芝大神宮

○芝大神宮 港区芝大門1-12-7 HP

 江戸時代は、飯倉神明宮あるいは芝神明宮と呼ばれていました。境内や門前には、茶屋、芝居小屋等が並び、相撲や富くじの興業も行われ、賑わいをみせました。祭礼には、生姜市が立ち、土生姜が売られたことから「生姜祭」、また、期間が11日間にもわたることから「だらだら祭」とも呼ばれました。祭礼では縁起物として、赤飯など食べ物が入った千木(ちぎ)箱が売られました。
 現在は、境内は2階にあり、1階は駐車場となっています。

「社伝によれば、寛弘2(1005)年鎮座。もとは赤羽橋の近く、小山神明という所にあったが、慶長3(1598)年増上寺が当該地を含む敷地に移転してくる関係で、現在の地に移動。徳川幕府の保護を受け、境内や門前には、茶屋、芝居小屋等が並び、相撲や富くじの興業も行われ、賑わいをみせた。
 また、9月11日から21日までの祭礼は、生姜市が立ち、土生姜が売られたことから「生姜祭」、また、期間が11日間にもわたることから「だらだら祭」とも呼ばれた。
 祭礼では縁起物として、赤飯など食べ物が入った千木(ちぎ)箱(杉を薄く削いで楕円に曲げ、赤・緑・青で模様を描いた小櫃)が売られた。」(国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所 芝大神宮」より引用)


<参道>

 第一京浜(かつての東海道)沿いに社号標があります。

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 境内のある階段上に上らずともお参りできるように、階段の下に賽銭箱があります。

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<裏参道>

「東京十社めぐり」の看板があります。

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<芝大神宮の文化財>

(説明板)
「芝大神宮の文化財
 社伝によれば平安時代の中頃(寛弘二年・一○○五年)に伊勢の内外両宮の御分霊をまつり鎮座されたといわれる区内有数の古社である。
 毎年九月中旬には「だらだら祭」とよばれる祭礼がおこなわれ、江戸時代より現在まで生姜、千木箱、甘酒などが境内で売られていることでも地元とのつながりが深い。
 所蔵する文化財として、絵画では江戸末期の建部巣兆の箱根詣図(紙本着色)などがある。古文書では建武四年(一三三七)正月七日の足利直義御教書(勝利の祈祷を依頼したもの)、天正十六年(一五八八)七月二十四日の吉良氏朱印状がある。
  昭和五十三年一月(平成二十五年十一月建替)  港区教育委員会」

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<銅燈籠> 港区有形文化財

 参道階段下の左右に銅燈籠があります。港区有形文化財に指定されています。

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<生姜塚>

 入口左手の植栽に生姜塚が建っています。碑の上部には、金色に輝く生姜が描かれています。

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<貯金塚>

 入口右手の植栽に貯金塚と説明碑が建っています。説明碑には、関東大震災時、「不動貯金銀行」だけが貯金の全額払い戻しを行ったことが刻まれています。

 貯金塚の碑文は、武者小路実篤の筆です。
 「貯金塚 根気 根気 何事も根気  実篤」
 「昭和三十一年九月 牧野史郎謹冩」

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<狛犬>

 階段上の左右に狛犬。狛犬の台座には「め組」とあります。

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<百度石>

 手水舎の手前にある百度石です。

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<神明恵和合取組>

 文化2(1805)年の相撲興業の際に鳶頭と力士の間で起こった乱闘騒ぎは「め組の喧嘩」として知られ、歌舞伎や講談の演目ともなりました。「神明恵和合取組」碑は、平成22(2010)年の建立です。

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「新撰東錦絵 神明相撲闘争之図」(芳年 明治19年)

 錦絵に描かれた「神明相撲闘争之図」(国立国会図書館蔵)です。

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<手水舎>

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<力石>

 境内左手に力石があります。「五拾貫余」と刻まれています。

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(説明板)
「東京都港区指定文化財
  有形民俗文化財 芝大神宮の力石
 力石は重い石を持ち上げて「力競べ」や「曲持ち」を行った際に使用した石である。特に、江戸時代後期の文化・文政期には、職業的な力持ち力士による興行が行われるようになった。
 芝大神宮の力石は、「五十貫余」の切付とともに「川口町 金杉藤吉」の名前がある。
 これは、明治時代に活躍した有名な力持ち力士のひとり、芝金杉川口町の山口藤吉(慶応三年生)、通称「金杉の藤吉」のことである。芝大神宮で力持ちの興行が行われた時、金杉の藤吉がこの石を片手で差し上げたと伝えられている。
 港区内には、全部で十四点の力石が確認されているが、こうした力持ち力士の伝承がともなっているのはこの芝大神宮の力石のみであり、都市の力石の民俗を知る資料として貴重なものである。
  平成七年九月二十六日  東京都港区教育委員会」

