豊国稲荷神社・出世稲荷神社/野見宿禰神社

○豊国稲荷神社・出世稲荷神社 墨田区横網1-3-28

 両国国技館の正面左手にある稲荷門から中へ入ると、左手に二つの神社があります。
 左が豊国稲荷神社で、右が出世稲荷神社です。両社とも、国技館の移転の度に、遷座してきました。

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<豊国稲荷神社>

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<出世稲荷神社>

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○野見宿禰神社 墨田区亀沢2-8-10

 野見宿禰神社は、高砂浦五郎(初代高砂親方)の尽力により、明治17(1884)年に相撲の神様として野見宿禰を祀り、創建したといいます。相撲協会や関係者の崇敬を集めています。
 歴代横綱の銘を刻んだ歴代横綱の碑が2基あります。

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<稲荷社>

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<野見宿禰神社>

(説明板)
「大相撲 野見宿禰神社 10
 かつてこの東側に高砂部屋がありました。明治十八年(一八八五)に親方の高砂浦五郎が、津軽家上屋敷の跡地であったこの地に、相撲の神様として知られる野見宿禰を祀ったのが、この神社の始まりです。
 石垣の石柱には、力士や相撲関係者の名前が刻まれており、本場所前には必ず、相撲協会の神事が行われます。
 境内には、昭和二十七年(一九五二)に相撲協会によって建てられた歴代横綱石碑があり、その一基には、初代の明石志賀之助から四十六代朝潮太郎までの名前が、もう一基には四十七代柏戸剛以降の名前が刻まれています。  墨田区」

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<歴代横綱の石碑>

(説明板)
「歴代横綱の石碑  所在地 墨田区亀沢二丁目八番十号  野見宿禰神社内
 歴代横綱の名前を刻んだ二基の石碑は、昭和二十七年(一九五二)十一月に日本相撲協会が建立しました。一基は、初代明石志賀之助から四十六代朝汐(潮)太郎までの名前を刻み、もう一基には、四十七代柏戸剛以降の名前が刻まれています。
 野見宿禰神社は、明治十七年(一八八四)に初代高砂親方(高砂浦五郎)が相撲の始祖とされる「野見宿禰」を祀ったのが始まりです。
 玉垣には、力士や相撲関係者の名前が刻まれており、今でも東京での本場所前には、必ず日本相撲協会の関係者が神事を執り行うなど、相撲界が信仰している神社です。
 創建当時は、神社の東側に初代高砂親方の部屋があったそうです。また、この地は、陸奥弘前藩津軽家の上屋敷跡でもあります。
  平成二十八年三月  墨田区教育委員会」

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<歴代横綱の石碑>

 一基には初代明石志賀之助から46代朝潮太郎まで、もう一基には47代柏戸剛以降の名前が刻まれています。

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テーマ : 神社・仏閣巡り - ジャンル : 旅行

tag : 両国

国技館通りの力士像 北斎ベンチ

○国技館通りの力士像と手形 墨田区両国2丁目、横網1丁目

 国技館通りに、全部で7基の力士像と手形の碑があります。
 うち横網にある1基は手形の差込がないので、これからはめられていくのでしょう。

【国技館通り東歩道】

・力士像 両国2-19

 両国駅前で、一番目立っている力士像です。

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・力士像 両国2-18

 皆さん、撫でるからでしょうね、お腹がつるつるです。

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・力士像 両国2-17

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【国技館通り西歩道】

・力士像 両国2-15

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<冨嶽三十六景凱風快晴> 両国2-15

  力士像の前に、デザインマンホール蓋があります。
  「冨嶽三十六景 凱風快晴」(北斎)がデザインされています。

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・力士像 両国2-14

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・力士像 両国2-13

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【国技館通り横網】

・力士像 横網1-3

 手形が差し込まれるのはこれからのようです。

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○ハッキヨイ!せきトリくん 墨田区横網1-3

 令和3(2021)年3月、デザインマンホール蓋が墨田区内3か所に設置されています。
 こちらは国技館通り駅前歩道に設置された「ハッキヨイ!せきトリくん」(日本相撲協会公式キャラクター)がデザインされたマンホール蓋です。
 二本足で立つ鳥は、手が土俵につくと負けとなる力士達にとっては縁起のよい生き物とされてきました。「ひよの山(黄色)」と「赤鷲(赤)」が描かれています。

