塩原太助翁記念公園/太助の郷(みなかみ町)


○塩原太助翁記念公園 みなかみ町新巻甲479

 渋沢栄一揮毫の原書が4月から公開されているので、沼田市の米山の湯での入浴とセットで行ってきました。
 塩原太助翁記念公園には「塩原太助翁之碑」(渋沢栄一揮毫)、「塩原太助と愛馬あお別れ之像」、「賓物庫」、「報徳太助神社」、「生方太吉顕彰胸像」があります。

DSCN9684.jpg

DSCN9685_202111040912303aa.jpg

DSCN9686_2021110409123292e.jpg

DSCN9682_202111040912330e9.jpg

DSCN9653_20211104091235ba5.jpg


<報徳太助神社> みなかみ町新巻甲479

 塩原太助翁を祀り、立身出世、商売繁盛の神様として崇敬されています。拝殿と奥に本殿があります。

DSCN9627_20211104091430cd9.jpg

DSCN9628_2021110409143198a.jpg

DSCN9629_20211104091433a93.jpg

DSCN9630_20211104091434b45.jpg

DSCN9635_20211104091435612.jpg

DSCN9632_2021110409143742c.jpg


<石祠>

 左手奥に石祠が3つ並んでいます。立派な燈籠が2基あります。

DSCN9633a.jpg

DSCN9633b.jpg


<庚申塔>

 大勢至菩薩碑、庚申塔、石祠2基があります。

DSCN9634_2021110409190128d.jpg


<地蔵>

 地蔵の左の石碑には、
 「石垣寄附者
   生方太吉殿
   原澤佐太雄殿」とあります。

DSCN9687_20211104091902180.jpg

DSCN9687a.jpg


<塩原太助翁小伝>

 「塩原太助翁小伝」と題した説明板が建っています。

(説明板)

「 塩原太助翁小伝
 塩原太助は寛保三年二月三日に生まれ、幼名は彦七、父は塩原角右衛門、母は「とめ」と云いました。
 或る日江戸に出て、身を立て、家を興そうと父に願いでたが許されず、ついに、或る朝未明に草刈に出かけるように装って日頃飼いならした愛馬「あお」を引いて家を出ました。
 この時「あお」をつないで別れた(別れの松が香才ヶ原にあります)時に宝暦十一年八月二十日途中榛名の御師の山本坊に寄り僅かばかりの旅銀を借り受け江戸に出ました。
 (太助十九歳の時でした)
 江戸に出ても奉公口を探すことが出来ず、ついに思い迫って死のうと決心し、神田昌平橋から身を投げようとしました。その刹那「早まるな」と後ろから抱き止めてくれた人が炭商山口屋善右衛門であります。太助はここで奉公を続け、朝は星を戴いて起き、夜は人声の鎮まるのをまって寝ました。他の奉公人の休む暇には穿き古しの、はき物の鼻緒などをすげ替えておいて俄の場合の役に立たせ落ち散ってある縄屑などは拾い溜めておいて炭俵のつくろいなどに使いました。
 この様にして、奉公人の鑑とまで感心される様になりました。また翁は山口屋に奉公して5年目に、翁が毎日炭荷を積んだ車を引いて通る湯島無縁坂の改修、晩年、中山村の反峠に渋茶の接待所、伊香保より榛名神社に通ずる、天神峠に常夜燈を建て往来の者の便を計りました。
 この様にして公益事業に巨費を投じたのです。
 翁は山口屋に奉公したのが、実に、二十三年、その間、まめまめしく良く勤めついに本所相生町に店を構え巨万の富を築き公儀のお金御用を勤める身分となって、「本所にすぎたるものが2つあり津軽大名、炭屋塩原」と云われる様になりました。
翁は文化十三年閏八月十四日七十四歳で没せられました。
  塩原太助翁生誕二五○周年記念事業実行委員会」

