足した百番と出羽三山の巡礼を終えた巡礼記念として作られたものと考えられます。
また、梵字で「観世音」と刻まれていることから、その功徳を地域の人々に施す目的もあったと思われます。」




「月山 湯殿山 羽黒 西國 秩父 坂東 百番供養塔 観世音」




テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
tag : 出羽三山
羽黒神社 豊島区
○羽黒神社 豊島区西池袋4-23-3
羽黒神社は、出羽三山神社より分霊されています。
碑には三社講の文字が確認できます。








(説明板)
「由来書
当羽黒神社の創建年代は不詳ですが山形県出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の出羽三山神社より分霊されております。明治二年(西暦一八六九年)の社寺取調書によりますと武蔵国豊島郡長崎村の一社であり、御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、農業や商業に関係深い神様であります。古来、日本人の人生儀礼として「お伊勢参り」と並んで東の出羽三山を「奥参り」と称して民衆の生活の中に深く根をおろしています。」

羽黒神社は、出羽三山神社より分霊されています。
碑には三社講の文字が確認できます。








(説明板)
「由来書
当羽黒神社の創建年代は不詳ですが山形県出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の出羽三山神社より分霊されております。明治二年(西暦一八六九年)の社寺取調書によりますと武蔵国豊島郡長崎村の一社であり、御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、農業や商業に関係深い神様であります。古来、日本人の人生儀礼として「お伊勢参り」と並んで東の出羽三山を「奥参り」と称して民衆の生活の中に深く根をおろしています。」


テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
下尾久石尊 三社供養塔 荒川区
〇下尾久石尊 荒川区東尾久6-31-2


(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
下尾久石尊
暦応(一三三八〜四二)の頃、しばしば起こる地震に、村人が不思議に思ってこの地を訪れたところ、地より二尺(約六十センチメートル)ばかりの異形な石が生えていたという。一名 「出世石尊」。石神と崇め、祀るようになったと伝える。文政十一年(一八二八)成立の『新編武蔵風土記稿』には「阿遮院持」と記載。天保十四年(一八四三)の書上帳には、境内二十五坪(約八十平方メートル)と記録されている。
この石尊を祀る講は「出世講」と呼ばれ、現在でも続けられている。石神信仰は関東周辺に広く分布しており、下尾久字石神といわれたこの周辺の字名も、これにちなんだものと思われる。
社殿左側の庚申塔には、元禄十一年(一六九八)十一月吉祥日の紀年銘がある。
荒川区教育委員会」

<三社供養塔>
明治14年の造立です。
よくみかける「大先達 大乗院」とあります。
湯殿山
月 山 三社供養塔 講中
羽黒山




<庚申塔>
元禄11(1698)年11月吉祥日の紀年銘がある庚申塔。
元禄十一戊寅年
奉供養庚申講為二世安楽也
十一月吉祥日」

<堂内>
扉の穴から内部を覗くことが出来ます。



○素盞雄神社
→出羽三山供養塔


(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
下尾久石尊
暦応(一三三八〜四二)の頃、しばしば起こる地震に、村人が不思議に思ってこの地を訪れたところ、地より二尺(約六十センチメートル)ばかりの異形な石が生えていたという。一名 「出世石尊」。石神と崇め、祀るようになったと伝える。文政十一年(一八二八)成立の『新編武蔵風土記稿』には「阿遮院持」と記載。天保十四年(一八四三)の書上帳には、境内二十五坪(約八十平方メートル)と記録されている。
この石尊を祀る講は「出世講」と呼ばれ、現在でも続けられている。石神信仰は関東周辺に広く分布しており、下尾久字石神といわれたこの周辺の字名も、これにちなんだものと思われる。
社殿左側の庚申塔には、元禄十一年(一六九八)十一月吉祥日の紀年銘がある。
荒川区教育委員会」

