井上安治の墓(川越)

○井上探景(安治)ノ墓 川越市末広町2-4-2 行傳寺墓地

 小江戸温泉 KASHIBA で入浴前に、井上安治さんの墓参りです。

 小林清親の弟子、井上安治(探景とも号す)は光線画を継承しましたが、26歳で亡くなり、墓所は浅草にありましたが、昭和4(1929)年に父親の出身地である川越に移されました。
 小林清親はその早すぎる死を悼み、「つえ折れて ちからなき身や 萩の枝」という手向けの句を霊前に供えました。
 (参考)小林清親の墓については、こちらで記載しています。

 「井上家累代之墓」の脇に、「井上探景ノ墓」と刻まれています。

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○行傳寺 川越市末広町2-4-2

 井上安治の墓がある行傳寺は、賑わう蔵造りの街並みから石畳の参道が続き、山門に至ります。
 行傳寺は観光の寺ではないので、建物内への拝観は出来ません。

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 注意書があります。
 「浄域 内外倶浄 山内に公共の施設道路はありません
  無断駐車 勝手な振る舞い 犬を連れ入る《禁止》」
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 「STOP KEEP OUT 参拝以外の立入お控え下さい WORSHIPPER ONLY」
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 鐘楼がないのは、「時の鐘」が焼失した際、行傳寺の鐘を貸し出し、変遷を経て、浄心寺(江東区平野)にあります。
 (カワゴエールを参照しました。浄心寺については、こちらで記載済です。)

(参考)浄心寺の鐘楼

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(説明板)
「日蓮宗行傳寺
 徳治元年(一三〇六)に開かれた法華道場の小庵を前身とし「大本山池上本門寺」「本山鎌倉妙本寺」の両山 第四世大鷲妙泉阿闍梨日山上人の教化を受けた豪族上田氏一門の丹精で 永和元年(一三七五)【朝田山行傳寺】と号し開創、開基日山上人の後継には両山第八世の大運阿闍梨日調上人 以後も代々名僧知識が住職になり 法燈連綿と今日に至る 創建の地は諸説あり、天文年間に川越城一郭の松郷に所在 元和五年(一六一九)地域の大火で類焼に及び堂宇伽藍悉く烏有に帰し 現在地へ移転 文化九年(一八一二)現本堂建立 『良質な欅材を用いた見事な建造物』と寺院建築の諸氏も称賛、由緒伝統を示す什宝あまた格護《通常非公開》」

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tag : 小林清親井上安治川越

喜多院(国重文)

○喜多院 川越市小仙波町1-20-1 HP

  客殿、書院、庫裏、慈眼堂、鐘楼門、山門は、国の重要文化財に指定されています。

(案内図)
「国指定重要文化財
 川越大師 喜多院案内図
 伝説によるとその昔仙波辺の漫々たる海水を仙芳仙人の法力によりとり除き尊像を安置したというが、平安時代、天長七年(八三〇)淳和天皇の勅により慈覚大師が創建された勅願寺で本尊阿弥陀如来を祀り無量寿寺と名づけた。その後鎌倉時代、元久二年(一二〇五)兵火で炎上の後、永仁四年(一二九六)伏見天皇が尊海僧正に再興せしめられたとき、慈恵大師(厄除元三大師)を勧請して官田五十石を寄せられ関東天台の中心となった。正安三年(一三〇一)後伏見天皇は星野山(現在の山号)の勅額を下した。更に室町時代、天文六年(一五三七)北條氏綱、上杉朝定の兵火で炎上した 江戸時代、慶長四年(一五九九)天海僧正(慈眼大師)が第二十七世の法統をつくが、同十六年(一六一一)十一月徳川家康公が川越を訪れたとき寺領四万八千坪及び五百石を下し、酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改め、四代家綱のとき東照宮に二百石を下すなど大いに寺勢をふるった。寛永十五年(一六三八)一月の川越大火で現存の山門を除き堂宇はすべて焼失した。そこで三代将軍家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して客殿、書院等に当てた。家光誕生の間、春日局(家光公の乳母)の間があるのはそのためである。その他慈恵堂(本堂)、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神礼などの建物を数年の間に再建し、それらか今日文化財として大切に保存されているのである。
 江戸時代までは寺領四万八千坪、七百五十石の幕府の御朱印地として寺勢をふるったが、明治以後財力の欠如とその広さ・大きさのため荒廃に向かった。戦後文化財の指定とともに昭和大復興にとりかかり関係者の並々ならぬ努力によってその主な建造物の復元修理が完成し、それら偉観は、盛時を偲ばせるまでになった。しかし未だ完成しないところもかずあり今日までその整備事業は継続して行われている。
 現在の境内地は東照宮を含めて一万四千坪あり、今日その緑は市民にとって貴重な憩いの場となっており池や掘をめぐらした景勝はそこに点在する文化財群とともに川越随一の名勝地霊場地として名高く厄除元三大師のお参りとともに四季を通じて史跡を訪れる人々がいつも絶えない。
 一月三日の厄除初大師のご縁日には家内安全、厄除等の護摩祈願、また境内には、名物だるま市が軒をつらねて立ち並び、又二月三日の節分会、四月の長日護摩講の行事をはじめ毎日護摩供を奉じて所願成就の祈願を厳修している。
 文化財の拝観ができ、最近では毎年五月の連休の一週間宝物特別展も開かれている。
  喜多院 川越市教育委員会」