DSCN9654.jpg


<塩原太助翁之碑>

 見上げる大きな石碑です。碑の左には「子爵澁澤榮一書」とあり、下に雅号「青淵」の落款があります。記念碑の裏にもビッシリと漢文で文字が彫られています。
 昭和3(1928)年4月25日に紀念公園の開園式と紀念碑の除幕式が行われ、渋沢栄一は風邪で自宅療養中、渋沢敬三が出席し渋沢栄一の祝辞を寄せています。

(説明板)
「塩原太助翁の記念碑
 この記念碑は、郷土の偉人塩原太助翁の遺徳を後世に伝えるために、生方太吉、原澤裕治郎、塩原祐太郎の三名が発起人となり塩原太助翁記念公園が一九二五年(昭和元年)に完成しました。
 後に記念碑(昭和三年除幕式)を設置する際、碑の揮毫を子爵渋沢栄一に依頼したところ、子爵はこれを快諾し、当時八十五歳という高齢ながら縦5m、横2mの和紙に大作を揮毫されました。
 この原書は二○一五年(平成二十七年)に偶然発見され「太助の郷」に保存してあります。
  塩原太助翁遺跡保存会」
 (1925年は昭和元年ではなく大正14年です。どちらが正しいのか?)

DSCN9638_20211104092442cce.jpg

DSCN9640_20211104092443f80.jpg

DSCN9639_202111040924455d9.jpg

DSCN9650_202111040924467df.jpg

DSCN9637_20211104092448ae6.jpg


<塩原太助と愛馬あお別れ之像>

 生誕250周年記念事業で作られたもので「平成6年11月22日建立」です。哀愁漂う銅像です。

DSCN9641_20211104092713837.jpg

DSCN9652_20211104092714948.jpg

DSCN9642_2021110409271633b.jpg

DSCN9643_20211104092717249.jpg

DSCN9646_202111040927199eb.jpg

DSCN9647_202111040927205a3.jpg

DSCN9644_20211104092722a9d.jpg

DSCN9649_2021110409272365c.jpg


<宝物庫>

 扉の左右には、「塩原翁建碑賛助会芳名」として名前が彫られています。

DSCN9661_202111040930079fc.jpg

 右上から、
  内閣総理大臣 若槻禮次郎 
  大蔵大臣 濱口雄幸
  陸軍大臣 宇垣一成
  海軍大臣 財部彪
  外務大臣 幣原喜重郎・・・以下続く
  子爵渋沢栄一・・・以下続く

 さらに「衆議院議員 生方大吉」の名前が見えます。
 胸像の生方太吉氏の長男が衆議院議員だった生方大吉氏(1882(明治15)年~1964(昭和39)年)です。
 父の太吉の遺志を継いで、塩原太助の顕彰に携わり、1964(昭和39)年に報徳太助神社を創建しています。

DSCN9663_202111040930098a5.jpg

DSCN9665_20211104093011d15.jpg

 扉の左には「貴族院議長徳川家達」「男爵大倉喜八郎」の名もあります。

DSCN9664_202111040930124c2.jpg

横にもあるよの声に、横も見る。すると、裏にもあるよの声に裏も見る、
 向こう側にもあるよとの声に右側面も見る。
 寄付者名と金額が記されていました。若槻禮次郎と徳川家達が一番多いです。

DSCN9661b.jpg


<渋沢栄一揮毫の原書>

 宝物庫を掃除していて、天井にあるのは何だろうと調べたら渋沢栄一の原書だったそうです。
 記録によると、書き上げたのが1925(大正14)年、渋沢翁が85歳の時だったそうです。
 高齢だからか最初は断られ、7回頼みに行ってようやく揮毫してもらったそうです。

<生方太吉翁顕彰胸像>

 「昭和五十三年四月二十五日建之」の「生方太吉翁顕彰胸像」です。
 像裏の記銘によると、生方太吉(安政2年~昭和17年)は、実業家で、利根銀行創立者。大正14(1925)年「塩原太助遺跡保存会」設立の中心人物です。