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<星野立子・椿・高士 三代句碑>

 高浜虚子の娘、孫、曾孫の三代句碑があります。平成15(2003)年9月の建立です。

 「そよりとも 風はなけれど 夜涼かな  立子
  千年の 神燈絶えず 去年今年  椿
  界隈の たらだら祭 なる人出  高士」

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 ※芝東照宮には、星野高士句碑があります(こちらで記載)。


<社殿>

 生姜が奉納されています。

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<め組の半鐘>

 社殿右手に「め組の半鐘」が解説板とともに置かれています。

(説明文)
「め組の半鐘
此の半鐘は文化二年(一八○五年)二月 当芝大神宮境内において 花角力があった時 力士とめ組の鳶の者との間に些細な事から 血の雨を降らせる大喧嘩となった 其の時打ち鳴らされた め組の半鐘です 当時この喧嘩の裁きに当たった南町奉行は此の鐘が自ら鳴り出した為に大喧嘩となったという情けある裁きにより この半鐘に遠島(三宅島)を申付けた という話はあまりにも有名である。
 明治初年島より帰って以来芝大神宮で保管している」

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芝神明の由来碑

○芝神明の由来碑 港区芝公園1-7-13路上

 大門の右手の歩道上に芝神明の由来碑があります。両面にプレートが掲げれています。 

(東面右)
「芝神明は、平安時代に祀られたという江戸有数の古社で、芝居のめ組のけんかなどでも有名である。これは江戸時代のしょうが市の光景で今日でも九月十一日から二十一日まで長く続くためだらだら祭の名がある。背景は二代目廣重筆 人物は三代目豊國の筆 元治元年(一八六四) 江戸自慢三十六興の一枚」

(東面左)
「風景浮世絵の名手初代安藤廣重がその最晩年の安政五年(一八五八)に描いた芝神明と増上寺で、江戸の百景を選び、更に追加したものであろう。増上寺は徳川将軍家の菩提寺であって江戸時代の初めからの名所でありその僧たちや今と変わらぬ参詣見物の大勢の人たちの姿が描かれている。」

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「江戸自慢三十六興 芝神明生姜市/芝神明生粋」(広重)
 レリーフ右面に掲示されている「江戸自慢三十六興 芝神明生姜市」です。
 版が違うと題名も異なっています。2枚目は芝神明生粋のタイトルとなっています。(両画とも国立国会図書館蔵)

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「名所江戸百景 江戸百景餘興 芝神明増上寺」(広重)
 レリーフ左面に掲示されている「江戸百景餘興 芝神明増上寺」です。
 奥に増上寺の大門、右手に芝神明宮が描かれています。「七つ坊主」(七つ時に「増上寺」を出て托鉢して歩いた僧)が描かれており、夕方の光景です。版の異なる2画像です(国立国会図書館蔵)。

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(西面)
「初代廣重が描いた東都名所の芝神明と増上寺
 寛弘二年(一○○五)に勧請という神明に対し増上寺は麹町に明徳四年(一三九三)に開創し家康江戸入りののち慶長三年(一五九八)に移転してきた。ここには六人の将軍ほかの人たちが葬られている。
この碑は画面中央の橋の欄干の右手に当る位置に建てられている。」

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「東都名所 芝神明増上寺全図」(広重)
 レリーフに掲示されている「東都名所 芝神明増上寺全図」です。

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○江戸名所図会と錦絵の「芝神明」

「江戸名所図会 飯倉神明宮」
 挿絵を3枚合成しています。挿絵には「世に芝の神明宮といふ」とあります。

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「江戸名所図会 九月十六日飯倉神明宮祭礼」
 挿絵説明 「世にしょうかまつりといふ 十一日より二十一日迄参詣群集す」

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「絵本江戸土産 芝神明の社」(広重)
 絵本江戸土産にも描かれています。