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<慈眼大師天海像>

 山門右手。

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(説明板)
「天海大僧正(1536~1643)
 喜多院喜多院第27世住職であり、会津高田(現 福島県会津美里町)出身、江戸時代初期、喜多院を復興しました。
 将軍徳川家康公の信頼あつく、宗教政策の顧問的存在として助言を行い、将軍も度々、川越城また喜多院を訪れています。
 108歳で遷化(亡くなる)後、朝延より「慈眼大師」の称号を賜りました。」

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<白山権現>

 山門右手。

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<山門>(重文)

 山門は、寛永9(1632)年、天海僧正による建立です。

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(説明板)
「重文・建造物 山門 県指定・建造物 番所
 山門は四脚門、切妻造で本瓦葺もとは後奈良天皇の「星野山」の勅額が掲げられていた。冠木の上の斗供に表には龍と虎、裏に唐獅子の彫り物があるほか装飾らしい装飾もないが、全体の手法が手堅い重厚さを持っている。棟札も残っており、天海僧正が寛永九年(一六三二)に建立したもので同十五年の大火を免れた喜多院では最古の建造物である。
 山門の右側に接続して建っているのが番所で間口十尺(三・○三m)・奥行二間半(四・五五m)、起屋根・瓦葺の小建築で、徳川中期以降の手法によるもので、県内に残る唯一棟の遺構である。
  平成二年二月 埼玉県教育委員会 川越市教育委員会」

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<石燈籠>

 山門入って左手傍の「惇信院殿 尊前」寶暦十一(1761)年六月十二日奉献の石燈籠。

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<鐘楼門(重文)>

 元禄15(1702)年の建立。

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<慈恵堂(本堂)>

 寛永16(1639)年建立の慈恵堂(本堂)。

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<苦ぬき地蔵尊>

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<庫裡前石燈籠>

 庫裡前の植栽の中に石燈籠が2基あります。
 寛永15(1638)年の川越大火により山門を残し喜多院はほぼ全焼し、徳川家光は堀田正盛に命じて再建に着手した際、客殿・書院及び庫裏は、江戸城紅葉山の御殿を解体して喜多院に移築しました。このため、書院に「春日局化粧の間」があります。

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 「大猷院殿尊前」向かって右手

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 「文恭院殿尊前」向かって左手

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<大黒堂>

 慈恵堂の右側に大黒堂があります。

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<慈眼堂>(国重要文化財)

 慈眼堂は慈眼大師天海僧正を祀る御堂で、天海僧正が亡くなった3年後の天保2(1645)年に、徳川家光の命により建てられました。古墳の上に建っています。

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(説明板)
「重要文化財・建築物
 慈眼堂
 天海僧正は寛永二十年(一六四三)十月二日寛永寺において入寂し、慈眼大師の謐号をおくられた。そして三年後の正保二年(一六四五)には徳川家光の命によって御影堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置されたのが、この慈眼堂である。一名開山堂ともよび、桁行三間(五・四五m)、梁間三間で、背面一間通庇付の単層宝形造、本瓦葺となっている。宝形造は、四方の隅棟が一ヵ所に集まっている屋根のことで、隅棟の会するところに露盤があり、その上に宝珠が飾られている。
  平成三年三月  埼玉県教育委員会 川越市教育委員会」

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<歴代住職墓所>

 慈眼堂の後ろに歴代住職の墓所があります。中央に「南无慈眼大師」と刻まれた大きな石碑が立っています。

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 奥に「暦応の古碑」と「延文の板碑」の古い石板碑があります。