DSCN9660_20211104093444eb6.jpg

DSCN9662_20211104093445adb.jpg

DSCN9658_2021110409344756d.jpg

DSCN9657_20211104093448f58.jpg

DSCN9656_20211104093450721.jpg


「胸像建設記念樹 第六十七代内閣総理大臣 福田赳夫」

 像の除幕式には、福田赳夫氏も参列し、記念植樹をしています。

DSCN9667_20211104093556be5.jpg

DSCN9666_20211104093557f32.jpg

※ 宝物庫の芳名を見ていたら、選定作業中の方に話しかけられ、最近の人は知らない人ばかりなので芳名を見る人はいないけど渋沢栄一やら当時の蒼々たる人たちの名前があるとのことで、渋沢栄一の原書を宝物庫で発見した時の話や、生方太吉や生方大吉の逸話についてお教えいただきました。
  色々とお詳しいと思ったら、元衆議院議員生方大吉の甥だそうで、新治村議とみなかみ町議を三期務めた方。88歳とは思えぬタフさで、選定作業をされていました。公園は老人クラブが管理していますが、みなさん高齢で、生方さんがお一人で選定をしているそうです。作業中にもかかわらず色々とお教えいただき感謝しております。


○太助の郷 みなかみ町新巻497

 太助の郷に、農産物直売所と右隣に塩原太助記念館があります。

DSCN9626_20211104094214b3b.jpg

DSCN9683_202111040942153b1.jpg


<農産物直売所>

(説明板)
「太助物語
 塩原太助(一七四三~一八一六)は新治村下新田の農家に生まれ、幼くして両親を亡くした。一九歳の時、継母の仕打ちの辛さに耐えかねて江戸へ出て炭屋に奉公した。
 二十二年間、「奉公人の鏡」と称されるほど勤勉に働き、後に独立して成功。晩年は多額の私財を公益事業に投じた。
 太助が世に広く知られるようになったのは、明治時代の初めに落語家の三遊亭円朝が、人情噺「塩原太助一代記」を世に出し、当時の人々を感動させた。なかでも太助が幼い頃から飼い慣らした愛馬「あお」を松の枝につなぎ江戸に旅立つ別れの場面は多くの人々の涙を誘った。」
(註:文中、正確には「塩原多助一代記」)

DSCN9681_20211104094349501.jpg

DSCN9671_202111040943517cb.jpg

DSCN9668_2021110409454248b.jpg

DSCN9669_20211104094544983.jpg

DSCN9670_20211104094545ce1.jpg

DSCN9670a.jpg

DSCN9670b.jpg


DSCN9680_2021110409482956c.jpg

DSCN9676_202111040948316ff.jpg

DSCN9677_20211104094832138.jpg

DSCN9673_20211104094834f9b.jpg

DSCN9673b.jpg

DSCN9674_202111040948379c7.jpg


<経緯まとめ>

・大正12(1923)年
 生方太吉が中心となり渋沢栄一に建碑の揮毫を依頼。渋沢栄一は快諾、後日揮毫することとする。発起人を快諾、200円を寄附。
 栄一は大倉喜八郎翁と安田翁を紹介、両翁からも寄附を得る。
・大正14(1925)年
 生方太吉らは、2月10日渋沢栄一に塩原太助翁の碑の揮毫を依頼、翌11日に栄一が揮毫。
・昭和 3(1928)年
 塩原翁紀念公園の開園式と塩原太助翁の碑の除幕式が行われる。渋沢敬三が出席する。
・昭和39(1964)年
 「報徳太助神社」が生方太吉の長男である生方大吉により建立。
・昭和53(1978)年
 「生方太吉翁顕彰胸像」建立。
・平成 6(1994)年
 「塩原太助と愛馬あお別れ之像」建立。生誕250年記念。
・平成27(2015)年
 渋沢栄一揮毫の原書を宝物庫で発見。太助の郷にて保存。
・令和 3(2021)年 渋沢栄一揮毫の原書を修復し一般公開となる。
(碑文や渋沢栄一記念財団の伝記資料などを参照しました。)