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○葛飾北斎ベンチ3基

 国技館前の国技館通り歩道に、令和2年3月設置の新しいベンチが3基あります。

<北斎漫画ベンチ2基>

 背もたれに『北斎漫画』がはめ込まれたベンチが2基あります。

(説明板)
「北斎 Hokusai
 『北斎漫画』(部分)
世界的に有名な絵手本で、海外では「ホクサイ・スケッチ」として親しまれています。
全十五冊、絵図数は約三千九百図にのぼり、人間や自然、神仏妖怪など、ありとあらゆるものが描かれていて、「絵の百科事典」と呼ぶにふさわしい内容です。
  令和二年三月 墨田区」

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<北斎漫画>(国立国会図書館蔵)

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<北斎浮世絵ベンチ1基>

 3人掛けのベンチです。
 浮世絵が3枚はめ込まれています。

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 左から「新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図」「富嶽三十六景御厩川岸より両国橋夕陽見」「両国夕涼」

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○両国さかさかさ 墨田区横網1-2-16

 国技館通りの国技館前に、「両国さかさかさ」があります。
 漢字で書くと、逆さ傘です。天水収穫装置です。

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○俵星玄蕃の道場跡 墨田区横網1-3-28

 国技館の柵に、説明板「俵星玄蕃の道場跡」があります。

(説明板)
「忠臣蔵 俵星玄蕃の道場跡 11
 宝蔵院流の槍の名手、俵星玄蕃は忠臣蔵に登場する架空の人物で、彼の道場は、本所横網町のこの辺りにあったとされています。
 上杉の家老・千坂兵部が二百五十石の高禄で、吉良家に召抱えようとしますが、赤穂浪士の世を忍ぶ苦心に同情を寄せた玄蕃はこれを断りました。
 屋台の夜なき蕎麦屋「当たり屋十助」に姿を変えて吉良邸を探っていた赤穂浪士・杉野十平次の前で、「のうそば屋、お前には用の無いことじゃが、まさかの時に役に立つかも知れぬぞ見ておくがよい」と、槍の技を披露しました。
 討入り当夜、助太刀に駆けつけると、杉野に会い、たいへん驚き、吉良邸外の守りを固め、本懐成就に協力したとされます。 墨田区」

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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 両国葛飾北斎マンホール銅像

両国駅~両国江戸NOREN

○両国駅広小路 墨田区横網1-3

 両国駅広小路の石標があります。

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○両国駅 墨田区横網1-3-20

 両国駅は、両国ではなく横網にあります。

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<力相撲>

 駅構内への入口に「力相撲」像があります。

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<錦絵>

 駅構内に2枚の錦絵が掲示されています。

 「両国大相撲繁栄之図」(歌川国郷)

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 「東都両国ばし夏景色」(橋本貞秀)

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 「東都両国ばし夏景色」(橋本貞秀 国立国会図書館蔵)

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○両国江戸NOREN  墨田区横網1-3-20

<両国観光案内所>

 両国観光案内所があります。色々な飲食店も入っています。

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<土俵>

 両国国技館と同サイズの土俵があります。

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○斎藤緑雨居住の地 墨田区両国2-19

 両国駅西口を出たところに説明板「斎藤緑雨居住の地」があります。
 斎藤緑雨は、森鴎外と幸田露伴との作品合評「三人冗語」で、樋口一葉「たけくらべ」を世に送り出しました。