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(説明板)
「県指定・史跡 暦応の古碑
 暦応の古碑として指定されているが、その実は「暦応□□□□□月十五日」の銘のある板石塔婆で、上部に弥陀の種子キリークを刻し下半部に五十二名にのぼる喜多院(無量寿寺)の歴代の住職の名と見られる者を刻している。喜多院の歴代の住職の名を知る資料は他にないので、この銘文が重要な意味を持つところから、県の史跡として指定になったものである。梵字の真下中央に「僧都長海現在」とあるので、暦応(南北朝時代初期)の頃の住職であったことが分かる。
  昭和五十四年三月  埼玉県教育委員会 川越市教育委員会」
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(説明板)
「市指定・考古資料 延文の板碑
 暦応の板碑と並んで立っている延文三年のこの板碑は、高さ二七六cm・最大幅六九・四cm、厚さ九cmで川越市最大の板碑である。暦応の板碑と同様に、上部に種子キリークがあり、そのもとに、僧一・法師二・沙弥三二・尼二一・聖霊四、の合計六十名が刻まれており「一結諸衆/敬白」とあり、文字通り結衆板碑である。聖霊の四名は喜捨を募ってから板碑に刻むまでに故人になった人と思われる。したがって完成までに少なからず歳月を費やしたことが考えられる。暦応の板碑が喜多院の歴代の住職の名を記したのに対し、この板碑はそのほとんどが沙弥と尼で、共に僧階は最も低く、僧・法師が導師となって在俗の人々が結衆したことが分かる板碑である。
  昭和六十三年三月 川越市教育委員会」
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<多宝塔>

 寛永16(1639)年建立の多宝塔。

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<五百羅漢>

 参拝料200円。門柱に「天明二年建立 五百羅漢尊」

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<太子堂>

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<歌塚>

 裏に3人の歌が刻まれています。

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<芭蕉句碑>

 「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」
 寛政3(1791)年の建立。元は葵庭園にありました。

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<石燈籠>

 松平大和守家廟所横の通路にある石燈籠です。
 「有章院殿尊前」正徳六(1716)年四月晦日の奉献。
 奉献者は川越城主秋元喬房。

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<松平大和守家廟所>

 周防守松平寛隆公の碑があります。
 廟所前に石碑が乗っていない亀跌があります。

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 廟所には5人の川越城主の墓所があります。

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<どろぼう橋>

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(説明板)
「どろぼうばしの由来 所在地 川越市小仙波町一丁目
 昔、この橋は、一本の丸木橋であったといわれ、これは、その頃の話である。
 ここ喜多院と東照宮の境内地は御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあり、川越藩の町奉行では捕えることができないことを知っていた一人の盗賊が、町奉行の捕り方に追われ、この橋から境内に逃げこんだ。しかし、盗賊は寺男たちに捕えられ、寺僧に諭され悪いことがふりかかる恐しさを知った。盗賊は、厄除元三大師に心から罪を許してもらえるよう祈り、ようやく真人間に立直ること
ができた。そこで寺では幕府の寺社奉行にその処置を願い出たところ、無罪放免の許しが出た。その後、町方の商家に奉公先を世話されると、全く悪事を働くことなくまじめに一生を過ごしたという。
 この話しは大師の無限の慈悲を物語る話しとして伝わっており、それ以来、この橋を「どろぼうばし」というようになったということである。
  昭和五十八年三月  埼玉県」

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仙波東照宮(国重文)/葵庭園

仙波東照宮 川越市小仙波町1-21-1
 
 家康の遺骸を久能山から日光に移葬した元和3(1617)年3月、喜多院に4日間とう留して供養したので、天海僧正が寛永10(1633)年1月この地に東照宮を創建しました。神仏分離で東照宮は喜多院を離れ、現在は川越八幡宮が斎主を務めています。
 童謡「あんたがたどこさ」は、仙波山が発祥の地との異説もあります。
 平日及び土曜は閉門されているので中には入れません。日曜・祭日限定で開門されます。