(参考)
【東京の塩原太助関連】
 ・ 塩原太助炭屋跡(両国)
 ・ 塩原橋の由来(両国)
 ・ 塩原太助奉納の石燈籠(亀戸天神社)
 ・ 塩原太助の墓(東陽寺)

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 塩原太助渋沢栄一大倉喜八郎銅像三遊亭円朝

米山の湯で入浴(群馬県沼田市)

○米山の湯(米山温泉旅館) 沼田市白沢町下古語父1300-1 0278-53-2501

 昭和の時代から時間が止まっている温泉宿が「米山(こめやまと読む)の湯」(米山温泉旅館)です。
 観光客の入浴はなく、じゃらんの日帰り利用がぽつぽつ、地元の人が入りに来るだけとのこと。スキー客や新幹線の工事やらで賑わったものの、現在は周りの宿はみんなやめてしまったとのことで、米作りの農家なので、かろうじて残ったとのことです。
 米山の湯は古くからの鉱泉で、以前は新聞にも取り上げられたとのこと。以前は薪で沸かしていたそうですが、薪ボイラーの調子が悪く、現在は石油だそうです。
 地元客の利用がメインで、近くの道の駅には日帰り温泉の情報が多々の中、ここの情報はありませんでした。
 米山の湯がある旧白沢村は、2005(平成17)年に利根村とともに、沼田市に編入されています。

<米山の湯への道>

 表側から入れば案内看板があります。県道64号(奥利根ゆけむり街道)の「道の駅川場田園プラザ」手前に最初の案内看板があります。
 案内看板には「武尊山麓 秘湯 日帰り 宿泊 入浴 米山の湯旅館」とあります。
 案内看板の先100mを右折し、最初の「米山の湯」の街灯のある三叉路を左折します。

DSCN9736_20211104095841c52.jpg

DSCN9737_20211104095842c69.jpg

DSCN9734_20211104095844ca7.jpg

DSCN9735.jpg

 米山の湯の入口には、看板が出ています。

DSCN9688_202111040958472af.jpg

DSCN9730_20211104095848999.jpg

DSCN9689_20211104095850ba9.jpg

DSCN9690_20211104095851493.jpg


 案内看板や「駐車禁止 白沢村長」の掲示は、昭和の時代から時間が止まっているかのようです。

DSCN9725_2021110410021525b.jpg


 入口周辺には、太鼓橋のある石祠や、庚申塔などがあります。

DSCN9731_20211104100318a87.jpg

DSCN9728_20211104100320021.jpg

DSCN9729_20211104100321ed0.jpg


 宿への専用道を進みます。Google mapや国土地理院に掲載のない道です。右手に小山があり、小川が流れています。

DSCN9732_20211104100450ec1.jpg

DSCN9691_2021110410045238d.jpg


<米山の湯(米山温泉旅館)到着>

 突き当たりに米山の湯(米山温泉旅館)。民家のような玄関です。

DSCN9733_2021110410063078b.jpg

DSCN9692_20211104100632d03.jpg

DSCN9724_202111041006335fc.jpg

DSCN9693_20211104100635aa1.jpg

DSCN9694_202111041006367e2.jpg

DSCN9695_20211104100638319.jpg


<望郷ラインからの入路>

 望郷ラインから入ると、鉱泉貯湯タンクの手前に下りていく案内のない細道があり、サバゲーフィールトの横、宿の裏手の雑踏を抜けると、宿の横手の駐車場に出ます。

DSCN9727_20211104095550c24.jpg


<館内>

 人がいないので電話すると、調理場の黒電話が鳴っていました。誰も来ないです。
 廊下を進み人声のする大広間に行くと、地元民が料理をつついて歓談会を行っています。
 いらっしゃい、おかみは外に出ていてもうじき戻るから、先にお風呂入ってなさいとのこと。

