松尾芭蕉象潟の句碑が再設置


○松尾芭蕉象潟の句碑等再設置 台東区浅草3-22-5

 宮戸座跡に立地していた「料亭婦志多」(台東区浅草3-22-5)が2018年8月で廃業、取り壊しとなり、マンション建築となり、宮戸座跡之碑と芭蕉句碑が撤去されていました。
 パークハウス浅草が2020年12月に竣工し、宮戸座跡之碑と芭蕉象潟の句碑が再設置されました。同じ地番ですが、場所はかなり移動しています。
 以前は、料亭婦志多の店前の柳通りに面して、2基は離れて建っていましたが、北の角、浅草見番の近く、柳通りから小路に入った角に、まとめて移設されています。
 碑文等は、以前と変わらないので、以前の記録を参照していただくとして割愛します。

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tag : 松尾芭蕉

象潟 富士通り

象潟を歩く-浅草富士通り(表参道)-

□浅草富士通り(表参道)
 浅草観音堂裏交差点から浅草富士浅間神社に続く通りで、表参道です。
 表参道から最初に交差する道を左に行くとすぐ、アニマル浜口トレーニングジムがあります。
 表参道を進むと、左手に、富士公園、浅草警察署(旧象潟署)、右手に富士小学校、交差点過ぎた右手に浅間神社があります。

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○アニマル浜口トレーニングジム
 台東区浅草3-4-9アコルデ浅草2F
 「気合いだ~!」
 柳通りに、浜口京子さんの功績を讃えた記念樹があります。

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○富士公園 台東区浅草4-47-17
 トイレが富士山です。

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○富士小学校 台東区浅草4-48-9
 富士小学校は、明治中期に廃寺になった浅草寺支院「修善院」の跡地です。修善院は、浅草富士浅間神社を管理していました。

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○浅草警察署(旧象潟警察署) 台東区浅草4-47-1
 富士塚からは、浅草警察署が立ちはだかって、富士山は見えません。

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○浅草富士浅間神社 台東区浅草5-3-2
 浅草神社が社務を兼ねています。

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<様々な呼称>
 「浅草不二」「不二権現」「浅草田んぼの富士権現」「浅草砂利場の富士」 「六郷富士」「象潟富士」「お富士さん」「浅草富士せんげん」「浅草富士浅間宮」と、色々な呼称が見られます。 江戸切絵図では不二権現と記されています。

<六郷家が勧進>との説あり
 「十方庵遊歴雑記 二編 巻之下 第十九 浅草富士せんげんの例祭」によると、象潟の六郷家から、江戸の六郷上屋敷内に勧請したものとのこと。
 邸内社ですが、庶民が参詣できるよう小道をつけて独立させ、一般開放したのが富士せんげん。参道には六郷家の足軽が警備していました。
 富士せんげんの東のうら通りは、浅草砂利場でした。
  (現地由来の説明は別の内容となっています)

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<台東区教育委員会説明板>

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<小林一茶ゆかりの地>

 江戸時代、本物の富士山に代えて、不二講がたくさんあったといいます。浅草寺の裏通りにある「背戸(裏口)不二」もその一つでした。
 文化2(1805)年6月1日、小林一茶は浅間神社を参詣しています。浅草田んぼの富士を「青田」の風が「吹過る」と一茶がよんでいます。
 「背戸(の)不二青田の風を吹過る」(小林一茶)