<三社供養塔>
明治14年の造立です。
よくみかける「大先達 大乗院」とあります。
湯殿山
月 山 三社供養塔 講中
羽黒山




<庚申塔>
元禄11(1698)年11月吉祥日の紀年銘がある庚申塔。
元禄十一戊寅年
奉供養庚申講為二世安楽也
十一月吉祥日」

<堂内>
扉の穴から内部を覗くことが出来ます。



○素盞雄神社
→出羽三山供養塔
テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
tag : 出羽三山
出羽三山信仰@東京都
東京都で見た出羽三山信仰の碑です。(以降追加あり)
【新宿区】
○ 湯殿山碑 成子富士(西新宿)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 坂東 西國 四國 88か所順拝 円照寺(北新宿)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 秩父 西國 坂東 巡拝供養 最勝寺(上落合)
【墨田区】
○ 月山 湯殿山 羽黒山 長命寺(向島)
○ 三輪里稲荷神社 (八広)
【江東区】
○ 出羽三山碑(砂村講中奉納) 富賀岡八幡宮(南砂)
○ 出羽三山碑(村井鍋次郎奉納) 富賀岡八幡宮(南砂)
【品川区】
○ 出羽三山供養塔(不詳) 西大井
【目黒区】
○ 行人坂 (下目黒)
○ 大圓寺 (下目黒)
【大田区】
○ 湯殿神社 湯殿神社(南馬込)
○ 出羽三山観音百番供養塔 路傍(南千束)
【世田谷区】
○ 羽黒山 湯殿山 月山 供養塔 奥沢神社(奥沢)
〇 出羽三山神社 太子堂(太子堂)
【杉並区】
○ 出羽三山百番供養塔 善福寺(路傍)
【豊島区】
○ 羽黒神社 (西池袋)
【北区】
○ 出羽神社 月山神社 湯殿山神社 十条富士神社(中十条)
○ 荒沢不動尊 荒沢不動尊(中十条)
○ 羽黒山 月山 湯殿山 柏木神社(神谷)
○ 巡拝塔(道標) 路傍(岩淵)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 供養塔 宝幢院(赤羽)
【荒川区】
○ 月山 湯殿山 羽黒山 大権現供養塔 素盞雄神社(南千住)
○ 湯殿山 月山 羽黒山 三社供養塔 下尾久石尊(下尾久)
【板橋区】
○ 出羽三山供養塔(供養塔3基) 南蔵院(蓮沼)
○ 出羽三山神社 徳丸北野神社(徳丸)
【練馬区】(別途 長命寺)
○ 出羽三山・百八十八ヶ所観音供養塔 路傍(上石神井)
○ 出羽三山 秩父 西國 坂東 供養塔 金乗寺(錦)
○ 出羽三山 秩父 西國 坂東 新四國 供養塔 金乗寺(錦)
○ 出羽三山百番供養塔2基 長命寺(高野台)
【足立区】
東部その1
○ 月山 湯殿山 羽黒山 大権現 路傍(足立)
○ 羽黒山 湯殿山 月山 西國 秩父 坂東 路傍(足立)
○ 月山 羽黒山 湯殿山 金華山 西之宮稲荷神社(足立)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 三所権現 辰沼稲荷神社(辰沼)
○ 三山講中奉納狛犬 大鷲神社(花畑)
東部その2
〇 月山 湯殿山 羽黒山 一ツ家稲荷神社(一ツ家)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 下谷中稲荷神社(谷中)
西部その1
○ 大日如来像 西新井大師(西新井)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 三所大権現 路傍(興野)
○ 出羽三山拝礼供養塔 路傍(鹿浜)
○ 羽黒山 月山 湯殿山 登山紀念 北野神社(江北)
西部その2
○ 湯殿山講中奉納手水舎 渕の宮氷川神社(東伊興)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 順礼供養塔 入谷氷川神社(入谷)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 浄光寺(古千谷)
〇 百観音出羽三山参詣記念巡拝塔 全学寺(古千谷)
西部その3
○ 月山 湯殿山 羽黒山 三山大権現 実相院(伊興)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 三所大権現 応現寺(伊興本町)
【葛飾区】
○ 月山 湯殿 羽黒 三山大権現 光増寺(東金町)
○ 湯殿山供養碑 浄慶庵(堀切)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 路傍(東四つ木)
○ 出羽三山供養塔道標 路傍(立石)
○ 出羽三山神社 川端諏訪神社(東立石)
○ 出羽三山神社 奥戸天祖神社(奥戸)
○ 出羽三山神社 路傍小社(新小岩)
【江戸川区】
○ 羽黒山 湯殿山 月山 供養塔 善養寺(東小岩)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 本一色石造道標(本一色)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 明福寺(江戸川)
【於竹大日如来(東京都)】
○ 於竹大日如来とは?
○ 史蹟 於竹大日如来井戸跡 小津本館(日本橋本町)
○ お竹大日如来水板 心光院(東麻布)
○ お竹大日如来墓 善徳寺(赤羽西)
【於竹大日如来(千葉県)】
○ 於竹大日如来供養塔 選擇寺(木更津)
※ 栃木の湯殿山碑については、こちらでまとめ済
湯殿山碑/白湯山碑めぐり
※ 湯殿山参詣については、こちらでまとめ済
「語られぬ 湯殿に濡らす 袂かな」
※ 芭蕉が語ってはいけないと言っているので詳細は語りませんが、湯殿山の御神体は「○○○」で、温泉好きの自分は感動しました。
東京都で見た出羽三山信仰の碑ですが、以下を手始めに探っていくと、意外の多さに驚いています。
○ 月山 湯殿山 羽黒山 三所大権現 供養塔 足立区興野
○ 月山 湯殿山 羽黒山 大権現 足立区足立
○ 三山講中奉納狛犬 大鷲神社(足立区)
○ 湯殿山講中奉納手水舎 渕の宮氷川神社(足立区)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 大権現供養塔 素盞雄神社(荒川区)
○ 湯殿山供養碑 浄慶庵(葛飾区)
○ 湯殿神社 大田区南馬込
○月山 湯殿山 羽黒山 三所大権現 供養塔 足立区興野2-30-1
<月山 湯殿山 羽黒山 三所大権現 供養塔>
興野西庚申堂の左手に、野ざらしで「月山 湯殿山 羽黒山」供養塔があります。天保12(1841)年5月の建立です。