DSCN9696_2021110410083314e.jpg

DSCN9697_20211104100835e5f.jpg

休みの日や貸切の日の掲示があります。
DSCN9699_20211104100837888.jpg

DSCN9701_20211104100838345.jpg

 電話すると厨房に黒電話が鳴っています。ほぼ厨房におられるようです。
DSCN9706_20211104100840082.jpg


<新聞記事>

DSCN9705_20211104100947339.jpg


<浴室>

 浴室は1か所のため、男女で入れ替えです。内湯と洗い場が左右に2か所です。
 鉱泉は加温循環、茶色を予想するも、無色透明に茶色の湯花。遅い時間帯は茶色になるかも。
 大きな地震があったら落ちてこないかと心配になる天井です。

DSCN9700_202111041014408bd.jpg

DSCN9704_2021110410144140f.jpg

DSCN9707_202111041014432db.jpg

DSCN9710_20211104101444c20.jpg

DSCN9715_202111041014462ce.jpg

DSCN9712_2021110410144714b.jpg

DSCN9714_20211104101449cbc.jpg

DSCN9709_202111041014508c5.jpg

DSCN9711_202111041014525ab.jpg

DSCN9716_20211104101453a81.jpg

 窓から駐車場が丸見えです。
 女将さんが戻ってきて、駐車場から話しかけられます。遅くなってゴメンナサイね。
 村の人が留守番しているから行っておいでと言うのでお願いしちゃったとのことでした。


<休憩室>

 休憩室で、採り立てで甘みがあって美味しいからと、枝豆をいただきました。甘い枝豆でした。お茶も出され、みかんも出てきました。ありがとうございます。

DSCN9723_20211104102048e6f.jpg

DSCN9722_2021110410204936a.jpg

テーマ : 日帰り温泉 - ジャンル : 旅行

温泉農家民宿はしば

○温泉農家民宿はしば みなかみ町猿ヶ京温泉1093 0278-66-0153
 8:00-18:00(最終受付17:00) 550円
 HP:http://hashiba-onm.sakura.ne.jp/

 国道17号線に面した猿ヶ京交差点の角が土産屋、その奥が民宿です。
 土産屋には、足湯がありますが湯は張られていませんでした。
 温泉は準備中の看板ですが、聞いてみると「大丈夫ですよ。」
 550円を支払いポイントカード(スタンプ5つで1回入浴無料)を受け取ります。
 次回半額のサービスは終了しています。

DSCN8453_20201128025755d7d.jpg

DSCN8370_2020112802575753f.jpg

DSCN8452_20201128025758aec.jpg

DSCN8447_202011280258000e4.jpg

DSCN8450_20201128025801e7a.jpg

DSCN8489.jpg


<民宿入口>

 初めて見る「純温泉協会」のステッカー。
 後から調べたら2019年5月に山口貴史氏が設立したのが「純温泉協会」です。

DSCN8461_2020112803012993d.jpg

DSCN8462_2020112803013130e.jpg

DSCN8462b.jpg


 玄関先に昭和37年の分析書が置かれています。
 古いなぁと思うも、脱衣所内には令和2年7月の真新しい分析書が掲示してありました。
 玄関入ってすぐ真前が男湯、廊下を進んだ奥が女湯です。

DSCN8466.jpg

DSCN8465_202011280303123d0.jpg

DSCN8490_20201128030313b30.jpg


<脱衣所>

 なぜか洗面所に落葉が落ちています。

DSCN8467_2020112803045396a.jpg

DSCN8472_20201128030454bac.jpg

DSCN8471_20201128030456717.jpg

DSCN8468.jpg     


<分析書>(令和2年7月20日発行)

 真新しい分析書です。2源泉の貯湯槽オーバーフロー管より採水の分析です。
 源泉名「猿ヶ京源泉1号井戸・同2号井戸混合泉」
 カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)
 泉温53.7℃ pH7.8 カルシウムイオン222.6mg 硫酸イオン471.9mg 成分総計1.33g
 湧出地 1号井戸 みなかみ町相俣2644-1
      2号井戸 みなかみ町猿ヶ京温泉字宮野1211-2
 申請者:有限会社赤岩湖遊船
 (純温泉協会サイトより 湧出量620L(分湯量27L) 引湯距離約1000m 宿に貯湯槽なし) 
  ※1号井戸の湧出地は赤岩湖遊船の会社所在地、2号井戸はその近くです。