 「一茶の俳句データベース」から、浅草富士で検索すると、こんなにヒットします。
 背戸(の)不二青田の風の吹過る   浅草富士詣 文化句帖 文化2
 涼風もけふ一日の御不二哉     浅草富士詣 文化句帖 文化3
 涼風はどこの余りかせどの不二   浅草富士詣 文化五六句記 文化6
 蟷螂が不二の麓にかゝる哉     浅草富士詣 文化五六句記 文化6
 不二の草さして涼しくなかりけり  浅草富士詣 文化五六句記 文化6
 またぐ程の不二へも行かぬことし哉 浅草富士詣 文化五六句記 文化6
 涼しさや五尺程でもお富士山    浅草富士詣 七番日記 文化11
 涼しさは五尺程でもお富士也    浅草富士詣 句稿消息 文化11
 涼しさは五尺そこらもお富士哉   浅草富士詣 句稿消息 文化11
 富士の気で鷺は歩くや大またに   浅草富士詣 句稿消息 文化11
 富士の気で跨げば草も涼しいぞ   浅草富士詣 七番日記 文化11
 明ぬ間に不二十ばかり上りけり   浅草富士詣 八番日記 文政4
 三尺の不二浅間菩薩かな      浅草富士詣 八番日記 文政4
 涼しさや一またぎでも不二の山   浅草富士詣 梅塵八番 文政4
 踏んまたぐ程でも江戸の不二の山  浅草富士詣 文政句帳 文政7
 涼しさや一人又来ても不二の山   浅草富士詣 八番日記 文政4
 涼しさやまたぐ程でも不二の山   浅草富士詣 書簡
 蝸牛ともども不二へ上る也     浅草富士詣 文政句帖 文政6
 蝸牛気永に不士へ上る也      浅草富士詣 文政句帖 文政8
 蝸牛そろそろ登れ富士の山     浅草富士詣 文政版
 浅草や朝飯前の不二詣       浅草富士詣 文政句帖 文政7
 浅草や犬も供して不二詣      浅草富士詣 文政句帖 文政7


<富士塚 浅草富士>
 2016(平成28)年6月建立。
 5合目から登りはじめ、6合目~9合目を過ぎ、頂上です。あっという間。奥宮は富士山の方向ですが、浅草警察署しか見えません。

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<植木市>

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<浅間神社~紙洗橋>
 富士通りは浅間神社への表参道で、道は浅間神社までででしたが、現在は、浅間神社横から紙洗橋交差点まで通じています。
 浅間神社から紙洗橋交差点に向かって進むと、右手に今城材木店、鶴の湯(銭湯)があり、袖摺稲荷神社の脇を通り、紙洗橋交差点に至り、ここで土手通りに出ます。紙洗橋交差点手前の右手(田町1丁目)が砂利場です。

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・今城材木店 浅草5-43-4
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・鶴の湯 台東区浅草5-48-4
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・袖摺稲荷 台東区浅草5-48-9
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・紙洗交差点
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tag : 小林一茶富士塚邸内社

象潟 柳通り

○浅草象潟町 浅草象潟1・2・3丁目 台東区浅草4-12-1

 浅草3丁目から4丁目に入ると「旧町名由来案内 下町まちしるべ」板があります。

(台東区HPより)
「象潟という町名は、この地に屋敷をもっていた華族六郷政鑑の旧領地の一地名からとってつけたという。六郷政鑑は幕末から明治初年にかけて、羽後本荘で二万余石を領した藩主であった。町名の由来となった象潟は、現在の秋田県南部海岸沿の地で、「出羽富士」と称される鳥海山の西側山麓に位置する。江戸時代、象潟は景勝の地で、九十九島、八十八潟と呼ばれる島や入り江があり、仙台の松島と並び称された。松尾芭蕉も立ち寄り、「象潟や雨に西施がねぶの花」という句を詠んでいる。文久元年(一八六一)の地震で土地が隆起し、景色は一変してしまった。現在は田圃の中に小山が点在している。浅草象潟町は、明治五年(一八七二)、六郷家の屋敷跡を町域にして起立した。
 昭和九年(一九三四)、浅草象潟一・二・三丁目の起立にともない、浅草象潟町は二分され、町域は約十分の一にせばめられた。昭和四十一年(一九六六)、住居表示制度の実施で、浅草三丁目から五丁目に分割編入された。」

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○浅草象潟町会会館 台東区浅草4-10-3

 象潟町の名称は、象潟町会に残っており、象潟町会会館があります。
  
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【浅草柳通り】
 浅草観音堂裏から言問通りを渡ると、雷5656会館の角から、浅草花柳界「見番」など風情のある街並の浅草柳通りに入ります。