<国指定重要文化財 仙波東照宮入口>

(説明文)
「重要文化財・建造物 仙波東照宮
 徳川家康をまつる東照宮は、家康の没後その遺骸を久能山から日光に移葬した元和三年(一六一七)三月、喜多院に四日間とう留して供養したので、天海僧正が寛永十年(一六三三)一月この地に創建した。その後寛永十五年(一六三八)正月の川越大火で延焼したが、堀田加賀守正盛を造営奉行とし、同年六月起工、同十七年完成した。当初から独立した社格をもたず、喜多院の一隅に造営されたもので日光・久能山の東照宮とともに三大東照宮といわれている。社の規模は表門(随身門)・鳥居・拝幣殿・中門(平唐門)・瑞垣・本殿からなっている。本殿の前には歴代城主奉献の石灯寵がある。なお拝殿には岩佐又兵衛勝以筆の三十六歌仙額と幣殿には岩槻城主阿部対馬守重次が奉納した十二聡の鷹絵額がある。
  埼玉県教育委員会 川越市教育委員会 」

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<楓樹>

 日光東照宮宮司建立の楓樹碑。

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<随身門>(国指定重要文化財)

 柵の中は守護神は不在です。寛永15(1638)年の再建起工時に、川越城主堀田正盛が奉納。

(説明板)
「重要文化財・建造物 東照宮随身門
 境内入口にある随身門は朱塗八脚門・切妻造でとち葺形銅板葺である。八脚門とは三間×二間の門で、門柱四本の前後に各一本ずつの控柱を持っている屋根付き門のことである。以前には後水尾天皇の御染筆なる「東照大権現」の額が掲げられていた。記録によるとこの勅額は寛永十年(一六三三)十二月二十四日とあるから東照宮の創始の時期を知る一つの資料となっている。石鳥居は寛永十五年(一六三八)九月に造営奉行の堀田正盛が奉納したもので、柱に「東照大権現御宝前、寛永十五年九月十七日堀田加賀守従四位下藤原正盛」の銘文が刻まれており、様式は明神鳥居である。
  川越市教育委員会」

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<石鳥居>(国指定重要文化財)

 寛永15(1638)年の再建起工時に、川越城主堀田正盛が奉納。

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<男坂/女坂>

 仙波東照宮へは男坂と女坂の階段があります。

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女坂は常時施錠されていて参道は男坂からのみとなります。

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<仙波東照宮沿革碑>

 石段右手にあります。

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<狛犬/龍>

 寛永17(1640)年の再建時に江戸城から移築された狛犬。手水の龍。

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<拝殿・幣殿>

(説明板)
「重要文化財・建造物 東照宮拝殿・幣殿
 拝殿は桁行三間(五・三六m)、梁間(三・六四m)で、単層入母屋造、正面は向拝一間(一・八二m)あって銅板本葺である。幣殿は桁行二間、梁間一間で背面は入母屋造、前面は拝殿に接続し、同じく銅板本葺である。内部も朱塗で美しく、正面に後水尾天皇の御染筆なる東照大権現の勅額が懸けてある。記録に依ると寛永十年(一六三三)年十二月二十四日とあって、東照宮創建当時に下賜された貴重なものとされている。川越城主であった柳沢吉保や秋元但馬守喬朝の頃に大修復があったと伝えているが、松平大和守の弘化四年(一八四七)にも修復が行われたと云う。
  平成三年三月  埼玉県教育委員会 川越市教育委員会」

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<歴代川越城主奉献石燈籠>

 歴代川越城主奉献の石燈籠が26基あります。

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○仙波東照宮葵庭園  川越市小仙波町1-17-17

 だんご屋を抜けて歩いていくと右手に仙波東照宮葵庭園があります。
 葵庭園の池の島には弁財天厳島神社があります。池にはホタルが生息しています。
 その先、左手に喜多院の慈眼堂があります。仙波東照宮と喜多院は隣接しています。

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(説明板)
「葵庭園
 私たち川越葵ライオンズクラブは、平成15年から毎年6月末、ホタル鑑賞会「ホタル祭り」を実施し、市民の皆様に初夏の一夜を楽しんで頂いております。本年、当クラブ結成30周年記念事業として、この庭園が自然のホタル自生地となるよう願いを込め、庭園のシンボルである池の護岸整備・八ツ橋造営・清流を保つポンプ設置を実施致しました。
池にはホタルが生息しております。この池で産卵し、翌年5月下旬から7月上旬にかけて飛び立ち、幻想的な光を放ちます。
どうかホタルをかわいがって下さい。また、池の美化にも御協力下さい。
葵庭園のホタルが永遠に光を放つよう見守って頂ければ幸いです。
  平成19年5月 川越葵ライオンズクラブ」

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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 天海徳川家康川越国重要文化財

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