DSCN8469_20201128030702749.jpg

DSCN8475_202011280307048f7.jpg

DSCN8470_20201128030705083.jpg    


<温泉利用状況>

 加水なし、加温なし、循環ろ過なし、消毒なし。パーフェクトです。


<浴室>

 内湯のみ、広い窓から陽光がはいってきて浴室内はとても明るいです。
 湯口は白い析出の結晶物でコテコテに覆われています。
 完全掛け流しで、ホースで加水もできますが適温で必要ありませんでした。
 終始貸し切り状態で、のんびりしました。

DSCN8484_20201128030952a7c.jpg

DSCN8487.jpg

DSCN8485_2020112803095576c.jpg

DSCN8478_2020112803095653d.jpg

DSCN8479_20201128030958311.jpg

DSCN8486_2020112803095963f.jpg

テーマ : 日帰り温泉 - ジャンル : 旅行

猿ヶ京区湯の町共同浴場

〇猿ヶ京住民センター猿ヶ京区湯の町共同浴場 みなかみ町猿ヶ京温泉 6:00ぐらいかな~夜 

 「猿ヶ京住民センター」の木の看板がかかっています。地域住民の方々の公衆浴場があります。

DSCN8433_20201128023257d98.jpg

DSCN8388_202011280232584b1.jpg


 正面玄関脇には「関係者以外立ち入り禁止」の掲示があります。

DSCN8432_2020112802330014f.jpg

DSCN8390_20201128023301448.jpg


 玄関を開けると「会員以外の方も入浴いただけます 大人300円 小学生以下100円」の案内と、
 料金箱が設けられています。300円投入して、手指を消毒します。

DSCN8393_202011280233037a5.jpg

DSCN8430.jpg


<湯の町共同浴場補修工事>

 平成9年9月の補修工事の寄付者が掲示されています。
 共同浴場の名称は、湯の町共同浴場となっています。

DSCN8428_20201128023306413.jpg

DSCN8429_20201128023307926.jpg


<温泉許可証/レジオネラ属菌検査結果>

 玄関にあった温泉許可証(平成17年)とレジオネラ菌検査結果(平成20年)を見ると、
 所在地の住所の地番が異なっています。
 共同浴場名は、「猿ヶ京住民センター共同浴場」と「湯の町共同浴場」と記載されていました。
 温泉許可証の許可先の猿ヶ京区長の住所を見ると「農家民宿はしば」です(こちらも寄りました)。
 (住所がネットで見る限り記載されていないので、住所が記載されている書類は省略しました)


<脱衣所>

 脱衣所に入ります。左手女湯、右手男湯。

DSCN8427_20201128023759e0f.jpg

DSCN8426_202011280238006ce.jpg

DSCN8423_2020112802380271b.jpg

DSCN8419.jpg


<分析書>(平成14年11月8日分析)

 源泉名「共有泉湯島」
 湧出地「新治村大字相俣字手道甲1911」
 猿ヶ京ホテル、長生館、まんてん星の湯(&湯島オートキャンプ場露天風呂)で使用されている源泉。
 平成14年より新しい分析書が出回っているので、分析書記載内容は省略します。