<興野西庚申堂プチテラス>
庚申堂には「庚申塔(寛文十年銘)」(右)、「庚申塔(正徳四年銘)」(左)の2基の庚申塔があり、足立区登録有形民俗文化財です。





〇月山 湯殿山 羽黒山 大権現 足立区足立2-31路傍
「月山湯殿山羽黒山大権現」碑です。天保6(1835)年建立。先達大乗院と刻まれています。
渕の宮氷川神社の手水舎にも、「先達大乗院」と刻まれていました。





梵天棹奉納地で、梵天が奉納されています。
植木が多く置かれています、水やりのペットボトルも多く置かれています。



<庚申塔>
祠の中には足立区有形民俗文化財の庚申塔(安永九(1780)年銘)があります。青面金剛が二匹の邪鬼を足もとに踏みつけています。二匹の邪鬼は珍しいです。(庚申塔ではありませんが、コンドル像が二匹の邪鬼を踏みつけています。→こちら)
「修復記念」(昭和55年12月)の石板と不詳の供養塔があります。



一番右手は故人の供養塔、文久3(1863)年。


〇大鷲神社 足立区花畑7-15-1
<三山講中奉納の狛犬>
狛犬の奉納者は三山講中です。
奉納「壬文化九歳 申正月酉ノ日」奉納にあたって「酉」にこだわっています。
三山(月山・湯殿山・羽黒山)講中の奉納の石碑はよく見るところですが、狛犬の台座は初めて見ました。




〇渕の宮氷川神社 足立区東伊興2-12-4
<湯殿山講中奉納の手水舎>
水盤の願主は「湯殿山講中、先達・大乗院、大寿院・・」
文政2(1819)年の奉納です。
先達は大乗院とあります。
足立の「月山湯殿山羽黒山大権現」碑を奉納した講中の先達も大乗院でした。
大乗院は、出羽三山にあったと思われ、赤坂にあった修験道の大乗院の可能性はないようです。羽黒山山上の羽黒修験の30余ヶ院のひとつかと思いましたが、他に先達として刻まれている「正穏院」 「大寿院」は、30余ヶ院にありますが大乗院はありません。また明治維新時に廃仏毀釈で各寺院は廃されていますが、明治14年の出羽三山供養塔に「大先達 大乗院」と刻まれている碑もあり、廃仏毀釈の中でも続いています。出羽三山ではない近辺に東叡山御支配下の羽黒修験の寺として存在したようです。結論は得られていませんがキーワードとして「大乗院来迎寺」「清水大石田」が挙げられます。



○月山 湯殿山 羽黒山 大権現供養塔 荒川区南千住6-60-1 (素盞雄神社)
月山(左) 湯殿山(中) 羽黒山(右) 大権現供養塔。
文政十年と刻まれています。人名は小林治左右衛門、小林仁右衛門が見えます。



〇湯殿山供養碑 葛飾区堀切6-30-24(浄慶庵)
浄慶庵は、正王寺所属の庵室です。 荒綾八十八ヶ所霊場の掛番札所です。
逆修供養の湯殿山供養碑があります。葛飾区有形登録文化財となっています。







他に、葛飾区有形民俗文化財「明暦2年銘庚申塔」があります。



〇湯殿神社 大田区南馬込5-18-7
出羽三山信仰の湯殿神社が馬込にあります。東京都の北部以外の南部にあり、珍しい。崖の上に本殿があり、湯殿神社らしい立地です。
<庚申塔/地蔵>
鳥居脇に、
・青面金剛立像 宝暦12(1762)年9月。
・観世音菩薩半跏像 寛文6(1667)年。
・地蔵菩薩像2体





<大銀杏>
鳥居の先に2本のイチョウの大木があります。



<狛犬>
参道の階段を登ると狛犬。
狛犬(大正10(1921)年4月奉納)は子連れです。





<社殿>


<本殿>
一段高いところに本殿があります。


<境内社>
詳細不明。



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