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「東都旧跡尽 芝神明宮由来」(広重)
 鎌倉時代、源頼朝公より篤い信仰の下、社地の寄贈を受けています。源頼朝と徳川家康が相殿神として合祀されています。絵には、「右大将頼朝公」「和田義盛」「梶原景時」「社人」と見えます。

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「絵本江戸錦 芝神明宮」(豊春)
 全景が描かれています。

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「江戸高名会亭尽 芝明神社内」(広重)
 「狂句合 書画会に大人の集ふ車轍楼」
 境内にも料理茶屋が並んでいた様子が描かれています。

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「江戸名所之内 芝神明社内之図」(広重)
 料理茶屋が描かれている場面では大人ばかりですが、こちらは子どもも多々です。鶏が放し飼いにされているのが見えます。

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「江戸名所百人美女 芝神明」(豊国・国久 都立図書館蔵)
 楊弓場(矢場)の「矢場女」「矢取り女」が描かれています。楊弓場(矢場)は、私娼のいる遊び場でもありました。

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「東京開化狂画名所 芝神明社内 矢場女の羅生門」(月岡芳年 都立図書館蔵)
 矢場の矢場女が描かれています。

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「芝神明宮祭礼生姜市之景」(英泉)
 江戸名所図会には「参詣群集す」と記載されていますが、まさに群集が描かれています。

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尾崎紅葉生誕の地

〇尾崎紅葉生誕の地 港区芝大門2-7-4

 「首尾稲荷大明神」(港区芝大門2-7-15)の裏に「尾崎紅葉生誕の地」説明板があります。

(説明板)
「港区指定文化財 旧跡 尾崎紅葉生誕の地
 『金色夜叉』などの小説で有名な作家、尾崎紅葉(本名徳太郎)は、慶応三年(一八六七)十二月十六日、芝中門前二丁目二十五番地(現在港区芝大門二丁目七番四号)にあった首尾稲荷社のそばの家で、伊勢屋こと牙彫り師の尾崎谷斎(惣蔵)の長男として生まれました。四歳のとき母を失い、芝神明町八番地(現在港区浜松町一丁目十八番十四号)母の実家荒木家に養われることになるまでこの地に住みました。
 十七歳の時、日本最初の文学団体「硯友社」を結成して近代文学の先駆けとなり、十八歳の夏からは増上寺境内の紅葉山からとって紅葉山人と号しました。明治三十六年(一九〇三)十月三十日没。三十五歳。小説集には『芝肴』の題をつけ、また『男心は増上寺』と題する短編もあり、終生出身地の気風をよく現わした人物でした。墓も港区の青山墓地にあります。
   囀りの下に小さき祠かな  紅葉
  昭和五十七年十月三十日指定  港区教育委員会」

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以下、パソコンサイトまとめです。

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 尾崎紅葉ゆかりの地
  ○ 塩原がま石園地 尾崎紅葉の碑
  ○ 畑下温泉「清琴楼」 紅葉胸像
  ○ 塩原妙雲寺 尾崎紅葉の句碑
  ○ 港区芝大門 尾崎紅葉生誕の地
  ○ 熱海湯宿一番地 紅葉山人筆塚/紅葉の句碑
  ○ 「相馬屋製」原稿用紙の考案

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tag : 尾崎紅葉旧跡

もみじ谷/蛇塚

○もみじ谷 蛇塚 港区芝公園4-3

<もみじ谷>

 もみじ谷は人工の渓谷で、高さ10mの岩場から落下するのがもみじの滝です。

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<蛇塚>

 祠の地蔵の奥に蛇が祀られています。
 心光院にも龍王堂として蛇が祀られています。
 心光院の蛇は玉を持っていますが、芝公園の蛇は持っていません。欠けているようです。
 (心光院については、こちらで記述済

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 こちらは新光院の蛇です。もみじ谷の蛇の玉を持つ手が掛けているのがわかります。
 昭和41年、神成志保氏による金色に輝く蛇の霊夢から当地へ勧進。御身体は神成澪氏(神成志保氏の娘で人形・陶芸作家)の作です。
 