DSCN8425_20201128023954aea.jpg


<温泉利用状況>

 加温なし、加水なし、循環ろ過なし、塩素なし。パーフェクトです。

DSCN8401b.jpg


<浴室>

 浴室は天井が高く木材で組まれた湯気抜きです。

DSCN8415_202011280243192b9.jpg

DSCN8405_2020112802432019e.jpg

DSCN8421.jpg

DSCN8416.jpg


 タイルの浴槽も味があります。
 熱いのに慣れたのか、加水せずに入っても心地よかった。

DSCN8422_20201128024655aa6.jpg

DSCN8420.jpg

DSCN8407_20201128024658c81.jpg

DSCN8403_20201128024700648.jpg

DSCN8410_20201128024701012.jpg

DSCN8409_20201128024703e45.jpg

DSCN8413_2020112802470478a.jpg

DSCN8406_20201128024706ecd.jpg

DSCN8418.jpg

 
 よそ者ですが、地元の方々は親切でした。地元民の利用が多い共同浴場との印象を受けました。朝は何時からやっているのか聞いたら6時ぐらいかなぁ。良い湯だろと(ハイ!)みなさんご自慢の湯です。共同湯を維持していくのに掃除当番も大変とのこと。「ごゆっくりどうぞ~」と皆さん毎日入っているからか、入浴時間が短い。熱めでしたがゆっくりと一番長湯しました。


<貯湯タンク>

 目の前にある貯湯タンクが源泉地かと思われがちですが、湧出地の住所を見ると違います。
 給湯事業と旅館への分湯タンクといったところでしょうか。

DSCN8377_20201128024942c6f.jpg

DSCN8387_20201128024944dbc.jpg

DSCN8391_20201128024945268.jpg

テーマ : 日帰り温泉 - ジャンル : 旅行

猿ヶ京温泉の手湯

○猿ヶ京温泉の手湯

 猿ヶ京温泉に手湯が3つあり、それぞれ民話の説明板が掲げらています。
 設置されたのは2010年で、湯受けの縁は温泉らしく鉄分で色づいています。


 <いたちの湯> みなかみ町猿ヶ京温泉1142-4

  さかえや洋品店の前に「いたちの湯」(手湯)。
  隣の仁田屋は町有1号泉の掛け流し(日帰り600円)。

DSCN8371_202011280213296ab.jpg

DSCN8365_20201128021327c24.jpg

DSCN8367_202011280213299c7.jpg


 <河童の湯> みなかみ町猿ヶ京温泉「まんてん星の湯」駐車場

  まんてん星の湯第1駐車場の入口脇に「河童の湯」(手湯)。

DSCN8386_20201128021618949.jpg

DSCN8382_20201128021620b23.jpg

DSCN8384_20201128021621b57.jpg

DSCN8383_20201128021622a94.jpg

DSCN8378.jpg


 <阿部鳩雨の歌碑>

  河童の湯の横に歌碑があります。
  「山の温泉にかよう峡路は夏ながら秋草咲けりその路の辺に」
  説明板には、旧新治村出身の歌人・阿部鳩雨とあります。

DSCN8379_20201128021818083.jpg

DSCN8381_202011280218208d5.jpg

DSCN8380_20201128021821639.jpg


 <きつねの湯> みなかみ町猿ヶ京温泉253猿ヶ京温泉多目的集会所

  多目的集会所の脇に、「きつねの湯」(手湯)。
  3か所の中でも熱く、手を入れらず、缶コーヒーを入れて温めました。
  しっかり掃除をされている様子で、ブラシとスチールウールが置いてありました。
  スチールウールでゴシゴシやっているためでしょう、他の手湯と見た目が異なります。

DSCN8441_2020112802204349c.jpg

DSCN8437_20201128022045c09.jpg

DSCN8435.jpg

DSCN8443_20201128022047677.jpg

DSCN8442.jpg

DSCN8436_20201128022050133.jpg


  多目的集会所の入浴は17:00-21:30。遅くからの開湯なので未湯です。

DSCN8438_202011280222426e6.jpg

DSCN8439_20201128022244e20.jpg

DSCN8444_20201128022245b2c.jpg

テーマ : 日帰り温泉 - ジャンル : 旅行

カウンター
プロフィール

ほっと湯Web

Author:ほっと湯Web

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
08 | 2023/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索フォーム
リンク
カテゴリ
北 (9)
タグリスト

全記事タイトル表示

全ての記事を表示する

Japanese→English
English
♥. ♠. ♣Alice
QRコード
QR