(説明板)
「斎藤緑雨居住の地  墨田区両国二丁目十九番
 明治時代の作家斎藤緑雨は慶応三年(一八六七)に伊勢国神戸(三重県鈴鹿市) に父斎藤利光、母のぶの長男(本名は賢)として生まれました。明治九年(一八七六)一家で上京し、深川、本所千歳町に居住の後、父が藤堂高潔伯爵のお抱え医師となったことから、本所緑町(現緑二丁目)の藤堂家邸内に移り住みました。上京後の緑雨は、土屋小学校(現千歳に旧在)や江東小学校(両国小学校の前身)などで学びました。緑雨は「日記帳」の中で「読書と数学はいつも高点」、「習字と画学は、いつも落第点にちかかり」と回想しています。十二、三歳頃から上田萬年らと回覧雑誌を始め、十四歳頃からは詩文を新聞に投稿するようになりました。
 明治十七年、十七歳の時には父とともに俳句を師事した其角堂永機の紹介で仮名垣魯文の門に入り、その縁で「今日新聞」の校正や記事収集の手伝いを始めました。この頃、社主に伴われて出かけた柳橋や新橋での見聞が江戸通人趣味につながったといわれています。翌年には坪内逍遥との親交が始まり、居住地の緑町にちなんだ緑雨のペンネームを使用するようになります。処女作は江東みどりのペンネームで明治十九年に発表した「善悪押絵羽子板」で、五年後には柳橋を舞台とした「油地獄」と「かくれんぼ」で小説家としての地位を確立しました。また、文芸批評でも旺盛な執筆活動を展開し、森鴎外と幸田露伴との作品合評「三人冗語」では、樋口一葉「たけくらべ」を世に送り出しました。晩年には「眼前口頭」などの新聞連載で緑雨特有のアフォリズム(警句)を表現しました。居住地を転々とした緑雨は、病気がちとなり明治三十六年十月、本所横網町一丁目十七番地(現横網一丁目・両国二丁目の一部)の金沢タケ方に寄寓することになりました。緑雨はその家の奥の六畳で臥しがちだったようです。翌年、親友馬場狐蝶に樋口家から預かっていた一葉の遺稿と日記を託し、四月十三日に三十七歳の生涯を閉じました。 親友幸田露伴は緑雨の生涯に思いを馳せ、「春暁院緑雨醒客」と戒名をつけました。
  平成二十七年三月  墨田区教育委員会」

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テーマ : 駅めぐり - ジャンル : 旅行

tag : 両国銅像藤堂家幸田露伴森鴎外

猿江材木蔵跡(猿江恩賜公園)

○猿江恩賜公園 江東区毛利2丁目、住吉2丁目

 猿江恩賜公園は、かつては幕府の貯木場で、新大橋通りをはさんで南側(住吉2丁目)と北側(毛利2町目)の地区に分かれています。南側地区の入口左手に「猿江材木蔵跡」碑があります。

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<江戸切絵図>

 江戸切絵図に「猿江御材木蔵」が見えます。

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<猿江材木蔵跡>(江東区史跡) 江東区住吉2-28

 享保19年(1734)年に、横網の幕府の御竹蔵が猿江に移され、横網には御米蔵が竣工しています。

(碑文)
「猿江材木蔵跡
 この付近は江戸時代初期に埋め立て元禄十二年深川元木場にあった時木場を一時ここに移したことがあり、そののち享保七年伊勢屋毛利藤左衛門たちが堀を埋め立て毛利新田をひらいたが享保十九年幕府はその大部分をとりあげて材木蔵をおき以来幕府の貯木場となし明治以降は皇室所有の貯木場となし明治大正十三年その一部を猿江公園とした。
 昭和三十三年十月一日 江東区第十一号」

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<猿江恩賜公園由来碑>

 昭和7年4月の開園と同時に建てられたと思われ、碑上部に猿のレリーフを配し、300文字におよぶ公園開設の由来が刻まれています。(江東区HPより引用)

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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 江戸幕府施設史跡

小林清親旧居地

○小林清親旧居地 墨田区横網1-10-8

 旧安田庭園の東の外周路に、説明板「小林清親旧居地」があります。

(説明板)

「絵画と文学 小林清親旧居地 3
 明治の浮世絵版画家で、最後の浮世絵師とも言われる小林清親は、江戸本所の御蔵屋敷で生まれ、この辺りで暮していました。
 七人兄弟の末子で、明治維新の際は大坂や静岡などを転々としますが、その後、帰京し、洋風木版画の『東京名所図』を出版しました。その西洋風の画風が「光線画」として人気となり、浮世絵版画に文明開化をもたらしたといわれています。
 明治十四年(一八八一)の両国の大火後は、光線画から遠ざかり、「清親ポンチ」というポンチ絵を描くようになり、その後、錦絵の衰退により肉筆画を多く描くようになっています。近世から近代への絵画の変遷を体現した画家といえるでしょう。
 (作品掲載)両国花火之図 小林清親作  墨田区」

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「両国花火之図」(小林清作)(国会図書館蔵より)

 説明板に掲示されている作品です。

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テーマ : 絵画・美術 - ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 両国小林清親

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