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○梅むら 台東区浅草3-22-12
 (詳細はこちらで記載
 浅草柳通りの脇に入ったところに梅むらがあります。
 池波正太郎氏はこの店の「豆かん」をこよなく愛しました。

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○料亭婦志多 台東区浅草3-22-5

 宮戸座跡に立地する料亭でした。2018年8月で廃業、取り壊し。マンション建築中です(2020年完成予定)。

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○宮戸座跡之碑 台東区浅草3-22-5

 料亭婦志多の入口脇に宮戸座跡の石碑がありました。マンション建築中で、現在は行方知れず。
「宮戸座は、明治29年(1896)9月開場、座名は隅田川の呼稱”宮戸川”にちなんだ。
 関東大震災で焼失後、昭和3年(1928)11月この地に再建。昭和12年(1937)2月廃座。
 ここの舞台で修業しのち名優になった人々は多い。東京の代表的小芝居だった。
 大歌舞伎に対し規模小さな芝居を小芝居と呼んだ。
  昭和53年(1978)6月24日 台東区教育委員会」

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○松尾芭蕉象潟の句碑 台東区浅草3-22-5

 料亭婦志多の脇に松尾芭蕉象潟の句碑がありました。マンション建築中で、現在は行方知れず。説明板だけ、残っています。

 (説明板)
「江戸時代に現秋田県本荘藩主であった六郷公が、この浅草に下屋敷を構えたとき、その下屋敷付近の町に、六郷公地元の景勝地「象潟九十九島」にちなみ、「象潟町」と名付けました。
 このことにより、平成5年(1993)7月22日に秋田県象潟町と台東区馬道地区町会連合会との間で「姉妹地」の盟約が締結されました。そして、今年が締結10年目にあたり、江戸開府400年目でもあります。
 江戸文化の偉大なる俳聖「松尾芭蕉」が旅した「おくのほそ道」で秋田県象潟を訪れ、雨に煙る九十九島、八十八潟の絶景を中国の美女「西施」の憂いに満ちた姿と重ね合わせた素晴らしい句を残しております。
  象潟や 雨に西施が ねぶの花
 当浅草象潟地域と秋田県象潟町との強い「姉妹地」の関係は永久のものであり、末永い交流により相互の発展に寄与するとともに、江戸文化の復興とその継承を図るため、 この句を石碑として浅草の地に建立したものです。
  平成15年(2003)7月20日
    台東区 馬道地区町会連合会 秋田県象潟町」

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○浅草三業会館、浅草見番 台東区浅草3-33-5
 東京浅草組合/浅草見番の公式ホームページがあります。
     
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浅草神社に「浅草三業会」奉納の玉垣があります。

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○浅草三業会館 稲荷社 台東区浅草3-33-5
 浅草三業会館脇に鎮座する稲荷社です。

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■浜口京子アテネオリンピック銅メダル獲得記念樹 台東区浅草3-33-5
 記念樹 平成16年9月9日
 2004年アテネオリンピック女子レスリング72kg級メダリスト、浜口京子選手の功績を讃え、オリーブの木を記念樹として
植樹いたします。
 オリーブの木(平和の象徴)
 浜口京子プロフィール
 生年月日  1978年1月11日
 出身地   東京都
 身長    170cm
 1997年(フランス)   世界選手権75kg 優勝
 1998年(ポーランド)  世界選手権75kg 優勝
 1999年(スウェーデン) 世界選手権75kg 優勝
 2002年(ギリシャ)   世界選手権72kg 優勝
 2003年(アメリカ)   世界選手権72kg 優勝
 2004年(ギリシャ)   アテネ五輪75kg 銅メダル
 浜口京子(←サイン)
 浅草3丁目象一町会 (協)浅草おかみさん会

■浜口京子北京オリンピック銅メダル獲得記念樹
 2008北京オリンピック
 レスリング女子フリースタイル72kg級
 浜口京子選手
 銅メダル獲得記念樹 オリーブ
 平成20年10月29日植樹
 台東区

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○一葉桜・小松橋通り
 一葉桜・小松橋通りは、浅草4丁目31番地~浅草6丁目36番地の通りです。街路樹に一葉桜が植えられています。

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