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芝丸山古墳/伊能忠敬測地遺功表

○芝丸山古墳 港区芝公園4-8

 前方後円墳で、東京都指定史跡です。
 全長106m、後円部径約64m、くびれ部分の幅22mという都内では最大級の規模です。

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(説明板)
「東京都施設史跡 芝丸山古墳
  所在地 港区芝公園四丁目 都立芝公園内
  指定 昭和五四年三月三一日
 全長一○六メートル前後、後円部径約六四メートル、前方部前端幅約四○メートル、くびれ部幅約二二メートルほどの、都内最大級の規模をもつ前方後円墳である。標高約一六メートルの台地端に位置し、前方部を南南西に向けている。
 江戸時代以降、原形はかなり損じられており、とくに墳頂部や後円部西側は削られてしまっている。明治三一年に、日本考古学の先駆者坪井正五郎博士によって調査されたが、すでに後円部中央に位置したと考えられる主体部(埋葬施設)は失われており、遺体や副葬品なども不明である。なお、埴輪を伴うことは知られている。
 前方部が狭く低い形態や、占地状態などから5世紀代の築造とみられており、そのころ、附近の低地の水田地帯に生産基盤をもち、南北の交通路をおさえていた、南武蔵の有数の族長の墓だったと考えられる。
  平成二年一二月二七日 再建  東京都教育委員会」

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<丸山貝塚>

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(説明板)
「丸山貝塚
 丸山貝塚は明治時代から知られていましたが、長い間、正式な調査は行われず、貝塚の範囲や形成時期、貝塚を構成する貝種などはわかっていませんでした。
 平成八(一九九六)年、公園内で行われた工事の際に良好な貝層が発見されたため、翌年、範囲等の確認調査が行われました。その結果、丸山古墳が築造された台地の裾の緩やかな傾斜地に、マガキを主体とする貝塚が形成されていたことが明らかになりました。
 土器などの遺物が少ないことが、この貝塚の特徴でもあリますが、わずかに出土した土器片から、貝塚の形成時期は縄文時代中期末から後期である可能性が高いと考えられます。
  昭和四十八年三月(令和二年一月建替)  港区教育委員会」

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<円山随身稲荷大明神>

(説明板)
「円山随身稲荷大明神
 円山稲荷は、増上寺の裏鬼門に位置し、山内鎮守の重要な地を占め、史跡として指定されている丸山古墳上にあります。
 随身稲荷の由来は、増上寺がこの地に移建当時桑名よりお迎えした御本尊を守護する為に江戸までお供されたいわれにより、以来永く鎮守まします大明神であります。
  大本山 増上寺」

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<大野伴睦句碑>

 初代自由民主党副総裁大野伴睦氏の句碑。

 「鐘がなる春のあけぼのゝ増上寺」
 「昭和38年(1963)6月 調理師会」

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<古墳碑>

 上部に「瓢形大古墳」と刻まれてます。
 矢穴があるので、江戸城か見附の石垣、あるいはお台場の石垣の石を代用している可能性があります。

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<伊能忠敬測地遺功表>

 伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪の大木戸であった関係で東京地学協会がその功績を顕彰して遺功表を建てました。
 明治22年に高さ8.58mの青銅製の角柱型のものが設置されましたが、昭和19(1944)年9月に戦時中の金属回収によつて失なわれたため、昭和40年に現在のものが再建されました。

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(碑文)
「伊能忠敬先生は一七四五年(延享ニ年)上総國に生れて下総國佐原の伊能家を嗣ぎ村を治めて後五十歳の時江戸に出て高橋至時のもとで天文暦數の學を究めた。先生の卓見と創意とによる測地測量は一八○○年の蝦夷地奥州街道の實測を始めとして全國津々浦々にまで及び一八一八年(文政元年)江戸八丁堀で七十四歳をもって歿するまで不屈の精神と不斷の努力とによって續けられわが國の全輪郭と骨格とが茲に初めて明らかにされるに至った
 その偉業は引きつがれて一八ニ一年大中小の大日本沿海輿地全圖が完成せられその精度の高きことは世界を驚嘆せしめた程であり参謀本部測両局の輯成二十万分一地圖は實にこの伊能圖を骨子としたものである
 東京地学協會はその功績を顕彰して一八八九年この地に贈正四位伊能忠敬先生測地遺功表を建設したが不幸にして第二次大戦中に失われるに至った 仍つて今回各方面の協賛を得てこの碑を再建した次第である
  一九六五年五月
  社団法人 東京地学協會 會長 細川護立」

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<旧測地遺功表>

 「伊能忠敬」(大谷亮吉編著 岩波書店 大正6年 国立国会図書館蔵)に掲載の旧測地遺功表と肖像です。

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